いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?

2021年07月31日 夕方公開終了

取材&文=北尾修一(百万年書房)

※本原稿は、小山田圭吾氏が過去に行ったとされるいじめ暴力行為を擁護するものではありません。

 

前回、書き洩らしていたことがありました。
小山田圭吾さんが「いじめ紀行 小山田圭吾の回」(雑誌『Quick Japan』vol.3)はじめ、さまざまな雑誌記事内で語っているいじめ暴力行為。これが事実だとするならば、オリンピック・パラリンピックの開閉会式クリエイティブを小山田圭吾さんが一旦引き受けたのは、自分にとって俄かには信じがたい行為です。
これは、もちろんこの記事の大前提です。
ちゃんと調査せずにオファーした大会組織委員会もうかつすぎますが、それを引き受けた小山田圭吾さんは、「うかつ」という言葉では括りきれないかと(小山田さん……一体どうしてしまったんですか……と)。

そう思っている筆者が書いている原稿だという点を踏まえた上で、ここから先が前回の続きです。

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実は私は、問題の記事「いじめ紀行 小山田圭吾の回」(雑誌『Quick Japan』vol.3)を、刊行直後の26年前に読んだきり、これまで一度も読み返したことがありませんでした。

で、さらに脱力する話で恐縮ですが、私の手元には現在、『Quick Japan』vol.3がありません。

なので、この原稿を書くにあたって、みなさんと同じく、記事をこちら(「孤立無援のブログ」)で再読しました。

で、このブログを読んで、自分の記憶とのギャップに、まず驚きました。
「……え。こんな酷い内容の記事だったっけ?」
というのが、最初の率直な感想です。

前回書いたとおり、自分の中では、あの記事は(自身も壮絶ないじめサバイバーである)M氏が、雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号で小山田圭吾さんがいじめ加害者だったと発言しているのを発見し、自分の中のサバイバー(生還者)としての記憶が駆動し、以下のような切実な問題意識を持って立ち上げた企画だったと記憶されていたからです。

●いじめについて新しい角度から考える、自分にしか書けない記事が作れないか。

●いじめ=絶対悪とみんな口では言うけれど、それなのに、なぜ世の中からいじめはなくならないのか?

●そもそも自分は本当に《いじめられて》いたのか?

ところが、上記の「孤立無援のブログ」で確認する限り、そんな企画意図はみじんも感じられない。露悪的で、読んだ誰もが気分の悪くなるような内容になっています。
※「孤立無縁のブログ」は、当該記事に編集を施した上で紹介しているので、実際の記事を読むと少し印象が違うのかもしれませんが、まあでも、きっと内容の大筋は変わらないと思うので、ここでは細部に拘泥せずに話を進めます。

これはどう読んでも「加害者のいじめ自慢」もしくは「いじめはエンターテインメントだと推奨する記事」にしか思えない。

当時の自分は、これをスルーするほど感覚が狂っていたのだろうか……?

ただ、ここで正直に言うと、どうも何かが引っかかるんです。

「ちょっと、いくらなんでも、何かおかしくないか。このブログと自分の記憶が、あまりにも違いすぎるぞ」と。

「90年代は悪趣味・鬼畜系ブームで、そのど真ん中におまえはいたわけだから、この記事の酷さに気付かないほど感覚が麻痺していただけだろ!」という全員からの突っ込み、実は「90年代は悪趣味・鬼畜系ブームで~」という括り方自体にもいろいろ言いたいことはあるのですが、そちらは本筋ではないので今は置いておくとして。

もちろん当時の自分の感覚は、現在と違っていたと思います。

当時の自分が「やべー、笑えるー」という軽薄なノリで、小山田さんのいじめエピソードを面白がっていた可能性、高いです。

ただですね、正直に話を進めたいので、できれば最後まで聞いてほしいのですが、それでも自分の中では完全には納得できない部分が残るわけです。
「いや、自分は昔から品行方正ではないし、行儀の悪い冗談だって好きだし、その可能性がゼロだとは言いません。ただ、それにしても、いくらなんでも、さすがにこの原稿は度が過ぎている。ここまで酷いと当時の自分も引いたはずだし、そもそもほとんどの読者から非難轟々になると思うんだけど……」と。

