落第貴族とハズレスキル【翻訳】【二】
五年後。
禁書庫での長い修業を終えた俺は、久しぶりに外の世界に出た。
「んー……っ! あぁ、やっぱり外の空気はおいしいなぁ!」
新鮮な森の空気は、格別の味がする。
「……ふむ、問題なさそうじゃな」
俺の左肩にちょこんと乗ったラスト師匠は、周囲をキョロキョロと見回し、ホッと安堵の息を吐く。
「師匠、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。それよりもほれ、冒険者ギルドへ行き、登録を済ませるぞ」
「あの……前にも言ったと思うんですが、俺は冒険者になれませんよ? 冒険者になれるのは、主神ルド様から戦闘用のスキルを授かった者だけですから」
「それについては問題ない。儂によい考えがある」
「は、はぁ……わかりました」
師匠がここまで言い切るのだから、きっと大丈夫なのだろう。
そう判断した俺は、青々と茂った森を掻き分け、冒険者ギルドへ向かう。
「――うわぁ、懐かしいなぁ!」
五年ぶりに訪れた街は、とても懐かしかった。
小さい頃に通った駄菓子屋さん・新しくできた武器屋さんなどなど、新旧こもごもした大通りを歩いていると……ちょっとした違和感を覚える。
「ん……?」
「アルフィ、どうしたんじゃ?」
「いえ、少し気になることが……」
俺は目を
白い髪に
「ねぇ師匠、もしかして俺……ちょっと大きくなっていませんか?」
気のせいじゃなければ、ガラスの中の自分は一回り背が高くなっていた。
「何を当たり前のことを言っておる。お主は
「や、やっぱりそうですよね……!」
禁書庫にいる間は、比較対象が
この感じ、おそらく165センチそこそこはあるだろう。
「あぁ、嬉しいなぁ……」
英雄譚にある伝説の勇者は、背の高い
自分の理想に近付いたような気がして、なんだかとても嬉しかった。
その後、人通りの活発な大通りを抜け――冒険者ギルドに到着。
両開きの大きな扉を開けると同時、耳をつんざく大声が飛び込んでくる。
「――おい、現場はどうなっている!」
「【伝心】スキルを持つ冒険者の報告によれば、D級冒険者全員の撤退が完了! 現在は付近の農村に移動中とのことです!」
「前線は誰が抑えているんだ!?」
「唯一のB級冒険者、『
「くそ、なんてこった……っ。――B級以上の冒険者を緊急招集! 救援部隊を編成し、
職員さんや冒険者たちが慌ただしく動き回り、ギルド全体が凄まじい喧騒に包まれている。
「ふむ、随分と騒がしいのぅ」
「何か大きな事件が起きたみたいですね……。お邪魔になってもいけませんし、今回は出直しましょうか?」
「馬鹿者。遥か
「は、はい、わかりました」
冒険者ギルドの奥へ進み、受付のお姉さんに声を掛ける。
「すみません、冒険者登録をお願いしたいんですけど……」
「は、はーい! それじゃこちらの用紙に、必要事項を記入してもらって、全部書き終わったらまた声を掛けてください!」
見るからに忙しそうな彼女は、『冒険者登録申請書』と筆記用具を受付の机に置き、大急ぎでギルドの奥へ走り去っていった。
(緊急事態っぽいのに、なんだか申し訳ないなぁ……)
俺はちょっとした罪悪感に心を痛めながら、申請書の空欄に氏名・年齢・保有スキルなどの個人情報を埋めていく。
「あの、書けました」
「はーい、今行きますー!」
お姉さんはパタパタと駆け足で戻り、完成した書類を手に取った。
「はぁはぁ……ばたばたしていて、ごめんなさいね」
「こちらこそ、お忙しいときにすみません」
「いえいえ、気にしないでください。こういうトラブルは、日常茶飯事ですから」
