令和2年5月13日
それでもMMTを理解したがらない人へ
参議院議員 西田昌司
全産業で富が蒸発している
新型コロナウィルスの蔓延防止のため、全世界で人間の交流を避けるための措置が取られています。その結果、経済活動が制約され、各国で軒並みGDPが激減する事態となりました。経済活動を自粛した結果、各国で、富(付加価値)が蒸発しています。
そうした中で、ゴールデンウィークの季節が訪れました。本来ですと、観光地には大勢の人が訪れ、宿泊、飲食、交通を始め、それに関連した多くの業種では、正にかき入れ時の賑わいであったはずです。それが、今年は全くの無収入になっているのです。正に富(付加価値)が蒸発したのです。これと同じことが、あらゆる業種で起きています。自動車などの製造業も然りです。しかも、自動車産業は部品点数が極めて多い裾野の広い業種ですから、自動車の不調は全製造業に影響することになります。日本中のあらゆる産業で需要が激減しているのです。このため、これらの産業で働く人々の給料も、当然のごとく減額されてしまいます。この様に、日本中で富(付加価値)が蒸発しているのです。
こうした状況下では、人々は貯金を取り崩して生活することになります。民間の預貯金が減り続ければ、最後は産業も人々の生活も崩壊します。今、そうした恐怖に背筋が凍る思いをしながら、人々は懸命に生きているのです。
100兆円規模の真水(財政出動)が必要
今、政府がなすべき事は、民間から蒸発している富(付加価値)を補い、蒸発した預貯金を補填することです。今回の補正予算で、ようやく国民一人当たり一律10万円を給付するということが決定しました。 12兆円を超える財政出動の規模になりますが、民間で喪失された富(付加価値)の量はこんなものではないでしょう。
とりわけ事業を営んでいる方にとっては、売上げがなくても、支払わなくてはならない、人件費や家賃や地代、リース料や支払利息等の固定費の負担が重くのしかかっています。特に、自粛要請を受けたため、売上げが激減した飲食や観光や運輸業の方々にとっては、運転資金が枯渇し、瀕死の状態です。一刻も早い手当が必要なのです。
こうしたコロナショックによる経済の損失額は、GDPの2割近くになるとの指摘もあります。そうなると、国民全体では、100兆円を優に超える損失を受けることになるのです。従って、政府による100兆円規模の真水(財政出動)が必要になるのです。
失われた富(付加価値)の正体
通常の経済状態では、人々はモノを作り、それを売り買いすることにより富(付加価値)を得ます。例えば、Aさんは作った野菜を1,000円で市場に売ります。市場のBさんはそれを八百屋のCさんに1,500円で売ります。八百屋のCさんは客のDさんに2,000円で売ります。Dさんはそれをサラダにして食べました。
これらの取り引きの付加価値の合計額は、Aさんは1,000円、Bさんは1,500-1,000=500円、Cさんは2,000-1,500=500円ですから、その合計額は1,000+500+500=2,000円となります。つまり最後の消費者であるDさんの支払った額が付加価値の合計になるのです。
このことは非常に大事なことを示しています。付加価値は、Aさんが野菜を作ったことが始まりの様に見えますが、現実には、消費者のDさんが存在しないと1円の付加価値も発生しないことになります。常識的には、モノを作ることが付加価値を作り出していると考えてしまいますが、現実の経済活動の中では、誰かが買うことにより富(付加価値)は発生しているのです。
従って、いくら良い商品を作っても消費者がいない限りモノは売れず、富(付加価値)は発生しないのです。今、日本が直面しているのは、正にこうした状態です。コロナ蔓延防止のために行われた経済活動の自粛のため、モノを買うことができず、富(付加価値)が消失しているのです。
また、モノを消費するためには、消費に見合うだけの財貨が必要です。財力に余裕のある人は経済活動が自粛されても問題はないでしょうが、普通の人は、大変な影響を受けます。経済活動の自粛により付加価値が激減し、その結果、事業の存続が困難になり、給料が減額されたり、職を失う人が大量に発生しているのです。
経済活動の自粛がモノを買えなくさせ、それが富(付加価値)の減少を招き、給料が支払えない事態を作り出しました。一旦こうした環境を作り出してしまうと、今度は経済活動の自粛を取りやめたとしても、そもそも手持ちの財貨が不足していますから、モノを十分に買うことができなくなります。その結果、売上げは中々回復せず、給料も元に戻らないという状況が続くことになります。正にデフレスパイラルに陥ってしまうのです。
