故堺屋太一さんは、祭りのような「非日常」があって初めて、社会は面白くなり発展すると述べられた。五輪は最高の「非日常」だ。だから色んなことも起こりうる。それを政治的に、姑息に目くじら立てて批判するのは寛容・平和の五輪精神に反する。心からこの五輪を応援しよう、それが心ある国民の声だ。
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返信先: さん
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返信先: さん
自分に都合の良い解釈するのが好きな方ですね。
このコロナ禍が、既に【非日常】であるとは思われませんか?
始まってしまった以上、各国選手の皆さんの健闘は応援したいですが、故堺屋太一さんの仰っていた状況とは全く違います。
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返信先: さん
「国民の声」を1人で勝手に決めないで下さい。
国民の声とは、名もなき人々の1人1人の声が集まって大きくなって世論となるものです。
それに、「心ある」と付ける卑怯な真似をしないで下さい。
そうしないと心ない国民と言っている。
堺屋太一さんは、非常時のことを言ってなかったと思います。
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返信先: さん
コロナ禍でさらなる負担を強いられ、適切な医療も受けられず、仕事も見つからず、日々の食事にも困っている、五輪応援どころじゃない困窮している国民がいることも忘れないでください。応援する余裕のない人は非国民ですか?
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返信先: さん
日常の生活があって、祭りのような非日常が楽しく発展するのですが、今は、コロナで有事の状態。1年半以上、非日常が続いている中ですが、堺屋太一先生の言ってる前提とは、違うと思います。
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返信先: さん
Osaka Model (Original Mix) by Synth Bot
SAKAMICHI RECORDShttps://sakamichirecords.bandcamp.com/album/new-normal
youtube.com
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返信先: さん
『古代オリンピック』がどうなっていったかについては、どのように考察されているのでしょう。
また、何が”最高”の「非日常」かは人それぞれ異なると思いますし、五輪だから、国民だから、と押しつけるような姿勢こそ、不寛容に映ります。
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