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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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ジョジョの作者にとって究極のスーパーヒーローはイエス・キリスト!『荒木飛呂彦の漫画術』。彼が好きな『バビル二世』(神智学と宇宙人教系)も考察 

『荒木飛呂彦の漫画術』メモ次に『バビル二世』メモが続く。バビルしか興味がないなら前半は飛ばしてください。

演出技術と説明術はさまざまな分野に応用が効くので
創作する気がない人も読んでおくといい。
やはり心理学こそが最重要。

王道漫画を描くための黄金の道を示す本。
手の内を明かしているがヨーガや魔術が波紋やスタンドの元ネタであるなどへの言及はなし。
若々しい理由はヨガ呼吸法と輸血かもね(「かも」だぞ、単なる憶測に過ぎない!)。
波紋の戦士と吸血鬼。
本当に黄金が好きだな荒木先生。
私はジョジョを読んで面白いと感じたので本ブログ読者にもオススメする。

荒木先生の『鬼滅の刃』の評価が聞きたい。
ジョジョの和風版だし。

荒木飛呂彦の漫画術 のメモ開始

荒木先生が今でも時々読み返す必携の一冊が
ヌーベルバーグの名監督であるトリュフォーが
サスペンスの巨匠ヒッチコックにインタビューした
『映画術』。
映画の教科書だが漫画家を目指す人もぜひ読んでおくべき。

(『ヒッチコック映画術』が1981/12/1出版されているのでこちらのことだろう。
『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』1990/12/1も買ってそうだが)

心が折れなかったのは
自分はこういう漫画を描きたいという明確な目標があり
『映画術』のような地図のおかげで
目標に到達するための自分なりの道筋が見えていたから。
一番まずいのは何を描いていいのかわからないこと。


最初の1ページをめくらせろ!
最初の1ページは予告。

ジョジョ第一部の冒頭は
普通は主人公の紹介から始まるところを後回しにし
プロローグとしてアステカ王国の秘宝「石仮面」のエピソードを描いた。

著者はもともと西部劇や砂漠というシチュエーションが大好き。
『バビル二世』が好きだったのも、
学生服を着た少年が砂漠に行くというその設定に魅力を感じたからで、
広大な砂漠で孤独感の中、
一生懸命頑張っている主人公の姿がとにかく美しく、
かっこよく思えた。
それは敬愛するクリント・イーストウッドが
ひとりで馬に乗って荒野をわたり、
次の街へと流れていく西部劇映画のイメージと重なった。

最初の1ページに入れるべき要素
5W1H(いつどこで誰が何をしているか)、
他人とは違う自分ならではの個性
同時に複数のねらいを描く(複数の情報を同時に見せる)
漫画全体の予告。

主人公の性格より前にどういう目的をもってストーリーの中にいるのかわかる情報
(最初の1か2ページ目ぐらいで)

漫画の「基本四大構造」
・「キャラクター」
・「ストーリー」
・「世界観」
・「テーマ」

欠かせないのはキャラクターと世界観で
どちらかだけでも漫画を成立可能。
サザエさんやこち亀はキャラクター中心漫画の代表。
サザエさんとその家族や両さんのお馴染みの日常を描く、いわばスケッチか日記のような感じで、
キャラクターの行動や性格だけで動いていく漫画だと言えるでしょう。
 逆に世界観を中心に描くことを主軸にした漫画の代表作と言えば、
近未来の東京を舞台に、超能力に目覚めた少年たちが荒廃した世界で戦う『AKIRA』です。
1980年代から90年代にかけて連載された作品ですが、今読んでも、空間表現で見る者をその世界に引きずり込んでしまう、本当に素晴らしい傑作です。
また『コブラ(COBRA THE SPACE PIRATE)』も、ハリウッド映画のような、スペクタクルな世界を作ることを目的としている漫画でしょう。その世界観に溶け込んでいるタフでクールな主人公がいて、ストーリーや主人公の内面を描くことには、それほど重点が置かれていないように感じます。
 最近のものでは、『蟲師』が、目に見えない存在の世界を描く漫画の典型的な作品でしょう。江戸期と明治期の間にある架空の時代を設定し、「蟲師」であるギンコを主人公に、「蟲」が引き起こす事象を描いていくこの漫画の興味深いところは、圧倒的な魅力を感じさせるキャラクターやストーリーがあるわけでもないのに、自然界にひそむ、スピリチュアルな存在の雰囲気とムードを描くだけで読者をとらえて離さないところです。とても不思議な漫画ですが、作者は「世界観を描く」ことに集中している、という印象を受けますし、虫が三つ並んだ「蟲」という漢字もムードを盛り上げています。
(尻の人が褒める作品も尻製品である可能性が高いので実に勉強になるなあ。

蟲師は本当にオススメ。本ブログの読者なら主人公の見た目で大草原不可避だろうね。
蟲師の主役は蟲師じゃないからね。作品に登場する全存在の中での主人公(主役)は自然環境。人間の中での主人公はギンコ。ギンコは最重要な脇役みたいな感じ。蟲も脇役。似たことをアニメ版の監督も言っている。

