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ローデシアの概要

ローデシアは1965年11月11日、英領南ローデシアが、英国に対して一方的独立宣言"Unilateral Declaration of Independence"を行い成立した。しかし、アフリカ人の抵抗と国際社会からの圧力により、1979年12月12日、英国植民地へ復帰する。その後、1980年4月18日、ジンバブエとして英国から独立した。

ローデシア(現ジンバブエ)

ローデシア国旗

概要

ローデシアの国名

「アフリカのナポレオン」セシル・ローズ

イギリス南アフリカ会社(British South Africa Company, 以下BSAC)が支配していた、ザンベジ川以南の土地は「ザンベジア」または「マタベレランド・マショナランド」と呼ばれていた。1894年には、同地域は、「マタベレランド」と呼ばれたが、「マショナランド」または「マニカランド」とも呼ばれた。

1895年以降、ザンベジ川の以南および以北の、BSAC支配地域は、セシル・ローズに因んで、非公式ながら「ローデシア」と呼ばれた。1897年中頃、この名称は、公式文書に使用され、イギリス政府に認められることになった。

1887年の終わり頃、BSACの支配地域で、ザンベジ以南の地域は「南ローデシア」、ザンベジ川以北の地域は「北ローデシア」と呼ばれるようになる。1898年以降、「南ローデシア」という名称は、公文書や法令の中で使用されるようになる。

1953年4月に、「南ローデシア」と「北ローデシア」および、「ニヤサランド」が統合されて成立した「ローデシア・ニヤサランド連邦」は、非公式に「中央アフリカ連邦」とも呼ばれた。また、「カプリコーン・アフリカ」という別称も存在する。

1964年、「ローデシア・ニヤサランド連邦」が崩壊し、「北ローデシア」が「ザンビア」として独立したため、「北ローデシア」の名称は消滅したが、「南ローデシア」は公式の名称として残り、1964年、「南ローデシア」の立法議会は、「ローデシア」とは「南ローデシア」を指す、と定義した。

1979年6月、ムゾレワ政権が成立し「ジンバブエ・ローデシア」と改称され、1980年4月の独立に際して「ジンバブエ」となった。

地理

ローデシア(現ジンバブエ)はアフリカ南部に位置し、東をモザンビーク、西はナミビアとボツワナ、南は南アフリカ、北をザンビアと、5ヵ国に囲まれるような形で国境を接する内陸国である。

ローデシアの藪林

東のモザンビークとの国境には山岳地帯が連なり、西のナミビアとの国境には乾燥地帯が広がっている。南の南アフリカとの国境にはリンポポ川が流れ、北のザンビアとの国境にはザンベジ川が流れている。国土の中央を、カリバ湖とザンベジ川に注ぐ川が縦横に流れている。

ローデシアは、国土の3分の1が標高1000m以上を占める。そのため、首都ソールズベリー(Salisbury)や第二都市ブラワヨ(Bulawayo)など、主要都市も標高1000m以上の高地に存在する。国内の最高地点はインヤンガリで標高2,592m、国内の最低地点はルンデ川とサヴェ川の合流地点で標高162mである。

ローデシア地図

ローデシア地図

気候

気候帯は亜熱帯地方にあたるが、国土の大部分が高地にあるため、あまり気温は高くなく湿度も低い。5月から8月の冬期は雨は少なく乾期となる。11月から3月は雨季に当たるが東部の高地以外では雨がすくない。また、10月に最も気温が高くなる。

ローデシアの年間平均気温は、モザンビーク国境付近で、高地にあたるムタレで15℃以下、最も高温多湿だと言われる、ザンベジ川渓谷沿いの低地でも、25℃前後ほどにしかならない。

主要産業

農業では煙草、砂糖、綿花を産出し、鉱業ではローデシアを南北に縦走する、大貫入岩体(グレート・ダイク)から、石炭、クロム、アスベスト、金、ニッケル、銅、鉄鉱石、バナジウム、リチウム、錫、プラチナ族金属を産出する。工業は、食品加工、金属加工、機械などがあり、低開発国の中では工業化が進んでいるため、低開発国の中では、最も低開発度の低い国と言える。

通貨

当初、南ローデシアでは南ローデシア・ポンドが使用されていたが、1953年のローデシア・ニヤサランド連邦の成立により、1956年からローデシア・ニヤサランド・ポンドが制定された。その後、ローデシア・ニヤサランド連邦の崩壊により、1964年から1970年までは、ローデシア・ポンドが使用された。

1970年にローデシアは共和国宣言を行い、英連邦を脱退したため、イギリス風のポンド表記を放棄し、ローデシア・ドルが制定された。ローデシア・ドルは、ローデシアが崩壊する1980年まで使用された。そして、ジンバブエとなってからは、ジンバブエ・ドルが使用されている。

世界遺産

ローデシアのスミス政権は、グレート・ジンバブエ遺跡を、アフリカ人が作ったものではない、としていた。そのため、グレート・ジンバブエ遺跡を、作り主が不明の謎の遺跡だとして「ミステリアス・ローデシア」というキャッチフレーズで観光宣伝を行っていた。

ローデシア国歌

ローデシア国歌は曲に、ベートーヴェンの第9交響曲第4楽章を使用している。

Rhodesia we'll ever cherish thee

Once a column came a-marching
In the long, long, long ago,
And they came to found a country
That the world would come to know;
It was built on toil and courage
Out of what was wilderness-
So they gave us this our country
To preserve and ever bless.

The early fathers of our land
Have left their trust in us,
On guard for all they won we stand
As those who follow must,
Rhodesia, our homeland
We stand on guard for thee,
Rhodesia our homeland
We'll ever cherish thee.

Once a column came a-marching
In the long, long, long ago,
And they came to found a country
That the world would come to know;
We who follow will remember
That to them this land we owe-
And to others who will follow
When it's time for us to go.

The early fathers of our land
Have left their trust in us,
On guard for all they won we stand
As those who follow must,
Rhodesia, our homeland
We stand on guard for thee,
Rhodesia our homeland
We'll ever cherish thee.

ローデシア国旗

英国南アフリカ会社(1889年10月29日)

英国南アフリカ会社

南ローデシア自治政府(1923年10月1日)

南ローデシア自治政府

ローデシア・ニヤサランド連邦(1953年9月4日)

ローデシア・ニヤサランド連邦

英領南ローデシア(1963年12月31日)

英領南ローデシア

ローデシア共和国(1965年11月11日)

ローデシア共和国

ジンバブエ・ローデシア(1979年6月1日)

ジンバブエ・ローデシア