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井の中の蛙「空の深さ」を捏造せりや

(記事の末尾に追記があります)(記事の末尾に新たな追記があります) (記事の末尾にもう一つ追記があります)

ブログ記事「F爺の白紙答案」に火狐さんがお寄せくださったコメントに「林修」という人物の登場する番組のリンクが貼ってありました。

林修氏のことをちょっとだけ調べました。この報道が見つかりました。

これによると、
「井の中の蛙 大海を知らず」という諺(ことわざ)には、なんと続きがあって
されど、空の深さ(青さ)を知る
というのだそうです。

浦島F爺には初耳です。青天の霹靂(へきれき)です。

無教養なF爺には「空の深さを知る」ということの意味が解りません。そんな言い方は、一度も聞いたことが無いのです。

「空の高さ」だってどうやって測(はか)るのか見当も付かないのに、「井の中にいて空の深さを測れ」なんて言われたら、途方に暮れてしまいます。

まさかとは思いますが、
〈井戸に映る空を見て、それが本物の空だと思って、井戸の底と空の「底」を取り違えている底無しの慌て者〉
を揶揄しているのではないでしょうね。

また、「空の青さを知る」と聞くと、
常識があるつもりのF爺には、
「空の青さなんて昼間活動する人なら誰でも知っていることだ」
としか思えません。そんな当たり前のことを知っているからといって、「大海を知らない」ことの言い訳にはなりません。

「井の中の蛙 大海を知らず されど空の青さを知る
と並べてみると、元は漢文なのか・・・という気もしますが、無学なF爺には、元の文が(仮に存在するとして)何だったのか、知る手立てもありません。

ネット情報は疑ってかかる主義のF爺には、今のところ、
〈「されど、空の深さ(青さ)を知る」は、捏造ではないか〉
と思えてなりません。

もしも・・・もしも、
されど、空の深さ(青さ)を知る
捏造ではないことをご存じの方がいらっしゃいましたら、無知なF爺を憐れんで、検証できる形で出所(でどころ)と意味を教えてください。

不謹慎なF爺は、
「空の青さなら、井の中の蛙(かわず)よりも田圃(たんぼ)の蛙(かえる)のほうが良く知っていそうだ」
と思いますし、
「もしかしたら『されど井戸の深さを知る』の間違いかも・・・」
と考えています。

もしもこの最後の仮説が正しかったら、「負け惜しみ依存症」の人を嘲る言葉だということになります・・・。

追記 2017年1月8日午後4時15分 = 日本時間では2017年1月9日午前0時15分

火狐さんからコメントで、この諺が荘子の言葉であること、そして荘子は「空の深さを知る」とも「空の青さを知る」とも言っていないことのお知らせがありました。火狐さん、誠にありがとうございます。

林修氏関連のこの報道の末尾には
なおこの言葉、狭い世界にいるからこそ自分の道を極めることができたという意で、中国から伝わったあと日本で付け足された解釈と考えられている
とあります。

と考えられている」は、典拠を示さないで済ませようとする無責任話法です。こんな書き方をする記事は、絶対に信用してはいけません。


追記 2021年7月15日

初投稿の読者の方からコメントが届き、
「空の青さ」という言い方は、当該の番組が「捏造」したものではない
という趣旨でした。もっと前からあるのだということです。

《F爺は、「当該の番組が」捏造したとは言ってないんだけど・・・》

当ブログが「バズって」いるため未読の着信コメントが山のように溜まっている時期です。コメントの内容を吟味し、表示・返信することができるのは、多忙な期間が過ぎてからになります。その読者の方のハンドル・ネームは、その時に明らかになります。大変申し訳ございませんが、事情を汲んでご海容くださるようお願い致します。


追記 2021年7月19日

コメントの内容を吟味しました。

この記事の当初の趣旨と火狐さんからコメントが届いた段階での考えを纏めると、こうなります。
【日本では周知のことが海外永住者には初耳のことがある】
【荘子までは調べが付くが、日本を留守にしていた間の情報の大部分は知らないまま】
【だから、荘氏の言葉にくっついている〈意味を成さない初耳の尾鰭〉が「捏造」ではないかと思えてしまう】

2021年7月14日にコメントを投稿してくださった方は「捏造ではない」とおっしゃるのですが、
〈荘氏の言葉に無い尾鰭が付いている〉
のですから、その尾鰭は、誰がどんな意図で創作したにせよ、間違い無く捏造なのです。しかも、意味を成しません。