アニメ「蟲師 続章」長濱博史監督インタビュー
https://natalie.mu/comic/pp/mushishi/page/3
”僕は、「蟲師」はキャラクターが主役の世界ではないと思っています。ギンコそのものではなく、その周りを取り巻く世界が主役の作品だと。だからキャラクターに焦点を当てて、キャラクターだけを表現できれば済む作品ではないということは、何度も話しました。「蟲師」は、とにかく原作を読んで感じる空気感を損なわないアニメにしたかったんです。山奥の湿気とか、海の潮の香りとか、本来、映像やイラストでは伝わらないはずの感覚、原作に散りばめられた作品の世界観や空気感を構成する要素のひとつひとつを大事にしていこうと。安易にアニメの文法に落とし込まないでほしいと。”

荒木漫画術本は2015年の本。蟲師の発表期間は1999-2013年。)


孤独のグルメの分析
井之頭五郎が主人公。
ストーリーは一見ないようだが
実は食事が戦いともとれる雰囲気。
どういう料理が来るのかというサスペンスもある。
また、
最初に前菜なり付きだしを食べて最後にデザートで締めるように
食べること自体が起承転結にもなっている。
主人公には、ひとりで食事を楽しむという一貫した哲学があり、テーマ。
主人公はあえて没個性のサラリーマン風。
食事は徹底的にリアルな絵。

このように基本四大構造にあてはめて分析する。


上記の中でも、強力なキャラクターは、これさえ揃っていればもう無敵という、
「究極の一本立て」。
極端な話、魅力的なキャラクターがあればストーリーも世界観も必要ない。
それぐらい超重要事項。
プロの漫画家の中にも「キャラクターさえあれば漫画はできる」と言い切る人がいる。

一番大事なのは動機。
何をしたい人なのか。
なぜ行動するのかを描くのは非常に重要で
ここが曖昧だと読者は感情移入できない。
性格より前にどういう目的をもってストーリーの中にいるのか、ということを
最初の1か2ページ目ぐらいで読者に伝える必要がある。

p.61
”少年誌の場合、その動機が正義や友情といった、読者の自然な倫理感に照らして好ましいものでなければならない、ということです。『少年ジャンプ』の三大原則が「友情・努力・勝利」であるように、実際、少年漫画の読者はこうした「正しいこと」への共感力が強く、倫理的に好ましくないものには拒否反応を示します。犯罪者の抹殺とはいえ、殺人を続ける夜神月を主人公にした『DEATHNOTE』などは、その意味で、読者の共感を得るためには高度なテクニックを要したはずです。もっとも、ただ「正しいこと」だけをストレートに描いていると、いかにも偽善的で嫌らしくなることもありますから、主人公の弱点や欠点、あるいは人間的な欲望も加味していくことが必要です。
 一方、動機がきちんとしていても、主人公が「卑怯」な場合は嫌われます。「卑怯」がダメなのは、読者のモラルに反するから、というのが大きいでしょう。自分が助かるために無関係な人を犠牲にするような卑怯な主人公に、読者は絶対、共感しないのです。また、困難な状況に陥った理由が「主人公が間抜けだから」というのでは、読者に「こいつ、馬鹿じゃないの」と反感をかいます。”

(月=左目側のデスノートでは
エル=神というジャンプっぽい主人公というライバルを登場させているし
エルが負けた後もニアが登場するし
最終的に主人公は負けるからかなり邪道寄りの王道と言えなくもない。
ラッキーマンのガモウに尻社員が入れ知恵してできた作品だろう。
バクマンで裏事情の暴露っぽい話がある。
名前が公表されない人からアイデアをもらうのはよくあることだけどね)

p.62から
動機リストを作ろう

読者の共感や興味を引く動機とはどういうものか、具体的にいくつか考えてみましょう。

・身を守るため
(地位や名誉、自分の心や思い出、スキャンダルのもみ消し、犯罪の証拠隠しなど)

・愛する人(家族や恋人、友人など)を守るため

・仕事、義務、愛国心

・好奇心(漫画家の取材、コレクション、自分が何者か知りたいなど)

・復讐(煮えたぎる復讐心は共感を呼ぶ)

・欲望(金、セックス、恋、偉くなりたいなど)

・生きる喜びのため(表現の自由、政治的な自由、強くなりたい、ヒーローに会いたい、笑わせたい、自分が何を求めているのか知りたいなど)
……
etc


「勇気」こそが最も共感される

p.64から
作者自身もこの「勇気」を、作品の中でもよく使う。
ジョジョ七部における、
主人公の親友を生き返らせるか、
敵を倒すかの究極の選択という難局をいかに切り抜けるか。
読者はそこに引き込まれ、「この先を読みたい」とワクワクした気持ちでページをめくるのです。