経済活動自粛の期間の富(付加価値)は取り戻せない
先に述べたように、富(付加価値)はモノを買うこと(消費)により生じます。今まで、富(付加価値)はモノを作ることにより生ずると考えられていましたが、事実はそうではなかったのです。いくらモノを作っても、売れなければ何の価値も生じないのです。 このことは、供給より需要が重要だということを示しています。需要がなければ、いくら生産をしても富は生まれないのです。
この事実を、今まで主流派の経済学では全く無視してきました。モノを作れば作るほど富(付加価値)が増えると彼らは考えてきたのです。そのため、生産効率を上げることばかりに主眼が置かれました。その結果がコストカット戦略です。その典型がアウトソーシング化による人件費の削減です。しかし、給料の削減は消費者の購買力を削ることにもなるのです。平成の日本がその典型例ですが、需要の増加を考えず、供給力を上げるだけの政策をしてしまえば、結局デフレに陥ってしまうだけだったのです。今の日本に必要なのは、行き過ぎたコストカットを止め、給料を増やし需要を底上げすることなのです。
特に、コロナウィルスの蔓延防止のための経済活動の自粛は消費を削減するため、世界中で莫大な富(付加価値)が蒸発しています。失われた富(付加価値)を回復するには需用を増やす以外有りません。需用の大宗は国民の消費ですが、経済活動の自粛により機会を失われた消費は二度と取り戻すことはできません。
例えば、春物や夏物の洋服などの季節商品です。売り時を逃してしまえば、自粛が解除されても、正価で売ることは出来ません。作った商品は在庫で残るか、バーゲン処分するしかないのでしょう。観光産業も同じです。自粛が解除されて観光客が戻っても、失われたゴールデンウィークの売上げは取り戻せません。この様に、自粛期間の富(付加価値)は減損したままなのです。
真水の意味
今、日本は、底無しのデフレスパイラルに飲み込まれようとしているのです。そこで真水が必要なのです。真水とは、赤字国債発行による財政出動のことを意味しています。それを何故、真水と言うのでしょう。元々は純粋の財政出動という意味なのです。純粋=純水=真水という語呂合わせなのでしょう。
純粋の財政出動と言うことは、税金を財源としない支出のことです。税金を財源として予算執行することは、国民から徴収した通貨を国民に再配分しただけですので、通貨供給にはなりません。一方で、国債発行による財政出動は、政府による事実上の通貨供給を意味します。政府が国債という負債を持つことにより、国民に直接、通貨を供給することができるのです。正に、コロナショックによる経済活動自粛により失われた富を国民に供給するために必要な政策なのです。
コロナショックによる富の喪失が100兆円なら、少なくとも同額以上の真水が必要になると言うのは当然の主張なのです。
財政出動は新たな富(付加価値)を創出する
国債発行による財政出動は、民間部門に新たな通貨と同時に富(付加価値)を供給することを意味します。例えば、公共事業の場合には、工事の発注という富(付加価値)とその代金支払いにより通貨が、民間部門に供給されることになります。また、整備されたインフラは、民間の経済活動を更に発展させ、新たな需要を産み出すでしょう。
医療や福祉などの社会保障予算も同様です。医療や福祉の役務の提供という富(付加価値)の提供と同時に、その報酬の支払いを通じて通貨を供給しているのです。コロナショックは、感染症対策のためには医療体制の充実が不可欠であることを、改めて我々に思い知らさせました。ここにも真水の財政出動が必要なのです。
社会保障は税や社会保険料だけで賄うべきでない
しかし、社会保障の充実は、正に現世代のものが利益を受けるものであるから、その財源は税や社会保険料で賄わなければならない、国債の発行で賄うことは将来世代への借金の付け回しになると言う考えを持つ人が依然として多くいます。しかし、これは完全なる思い違いです。
そもそも、そうした考えにより、日本においても保健所が削減されたり、病院の数が制限されたりして、医療体制をパンデミックに脆弱なものにしてしまったのです。アメリカでコロナウィルスが世界一蔓延したのも、公共医療体制の不備に原因があります。税や社会保険料という財源にこだわることなく、必要な医療体制を整備することは次世代のためにも必要なのです。自ら通貨を創造できる独立国家においては、財源を税にこだわる必要は全くないのです。
