DVとかモラとかの言葉は、私達の子供時代にはなかったですね。

学校でも体罰は問題にされませんでした。

叩く教師の方が熱血だと親は有難がったくらいです。

なので、家庭で親が子供を叩くくらい何でもない事でした。

そう言う時代でした。

父はDVだったと思います。

「ぶっ殺してやろか!」

「半殺しの目に合わしてやる!」

そう威嚇された事は数えきれないくらいあります。

もちろん、手も足も出ました。

でも、一番壮絶なのは夫婦ケンカでした。

父は食べ物に執着が強くて、夕飯の内容が気に入らないだけで機嫌を損ねました。

一口食べて「味ない!」不味いと 言う意味ですが、箸を置いてグチャグチャ文句が始まります。

母もまた、気が強く言い返す性質でしたので、皿は飛ぶ、ちゃぶ台返しはしょっちゅうでした。

兄は自分の部屋に逃げ、母は押し入れの中にこもります。

残された私は、父の機嫌が治まるのを待って、後片付けをします。

そうしないと後で母から八つ当たりされるので。

「止めにも入らん!私の味方にもなってくれん!アンタはほんとにあたたい子や」

(あたたいと言うのは冷たいの反対語。つまり皮肉ですね)

小学生の女の子が両親の間に立ちはだかって何が出来ると言うんでしょうね。

子供にも平気で手を挙げた父ですから、ぶっとばされるのが落ちなのに。

私は両親に散々、気の利かない子、と言われて育ちましたが、

気は付いてましたよ。

たかが料理のことでネチネチ言う父を大人げないと思い、

火に油を注ぐような言い方しかしない母をどうかと感じれば、

どちらにも付けず固まってしまうのが当たり前だと思うのですが。

子供の立場で考えることなど全くしない両親でした。

ですが、年齢とともに父のDVは収まって行きました。

その代わり、暴言がひどくなっていくのです。モラになって行きました。

暴言もDVと同じかもしれませんが、

DVの時代は、機嫌がいい時と悪い時の落差が激しく、

良いときは本当に優しくて面白くて思いやりのある人でした。

生き物好きで、特に猫が大好きで、家には5匹飼ってましたよ。

子供もペット感覚で接していられるうちは良かったのでしょうが、

中、高生になり、自分の思い通りには育って行っていかないのが気に入らなかったのでしょうね。

父には親戚に大会社の重役をしている人がいて、

仕事の合間に、その人の家の下男のような役割を買って出ていて、

その見返りに、兄と私の就職先を世話してくれる事になっていました。

中学の時点で、就職先を決められていた訳です。

ただし、その会社に入るには見合ったレベルの高校でなければならず、

兄は成績が足らず、あの時代まだ珍しい進学塾に通わされて、

どうにか、高校入学は出来たのですが、

就活の時期になると、今度は学校推薦が貰える学力でなくて、

会社からの募集を一枠増やして貰って兄はどうにか滑り込みました。

その時、父が言っていたのは、一枠増やせば、それが通例になり、

来年からその会社は余計な人員を募集しなくてはならなくなる。

大変な事をしでかしたんだぞ。と。

世の中の仕組みが解るこの年になれば、それはおかしいと思います。

新入社員の募集なんて、その年の業績で変えられるものじゃないですか。

父は親戚にそう言われて恩にきせられ、そのまま子供に伝えたんです。

そして私。

私自身はその親戚の会社に入る事になってました。(兄はツテのある会社)

ですが、私、塾などに通ってませんが、まあまあ勉強が出来て、そこそこの進学校に入れたんです。

就職なら商業高校の方が良いに関わらず、見栄っ張りの父はいとも簡単に許可しました。

進学校からも就職は出来ますが、全体の1割にも過ぎず、学校推薦を取る事自体熾烈な競争でした。

私自身は進学したかったのです。

自分に全く自身がなかったので、せめて短大でも卒業の肩書があればいいかと。

でも、親はコネがあるから就職は間違いなしと言っているし、

もう成り行きに任せるしかないと思ってました。

私と兄は年子なので、兄が無事、就職を果たすまで完全放置のまま高3になってしまいました。

そして、当然のように学力不足でコネがあっても学校推薦はもらえない結果になってしまったのです。

その時の父の鬼のような形相は忘れられません。

兄に続き、妹までもがオレに恥をかかせたとののしられました。

親戚の人は、自分の働いている会社だからか、返って推薦枠を広げる手段を取らず、

女の子なんだから、短大にでも入れておけば学校推薦の仕組みから外れ、

確実に入社させてやる、と言い、結果的には私の思い通りに進学出来たのです。

でも、短大に行っている間は辛い毎日でした。

実家は、女の子にお金をかけるのは「盗人に追い銭」と言う考えでした。

どうせヨメに出すのだから、お金をかけるのは無駄、と言う意味ですね。

兄にはラジカセから始まって、ステレオ、原付、クーラー、車と高価なものを毎年何がしら買って貰ってましたが、

私には、目覚まし時計一つ買って貰ってません。

ですから、短大にかかる授業料は両親は受け入れ難く、

晴れて父の希望の会社に内定する短大後半までは、

毎日のように嫌がらせを言われてました。

父が言葉に責任を持ってない、と痛感したのはバイトの件でした。

バブルの時代でしたから女子大生は派手に遊びまわっている。

そう思い込んでいたのでしょうね。

だから、小遣いはやるからバイトはするな。

と言われました。

小遣いの少ないのは母が弁当を作ってくれたので何とかなったけれど、

母は私服も小遣いの中から買え、と言う人でしたから、とにかく着るものに困りました。

今では、しまむらがあって、安くてもそれなりの装いが出来ますが、

当時は、1980円で買える物などほとんど無かったのですよ。

あったとしても19歳の女の子が着るには残念すぎて、新品だからいいと言える物ではありませんでした。

そして、日曜であってもお金もないから家にいる私に父は、バイトもせんで何をしているんや!

と怒ったのです。

バイトはするなと言ったのに…。

「学生はバイトして自分の事はまかなっていくもんや、お前は何怠けているんや」

そう言われて、私はすぐにバイトを探しました。

丁度、短大の近くのケンタッキーに求人があり、他を考える事なく応募しました。

そして、来週からケンタッキーでバイトをするから帰りが遅くなる日があるから。

そう報告しました。

「そんなもの、水商売やないか!許さん、断ってこい」

父はそう激怒しました。

飲食業が水商売と言われたらその通りですが、ファーストフードですよね。

お酒も出ないですよね。もう、何がいいのか解りませんでした。

「どんなバイトがええの?」

父に聞きました。

「決まってるやないか!まともな子は百貨店やスーパーでバイトするもんや」

だったら、先に言ってよ。

その後、私は今で言うイオンにバイトを始めました。

今でも忘れませんが、時給は420円。5時から閉店の7時までが600円でした。

今はどうか解りませんが、イオンも顔でバイトを選びます。

可愛い子は紳士服売り場に。明るい子は婦人服。下着。それからは、寝具とか雑貨とかになり、

最終的には食品でした。

そして、私は当然ながら食品売り場でした。


今朝の記事、実は昨日の午前中には出来上がってたのですが、
内容が暗かったので、敢えて夜の10時に予約投稿にしたんです。
ですが、投稿失敗で今朝送りました。
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