2021年07月27日 夕方公開終了
取材&文=北尾修一(百万年書房)
※本原稿は、小山田圭吾氏が過去に行ったとされるいじめ暴力行為を擁護するものではありません。
今回みなさんに想像してただきたいのは、この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」という記事が成立するまでの流れです。
常識的に考えて、「小山田圭吾さん、『ロッキング・オン・ジャパン』でいじめの話をしてましたよね。あのいじめ自慢話、もっと詳しく聞かせてもらえませんか?」というオファーをして、小山田さん本人、マネージャー、所属事務所がOKすると思いますか? いくら「90年代は悪趣味・鬼畜系ブーム」だったとしても、冷静に考えてそんなことありえないですよね。
このことについて、ここからは考えていきます。
おそらく『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号の記事は、もっとずっとシンプルな話なんです。これは推測ですが、インタビュアーへのリップサービスで、小山田さんが学生時代の出来事を大げさに話したのではないでしょうか。そしたら、それを誌面にそのまま載せられてしまったと。現在は知りませんが、当時の『ロッキング・オン・ジャパン』がミュージシャンに原稿チェックさせなかったのは有名な話です。
だから、なぜあのような記事が出てしまったかは、ある意味想像がつきやすい。小山田さんにしたら災難ですが、自業自得みたいな側面もあるわけです。
ただ、この「いじめ紀行」は違います。企画書に「『いじめ紀行』という連載を始めます、いじめ自慢を聞いて回る企画なんですけど出てもらえませんか?」と書かれていたら、本人や事務所から許可が下りるわけがないんです。
もうひとつ。この「いじめ紀行」は、連載企画として立ち上げられていた、というのがポイントです。いろんな人から「いじめ自慢」(と「いじめられ自慢」?)を聞いて回るだけで面白い連載になると思いますか? やはり連載立ち上げ時には、何かもっと深いコンセプトがあったはず、と考えるのが自然じゃないですか。
前回の原稿で、私は「いじめ紀行」を、(自身も壮絶ないじめサバイバーである)M氏が、以下のような切実な問題意識を持って立ち上げた企画だったと記憶していた、と書きました。
●いじめについて新しい角度から考える、自分にしか書けない記事が作れないか。
●いじめ=絶対悪とみんな口では言うけれど、それなのに、なぜ世の中からいじめはなくならないのか?
●そもそも自分は本当に《いじめられて》いたのか?
こう考えると、この私のおぼろげな記憶がおそらく正しいのではないか、という気がしてきます。
そんなことを考えながら、何度目かの「いじめ紀行」再読をしていた私は、記事のある部分で「あ!」と声を出してしまいました。
ここです。
↓
以下、この対談の準備から失敗までを報告する。(『QJ』vol.3 本文54p)
自分の記憶力のなさ、勘の悪さを告白することになるのでお恥ずかしいかぎりですが、この瞬間、突然26年前の記憶が蘇ってきました。
そうだ、この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」って、もともとは《対談企画》の記事だったんです。それが結果的に、《対談企画の失敗報告》記事になったんです。そのことをすっかり忘れていました(しかも、記事本文に何度も書かれているのに、なぜか頭の中を素通りしていた……)。
こう書くだけでは、たぶん、私が何を言おうとしているかまったく伝わっていないと思うので、ここからじっくり説明していきます。
実際に掲載された記事内容は、《対談企画》ではなく、小山田さんにM氏がインタビューしてまとめた部分が約三分の二で、M氏がいじめ被害者に対談依頼を断られた後の話が約三分の一くらいです。
そして前者が「小山田さんによるいじめ自慢パート」、後者が「M氏による被害者への突撃取材パート」ということで、どちらも炎上したわけですが、この成立過程を時間順に沿って説明するとこうなります。
まず、M氏が企画していたのは「小山田さんの、いじめ自慢」ではなく「小山田さんといじめられっ子の、いじめ対談」でした。
ところが、対談相手の連絡先が分からないため、M氏は小山田さんの事務所に足を運びます。そこで、小山田さん本人と会うことができ、「この対談、読み物としては絶対面白いものになるだろうし、僕も読むけど、自分がやるとなると……(苦笑)」と渋る小山田さんと初めて話すことになるわけです。
それが、誌面に掲載された小山田さんの発言の数々(いじめ自慢パート)です。
ただ、冷静に考えると、この時の話は《打ち合わせ》です。小山田さんへの《インタビュー》ではありません。おそらく、念のため打ち合わせを録音していたのでしょう。
で、対談を実現するための《打ち合わせ》で、小山田さんから聞いたいじめられっ子の情報をもとに、M氏が実際に対談オファーをかけたところ、当然のごとく誰からもアポイントを取ることができませんでした(突撃取材パート)。
この流れ、普通に考えてこの時点で企画として不成立。ボツですよね。
それがなぜこのような構成の記事として、掲載されることになったのか? 答えは簡単です。
小山田さんがM氏に、「《打ち合わせ》の時にふたりで話した内容を《インタビュー》ということで記事にしていいよ」と後日許可したからです。
でも、これって変ですよね?