ここから、いろいろな考えが頭をよぎりました。

●誰か雑誌『Quick Japan』vol.4のお便りコーナーを調査してくれないでしょうか。当時の『Quick Japan』編集長A氏は、賛否両論どちらの感想も無作為に掲載していたから、次号のお便りコーナーを見れば、この記事がどれくらいの比率の賛否両論で受け止められていたか、おおよその目安が分かるはず。私の記憶ではこの記事、読者から非難轟々だった記憶はそんなにないのです。これが自分の記憶違いかどうかを、まずは確かめたい。

●もちろん、当時の雑誌『Quick Japan』読者が(鍵括弧付きの)「90年代悪趣味・鬼畜系ブーム」に乗っていた人たちばかりで、そのバイアスがかかっている可能性はあります。vol.4のお便りコーナーに否定的意見が少なかったとしても、だからといって、この記事が当時の社会規範でOKだったということには、当然ながらなりません。

●ただ、自分は悲しいほど記憶力が悪いので取材当日のことを覚えていないのですが、少なくとも取材現場で自分が「小山田さんって酷い人だなあ」と思った記憶はないんですね。

●で、先ほどの繰り返しになりますが、同じように、発売当時にリアルタイムで「いじめ紀行 小山田圭吾の回」を読んだ時に、「気分が悪い記事だなあ」と思った記憶もないんです。

●ものすごく良い記事でも、ものすごく酷い記事でも、度を越したものは読むといつまでも覚えているので、そう考えると、この記事はおそらく当時の自分にとって「(企画としてはセンセーショナルだけれど)テキストとしては可も不可もない、それほど刺さらないものだった」という可能性が高いんです。

と、頭がぐるぐるしたのですが、何にせよ記事の現物を読む手段がないので、腑に落ちない気分だけが残って、それを解消する手段がない。

一番ありそうな線としては、M氏が最初に話してくれた企画コンセプトだけが記憶に残っていて、それと実際の記事が私の頭の中で差し替えられてしまった。だから、実際に掲載された記事はもともとこんな酷い内容だった、ということ。
確かにその可能性は高いですが、でも、ここまで酷いと覚えているはずだけどなあ……というモヤモヤした気分。

ちなみに、後にライターから編集者に転身したM氏にとって、いじめサバイバーという経験は間違いなく「作品を作るときの武器」になっていて、それが後に押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という傑作マンガ(M氏が編集担当)に結実したりするわけですが。
まだこのライター時代のM氏は「武器」の使い方を知らなかったということなのかなあ。どう読んでも、これじゃ企画意図が伝わるわけがない。というか、90年代だろうが2021年だろうが、こんな記事が許されるわけがない。100%ダメに決まってるじゃないか。M氏だけじゃなく、編集長A氏もよくこんな原稿を掲載したなあ。

と、ここまで書いたのが、ちょうど一昨日。
この原稿、ここから一気に転調します。

昨日の午前中、もう何年も会っていない旧い知人から、弊社宛にいきなり郵便物が届きました。
封を開けると、なんと今一番読みたいと思っていた「いじめ紀行 小山田圭吾の回」のコピーと、旧い友人からの手紙。

私信なので一部だけ引用しますが、手紙には以下のような文言がありました。

「この問題、鬼畜的要素の固有名詞をカットアップして短文化し、あたかも鬼畜に仕立てあげ脚色されたもの。作ったやつは誰か?  これは調べあげた方がいい。」
「自分も罠にハマるところだった。バックナンバー引っ張り出して読んで良かった。」

…………え。どういうこと?

私は蛍光ペンを持ちつつ、「孤立無援のブログ」で紹介された部分をマーキングしながら、送られてきた記事のコピーを読み進めました。

※本テキストの末尾にその画像を添付しています。「孤立無援のブログ」は、2006年11月15日から2021年7月18日までのあいだで合計4回、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」紹介記事を公開しています。緑色のマーカーが「2006年11月15日公開 小山田圭吾における人間の研究」、ピンクのマーカーが「2012年8月12日公開 小山田圭吾のいじめを次世代に語り継ぐ」、青色のマーカーが「2021年7月18日公開 小山田圭吾が障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑する」です。各記事で重複して紹介されている箇所は初出記事のマーカーとなっています。「2012年9月18日公開 小山田圭吾とダウン症」は、既出の紹介記事と重複する部分の引用しかなかったので、マーカーを付けた箇所はありません。

マーカーを引きながら読み進めるにつれ、やばい、動悸が早くなってきた。
だんだんモヤモヤの正体が目の前に……。

 

