全世帯向けの布マスク、所謂「アベノマスク」についてはいくらか記事を書いてて、それは以下の様なもの。
全戸配布用布マスクの不良品(カビ等)は毎日新聞のデマというけど、それがデマ
これらに加えて今回厚生労働省に対して合同マスクチームが作成した資料を全て欲しいと開示請求した結果*1、それらの資料が届いたので今回はそれらの資料を基にして記事にします。これがアベノマスクに対する最後の記事。
「アベノマスク」で吹聴されている効果
一般的(?)にアベノマスクで言われている効果の一つとして「アベノマスクが届いたおかげでマスク価格が下がった」という在庫放出論の様なものがあります。例えばコレとか、コレとか、コレとか。あと有名どころで言えば、黒瀬深氏とか。
そして以下の安倍元首相の発言。
「こういうものを出すと、今まで溜められていた在庫もずいぶん出てまいりました。価格も下がってきたという成果もありますので、そういう成果はあったのかなぁと思います」
安倍首相の主張「アベノマスクで在庫放出に成果」が怪しい訳
確かにアベノマスクが届き始めたのは4月中旬くらいからで、その時期ぐらいからマスクの品薄が改善され始めてきたこと自体には異論はないですが、その要因についてはアベノマスクによる在庫放出論よりも「4月のマスク輸入量、むっちゃ増えたよ」で書いたように単純にマスクの輸入量が増えたことを主要因として考えた方が妥当でしょう。それを裏付けする為に2020年の貿易統計を見ていくと不織布及び布マスクの輸入量は以下の様なもの。
4月という時期は上記グラフが示す様に布マスク(ここにアベノマスクは含まれる)をはるかに上回る量の不織布マスクが輸入され国内に流入している状態*2。このグラフだけでも在庫放出論は例え効果があったとしても微々たるものであったということが理解できます。要は供給が増えれば需要は賄える。
アベノマスクの配布時期
アベノマスクは4月1日に発表され、その配布スケジュールは上記の様なものです。なお、所謂「アベノマスク」は全戸向けの事を呼ぶのだという気もしますが、布マスク配布は他にも介護施設、妊婦向けも存在します。人によってはこれら3つを含めてアベノマスクと言っている方もいるかもしれません。ただ一応本記事においては全戸向けのみをその対象とします。
上記の配布スケジュールを見ると4月17日に配布が開始し、6月20日に配布が完了。ただこれだけだと配布進捗度が不明、とはいえ開示資料にそういった資料はない。厚労省の「布製マスクの都道府県別全戸配布状況」でも進捗度そのものは今現在は書いていないためにどの様なペースで進んだのかは不明です。なのでインターネットアーカイブで過去を確認すると東京は4月17日に配布が開始し、5月27日に配布が概ね完了します。東京以外の地域で言えば12道府県で5月11日週から配布が始まり、その後順次他県でも配布が始まり6月20日に配布が完了という流れです。東京での詳細な配布進捗が分からないものの東京は対象約700万世帯に対して約40日かけて各世帯に布マスクを届けたことになります。700万世帯に40日という事を考慮すれば配布開始と共に市中に布マスクが潤沢に出回ったというわけではなく、市場の在庫放出のインパクトがあるほどに出回ったのかには大きな疑問です。また配布枚数に関しては以下の様な記事も存在。
今月(5月)18日時点で、東京をはじめ、大阪、北海道など、13都道府県でおよそ1450万枚の配布が完了
「布マスク約1450万枚配布完了 品薄状況改善に効果」官房長官
5月18日時点で1450万枚(1世帯2枚配布なので725万世帯に配布)。布マスクの利点が繰り返し使えるとはいえ1450万枚では市場需要を満たせる数字ではないであろうことは想像に難くありません。返す返すもこの程度の数で在庫放出を促進したかは疑問。なおデータについては後述しますが、4月17日から5月18日までのマスク販売数は2億3千万枚。
アベノマスク配布前後の販売動向
開示資料の中に「販売動向週次データ」と「販売動向日次データ」という二つの資料があったのでこちらからマスクそのものの販売動向データを確認します。まずは「販売動向週次データ(~2021.2.14まで)」から。