だって、最初は「自分がやるとなると……」と渋っていた小山田さんだったわけです。この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」がボツになっても、小山田さんにとっては痛くも痒くもありません。むしろ掲載されると物議を醸すと薄々分かっていたわけで(だから当初渋っていたわけです)、小山田さんにとってはこの企画、リスクでしかありません。
ただ、まあ、ひょっとしたら小山田さんは「久しぶりに沢田君に会ってみたい」と思っていたのかもしれません。だから「いじめ紀行」に協力的だった、という可能性はあります。
だが、しかし、です。小山田さんは(沢田君を含む)対談オファーが全滅したと報告したM氏にも、「『そこまでして記事が形にならないのは……』と言ってくれ、ライターの僕のために、レコーディングに入っていたにもかかわらず、二度目の取材に応じてくれ」ているんです。(『QJ』vol.3 本文68p)
ますます変ですよね。
繰り返しますが、対談企画をオファーして、対談相手がひとりも見つからなければ、その段階で企画はボツです。そこで「ライターのために、二度目の取材に応じてくれ」るミュージシャンや芸能人なんて、ちょっと他では聞いたことがありません。
とにかく読めば読むほど、この記事中の小山田さんは「なぜここまで?」というくらい「いじめ紀行」に協力的なんです。
ものすごく奇妙です。
で、私には、その理由がひとつしか思いつきません。
M氏です。
「目の前に現れたM氏の力になりたい」と小山田さんが思った。
特に実際に会って《打ち合わせ》をした後で、そう思うようになった。
そうとしか考えられません。
あの、念のため言っておきますが、これって、いじめ加害者ならではの嗅覚で小山田氏が「M氏=いじめサバイバー」ということを嗅ぎ当て、それにより小山田さんの過去の贖罪意識が発動し……みたいな妄想をしているわけじゃありませんからね。
普通に考えて、それが一番自然だということです。
だって、考えてもみてください。当時のM氏は24歳。ライター志望で、初めて商業誌に原稿を載せてもらえるかもしれないチャンスをつかんだわけです(しかも、いきなり連載企画です)。
テーマは、長らく自分の実存にまとわりついている「いじめ」問題。このテーマで、初めて商業誌の編集長から連載のGOサインがもらえた。しかも第一回で取材をお願いするのは、あの元フリッパーズ・ギターの小山田圭吾さん! これ、M氏でなくても緊張と気合いがマックスの局面、人生の大勝負ですよね。
このときにM氏が小山田さんに書いた取材依頼レターが、もしも残っていたら、私はぜひ読んでみたいと思います。
●いじめについて新しい角度から考える、自分にしか書けない記事が作れないか。
●いじめ=絶対悪とみんな口では言うけれど、それなのに、なぜ世の中からいじめはなくならないのか?
●そもそも自分は本当に《いじめられて》いたのか?
その手紙はきっと稚拙でしょうが、M氏がどういう学生時代を送ってきたのか、なぜ「いじめ紀行」という企画を始めようと思ったのか、その連載第一回をなぜ小山田さんと作りたいと思ったのか、だけでなく、自分がこれからライターとしてどんな仕事をしたいのか、どんな文章でどんなことを読者に伝えていきたいのかまで、きっとM氏の溢れる熱い思いが行間からほとばしっていたはずですから。
そうじゃなきゃ、小山田さん本人、マネージャー、所属事務所がこんな無茶な企画を(イヤイヤながらも)引き受けるわけがありません。
これを、小山田さん側からの視点で想像すると、こうなります。
ある日、創刊したばかりの小さな雑誌の、聞いたこともない無名のライターから、自分宛に手紙が届きます。そこにはいかにも「これが初仕事です」という稚拙な企画説明が、びっしりと書き連ねてあります。
しかもその内容がまたぶっ飛んでいて、100人にオファーしたら100回断られるに決まってるような、プロのライターなら絶対に発想しないような企画が、全身全霊をかけた謎のテンションで自分に頼み込まれている……。
もしもこういう状況になったら、私が小山田さんだったとしても、「こんな手紙を書く人物の顔が見てみたい」と思うでしょう。引き受けるかどうかはともかくとして、一度会ってみるだろうと思います。
きっと《打ち合わせ》に向かう小山田さんも、そんな感じだったんじゃないかなあ、と私は想像します。
そして26年前、小山田さんとM氏は初めて会う。
M氏は、生まれて初めて有名人と打ち合わせをするわけですから、ドキドキして挙動不審気味です。小山田さんは、「これがあの手紙を書いたMさんか、ずいぶん緊張してるな」と思ったでしょう。これは私の妄想ですが、ひょっとしたらかつての沢田君と挙動不審なM氏の姿が重なったりしたかもしれません。
そして、話すうちに、お互い年齢も育ちもスクールカースト(当時そんな言葉はありませんが)も違うのに、なぜか徐々に小山田さんはこのM氏のライターデビューを応援してみたいような気分になり、そして……。
妄想が暴走しすぎで「大丈夫か?」と思われているかもしれませんが、でも、これくらいのことが小山田さんとM氏の間で起きないと、普通に考えて実現性ゼロのこんな記事、この世に存在しえないと思うんです。