引っ張る気はないので、さっさとネタをばらします。

この「孤立無援のブログ」の「いじめ紀行」記事の紹介の仕方が、ものすごく奇妙なんです。

いわゆる普通の意味での「記事の要約」になっていない。
元記事のテキストそのものは改変していないのですが、マーカーでチェックしながら読むと、意図的にエピソードの順番を入れ替えたり、小山田さんの発言の一部を削除したり、記事本文の途中で注釈内のエピソード挿入し、それに続けてまた別の場所の記事本文につなげたり……よく言えば「繊細な編集が施されている」ですが、悪く言えば「元記事の文脈を恣意的に歪めている」。
ただ、それらのカットアップとつなぎがあまりに巧く、スムーズに読めるので、普通に読んだらまったく気にならない(私みたいにマーカーを引きながら照合しないと気付かない)。

このブログ運営者、素人じゃない。
私と同じ職業の人だと直感しました。

映画や動画の編集やインタビューの構成をやったことがある人にとっては常識ですが、元のエピソード(素材)が同じでも、順番を入れ替え、意図を持って構成し、文脈をつけて並べるだけで、受け手にまったく別の印象を与えることは可能なんですよね。

で、ここから先に進む前に、あらためて強調しておきます。この後、読む人によっては「おまえは小山田圭吾を擁護するつもりか!」といきり立つようなことを書きますが、繰り返します。まったく擁護していません。
「※本原稿は、小山田圭吾氏が過去に行ったとされるいじめ暴力行為を擁護するものではありません。」この文章を再度ご確認の上、先へお進みください。

 

たとえばM氏が原稿冒頭で書いている「まえがき」、ここは「孤立無援のブログ」から丸ごと削除されています。

【「いじめ紀行 小山田圭吾の回」まえがき:part1】
僕(筆者注:M氏のこと)は『月刊ブラシ』というミニコミを編集している。

インタビュー中心の雑誌で、二二の時に創刊して、もう二年が過ぎた。今までにインタビューしたのは、爆弾製造青年、五年間顔を合わせたことのない隣人、日本語学校の生徒、駆け出しの探偵、等々。特に決まったジャンルとかはないので、今は閃いたことを全部やるようにしている。

インタビューをしてると、相手が「マンガみたいな現実」を語ってくれる時がある。例えば、爆弾製造青年が高校の時に友達から「不良にからまれるから爆弾作ってくれ」って言われたりとか、「探偵が学校に潜入する時は用務員のフリをする」とか、そんな話にはメチャクチャシビレる。

M氏は「マンガみたいな現実」が好きだと自己紹介し、その「マンガみたいな現実」の具体例をいくつか挙げた後、そのひとつとして「そんな僕にとって、“いじめ”って、昔から凄く気になる世界だった」と、「孤立無援のブログ」にUPされている部分(以下参照)につなげているんです。

【「いじめ紀行 小山田圭吾の回」まえがき:part2】
そんな僕にとって、”いじめ”って、昔からすごく気になる世界だった。例えば
*ある学級では”いじめる会”なるものが発足していた。この会は新聞を発行していた。あいつ(クラス一いじめられている男の子)とあいつ(クラス一いじめられている女の子)はデキている、といった記事を教室中に配布していた。
とか、
*髪を洗わなくていじめられていた少年がいた。確かに彼の髪は油っぽかった。誰かが彼の髪にライターで点火した。一瞬だが鮮やかに燃えた。
といった話を聞くと、”いじめってエンターテイメント!?”とか思ってドキドキする。

だって細部までアイデア豊富で、なんだかスプラッター映画みたいだ。(あの『葬式ごっこ』もその一例だ)
 僕自身は学生時代は傍観者で、人がいじめられるのを笑ってみていた。短期間だがいじめられたことはあるから、いじめられっ子に感情移入する事は出来る。でも、いじめスプラッターには、イージーなヒューマニズムをぶっ飛ばすポジティヴさを感じる。小学校の時にコンパスの尖った方で背中を刺されたのも、今となってはいいエンターテイメントだ。「ディティール賞」って感じだ。どうせいじめはなくならないんだし。

M氏がいじめサバイバーだと知っている私がこの原稿を読むと、最後の段落を書いているときのM氏の気持ちを想像するだけで胸が詰まるのですが、それはともかくとして。

この「part1」は、いじめとは関係のない内容なので、「孤立無援のブログ」が削除した理由はもちろん分かります。ただ、この「part1」があるのとないのとでは、「part2」を読んだ時の印象がずいぶん変わると思いませんか?

