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■増支部経典 8集 第7 地震品 63 略説
〈 和 訳 〉
ある時、一人の比丘 が 世尊 の 許へ 訪れ、礼拝して、一方 の 側 に 座りました。
座ってから、彼 は 世尊 に 言いました。
「 世尊よ、願わくば 私のために、簡潔に 法 を 説いて下さいますように。
世尊から 法 を 聴いたならば、私は 独りで離れて静居をして、
不放逸で、熱心に、專精にして住したいと思います」
「 しかし、一類の愚人たち は、そのようにして 私に 教えを 請うのだが、
法を 説かれると、── 私に 追随しよう と 思惟する のだよ」
「 世尊よ、どうか私のために、簡潔に 法 を 説いて下さいますように。
私は、世尊の所説 の 義 を 悟り、そして、世尊の所説 を、私は 相続 したい と 思います」
「 ── 比丘よ、然らば 汝は、このように学びなさい。
比丘よ、汝、内側に 心を向けて 住し、妙住 せしめて、
すでに生じた 悪不善法が、心を 捉えて 住するようなことが 無いように したならば、
比丘よ、次に 汝は、このように 学びなさい ──
1.慈心解脱
私は、慈心解脱 を 修習して多習し、開発をして、基礎となし、髄成し、積習して、よく造作しよう、と。
比丘よ、汝は、このように 学びなさい 。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 多習する ならば、
比丘よ、次に汝は、この 三昧を
有尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋無伺 にして 修習 しなさい。
有喜 にして 修習 しなさい。
無喜 にして 修習 しなさい。
悦 と 供に 修習 しなさい。
捨 と 供に 修習 しなさい。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 善く 修習する ならば、
比丘よ、次に汝は、このように 学びなさい ──
2.悲心解脱
私は、悲心解脱 を 修習して多習し、開発をして、基礎となし、髄成し、積習して、よく造作しよう、と。
比丘よ、汝は、このように 学びなさい 。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 多習する ならば、
比丘よ、次に汝は、この 三昧を
有尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋無伺 にして 修習 しなさい。
有喜 にして 修習 しなさい。
無喜 にして 修習 しなさい。
悦 と 供に 修習 しなさい。
捨 と 供に 修習 しなさい。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 善く 修習する ならば、
比丘よ、次に汝は、このように 学びなさい ──
3.喜心解脱
私は、喜心解脱 を 修習して多習し、開発をして、基礎となし、髄成し、積習して、よく造作しよう、と。
比丘よ、汝は、このように 学びなさい 。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 多習する ならば、
比丘よ、次に汝は、この 三昧を
有尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋無伺 にして 修習 しなさい。
有喜 にして 修習 しなさい。
無喜 にして 修習 しなさい。
悦 と 供に 修習 しなさい。
捨 と 供に 修習 しなさい。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 善く 修習する ならば、
比丘よ、次に汝は、このように 学びなさい ──
4.捨心解脱
私は、捨心解脱 を 修習して多習し、開発をして、基礎となし、髄成し、積習して、よく造作しよう、と。
比丘よ、汝は、このように 学びなさい 。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 多習する ならば、
比丘よ、次に汝は、この 三昧を
有尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋無伺 にして 修習 しなさい。
有喜 にして 修習 しなさい。
無喜 にして 修習 しなさい。
悦 と 供に 修習 しなさい。
捨 と 供に 修習 しなさい。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 善く 修習する ならば、
比丘よ、次に汝は、このように 学びなさい ──
5.身念処
私は、身において 身を観じ、熱心に、正念、正知 にして 住し、世間 の 貪・憂 を 調伏しよう、と。
比丘よ、汝は、このように 学びなさい 。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 多習する ならば、
比丘よ、次に汝は、この 三昧を
有尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋無伺 にして 修習 しなさい。
有喜 にして 修習 しなさい。
無喜 にして 修習 しなさい。
悦 と 供に 修習 しなさい。
捨 と 供に 修習 しなさい。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 善く 修習する ならば、
比丘よ、次に汝は、このように 学びなさい ──
6.受念処
私は、受において 受を観じ、熱心に、正念、正知 にして 住し、世間 の 貪・憂 を 調伏しよう、と。
比丘よ、汝は、このように 学びなさい 。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 多習する ならば、
比丘よ、次に汝は、この 三昧を
有尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋無伺 にして 修習 しなさい。
有喜 にして 修習 しなさい。
無喜 にして 修習 しなさい。
悦 と 供に 修習 しなさい。
捨 と 供に 修習 しなさい。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 善く 修習する ならば、
比丘よ、次に汝は、このように 学びなさい ──
7.心念処
私は、心において 心を観じ、熱心に、正念、正知 にして 住し、世間 の 貪・憂 を 調伏しよう、と。
比丘よ、汝は、このように 学びなさい 。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 多習する ならば、
比丘よ、次に汝は、この 三昧を
有尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋無伺 にして 修習 しなさい。
有喜 にして 修習 しなさい。
無喜 にして 修習 しなさい。
悦 と 供に 修習 しなさい。
捨 と 供に 修習 しなさい。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 善く 修習する ならば、
比丘よ、次に汝は、このように 学びなさい ──
8.法念処
私は、法において 法を観じ、熱心に、正念、正知 にして 住し、世間 の 貪・憂 を 調伏しよう、と。
比丘よ、汝は、このように 学びなさい 。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 多習する ならば、
比丘よ、次に汝は、この 三昧を
有尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋有伺 にして 修習 しなさい。
無尋無伺 にして 修習 しなさい。
有喜 にして 修習 しなさい。
無喜 にして 修習 しなさい。
悦 と 供に 修習 しなさい。
捨 と 供に 修習 しなさい。
比丘よ、汝、このように 三昧を 修習して 善く 修習する ならば、
比丘よ、汝は、行くにも 安穏に 行き、住まう にも 安穏に 住まい、
坐す にも 安穏に 坐し、身を臥す にも 安穏に 臥す であろう。 」
すると その比丘は、世尊から この教えを 聴いて 席を立ち、
世尊に 礼拝し、周りを回って、世尊を 右にみて その場を 離れました。
そして その比丘は、独り 世間を 離れて 住し、不放逸、熱心、專精にして住し、
久しからずして、善男子が正しく家を出て、出家をすることで得られる最高の境地に達しました。
そして自ら証知し、現証し、具足して住し、我が生はすでに尽き、梵行すでに立ち、
所作はすでに弁(わきま)えて、さらにまた有を受けず証知し、その比丘は、阿羅漢の一人となったのです。
〈 和 訳・おわり 〉
● 解 説
ののの
〈 編集中 〉
最終更新:2013年06月03日 09:05