2021年07月23日 夕方公開終了

取材&文=北尾修一(百万年書房)

※本原稿は、小山田圭吾氏が過去に行ったとされるいじめ暴力行為を擁護するものではありません。

 

「いじめ紀行 小山田圭吾の回」(雑誌『Quick Japan』vol.3:太田出版発行)について、私から一言。

実はこの文章、前から書こう書こうと思っていたのですが、まずは当該記事の執筆者(M氏)や当時の『Quick Japan』編集長(A氏)が言葉を発するだろうし、自分がこの件について語るとしたらその後、と思ってずっと待っていたら……書き始めるのがこんなに遅くなってしまいました。

なぜ「語るとしたらその後」と私が思っていたかというと、記事執筆者M氏や編集長A氏と違って、この記事と自分はやや中途半端な関係にあるからです。

 

それを伝えるために、まずは当時の事実関係の整理からいきます。

 

この「いじめ紀行」小山田圭吾さんの取材現場に、太田出版入社2年弱だった私は同席していました。が、それはただのやじ馬(見学者)としての同席でした。というのは、この頃の私は、太田出版のまったく使い物にならないダメ新入社員だったからなのですが。
つまり、この記事の「当事者」として訳知り顔で発言すること自体、当時の自分をよく知る現在の自分からすると、出過ぎたマネかな、身の程知らずかなという中途半端なポジションなわけです。

 

で、そんな当時の私とひきかえに、この頃のA氏は『磯野家の謎』という国民的ベストセラーを作り上げ、自らの貯金をはたいて雑誌『Quick Japan』を立ち上げたばかりという、出版業界で知らない人はいない有名編集者で、自分にとっては雲の上の存在でした。

 

そんなA氏に、執筆者M氏を引き合わせたのも実は自分なのですが、次にその話をします。

 

M氏は私よりも年下なのですが、学生時代から「日本語」をテーマにした『月刊ブラシ』というミニコミを刊行していて、それが毎号すごく面白かったのです。いつ太田出版をクビになってもおかしくない自分とは違って、M氏もまた若きミニコミ発行者として、私には輝いて見えました。そこで、何か「企画の種」を乞うような気持ちで、自分から連絡してM氏に会いに行ったわけです。

で、ここからちょっとデリケートな話なので慎重な書き方になりますが、会って話してすぐに分かったことがあります。M氏は壮絶ないじめサバイバー(生還者)で、鬱屈した表現欲求の塊みたいなものを内に抱えている人だと、最初に会った時点で分かったんですね。
で、その場でM氏が「就職活動も苦手で、うまくいく気がしないし、将来はライターの道に進もうかなと思っている」みたいな話をしてくれた記憶もあります。

 

そこで、いや、もう、凄いなと。自分よりも若いのに、自分の中に確固たるテーマ(「いじめ」「日本語」)を抱えていて、これから出版業界に入ってくるんだ、こりゃかなわないなと。で、「Mさんという若い書き手がいて、彼の作っている『月刊ブラシ』というミニコミが面白いんですよ」と言って、私がA氏に紹介したんです(つまり、この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」が、M氏の商業誌デビュー原稿になります)。

 

ここまでの話を整理します。
当時の私はぺーぺーのダメ編集者で、時間を持て余していました。そんな私にとって、自分が引き合わせたA氏とM氏が組んで、しかも当時すでにスターだった小山田圭吾さんを取材をするというんで、「これは勉強になるに違いない」と思って、やじ馬(見学者)として取材現場に同席させてもらっていたわけです。

ここまでの前提の話だけで、思ったより長く書いてしまいました。
次からが本編です。当時そんな位置にいた私が、この記事を再読して何を感じたかについて、なるべく落ちついて、誰かを断罪する意図でなく、事実関係と今思うことを淡々と書いていきます。
※しつこいくらい最初に断っておきますが、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」という記事を100%擁護するテキストにも100%断罪するテキストにもならないと思います。そんなテキストならわざわざ自分が発表するまでもないと思っているので。為念。

(次回7/23更新、「02 90年代には許されていた?(仮)」)

北尾修一(きたお・しゅういち)

1968年京都府生まれ。編集者。株式会社百万年書房 代表。本連載のプロトタイプ版『何処に行っても犬に吠えられる〈ゼロ〉』発売中。