そもそも既に、日本の社会保障費の半分は社会保険料ですが、あと半分は国債発行によって賄われているのです。このことで何か問題が起きているでしょうか。インフレが加速したり、通貨の信任が揺らいだりしてるでしょうか。むしろ、そうしたことが起きるかもしれないとして必要な医療体制を削減してきたことのほうが問題であることを、コロナショックは示しているのです。
国家の責務は財政バランスでなく経済成長
全世代型の社会保障の充実のための安定財源として、消費税は絶対に必要だといまだに政府は主張しています。また、これに同調する人も多いでしょう。しかし、これは全くの思い違いなのです。
そもそも、政府が責任を持たなければならないのは、歳入と歳出のバランスを保つことではありません。財源を税に限る必要は無いのです。通貨を自ら創造できる国家にとっては、税収の多寡は大きな意味を持ちません。税収にかかわらず、必要な社会保障やインフラの整備等により、国民生活を安定させることが最大の責務なのです。
国民生活を安定させるためには、食料やエネルギーの安定した供給に始まり、社会保障の充実やインフラの整備、他国から侵略を受けないための安全保障や国民教育の充実等が必要です。
もう一つ重大な事は、国民経済が緩やかなインフレ基調を保ち、名目経済の成長が持続していることです。富(付加価値)の創出のためには消費が必要であることを先に述べました。消費を拡大するためには、物価が緩やかに値上がりをしている必要があります。物価が継続的に上昇するからこそ、消費は伸びるのです。逆に物価が継続的に値下がりをすれば、誰もモノを買わなくなります。今買うより、後で買うほうが得だと思うからです。
こうした状態をデフレと呼びます。日本は、20年間にわたりデフレに苦しんできましたが、コロナショックで、再びデフレの泥沼の中に引き摺り込まれそうになっているのです。この危機を乗り越えるためにも、需要の創出による消費拡大が必要なのです。
消費減税が必要な理由
ヨーロッパ型の消費税は文字通り付加価値税です。企業の付加価値にかける税金ですから、ある意味「第二法人税」とも言えます。また、それを小売価格に転嫁するかどうかは企業の裁量に任されています。企業は、経済の状況に合わせて小売価格を任意に調整できるのです。
一方で日本の消費税は、外税により小売価格に転嫁しているケースが大半です。そのため、消費税が上がる度に物価は確実に上昇してしまいます。経済の状況如何を問わず、物価を上昇させる装置になっているのです。
本来物価は、経済の状況、つまりは需要と供給のバランスによって決まっていくものです。したがって、経済活動が活発で、需要が多いときには、物価は上昇基調にあります。逆に、不況により需要が少ないときには、物価は下がる傾向にあります。
日本では平成元年に消費税が導入されました。この時はバブルの最中で好況時でしたが、その後は20年にわたる不況が続いています。本来、物価は下落傾向にあったのです。にもかかわらず、消費増税が繰り返し行われてきました。不況で本来下がるべき物価が、消費増税により上昇させられたのです。
不況における物価上昇をスタグフレーションと呼びます。日本では1970年代のオイルショックの時、こうした現象が生じました。しかし、この時は、石油の供給が安定した結果、数年のうちに解消され、再び成長路線に転じることができました。しかし、平成の日本では、こうした状況が20年以上にわたり続いているのです。
ヨーロッパ型の付加価値税とは似て非なる日本の消費税が、スタグフレーションを作り出し、日本は成長路線に転ずることができないでいるのです。この事実に政治家は気づかなければなりません。まずは消費税をゼロにして、転嫁の仕組みを最初から議論し直すべきなのです。
また、外税方式が中心の日本で消費税をゼロにすれば、物価は必ず10%引き下がります。物価が10%引き下がる事は、事実上、給料が10%増えたのと同じ意味になります。特に消費性向の高い低所得者の方には、その効果は絶大です。
経済を立て直すには、まずは需要の拡大、そのためには消費の拡大が必要なのですから、消費減税は、経済自粛を終えた後のV字回復のためには絶対に必要なのです。
それでも財政再建を叫ぶ人たち
流石に、今回のコロナショックでは、財政出動そのものを反対する人は少なくなっています。しかし、今回に限って財政出動は認めるものの、いずれその分を増税して国債を回収しなければならないと考えている人はまだまだ多いでしょう。
彼らにとっては、政府の負債が増えることは悪いことでしかないからです。負債=借金=悪であると理屈抜きに信じています。負債は将来返済すべきものである。将来返済できる以上の負債を背負うことは身の破滅を招く。だから、できるだけ負債は増やさない方が身のためである。このような三段論法が、無意識のうちにできあがっているのです。この前提は、多過ぎる負債はデフォルト(返済不能)を招くということです。しかし、この常識は、国家の負債には当てはまらないのです。