彼女は柔らかく微笑みながら、手元の申請書に目を通していく。
「――えーっと、アルフィ・ロッドさん、十五歳。保有スキルは……【翻訳】?」
「は、はい」
「んー……ギルドのスキル名簿に登録がないということは、ユニークスキルね。でもこの名称から察するに、非戦闘用のスキルじゃないですか?」
「……はい……」
「あー……すみません。冒険者になれるのは、主神ルド様より戦闘用のスキルを授かった者だけでして――」
予想通りの結果が訪れたそのとき、ラスト師匠の瞳が妖しく光る。
「――小娘、アルフィ・ロッドを全力で見逃せ」
「……はい、わかりました」
お姉さんの目がトロンとし、柔らかく微笑む。
「アルフィさん、これにて登録手続きは全て完了しました。こちらがあなたの冒険者カードになります」
「……えっ?」
「冒険者アルフィ・ロッドの進む道に、ルド様の御加護があらんことを――」
「あ、ありがとうございます」
いったいどういうわけか、驚くほどすんなりと冒険者登録が完了してしまった。
俺の手元には、夢にまで見た冒険者カード。
『F級』と記された鉄製のそれは、若き駆け出し冒険者の証である。
とても嬉しい。
とても嬉しいのだが……。
「師匠、いったい何をしたんですか?」
「催眠術を掛けた」
「あーなるほど、催眠術を掛けて……って、催眠術!?」
「儂の持つ操作系スキルの一つ、相手の認識を歪める強力なものじゃ。ただ……これにはいろいろな『制約』があってのぅ。とりわけ何度も連発できぬのが、一番の難点じゃな」
師匠に悪びれる様子は一切なく、「愛弟子のことを思うて、希少なスキルを使ってやったのじゃ。感謝するがよいぞ?」と微笑む始末。
「受付の人を騙して冒険者登録をするなんて、完全に不正行為ですよ……!? こんなのギルドにバレたら、いったいどうなることか……っ」
「アルフィ、お主は相も変わらず心配性じゃのぅ……。バレるときはバレるし、バレぬときはバレぬ! それに第一、スキルというのは使いようじゃ。誰が決めたのかは知らぬが、『戦闘用・非戦闘用』という
確かに、その通りではあるのだが……。
「師匠って、ほんと楽天的ですね……」
「ふっ、褒めても何も出んぞ? ――さぁほれ、せっかく憧れの冒険者になれたのじゃから、早速クエストを受けようではないか!」
「はぁ……わかりました」
いつもながら強引な師匠にせっつかれ、さっきのお姉さんにもう一度声を掛ける。
「あの、すみません。クエストを受注したいのですが……」
「ふわぁ……。あっ、はい。どのようなクエストをご希望ですか?」
催眠術を受けた影響か、お姉さんはちょっぴり眠たそうだ。
「駆け出し冒険者でもクリアできる、簡単なクエストをお願いします」
「かしこまりました。そうなると、該当するのはF級クエストになりますねぇ……」
彼女はそう言いながら、分厚い紙束を漁り始めた。
初めに受けるクエストは、最も簡単な等級のものにする。
これについては師匠も納得――いやむしろ、「そうすべき」だと言っていた。
脳裏をよぎるのは、禁書庫を出る直前の会話。
【アルフィ。お主は禁書庫での修業を経て、確かに強くなった。五年前とは比較にならないほどにな。しかし、修業と実戦は完全に別物じゃ。まずは冒険者という立場に慣れ、ダンジョンの空気に慣れ、モンスターとの戦闘に慣れ――しっかりと段階を踏み、一歩一歩着実に成長していくがよい】
【はい、わかりました】
師匠は短気で喧嘩っ早い性格だけど、こういうところは意外に堅実だったりする。
「うーん、これでもなくて、こっちでもなくて……。あっ、こちらのクエストなんてどうでしょうか?」
