Vtuber News報道局
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Vtuberに期待する幾つかの理由の中の一つ

投稿時間: 1003日前 最終編集時間: 1003日前

多くの人が「Vtuber」に大きな期待を寄せている。

 

それには様々な要因があるし、人によってその理由は千差万別だろうと思う。

今回はワシの中にあるその理由の一つを、一度は文章に起こしておくのも面白いかもしれないと、

こうして筆をとった次第である。

 

無駄に長くなるだろうし、最初は突飛な所から始まる。

だが最後はVtuberの話にまとめるので、暇な時にでものんびり読んでほしい。

あまりに青臭い主張なので、読み終わって一笑にでも付してもらえればそれもまた一興だ。

 

 


 

 

さて、言い訳は終わったので長い話を始めよう。

9月20日。クリエイターの安田朗氏がtwitterにてこんなつぶやきを残した。

「オリジナルはRT伸びないよ。みんな知ってるモノにしか興味ないから」

思わず反論したくなるだろうが、このつぶやきはさらに続く。

「オリジナルでRTを伸ばすには、いつもより2倍とか10倍出来が良くなきゃいけないし、

 知っているモノでフックさせるとか、イベント性を付加させるとかしないと」

 

このつぶやきは決してユーザーの視野の狭さを揶揄したり、バカにするものではない。

氏の考えを完全に理解できているか自信はないが、

「知っているモノでフックさせる」

今回はこの部分を引用させて頂くにあたり、その意味を私見ながら少し噛み砕いて説明させてもらいたい。

 

 


 

 

それは何だっていい。

今回は試しに深夜アニメを例にしてみよう。

 

番組改編期を間近に控え、来月から新しい深夜アニメが始まる。

そしてそこに「10本のオリジナルアニメ」が放送される予定があったとする。

 

当然、オリジナルアニメなので実際に見るまでは面白いか定かではない。

これら全ての作品に目を通す人は極めて稀だろう。

ほとんどの人がこの中から選別し、1本や3本、多くても5本程度のアニメを視聴予定に入れる。

実際に放送されるまでは、ほとんど内容も分からないオリジナルアニメを、だ。

 

では彼らは何を基準に選別しているのだろうか?

それらの答えは非常に分かりやすい。

「ロボットアニメだから」「監督が優秀だから」「好きなスタジオが作っているから」

 

これらの基準は明確に「自分の知る素晴らしい作品」が下地になっている。

過去の名作ロボアニメが好きだったから、同じロボアニメを見る。

過去の同監督作品が面白かったから、同じ監督のアニメを見る。

過去の作品が素晴らしかったから、同じ制作スタジオの作品を見る。

 

これはどんなジャンルにでも通じる話であり、

漫画にしろ。ドラマにしろ。小説にしろ。音楽にしろ。映画にしろ。演劇にしろ。

何かしら既知の「フック」 

つまりは過去の経験で得た「とっかかり」が、新たなものへ繋がる動機に成り得る訳だ。

 

 


 

 

前振りが長くなったが、いよいよVtuberの話に入ろう。

 

いまさらワシが語るまでもなく、Vtuberとは多種多様だ。

「多種多様」という単語で一口で括れないほどに「多種多様」だ。

「Vtuber」という単語は、実に様々なジャンルを内包している。

 

当然、そこには見知らぬジャンルの技術も混ざってくる。

当然、そこには見知らぬジャンルの知識も混ざってくる。

知らない技術、知らない知識、知らない芸能。

それらが今、あちこちで惜しげもなく披露されている。

 

ワシを含め、多くの人々は実に何気なく、これらの動画をみて楽しみ、

そしてそこにある見知らぬ世界に触れてきた。

普段であれば、決して目を通すことのなかったジャンルであっても、だ。

 

前述の「フック」で考えるなら、そこにとっかかりは存在しないはずである。

唯一、「Vtuberである」という一点を除けば。

 