国家の負債はデフォルトしない
MMT(現代貨幣論)の示す最大の事実は、国家の負債はデフォルト(返済不能)しないということです。その理由は、通貨は国家が国債の発行により創り出したものだからです。通貨を創出できる国家にはデフォルト(返済不能)ということなど有り得ないのです。歴史上も、自国建て通貨を発行している国家がデフォルト(返済不能)になったことなど有りません。このことは、先に記したMMTについての緊急提言に詳しく述べていますので、是非ご覧になってください。
国家の負債はデフォルト(返済不能)しない、一方で民間の負債は常にデフォルト(返済不能)のリスクを背負っています。その理由は、国家は通貨を自ら創造することができるのに対し、民間部門ではそれができないからです。通貨を自ら創造できないため、返済のためには通貨を調達する必要があります。モノを売るか、新たに借り入れるかなど、新たに通貨を調達しなければならないのです。それができなければ、デフォルト(返済不能)してしまうのです。
コロナショックが変えた経済学の常識
「入るを量りて出るを制す」は古来より財政の基本であり、常識として考えられてきました。しかし、現代では、それは事実では無いのです。財源は税金では無くて、国債発行により賄われているのです。国債発行で財政出動することにより、政府は通貨を国民に供給しているのです。税はその供給した通貨を回収するための道具です。また政策を誘導するための手段でもあります。通貨を供給した上で、納税の義務を国民に課すことにより、国民は通貨を納税のために取得する必要に迫られます。これが、本来値打ちのない紙幣が通貨として流通する理由です。
いずれにしても、まず政府が国債発行により予算を執行して通貨を供給しないと、経済は回らないのです。事実、今回のコロナショックにより、政府は納税の猶予や社会保険料の納付の猶予を認めました。国民から税金や保険料が入ってこないでどうやって予算を執行しているのでしょう。事実は、政府短期証券と言う名前の国債を発行して、予算を執行しているのです。しかしそれは、いずれは国民が納付してくれるはずだからと言う理由で、赤字国債ではないとして、国債残高に計上していないだけのことです。現実には、国債発行によって予算は執行されているのです。
これが現実なのです。にもかかわらず、歳入と歳出のバランスを取ることに何の意味があるのでしょう。財政均衡主義は財政の現実を全く無視した戯言と言わざるを得ません。この戯言に20年間にわたり引き摺られてきたのです。その結果、必要な財政出動が出来ず、デフレに陥ってきたのです。
また生産ではなく、消費が富(付加価値)を生み出すと言うことも新たな事実です。このことは、経済活動自粛期による富(付加価値)喪失の原因を考えれば分かるはずです。モノを作ってもそれが売れなければ、富(付加価値)は生まれないのです。そして、富(付加価値)を増やすには消費の増加が必要です。そのためには、消費減税が最も効果的なのです。
天動説から地動説への転換が必要
この様に、コロナショックは、今まで常識と思われていたことが事実では無く、むしろ、その逆が事実であることを示しています。これは丁度、天動説から地動説への転換と良く似ています。
キリスト教の天地創造の世界観の中で、地球の周りを太陽が回っていると永らく信じられてきました。しかし、天体望遠鏡の発明等により、それが真実でないことが分かり始めました。事実は、地球が太陽の周りを廻っていたのです。しかし、その事実は中々世間に認められませんでした。その理由は、当時の1番の権威であるキリスト教の教えを否定するものであったからです。15世紀にコペルニクスにより地動説が唱えられてから、それが世間一般に普及するのには17世紀のニュートンの登場まで300年かかっています。
MMTの理解と普及にそれほど時間がかかるとは思いませんが、これが中々受け入れられないのは、天動説と同じく、時の権威が唱えている世界観を否定するのがいかに難しいかと言うことです。さしずめ現代における権威は財務省を中心とする官僚グループでしょう。そして、その周辺に生息する御用学者の方々、更に政治家やマスコミなど、彼らは同心円状に自分たちのテリトリーを築いています。
MMTの普及は、まさにこうした既存の権力構造に穴を開けるものであり、彼らにとっては絶対認められない理論なのです。しかし、彼らの都合とは別に真実があるのです。それでも地球は回っているのです。