つまり、この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」は、意図を持って構成が練られた、全体で22pにわたる長編読み物(=起伏のあるストーリー)なのですが、「孤立無援のブログ」はその文脈を無視し、煽情的な語句(情報)だけを切り取った上で、読んだ人の気分が悪くなるように意図的に並べ替えた上で公開しているものなんです。

たとえるなら、「ビジネス書はたくさん読むけど、小説や詩は生まれてから一度も読んだことがない人が作るまとめ記事」みたいなものです。

以下、私が記事のコピーと「孤立無援のブログ」を照合して気付いた点を列挙します。

●いじめられていた人として「学年を超えて有名」だったと記事の中で紹介されている西河原さん(仮名)の、以下の証言が「孤立無援のブログ」からは削除されています。「(筆者注:小山田さんからは)消しゴムを隠される程度のいじめしか受けていない。」(『QJ』vol.3 本文55p)

●「この対談、読み物としては絶対面白いものになるだろうし、僕も読むけど、自分がやるとなると……(苦笑)」(『QJ』vol.3 本文55p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
当初の小山田さんは、この企画に引き気味です。今回の報道で多用された「いじめ自慢記事」というレッテルに、少し疑問が湧いてきませんか?

●「小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。」(『QJ』vol.3 本文55p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
細かい点ですが、「いじめてた人」ではなく「いじめられてた人」という表現が気になります。というのは、後述しますが、この二人のうちのひとり沢田君(仮名)と小山田圭吾さんの関係を、当事者ではない第三者が「いじめ被害者」「いじめ加害者」と決めつけていいのか、再読して私にはかなり疑問だったからです。

で、元記事では、最初にその沢田君のエピソードが語られます。

●「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生くらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで。いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから。」(『QJ』vol.3 本文57p)という発言が「孤立無援のブログ」からは削除されています。

●高校時代、沢田君と小山田さんがずっと隣の席だったこと。小山田さんはクラスに友達がいなかったので、お互いアウトサイダー同士で沢田君とは仲が良かったという発言が、「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文58p)。

●今回、特に酷い性虐待エピソードとして紹介された小山田さんの以下の発言。
ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけど、こいつチンポがデッカくてさ、小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。
この発言は「孤立無援のブログ」で紹介されていますが、これに続く以下の小山田さんの発言を同ブログは削除しています。
でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴っていうか、外から来た奴とかだから」(『QJ』vol.3 本文58p)
素直に読めば、この性虐待エピソードは小山田さんとは別人の犯行です。小山田さんは周りで笑いながら引いていた、というポジションです。そして、この「笑ってた」という小山田さんを責める資格、少なくとも私にはありません。

●沢田君が、透明な下敷きの中に石川さゆりの写真を入れてきて、隣の席の小山田さんがツッコミを入れるエピソード(もちろん沢田君はボケてる自覚なし)。個人的にはまさに青春、という良いエピソードだと思いますが、「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文58p)。

●高校生になってエチケットに気を付けるようになった沢田君。ポケットティッシュがすぐなくなってしまう沢田君に、小山田さんは首にかけられるようにビニール紐を通した箱のティッシュをプレゼントしました。それ以来、沢田君は自分で箱のティッシュを買うようになったというエピソード。これも「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文60p)。

●小山田さんのインタビューの合間に入るM氏の文章。
いじめ談義は、どんな青春映画よりも僕にとってリアルだった。恋愛とクラブ活動だけが学校じゃない。僕の学校でも危うく死を免れている奴は結構いたはずだし、今でも全国にいるだろう」(『QJ』vol.3 本文61p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
SNSがなくて学校外に居場所を作りづらかった時代の感覚なので、今の若者にはピンとこない文章だと思いますが、M氏が「いじめ自慢を並べる、鬼畜系記事」を意図していたとしたら、あまり必要のない文章に思えます。

ここで、沢田君から村田(仮名)という人物のエピソードへと話題は移ります。

●高校の修学旅行。留年した一コ上の先輩「バカな渋カジ」と、村田と、小山田さんという「かなりすごいキャラクター(笑)」の3人が、「好きなもんどうしが集まったとかじゃ全然な」いのに同じ班に集められて、修学旅行に行くことになった、というエピソードが「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文63p)。