上記の様に動向週次を確認する限り販売枚数がアベノマスク配布開始時期とほぼほぼ呼応して販売数が上昇すること自体は間違いありません。ただし。上記のグラフの突き抜けている部分が販売のピークとなりますが、その時期は2020年1月27日週、販売枚数は9億7854万5000枚。1週間で10億枚に迫る勢いであり、2019年のマスク生産量が64億枚であったことを鑑みればその販売数が如何に驚異的な数字であるかが理解できます。その後の販売動向を見ると3月にかけて急激な販売数量低下、そして4月の底の状態を見るに市場の在庫枯渇と供給不足をうかがわせます。その底は在庫放出ではなく供給能力向上などで終わったのがアベノマスクの配布開始時期とたまたま被ったと考える方が妥当でしょう。そもそもアベノマスクが輸入された時期にそれ以上のマスクが日本国内に輸入されてるわけですし。
そしてお次はマスクの1枚当たりの販売単価の推移です。
最高値は5月4日週の55.9円。アベノマスクの発表が4月1日、配布開始時期が4月17日共に販売単価の上昇局面にあり、つまりはこれらの発表、配布開始時期がマスクの単価に与えた影響、少なくとも安くさせる効果がなかったのは確かです。その後に販売単価が低下したのは供給量の大幅改善と考えた方が妥当。勿論、この単価値上がりのさ中に在庫をためておいた業者がいた可能性は否定できませんが、ただしそれをアベノマスクが在庫の大量放出に向かわせたならば単価の下落傾向が見られてもいいはずです。それがないという事は仮に在庫にためて価格上昇を狙っていた業者がアベノマスクによって放出したとしても市場には影響の出ない範囲だったという事でしょう。
おまけとして販売、平均販売金額の月次動向も貼っておきます。やはり2020年3、4月が供給が需要をカバーできない市場の底だったのだなと。
さらにおまけでこっちは販売の日次動向とそのデータを基にして作成したアベノマスク発表から2か月間の販売データのグラフです。
日付単位でみていくと4月が販売数の底でそれが回復してきたのがGWあたりからなのかなと。このグラフを見てもアベノマスクが在庫を放出したとはちょっと考えにくいです。
説明資料にその在庫放出論はあるか
全戸配布マスクの政策評価に関する資料が全て手元にあるかまではわかりませんが、開示資料の中ではマスク市場改善に関する資料が1つだけあるので紹介します。
まずは「マスクの市場供給の改善に伴う今後のマスク施策について」という資料。これはマスク市場改善後の施策についての資料ですが、マスク市場改善の理由としては以下の様に記述されています。
・国内におけるマスクの生産量の増加や、海外からのマスクの輸入量の増加により 、市場におけるマスクの供給量については 、 7月末には 、一般小売 における販売量が1月初旬の水準である週1億枚まで回復し 、また、8月には国内供給 が月間10億枚 を達成 できる見込み」
少なくともこのマスク市場供給改善の理由にアベノマスクは登場していません。書かれるほどのインパクトはなかったという評価なのでしょう。その他に7月29日の野党ヒアリング提出資料で介護事業者向けの布マスク配布の効果について記述されたものもありますが、こちらは全戸配布ではないのおいておきます。ただ対象が全戸配布でなく時期も供給回復後なので当然ですが、少なくとも在庫放出論的な事は書いていません。
本節のはじめに書いたように政策評価に対する資料は他にもあるかもしれませんが、少なくとも合同マスクチーム作成資料において在庫放出論に類する記述がされていないのが現状と捉えられます。
在庫放出論は正当化、擁護のための論
以上みてきたように在庫放出論に関して、現実においてはそのような効果はあったとしても極小であり、懐疑的にならざるを得ない。私自身、絶対にアベノマスクの効果がなかったとまでは言いませんが、「アベノマスクの使用率ってどれくらいだったのか」で書いたようにその使用率は日本全国ではおそらく1割にも達しません。安倍元首相自身が当時率先して布マスクをすることなどによる布マスクでも良いという広告的効果や手作り布マスク促進などは考えられはしますが、それがどこまで市場にインパクトがあったのかは図りようがない。
それを上記の様に約260億円という金額を用いて行うべき政策だったかと考えれば、答えは明らかなのではないかと。それは「新型コロナ対応・民間臨時調査会」の以下の記述からも明らかです。
マスク需給逼迫の中、値崩れ効果を狙った「アベノマスク」について官邸スタッフは「総理室の一部が突っ走った。あれは失敗」と認めた。
4月1日に安倍首相が発表した1世帯当たり2枚の布マスク全戸配布、いわゆる「アベノマスク」は、厚労省や経産省との十分な事前調整なしに首相周辺主導で決定された政策であった。背景にあったのは、使い捨てマスクの需給の逼迫。値崩れ効果を狙ったが、緊急経済対策や給付金に先立ち、政府の国民への最初の支援が布マスク2枚といった印象を国民に与え、政策コミュニケーションとしては問題の多い施策だった。配布の遅れもあり、官邸スタッフは「総理室の一部が突っ走った、あれは失敗だった」と振り返った。