だって、小山田さんはこの記事のために、沢田君の年賀状だけでなく、子ども時代の写真までたくさん貸してくれているんです。自分はいじめっ子だった、という紹介のされ方をする記事に、子ども時代の写真を提供するって……。
これは小山田さんからの、M氏商業誌デビューへのお祝い。そうとでも考えないと、小山田さんがここまで協力的な理由が謎すぎるんです(繰り返しますが、当初は渋っていた企画です)。
また「おまえは小山田圭吾を擁護するのか!」と怒られそうな流れになってきたので、何度も強調しますが、ご自身が謝罪文で述べているとおり、小山田さんはいじめ加害者です。
小山田さんが「過去に行ったとされるいじめ暴力行為」を私は擁護しません。
ただ、この記事から読み取れる小山田さんの(悪ぶっていても)隠しきれない優しい側面については、私は全力で擁護します。
だってさあ、何なんだよ、この『デビルマン』みたいな今の状況。
こんなものを一刻も早く終わらせたくて、私はこの原稿を発表しています。
だから、小山田さんの人格を全否定する乱暴な言葉には抗います。
最後に。
私は時空を超えて、26年前の『Quick Japan』編集部に行って伝えたい。
今ごろやっと気づいたんだけど、良かったね、M氏というか村上くん。
村上くんが気合いを入れて書いていた企画依頼レターと、あのとき全力で小山田さんに伝えた気持ちは、ちゃんと伝わっていたんだね(26年後に再読してやっと気付いた笑)。
そして、信じられないかも知れないけど、これから村上くんは編集者になって良い本をたくさん世に出していくんだよ。で、そのまた先、東京にオリンピックがやってきた頃、きみはさんざんな目に遭う。知らない人が怖くなる。外に出られなくなる。日本中から呪いの言葉を浴びせられることになる。本当に痛ましい話だけど、これは事実。
そして、26年前の小山田さん。私から言うのも変ですが、村上くんへの親切な心遣いありがとうございました。小山田さんがふにゃもらーっとしながらも、実は優しい人だったということ、ずーっと経ってから記事を再読して初めて気づきました。それで小山田さん、申し上げにくいのですが、この記事に関連して、ここでたいへん残念なことをお伝えしなければいけません。
今は信じられないと思いますが、26年後の小山田さんは、この記事に協力してくださったことが仇となって、たくさんの敵を作ることになります。悪いニュースが世界中を飛び交って、未来が真っ暗になってしまったような感覚を味わうことになります。
私には未来を変えることできませんので、このことは動かせない事実です。おふたりのために何かできることがないかと考えるのですが、この文章を綴って世の中に放つ以外の方法を思いつきません。
でも。
こういっては怒られるかもしれませんが、それでも26年後の私の中には、小山田さんと村上くんがこうやって力を合わせて作った記事が残っていることを、良かったと思う気持ちが拭えないのです。
もちろん26年後のふたりは絶対そう思っていないでしょう。
だって、今この瞬間も、ふたりは別々の場所で泣いているかもしれないのですから。
でも、私はこの記事を一緒に作っている小山田さんと村上くんの姿を思い返すと、若い頃にどんなに酷いことをした人間でも、どんなに酷い目に遭った人間でも、あるとき誰かのことを思って本気で動けば、そんなふたりで宝石みたいな何かを残せるかもしれない。この記事は、その揺るがぬ証拠として26年後の私には読めます。
26年前の小山田さんと村上くんからは「偽善的だねー」と言われそうなことを書いていますが(26年前の自分もきっとそう言う)、今の私は偽善を言いたい気分なので、そのまま偽善者ということでオッケーです。
TOKYO 2021。
これからの時代は偽善ですよ。
SNSの言葉は「現在」「現在」「現在」で、あっという間に流れていきますが、小山田さんと村上くんが作ったこの記事は、26年後だけじゃなく、ふたりが死んだ後もどこかの古本屋の店先に必ず残り続ける。
その頃には少しでも素晴らしい世の中になっていますように
世界中から少しでもいじめがなくなりますように
こうやって「少しでも」を言葉にしていくことがひとまず大切じゃないか、と26年後の偽善者は考えています。
(了)
北尾修一(きたお・しゅういち)
1968年京都府生まれ。編集者。株式会社百万年書房 代表。本連載のスピンオフ 『何処に行っても犬に吠えられる〈ゼロ〉』発売中。
@kyototto
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「いじめ紀行を再読して考えたこと 03-「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」 私も編集者だったので、こうした状況は容易に想像できます。「そんな企画やらないよ」といえばすんだはずなのに、なぜ協力したのかは、こういう背景があったのでしょう。https://t.co/PPoQeJPswQ
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