●この修学旅行の出来事として、「バカな渋カジ」が先導した性虐待のエピソードが登場します(筆者注:以下、読むと気分悪くなります。ご注意ください)。
ウチの班で布団バ〜ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか? だけどそいつ(筆者注・おそらく村田)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。
それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ〜ン!”とかやってたんだけど。
で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプっていうかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。「オナニーしろ」とか言っちゃって。「オマエ、誰が好きなんだ」とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。「オマエ、誰が好きなんだ」とか言って。「別に…」なんか言ってると、バーン!とかひっぱたいたりとかして、「おお、怖え〜」とか思ったりして(笑)。「松岡さん(仮名)が好きです」とか言って(笑)。「じゃ、オナニーしろ」とか言って。「松岡さ〜ん」とか言っちゃって。
この発言は「孤立無援のブログ」で紹介されていますが、これに続く以下の小山田さんの一言を、同ブログは削除しています。
かなりキツかったんだけど、それは」(『QJ』vol.3 本文64p)
ここに意図がないとはとても思えません。

沢田君と比較し、村田とのエピソードはそれほど多くありません。
次に、「いじめっていうのとは全然違って、むしろ一緒に遊んでた奴」である朴(仮名)の家庭が厳しかった、というエピソード。
小山田さんの母校では、他の学校で特殊学級にいるような子が同じクラスにいたという話。
母校の近くに養護学校があったので「小学校の時からダウン症って言葉、知ってた」という話などが披露されます(念のため、小山田さんが養護学校の生徒をいじめていたというエピソードは、記事内にありません)。

こうやって元記事を再読すると、記事の中で大きいのは沢田君の存在で、村田さんと朴さんのエピソードとは比重が違います。が、「孤立無援のブログ」だけを読むと、この事実はまったく伝わってきません。

そして沢田君、村田さん、朴さんに、M氏が小山田さんとの対談を申し込んで断られるエピソードへと話は移ります。M氏が手を尽くしても、村田さんと朴さんには連絡がつきません。そして、肝心の沢田君。

●取材当時、沢田君は学習障害で「家族とも『うん』『そう』程度の会話しかしない」状態だったことが明かされます。M氏は沢田君の家の最寄り駅から電話をし、沢田家に上がって取材依頼をします。
「孤立無援のブログ」では、この時のやりとりを紹介しています。
お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」
寡黙ながらどっしりと椅子に座る沢田さんは、眼鏡の向こうから、こっちの目を見て離さない。ちょっとホーキング入ってる。
ーー(小山田と)対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんのほうを見る)」
ーー小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン」
 数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。(『QJ』vol.3 本文67p)
話が脱線しますが、当時の私ではなく現在の私は、この「ホーキング入ってる」はいかがなものかと思いますよ。〉M氏
この沢田君からの「対談NG」を聞いた小山田さんの反応は、「孤立無援のブログ」で削除されています(ここが、この読み物で一番大事なところなのに!)。
この沢田君への小山田さんからの言葉が、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」という記事全体のクライマックスです。この記事の末尾に記事全体の画像を貼っていますので、みなさんぜひ実際の記事を読んで確かめてください。
少なくともこの「いじめ紀行」という記事だけで、第三者が「小山田さん=障害者を暴行した加害者」「沢田君=暴行被害を受けた障害者」という単純な関係性だったと決めつけるのは、あまりに乱暴ではないかと私は思います。

そして、卒業式当日の沢田君と小山田さんのエピソードが披露され、記事本文は終わります。最後に、沢田君が小山田さんに送った年賀状の実物が掲載されています。

●誌面に沢田君の年賀状が掲載されていることについて、「孤立無援のブログ」は(今回の騒動後の)2021年7月18日に、「小山田圭吾が障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑する」というタイトルで記事公開しています。
タイトルの「爆笑する」が示す箇所が特定できないので、このタイトル自体がずいぶん粗雑だと思いますが、本文の方も(「孤立無援のブログ」にしては珍しく)粗い印象操作になっています。急いで公開しようと焦ったのでしょうか。