現在の暫定結論は、
【この記事に修正は施さない】+
【読者の方のコメントは、「承認待ち」のままにしておく。従って、すぐには、返信もしない】
となります。

コメント

荘子が出典

小島さんへ
井の中の蛙は「荘子 外篇の秋水篇」が出典です。
【荘子・外篇・秋水第十七】
北海若曰、井蛙不可以語於海者、拘於虚也。夏蟲不可以語於氷者、篤於時也。

「空の青さを知る」は、後付けでしょう。適当な話です。「荘子」には、そんな事は、どこにも書いてありません。

Re: 荘子が出典

火狐さん

謝謝 !!
《確か荘子・・・》とまでは思ったのですが、出典も原文も思い出せなかったので、本文には書きませんでした。それで正解でした。

>「空の青さを知る」は、後付けでしょう。適当な話です。「荘子」には、そんな事は、どこにも書いてありません。

そうなのですね。「後付け」つまり「捏造」ですよね。

《林修氏もちょっと機転を利かせて「『空の青さを知る』って一体どういう意味ですか」と逆襲すれば良かったのに》
と一瞬思ったのですが、件(くだん)の記事を読み返して、そうは問屋が卸さないことが分かりました。

氏は、
されどの深さを知る
と言ってしまっていたのですね。
〈大海を知らない蛙が「海の深さ」を知るわけは無い〉
のですから、どうしようもありません。

その番組に出演していた人たちの誰一人、
「荘子の言葉にそんな無意味な『続き』が本当にあるんですか」
と言えなかったのが不思議です。

そのことを記事にした人も、出典をきちんと調べていないのですね。呆れた話です。

これも「post-truth真実軽視http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1244.html」社会の危険な徴候ですね。

荘子の出典について

荘子の出典についてですが、
「Chinese Text Project」というウェブ・サイトに行くと
「荘子」の全文が参照できます。
http://ctext.org/zhuangzi

秋水編は以下になります。
http://ctext.org/zhuangzi/floods-of-autumn

「Chinese Text Project」は中国の古典文献を電子化したウェブ・サイトで、
米国ハーバード大学の博士研究員(Postdoctoral fellow)の
Donald Sturgeon氏が管理しています。
(英訳は著作権の切れたもの(もしくは著作権者の了承を得たもの)を
掲載しているようです。)
Sturgeon氏の経歴
http://dsturgeon.net/about/

(数字の横の青色のアイコン(「>>」という記号があります)を押すと
原文と英訳が対になって表示できるので、原文と比較する際に便利です。)

火狐さんの出典の番号を参照して
「井蛙不可以語於海者」の周辺を見てみたのですが、やはり
「空の深さ(青さ)を知る」などとはどこにも書いてありませんでした。
(続けるとすれば「井の中の蛙 大海を知らず、夏の虫 氷を知らず。」
くらいが妥当なところかと思います。)

Re: 荘子の出典について

HKsさん

お久しぶりです。貴重なお知らせ、ありがとうございます。早速サイトを訪問してみました。

林修氏を嗤(わら)った人たちは、典拠の無い噂を信じ込むという特殊能力の持ち主ばかりだったようですね。「○○と言われている」だの「○○と考えられている」などという妄言が「通用」する社会は異常です。

No title

小島剛一様

>「○○と言われている」だの「○○と考えられている」などという妄言が「通用」する社会は異常です。

私も、小島様の考えに賛成します。S.Sokaは、「ある主張又は情報が本当にあるのならば、わざわざ『○○と言われている』や『○○と考えられている』といった書き方又は言い方をする必要はない。にも拘らず、そのような書き方(言い方)をするということは、何か裏があるのだろう」と考えています。
私の父親も、「○○と言われている」や「○○と考えられている」という書き方(言い方)が気に入らないようで、「そういうのは、未証明の仮説や自分の意見を、さも当然であるかのように主張する書き方(言い方)だ。大抵の場合、初めて聞く主張・考え方ばかりで、酷い時はそのような考えに至った根拠すら見当たらない。」と言っていました。

科学精神に基づいて行動するのは「言うは易く行うは難し」ですが、S.Solaは、「○○と言われている」や「○○と考えられている」といった言い方をせず、典拠を示す話し方をするように心掛けています。

Re: No title

S.Solaさん

S.Solaさんのお父さんも、論理を貴(たっと)ぶまともな思考様式の方のようですね。ただ、F爺なら「自分の意見を」ではなく「自分の無根拠の思い付きに過ぎないものを」と、また「大抵の場合」ではなく「常に」と言い換えます。

>科学精神に基づいて行動するのは「言うは易く行うは難し」ですが

このご意見は、理解できません。科学精神に基づいて行動することほど簡単なことはありませんよ。「行動しようとしない人」が多数いることは認識していますが。

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F爺・小島剛一

Author:F爺・小島剛一
 F国(= フランス)に住む日本人の爺さん。
 専門は、言語学(特にトルコ語、ザザ語、ラズ語など)、民族学、日本語文法、作曲・編曲、合唱指揮など。
 詳しいことは「Catégories」欄の「自己紹介」という記事に。

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