日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2019年10月24日

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この連載をまとめた書籍『総統とわたしー「アジアの哲人」李登輝の一番近くにいた日本人秘書の8年間』(早川友久 著・ウェッジ)が2020年10月20日に発売されます。

 9月16日、台湾は南太平洋の島嶼国ソロモン諸島と断交した。その4日後の20日には同じ地域のキリバスからも国交断絶を突きつけられるという事態が起きた。

 毎回台湾がどこかの国と国交断絶する際は、事前に「どうやら○○との外交関係が危ういらしい」という報道が流れ、それを外交部長(外務大臣)や総統が「両国関係は安定している」と躍起になって否定する。しかし、その数週間後には案の定、断交という結果となるのが毎度繰り返されるパターンだ。蔡英文総統が2016年5月に就任して以来、台湾と断交した国は6カ国目だが、毎度同じような政府高官による「否定合戦」が繰り返されるので、「○○との外交関係が危うい」という報道が出たらもはや断交はカウントダウンに入っているのだろうな、と感じることが常となってしまった。

2018年8月、エルサルバドルとの断交後に会見した台湾・蔡英文総統(写真:ロイター/アフロ)

台湾断交を迫る「中国の手口」

 報道では、中国と距離を置く蔡英文総統の民進党政権に圧力をかけ、台湾の国際生存空間を狭めるために、中国が台湾と国交を有する国に有形無形の圧力をかけ続けた結果、といわれている。

 はっきり言って、台湾と国交がある国は、バチカンやパラオを除けば、ほぼ無名の小さな国家ばかりだ。よって財政的にも苦しかったり、インフラ設備などの支援を渇望している国も多い。台湾もそれらの国々に金銭的な支援を続けてきたが、中国はそれを遥かに上回るような金額やインフラ整備の支援を提示することで、台湾との断交に踏み切らせる手口があるそうだ。

 

 ただ、これらの小さな国々も、実際には結構したたかで、中国が支援額を提示すると「台湾はもっと出すと言っている」と金額を釣り上げたり、台湾に対しても「中国がこれだけの額を出すと言ってきたのだが」などと、台湾と中国を手玉にとっていた国もあったという。そうした交渉を経た国交断絶は、蔡英文政権以前にも発生していたが、近年中国の提示する金額がうなぎ登りに上昇し、財政的に苦しい国々にとっては飛びつきたくなるような状況が生まれているという。

 李登輝政権下でももちろん国交を有する国を失うことはあった。というよりも、いわゆる「主要国」を失ったのは李登輝時代がいちばん多かったといえるだろう。1992年にはアジアで最後まで国交を有していた韓国と断交しているし、97年には南アフリカと断絶した。特に南アフリカは、台湾にとって国交を有していた国のなかで最後の「主要国」といえ、誤解を招く表現だが、これによって残ったのは小国だけになってしまった。

 

 前回の記事でも書いたが、李登輝は南アフリカのネルソン・マンデラ大統領に非常にシンパシーを抱いていた。日本の統治、あるいは戦後の国民党独裁体制という、台湾人としての尊厳を傷つけられた時代を生き抜いてきた李登輝にとって、アパルトヘイト体制のなかで30年近くも投獄された経験を持ち、国民の融和のために「レインボー・ネイション」を掲げたマンデラが、やはり同様にエスニックグループの融和を目指す「新台湾人」を掲げた自分の姿と重なったのではないだろうか。

 南アフリカは、アパルトヘイト政策によって国際社会から制裁を受け孤立していたが、日本人や台湾人は特殊な地位を得ていた。「名誉白人」という言葉を聞いた記憶がないだろうか。欧米から距離を置かれる一方、経済的には南アフリカと密接な関係を持つ日本や台湾の人々は、白人と同様の扱いを受けていたのである。

 ただ、台湾にとってアフリカ最大の国交国も、中国の巧妙な手口には敵わなかった。契機となったのは1997年の香港返還である。香港が中国に返還されると、中国は南アフリカに対し、台湾と国交断絶し、中国と国交を樹立することを迫った。さもなくば、南アフリカ領事館の設置を許さない、と脅したのである。

 南アフリカには、日本や台湾のほか、香港出身の華僑も多かったため、香港における外交機関を失うことは南アフリカにとって痛手になることだった。

 当時、南アフリカは経済成長が頭打ちになっていたため、経済関係拡大を目指すため中国との国交樹立を迫る国内の声に抗えず、マンデラ大統領は1997年末で台湾との外交関係を終了せざるを得なかったのである。

台湾が国交を失う「本当の原因」

 こうした台湾が国交国を失うケースは近年頻発しているが、ここで特に記しておきたいことがある。これまで「台湾と断交」と書いてきたが、正確にはこれらの国々は「中華民国」と断交したのである。その背景にあるのが、中華人民共和国の唱える「ひとつの中国」政策、つまり「世界に中国はひとつだけ。その中国を代表する正統な政府が中華人民共和国であって中華民国ではない」という政策である。中華人民共和国が南アフリカをはじめとする各国に対して迫ったのも「中華人民共和国を認めるか、中華民国を認めるか」という選択なのだ。

 言い換えれば、台湾が国交国と断絶し、失っていく原因は、この中華人民共和国が唱える「ひとつの中国」政策といってよい。台湾が1971年に国連を追放されたのも、中国を代表する正統政府は中華人民共和国だと認められたからであり、「台湾」という名義で国連に残るという選択肢がないわけではなかったと言われる。実際、水面下では当時日本の岸信介政権が蒋介石に対し台湾名義で国連に残るよう説得工作を行ったが、「中華民国」にこだわる蒋介石に一蹴されたという。

 台湾は現在にいたるまで国連に加盟出来ておらず、国連の関連組織である世界保健機関(WHO)や国際民間航空機関(ICAO)への限定的なオブザーバー参加さえ、中国の圧力によって妨害されることが多い。これもまた「中華民国」という名称が大きな要因となっているといえる。

中国の圧力をかわす「現実的な方法」

 とはいえ、台湾がその国名「中華民国」を名称変更するのはそう容易なことではない。選挙のたびに有権者が「台湾」か「中華民国」かで割れるうえ、総統が演説の中で「中華民国」を何回使ったか、がニュースになるほど賛否が分かれる状況では、国名変更は遠い道のりと言わざるを得ない。

 であるならば、台湾を取り巻く日本をはじめとする国際社会はどのように台湾と接していくべきだろうか。それに有効な解決方法がすでに日台の政府間で進められている「積み木方式」による各種協定の締結だ。

 日本と台湾は国交がなく、他の国家のように条約を締結することが出来ない。例えばFTAを結ぶにしても、中国による妨害も考えられ現実的ではない。

 そこで、包括的な条約を結ぶのではなく、投資や租税、電子取引や漁業など、個別の協定を結ぶことを、あたかも積み木を積み上げていくことで、実質的にはほぼFTAを締結したのと等しいレベルにまで持っていくことを指す。

 現在、台湾は中国の圧力により、いっそう国際社会における外交空間を狭められている。だが、知恵を絞ることによって外交関係がなくとも、実質的には国家間とほぼ同等レベルの密接な関係にまで作り上げられるというモデルを日台間で実現させ、その成功例を世界に発信していくべきではないだろうか。

連載:日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

早川友久(李登輝 元台湾総統 秘書)
1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。

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