ここから、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」が「沢田君の年賀状」を掲載している理由について、自分なりに推理していきます。
まず本文56pに、この年賀状について、以下の小山田さんの発言があります。
それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ(筆者注:沢田君)、人に年賀状とか出さないんだけど。僕の所には何か出すんですよ(笑)。
ここで、沢田君が小山田さんに年賀状を毎年出していた(沢田君は小山田さんを友達だと思っていた)ことが分かります。
そして、ポイントになるのは、この年賀状の画像が、記事本文を読み終わってページをめくったところに掲載されている、ということです。
不肖・私、26年前は使い物にならないダメ編集者でしたが、それからずっと編集稼業を続けてきました。現在の私がこの「沢田君の年賀状」がなぜこの位置に掲載されているのか、その編集意図を推測するとこうなります。
記事本文のラストは、現在の沢田君が学習障害になってしまったと知った小山田さんがショックを受け、「沢田とはちゃんと話したいな、もう一回」と思っていること、卒業式の日にお互いにサヨナラの挨拶をしたエピソードなどが、感傷的なトーンで綴られます。
その本文が終わってページをめくったところに、突如ドドーンと現れるのがこの「沢田君の年賀状」なわけです。
ということは、この画像が象徴しているものは「小山田さんと沢田君が、かつてクラスで席を並べて過ごしていた時間」です。そこに、部外者が簡単に決めつけられるような関係性ではない何かがあったはずだと、読者に連想させるための画像、のはずです。

で、注目すべきは、この年賀状の内容です。「手紙ありがとう」と沢田君は書いています。
ここで、本文でずっと匂わされていた「実は小山田さんと沢田君は仲良しだったんじゃないのか?」ということの、物的証拠が初めて示されます。つまり、読者はこう発見するのです。
「小山田さんも、沢田君に手紙を書いていたんだ…(やっぱりふたりは仲が良かったんだ…)」

記事のラストとして上手いなと思います。

しかも感動的なのは、取材時に「社会復帰はしていない」沢田君ですが、この年賀状を書いている過去の沢田君は「三学期も頑張ろう」なのです。つまりここにあるのは未来に対して前向きだった、小山田さんと仲が良かった頃の沢田君の姿なのです。

以上、記事の現物を素直に頭から読めば、どう考えても「沢田君の年賀状」はこういう解釈になります。それを「障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑」というタイトルで紹介するのは、いくらなんでも悪意のかたまりだと私は思います。

なので、ここまで読んでくださったみなさんはぜひ、今web上やメディアの記事で「『いじめ紀行』読みました!年賀状をさらしものにするのなんて最悪だと思います!」と書いている人は全員、実際の記事を読んでいない(確定)という、リトマス試験紙に使っていただければ幸いです。

と、ここまで確認してきて分かるように、たとえば7月21日「朝日新聞」の天声人語欄にこうありますが。
「(筆者注:小山田さんが)小中学校の頃、同級生や障害者にひどいいじめをしていた。20代半ばになって、それを雑誌で得意げに語っていたことが問題となった」
この天声人語の執筆者は本当に元記事にあたったのかどうか、私には甚だ疑問です。しつこく確認してきたとおり、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」の現物記事を読めば「《得意げに》語っていた」という言い回しには絶対にならないはずなのです。

他にも「いじめられっ子にアポなし突撃取材」と言われていたり(元記事を読むかぎり、アポなしではなくM氏は事前に電話をしているようです)、あまりにもいろんな罵詈雑言が飛び交っていて、ここまで炎上すると下手に近づくと自分も丸焦げになるに決まっているわけですが、少なくとも私は私の気づいたことを知らせるべきだと思ったので、火の粉を被る覚悟の上で「元記事の記述はこうですよ」ということを報告しました。

あと、こういう微妙な事柄を書くと「なんでこの文章をそういう意味に受け取るの……???」という人が必ず出てくるので、しつこいくらい繰り返しておきますが、私はこの文章で「小山田圭吾さんはいじめ加害者ではない」と言っているわけではありません。
早とちりされないように強調しますが、小山田さんはいじめ加害者です。だって、小山田さん自身が謝罪文で「いじめ行為をはたらいていた」と認めていますから(そもそも「いじめ紀行」という連載にゲスト出演しているわけだし)。
ただ、小山田さんがいじめ加害者だったという事実があるとしても、報道やSNSで言われていることは、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」の記事現物と照合すると、ずいぶん小山田さんにとってアンフェアな傾きがありますよ、と言いたいわけです。

で、実は私の話、これでまだ前哨戦なのです。
話が長くて恐縮ですが、次がいよいよクライマックスです。
今回指摘したポイントは些末なことで、元記事を再読した私が一番驚き、世の中に伝えたいと思ったことを、最後に書きます。ここまで読んでくださったみなさんは、どうか次回も読んでください。

では、また後ほど。

(次回7/23更新、「最終話 「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」)

北尾修一(きたお・しゅういち)

1968年京都府生まれ。編集者。株式会社百万年書房 代表。本連載のスピンオフ 『何処に行っても犬に吠えられる〈ゼロ〉』発売中。

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