お姉さんは分厚い紙束の中から、一枚の依頼書を取り出す。
「F級クエスト『癒し草の採集』、ですか」
「はい。始まりの洞窟に群生している癒し草を採集し、ギルドに納品していただきます。このダンジョンに出現するのは、ゴブリンやコボルトといった弱いモンスターばかり。F級冒険者の方でも、難なくクリアできる難易度になっております」
「なるほど」
「ただし、洞窟の最上層近辺にのみ生息するボスモンスター――『ミノタウロス』には注意してください。ルド様より戦闘用のスキルを授かった冒険者ならば、まずもって負けることのない強さのモンスターですが……。なんといっても、アルフィさんはこれが『初クエスト』! 万が一ということもありますから、絶対に油断はしちゃ駄目ですよ?」
「わかりました」
「では、必要資料を準備しますので、少々お待ちください。――えーっとこれが癒し草のスケッチで、始まりの洞窟関連のマップは……ふわぁ……これだったかしら……?」
お姉さんは後ろの机をガサゴソと漁り、癒し草の精巧なスケッチと始まりの洞窟までのルートとその内部構造が記された地図をまとめてくれた。
「それじゃ初クエスト、頑張ってくださいね」
「はい、ありがとうございます!」
こうして俺は、お姉さんからもらった地図を片手に、始まりの洞窟を目指して進むのだった。
■
アルフィとラストが冒険者ギルドを
「んー……っ。ふわぁ、なんだか急に眠たくなってきちゃった……」
寝ぼけ眼をゴシゴシとこすり、眠気を追いやっていると――背後から上司の大声が響いた。
「おい、ここに置いてあった『禅霊洞窟』のマップはどこへやった!?」
「あれ、さっきそこの机に置いておいたはずですが……ありませんか?」
「おいおい、寝ぼけてんのか? こりゃ『始まりの洞窟』のマップだ!」
「…………え?」
「ったく、ボーッとしやがって……。なんでもいいから、さっさと持ってこい!」
「は、はい……!」
彼女はすぐさま控えの地図を提出し――そして一人、冷や汗を流す。
「……消えた禅霊洞窟のマップ。机に置かれたままの始まりの洞窟のマップ。……もしかして私、取り違えちゃった……?」
■
冒険者ギルドを出発してから早数時間。
街を抜け、人里離れた農村を通り過ぎ、
「ふぅ、けっこう遠かったですね」
「ぬぅ……本当にここであっているのじゃろうな?」
「はい。地図は間違いなく、この場所を示しています」
「そうか、ならばよい」
師匠はコホンと咳払いした後、真剣な表情で口を開く。
「よいかアルフィ、これより先は『ダンジョン』。凶悪なモンスターの
「はい……!」
大きく深呼吸をし、始まりの洞窟に――初めてのダンジョンに足を踏み入れた。
洞窟の内部はシンと静まり返っており、ひんやりとした空気が肌を刺す。
(ちょっと暗いけど、これぐらいなら明かりはいらなさそうだな)
外壁に埋め込まれた『
始まりの洞窟のマップを片手に持ち、ゆっくり道なりに進んで行くと……。
「こ、これは……!?」
外壁に走る鋭い
「ふむ……まだ近くにモンスターが潜んでおるやもしれぬ。この先は、今まで以上に警戒して進もうぞ」
「はい……っ」
俺は警戒レベルを最高に引き上げ、ダンジョンの奥へ進んでいく。
しかし……。
「……モンスター、全然いませんね」
現在地点は、始まりの洞窟の第五層。
既に中層を突破しているにもかかわらず、未だモンスターとの遭遇は一度もない。
「まぁこのダンジョンは、『始まりの洞窟』と名付けられるぐらいじゃからのぅ。モンスターもあまりおらんのじゃろうな」
「なるほど、そうかもしれませんね」
その後も警戒を続けながら進んでいくが……。
