このアカウントは存在しません。@hBXNnzoL1ysddq6·7月18日あの五輪の件で話題になっているO氏がまあまあ許されていたサブカルチャーがありまして、(特に50代の)けもフレ2の製作陣もそれにどっぷり浸かっていたんだろうなという話。なにそれ聞いていない。2726
マサムネ内記@masamune_nike·7月18日世代論として「けもフレ2が何故ウケなかったか?」というのを考えるのは、面白いうえに有効な議論だと思いますね。 僕が2で印象的だったのは、5話における紙相撲のシーンです。 ・あれを「シュールなギャグ」として捉えるか? ・一期の6話と何が違ったのか? などの問題を考えることができる。1310
マサムネ内記@masamune_nike·7月18日端的に言えば、紙相撲のシーンは「いがみ合っていたフレンズ達が紙相撲でトントンやり合う所に笑いを見出す」ことが脚本の狙いですが、これは今の視聴者のセンスに全く響かない、すべった笑い。 シュールさを笑うんだよという導き方であっても、それを受け容れない土壌が視聴者にあると考えられる。139
マサムネ内記@masamune_nike·7月18日多くの視聴者は、むしろ困惑したわけです。 突然紙相撲での解決を図ろうとするキュルルとそれに従って真剣に紙相撲するフレンズ達に。 これは笑う所だ、と受け入れられなくなったのは、脚本家と視聴者の感覚のズレであり、そこに「笑いを含む感覚の世代差」もあるでしょう。128
マサムネ内記@masamune_nike·7月18日で、2の5話自体は、一期の6話と対応する回でもある。 2つの陣営を仲裁する回として。 明らかに一期の方が視聴者のウケが良かったのは言うに及ばずですが、しかし6話は笑いよりも真面目に決着をつける所にもっていく。 ライオンとヘラジカが大真面目に決闘することで、笑いよりも真剣さが優先された。2210
マサムネ内記@masamune_nike·7月18日でもこれ、よくよく考えると「大真面目に決闘すること自体が笑い」かもしれない。 巻き物の剣でチャンバラすることは馬鹿馬鹿しさも含む。 しかし、それを「茶化さないで」描写した所がウケた。 茶化さないこと。 真剣さは真剣さとして受け取る。 これが視聴者に望まれていることではないか?と。4313
マサムネ内記@masamune_nike·7月18日ここで僕が思いついたのは、ガルパンの戦車道です。 あれも本来なら、馬鹿馬鹿しさの極みです。 戦車で武道やってるんだから。 しかしその真剣さと、登場人物たちの真剣さに茶化さないで視聴者はのめり込む。 今のアニメとは、視聴者に求められるものとは、真剣さを含んで成立させることです。3210
越智津君@ochitsukundayo·7月18日なんか解ります…最近カブトボーグを見てるんですが、視聴者から見るとふざけているような状況や言動でも登場人物たちは真剣そのもので、状況に向き合い全力で本気でぶつかりあって生きてる姿が胸を打つんです 必殺技名が中華料理でも誰もツッコミなんて入れないんです、彼らは全力で真剣なのだから13
マサムネ内記@masamune_nike·7月18日カブトボーグも、 ・よくよく考えると馬鹿馬鹿しいが、作品世界が成立し得るフィクションのリアリティ確保については妥協しない そういう作品であると思います。 養殖ボーグはいろいろおかしい。 しかし養殖ボーグが産業として成り立つ世界&街である、というリアリティは確保する。 だから面白い。13
越智津君@ochitsukundayo返信先: @masamune_nikeさんそうなんです、「妥協しない」から凄いしそれが強烈な個性になっているのだと 「ふざけた設定(状況)なのだから脚本の流れも適当でいいだろ」「ご都合主義で勢いだけで話をまとめてしまっても『ネタアニメだから』で笑って流してくれるだろ」そういう誘惑に妥協してたら凡作として消えていたと思います午後3:38 · 2021年7月18日·Twitter Web App3 件のいいね