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会話
コレね…
僕は一期と2の差として、明らかに2が酷い方向になった証だと思います。
端的に言えば2は「感動ポルノ」なんですよ。
ラッキービーストが破損→修理する行為をした時、その想いが通じたという物語がここに添えられている。
「修理したヒト側からの視点によって」美化しているのが問題。
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感動ポルノとは
・ある特定の人達やグループをモノ扱いして、他の人達が得するようになっている
という定義が重要で
・健常者から見て、障害者は「健常者にとって勇気づけられる存在と勝手に扱われ」
ていたから批判された。
Aの主体は、Bの主体性を認めてないに等しい。
ラッキービースト(LB)を修理する設定においては
1. LBが壊れている
2. ヒトが直し機能が回復する
までで本来は十分のはず。
しかし
3. ヒトの想いが通じ、LBの機能を維持せしめている
まで設定されていると、それは「ヒトの視点が優先され」「LBの主体性よりもヒトの主体性が優先されている」。
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この時点で、感動ポルノに片足を突っ込んでいる。
LBを直す過程を、ヒトの想いを中心に物語と化し、美化に酔えるようになっている。
更に感動ポルノを強めるのは
0. LBが壊れたのは私達ヒトの去ったパークにいたから
という前段が加わること。
愚かさを嘆く主体はヒトなので、やはり自分達に酔う。
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「LBが壊れたら直す」という単純な話で済む所を、ヒトの想いを中心に美化した物語にしている。
それは、あらゆる動物を救おう!という動物ファーストの理念になる。
動物を分かろうとしたんだ!というキュルルに体現される。
しかし、その主体はあくまでヒト中心。
だから批判されるだろう?と。
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…そういえばこのシーンについて「赤い羽根がパーク職員を識別する証でラッキービーストはそれに反応しただけ」なんて意見を聞いた事ありますが、2の制作陣はそういうの真に受けて取り入れてしまいそうだなと
実際キュルルの設定画に青い羽根が来園者用とかありましたし
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たつき監督ならその設定も(あったとして)土台にしつつ、その上で「かばんちゃんにミライさんの面影を見る」ぐらいしそうですね
台詞でもミライさんとかばんちゃんが「パークやフレンズが好きで大切だと思う」「そんな皆の為に自分が出来る事をしようとする」という点で重なるようになってますし
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そう考えるとこのシーンの直後の「分カッタヨ、カバン 危ナクナッタラ必ズ逃ゲテネ」がボスとしての個人的な言葉、「カバンヲ暫定パークガイドニ設定、権限ヲ付与」がパークガイドロボとしての機械的な承認なのかなとも思ったり
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返信先: さん
そうです!
ボスの台詞をひと繋がりとせず、「内田さんの演じ方に違いがある=台詞の意図はセンテンスごとに分かれている」
と気づくと、演出指示を出したたつき監督の演出分析=ボスを監督はどう考えていたか?も分析出来る。
ボスが明らかに変わったことを見せる。
それがボスの意志の表現ですから