結局、モンスターと出会うことはなく、あっという間に最上層へ到着した。
ぽっかりと開けた広大な空間、そこにいたのは――。
「はぁはぁ……。増援です、か……!?」
見るからに
「ブォオオオオオオオオ……!」
見上げるほどに巨大な牛の化物だ。
「あれは、ミノタウロス……!?」
「ふむ、ようやっとモンスターに出くわしたか」
身の丈10メートルを超える
隆起した筋肉に漆黒の外皮。
鮮血の
(図鑑で見たミノタウロスとは、なんだかちょっと違うけど……。とにかく、とても強そうだ……っ)
俺がそんなことを考えていると――。
「――駄目、逃げて……っ」
鋭い忠告が響き、ミノタウロスが動いた。
「しまっ……!? が、は……ッ」
ミノタウロスの
「だ、大丈夫ですか!?」
すぐに彼女のもとへ走り出そうとしたけれど、横合いから静止の声が掛かる。
「落ち着け、アルフィ。あの冒険者ならば心配無用。軽く小突かれただけじゃ」
師匠は補助魔法<生命探知>を発動させながら、女冒険者の安全を保証してくれた。
「そうですか、それはよかった……」
「それよりもほれ、初めての実戦じゃ。修業の成果を見せてみよ」
「……はい!」
俺は精神を集中し、小さく息を吐く。
「――<
世界の裏側――禁書庫に接続し、『無銘の黒剣』と『空白の原典』を取り出した。
右手に黒剣。左手に魔導書。
五年の修業で確立したのが、この戦闘スタイルだ。
俺とミノタウロス――互いの視線が交錯し、
「グモォオオオオオオオオ……!」
ミノタウロスは右腕を天高く掲げ、その
俺はそこへ漆黒の斬撃を重ねる。
「黒の太刀・
「グ、モ……? モ゛ォオオオオオ゛オ゛オ゛……!?」
悲痛に満ちた怒号が、ダンジョン全体に響き渡る。
「グ、モ……グモォオオオオオオオオ……!」
俺はそれを最小限の動きで回避、そのまま奴の
「フッ!」
「モゴ、ァ……!?」
ミノタウロスの巨体はまるでボールのように飛び、ダンジョンの壁に激しく激突した。
「グ、モォ……っ」
奴は憎悪に目を血走らせながら、なんとか立ち上がろうとするが……。
「ガ、モ……ッ」
黒い血を吐き散らし、ゆっくりと膝を突いた。
さっき脇腹に刺さった蹴りが、かなり効いているようだ。
(勝機……!)
俺が仕留めに掛かろうとしたそのとき――。
「グ、モ……グモモモモモ゛モ゛モ゛モ゛……!」
ミノタウロスは耳をつんざく雄叫びをあげ、その双角に大きな魔力を集中させた。
「――ほぅ、下級モンスターが『魔導』を知る時代か!」
師匠は目を見開き、興奮気味に叫ぶ。
「あの技を知っているんですか?」
「<
「そう、ですね……」
向こうが魔法で攻めて来るならば、こちらもそれで応じるのがいいだろう。
俺は『空白の原典』をめくり、魔法の発動準備を――『
漆黒の魔力が吹き荒れ、始まりの洞窟が闇に染まっていく中、
「グモォオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛……!」
ミノタウロスが<黒天雷砲>が発動。
俺はそこへ――原初の魔法を解き放つ。
「――<日輪の夜・
原初の
幽玄死龍と黒天雷砲が激突した結果――黒炎は黒雷を打ち破り、ミノタウロスの体を燃やし尽くした。
「グ、モォオオオオオオオオ……!?」
壮絶な断末魔が響く中、ミノタウロスは
「……や、やった……っ」
途轍もない達成感が、体の奥底からグッと込み上げてくる。
討伐したのはF級クエストのボス――ミノタウロス。
駆け出しの冒険者が、余裕で倒せるレベルのモンスターに過ぎない。
だけど俺にとっては、初めてのダンジョン・初めての実戦・初めての勝利。
アルフィ・ロッドの