これまでは実に当たり前のように看過してきたが、

この事実に行き当たり、ようやくVtuberが大きな可能性を秘めている事に気がついた。

 

少し手前味噌な話で恐縮なのだが、いくつか心当たりもあった。

ワシはこれまでに幾つか、拙いながらラップを用いた動画を公開している。

 

Vtuberを題材にした「絆がつないだ愛の舞台」「仮想舟上饗宴歌」という、

およそ掛けた情熱以外は人並み以下の内容ながら、少なからず喜んでいただけたようだった。

その反応の中に、実に気になる感想があった。

「ラップには興味なかったが良かった」

そこには確かに、「Vtuber」というとっかかりを得て、

見知らぬ文化であるラップの動画を視聴するという一例が存在していた。

 

また、こんな事もあった。

恥ずかしながらワシには文化的素養は一切ない。

例えば落語にしてもせいぜい超がつく有名な噺「寿限無を知っている」くらいだった。

 

5月19日、VRChatにて、

VR法人HIKKY主催による「VR落語会」が開催された。

現地にこそ足を運べなかったが、ワシはこれも何の疑問もなくYoutubeで視聴した。

 

面白かった。ゲラゲラと笑った。

落語の寄席になど一度として足を向けたことのない人間が、「Vtuber」という一点のとっかかりを得て、

それまで目にしようとも思わなかった落語会に興味を持ち、大いに楽しめたのである。

(無論、この落語会は初心者でも楽しめるよう工夫が為されていたのだが)

 

こうした経験を挙げ連ねていけば、実にキリがない。

改めて考えてしまう。Vtuberとは何なのだろうか、と。

 

現在、日本という国に限定したとしても、その文化の数が数えきれない。

多くの芸能・文化が花開き、喝采を浴びている陰で、

日の目を見ぬまま埋もれ、あるいは廃れつつある文化も少なからず存在する。

 

それらの文化が、もしかしたらVtuberをきっかけとして、

息を吹き返す可能性を考えるのは、あまりに夢想が過ぎるだろうか?

 

そうした視点で改めて「Vtuber」を見てみれば、実に多くの未知の文化への入り口を広げてくれている。

そして、その動きは何も既存の文化のみに限らない。

少し視点を変えれば、Vtuberは未来の文化や技術への道すらも繋いでくれているのだ。

 

まったく不勉強を恥じるばかりだが、

実はワシはVtuberに触れるまで、VRChatというものは存在すら知らなかった。

非常に恥ずかしかったので誰にも漏らさず黙っていたのだが、

どうやら他にも同じような方がちらほらいるようだったので、今更ここで白状しておく。

 

旧弊ぶりを笑われる覚悟でこんな事を自白したのは、ワシのような古臭く頭の固い人間にすら、

Vtuberは新たな文化を知らしめてくれている、と証明したかったからに他ならない。

VRChatに限らず、ワシはVtuberというジャンルを知ってから、

Vtuberをきっかけに様々な新技術の存在を今更ながらに、知った。

 

Vtuberの素晴らしさとは、その面白さだけに留まらない。

文化の新発見。文化の再起。文化の新興。

それまでその文化とは縁のなかった人さえも繋いでしまう。

ありとあらゆる文化の起爆剤となり得る可能性を秘めているのだ。

 

かつてボーカロイドが登場し、それをきっかけに様々な草莽の才が世に解き放たれた。

Vtuberは、果たしてどんな才能を世に解き放つのか。

一ジャンルに留まり切らないVtuberという世界の広さ。

そこには思わず身震いするほどの可能性が潜んでいた。

 

過去になった技術や知識、その文化を。

あるいは未来の知識や技術、その文化を。

ありとあらゆる文化・知識・技術をまとめ、

今の我々に繋げてくれる「管」としての役割を。

「Vtuber」に期待している。

 

Vtuber News報道局・クソだるま師匠

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