第1章 創  業 (敬称略)



大正12年8月30日
 東京湾埋立㈱より埋立地進出各企業宛てに下記文書が発送されております。
「扨啓而計画在罷候弊社経営埋立地ニ沿フ鐵道布設ハ現在埋立地ノ進展上之カ実施ノ必要ニ迫ラレ居候次第ニテ貴社ニ於カセラレテモ勿論建設御希望ノ事ト存上候 就而ハ各関係御会社ト合議御協定致シ之カ実行ヲ期シ度候間工事計画並ニ工事費分担等別紙計画書ニ基キ一応御勘考相煩シ度此段得貴意候也」

大正13年4月26日
 当社は、鶴見・川崎間の埋立地に、大正4年頃から建設された諸工場群の陸上交通運輸の不便を解消する為、横浜-鶴見地区の臨海部沿いでの鉄道輸送事業を目的として、東京湾埋立会社(現 東亜建設工業株式会社)を初め、海運・造船・製鉄・セメント等数多くの会社を起こした中興財閥の祖であり、京浜工業地帯の父と呼ばれた淺野總一郎が中心となり、大川平三郎(渋沢栄一の甥 抄紙会社(後の王子製紙)専務取締役)、岩原謙三(芝浦製作所社長)、白石元治郎(日本鋼管初代社長)、渡邊嘉一(日本土木史の父と呼ばれ東京石川島造船所社長)、正田貞一郎(日清製粉社長)並びに岡和(旭石油専務)を加えた7名が発起人となり、鐵道省川崎貨物支線より分岐し、埋立地を通過して、鶴見駅に連絡する鉄道敷設を計画しました。
 第1期工事として濱川崎駅付近から潮田町末廣町一丁目に至る計画を立て、地方鐵道法により鐵道大臣に大正13年2月12日に布設免許を申請し、同年4月26日付を以て貨物の運輸営業を為すことを免許される運びとなりました。

大正13年7月25日
 東京市麹町区永樂町日本工業倶樂部にて創立総会を開催しました。
(参考)当時の資本金100万円は現在価値で15億8千万円余
・取締役社長 淺野 總一郎
(淺野總一郎 取締役就任承諾書)

 取締役には 大川平三郎、岩原謙三、清岡邦之助(福沢諭吉の三女婿・スタンダード石油顧問)、田村八二(旭硝子)、津下紋太郎(日本石油)、白石元治郎
 監査役には渡邊嘉一、正田貞一郎、鈴木紋次郎(浅野造船所 浅野同族取締役))
 その他株主には下記の沿線各社経営者が出資しております。
P・P・ブラウン(ライジングサン石油取締役)、内藤大寛(日本石油社長)、三井守之助(三井物産社長)、岩崎俊弥(旭硝子社長)、名取和作(富士電機社長)、菊池季吉(秋田木材社長)など。
 本店所在地は東京市麹町區永樂町壱丁目壱番地


 安善通駅(現安善駅)にて開通当時の役員か