「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(コロナ民間臨調)が日本のコロナ対応検証報告書を発表、10月後半から一般発売
また4月22日には「新型コロナウイルスに関連した感染症の発生に伴う マスクの適正な価格での販売について」という通知が日本チェーンドラッグストア協会 をはじめとした各団体にいきわたっており、以下の様に価格適正化と売り惜しみについての要請をしています。
将来的な値上がりを期待した売り惜しみ等は行われないようにすることが重要であることが、4月22日に開催された物価担当官会議において確認されたところです。(中略)以下の事項について上記の方針について周知いただき、マスクの適正な価格での販売について御配慮いただくよう、よろしくお取りはからい願います。
(中略)
3. 将来的な値上がりを期待した売り惜しみ等は行わないよう、お願いいたします。
4. 以下のとおり、関係省庁の窓口において、事業者によるマスクの売り惜しみ、買占め行為等についての情報収集を行います。事業者によるマスクの売り惜しみや買占め行為等と疑われるような事案があれば、これらの窓口に情報提供いただくよう、お願いいたします。
各団体へのこの通知の効果がどこまであったのか分かりませんが、売り惜しみに関しては通報制度的なものまで設けられており、もしも在庫放出論を訴えるならばむしろこちらの実行的な取り組みのほうが効果があったかもしれません。実際にどの程度の売り惜しみ通報があったのか分からない為、実効性自体は図りようがありませんが。
2020年のマスク国内出荷量は以下の様に100億枚を超えています。
この出荷量増大には政府が政策としてちゃんと関与しておりその部分について批判する人間は少ないと思います。また一時期に需給がひっ迫したとはいえ5月ごろには徐々状況が改善したのには政府や企業の尽力もあるでしょう。ただし、それとアベノマスクとの関連性は薄く、配布が迅速だったならともかく配布の遅さや使用率からも正直なくても大丈夫な政策だったと言わざるを得ません。それを「在庫放出論」の様なもので擁護するのは安倍政権への属人性に基づくものとしか言えません。ましてや安倍氏本人がこんな現実と乖離した言い訳めいた正当化を過去に言っていたことは問題で、彼は政策評価を適切に判断できる人間ではなかったということの証左でもあります。言い出しっぺだから負けを認められないみたいなのだったんでしょうが。あと在庫放出言う人、なぜか輸入量の激増は口にしないの何なんですかね。
アベノマスクの在庫放出論はまともに取り扱う必要はありません。それを言った時点でその人の視点は曇ってる可能性大ですから。アベノマスクは死せる孔明ではない。
余談。介護事業者向けマスク在庫が結構余ってるかも
介護施設向け布マスク配布は3月中旬以降、累計約6000万枚が配布されていましたが8月からは8000万枚(布マスク配布スケジュールによる)を施設からの申出受付に伴い配布するという枠組みを持っていました。この8000万枚については時事通信7月29日「布マスク配布の延期検討 介護施設向け8000万枚―厚労省」などを見ると延期検討などもされたようなのですが、ただ少なくとも8000万枚の在庫があったことは確かっぽい。で、開示請求の中に「介護施設等向けの布マスクの随時配布と備蓄概要」という資料がありました。この資料に8月30日までの申出状況ありました。
合計448万枚。多いとみるか少ないとみるか分かりませんが、この時点で在庫の数は約7500万枚がある事に。ただ8月30日までの状況なので今はもっと申し出が増えているかもしれない。ということでまた別の開示請求資料「全希望事業者リスト」というのを参照。この資料はその名の通り希望事業者からの枚数含む要望が2021年2月25日時点まで記述されており、それによると「44,750件中10,044,148枚」の申出があったようです*3。これで合計約1000万枚の申出があり、3月以降の申出が不明なものの単純に考えればおよそ7000万枚の介護事業者向けマスク在庫が存在することになります。実際にはその後の要望などはまだあるので7000万枚よりは減ってはいる可能性はありますが、それでも相当量のマスク在庫がある事は確実。現在の状況を考えれば在庫はある程度あることに越したことはないかもしれませんが、それでも過剰在庫の感は否めなく、この面でもこの布マスク配布には批判点は存在するといえるかもしれません。