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会話

ラッキービーストに関して吉崎は1期の時から「壊れても問題ない消耗品」みたいな考えだったしな ポンコツロボットとも言ってたし 廃墟と同じノリで経年劣化させたり本体だけにして雑にしまい込んでも何も思わないんだろう 登場人物の1人じゃなくてアイテムや小物の一種って感覚なんだろうな
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コレね… 僕は一期と2の差として、明らかに2が酷い方向になった証だと思います。 端的に言えば2は「感動ポルノ」なんですよ。 ラッキービーストが破損→修理する行為をした時、その想いが通じたという物語がここに添えられている。 「修理したヒト側からの視点によって」美化しているのが問題。
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ラッキービースト(LB)を修理する設定においては 1. LBが壊れている 2. ヒトが直し機能が回復する までで本来は十分のはず。 しかし 3. ヒトの想いが通じ、LBの機能を維持せしめている まで設定されていると、それは「ヒトの視点が優先され」「LBの主体性よりもヒトの主体性が優先されている」。
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この時点で、感動ポルノに片足を突っ込んでいる。 LBを直す過程を、ヒトの想いを中心に物語と化し、美化に酔えるようになっている。 更に感動ポルノを強めるのは 0. LBが壊れたのは私達ヒトの去ったパークにいたから という前段が加わること。 愚かさを嘆く主体はヒトなので、やはり自分達に酔う。
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「LBが壊れたら直す」という単純な話で済む所を、ヒトの想いを中心に美化した物語にしている。 それは、あらゆる動物を救おう!という動物ファーストの理念になる。 動物を分かろうとしたんだ!というキュルルに体現される。 しかし、その主体はあくまでヒト中心。 だから批判されるだろう?と。
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翻って、一期ではヒトの主体性をむしろ避けている。 かばんちゃんもサーバルちゃんもボスも「共生」しているジャパリパーク、という物語によって。 主体は誰にでも与えられ、認められている。 ボスは決して、かばんちゃんやサーバルちゃんに動かされるだけの存在ではない。
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11話のカットは重要で、ボスの意識をのぞき込むクローズアップになっている。 クローズアップすること自体が既に意味を創出させ、それはボスの主体の存在を証しているに等しい。 2にはLBの主体性を証しているこのカットに匹敵するようなカットはありますか? 僕は、無いと思う。 こういう差なのです。
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…そういえばこのシーンについて「赤い羽根がパーク職員を識別する証でラッキービーストはそれに反応しただけ」なんて意見を聞いた事ありますが、2の制作陣はそういうの真に受けて取り入れてしまいそうだなと 実際キュルルの設定画に青い羽根が来園者用とかありましたし
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その設定があったとしても、このカットで示されているのは ・本来なら映るはずの無い、ミライさんらしきヒトのシルエット なんです。 クローズアップによって示される画は、明らかにボスの意識と結びつくので、反応しただけという解釈自体がカットの否定。 腐すような反論には意味が無い。
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たつき監督ならその設定も(あったとして)土台にしつつ、その上で「かばんちゃんにミライさんの面影を見る」ぐらいしそうですね 台詞でもミライさんとかばんちゃんが「パークやフレンズが好きで大切だと思う」「そんな皆の為に自分が出来る事をしようとする」という点で重なるようになってますし
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そう考えるとこのシーンの直後の「分カッタヨ、カバン 危ナクナッタラ必ズ逃ゲテネ」がボスとしての個人的な言葉、「カバンヲ暫定パークガイドニ設定、権限ヲ付与」がパークガイドロボとしての機械的な承認なのかなとも思ったり
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返信先: さん
そうです! ボスの台詞をひと繋がりとせず、「内田さんの演じ方に違いがある=台詞の意図はセンテンスごとに分かれている」 と気づくと、演出指示を出したたつき監督の演出分析=ボスを監督はどう考えていたか?も分析出来る。 ボスが明らかに変わったことを見せる。 それがボスの意志の表現ですから

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