人間の基本的な欲望が動機になる

p.69
” ヒーローは孤独に戦う
 主人公は「善なるもの」であり、さらに「ヒーロー」である必要があります。ここでヒーローの条件が何かと言えば、実は、孤独である、ということです。
 究極の選択を迫られたとき、それは主人公だけが解決できる、というものでなければいけませんし、自分の力でその難問を解決しなければならない主人公の立場は、どうしても孤独にならざるを得ません。『ジョジョ』第五部「黄金の風」のブチャラティたちのチームも、同じ志で行動を共にしているけれども、いわば、はみ出し者同士の集まりです。彼らのつながりは、けっして親分子分の上下関係や仲良しサークル的なものではなく、戦うときはそれぞれが孤独なのです。
 社会のルールから認められていなくてもかまわない、たとえ孤独であっても大切なものを追い求める、これが最も美しい姿ではないでしょうか。究極のスーパーヒーローは、イエス・キリストのような人物です。誰かに崇められはするが、お金をもらったりするわけでもなく、ひっそりと死んでいくかもしれない、それでも自分の中の正しい真実を追う人、それが、ヒーローなのです。”

(911予言、集英社側の左目(聖書維持。しかし金髪アーリアなスピリチュアルは容認)陣営だと推測される〔あくまで推測〕荒木先生が究極のスーパーヒーローは、イエス・キリストと公言。
旧約と宇宙人教=新キリスト教のバビル二世が好きだと公言。神は実在するという思想。
一神教的な神か八百万的な神々かは不明。
有名人の好き嫌いの公表はポジショントークを疑うべき)


クリント・イーストウッドの映画の主人公たちは、まさにこのヒーロー像を体現しています。
一匹狼。
誰かと一緒でないと戦えないなんて、それだけでもうヒーローとは言えない。
仲間がいたとしても戦うときは自分だけが頼り。
そうでなければ、ヒーローの資格などないでしょう。
 ちなみに、理想のヒーローであるイーストウッドを最も色濃く投影させたキャラクターは、『ジョジョ』第三部「スターダストクルセイダーズ」の空条承太郎です。知性や育ちのよさを感じさせる、ただ立っているだけでサマになるイーストウッドのイメージは、ポケットに手を突っ込んで静かに立っているだけなのに、存在感、威圧感を与える、承太郎のあの感じの元になっています。
(ここでp.70終り)

p.73から
身上調査書は秘伝のたれ
キャラを絵にする前に必ず身上調査書を書くことにしている。

pp.74-75の身上調査書の画像にある項目
姓名・略称
年齢
性別
生年月日・星座
血液型
出身地
身長
体重
髪の色
瞳の色
視力・色力
メガネの有無
きき腕
声の質
手術経験や虫歯・病気
体のキズやアザ・入れ墨
病気やヤケド
その他の身体的特徴(
鼻や目の形、姿勢
乳房・足・ホクロ
人種
宗教
前科・賞・学歴
幼児・少年期の精神的体験とその人物
セックス体験・恋人 その考え・結婚
尊敬する人
恨んでる人
将来の夢
恐怖
性格の特徴
口ぐせ、くせ
人間関係・態度
家族関係・態度
トラブル関係
職業・学校
経済状態 その態度
ペット 植物

性格
(明るいか暗いか
ユーモア・暴力的
活動・社交家か
知的か
清潔か
表現力は
弱点 悩み
罪状性格(「罪」であっているか不明。異状or異常性格かも。他の個所も読み間違いあるかも)
性格で変わっている所

特技(ワザ 能力)
(動きは俊敏か
スポーツ・ダンス
武術・銃
運転
語学
その他免許)
特技(長所、弱点)

趣味 娯楽
(好き嫌い
衣食住
習慣
好きな言葉)
(音楽・新聞
文学・雑誌
映画
創作
コレクション
好きな色
きらいな色
香り
インテリア・ファッション
場所・家
土地
人物
ひいきの店・メーカーなど
愛用品
首かざり・指輪しているか
嗜好
麻薬)
(こだわってる所
意味のない事)

その他
(ワイン・食べ物
超能力・霊感
占い・言葉なまり
野性的カンなど)


項目数多いな!
データを配っている人がいる。

荒木飛呂彦流キャラクター身上調査書まとめ
http://acid-bakery.com/text/archive/arachive/chousasyo_matome.html




約60項目の身上調査書は属性という見えないものを可視化するためにある。
たとえば
怖いものを埋める作業からホラー漫画が一編書けてしまう。

長所ばかりでなく短所も考える。
短所は、
短所に悩み、それを克服しようとする「努力」を描くことにつながる。
キャラを描くときに最も大切な基本は、
成長するように描いていく。
努力を描く=人間としての成長を描くであり
この部分はストーリーの作り方とも一体化している。

(著者もキャラとストーリーは明確に分かれないと考えているらしい。
身上調査書の項目にストーリが含まれている。

必読のマッキーでは
キャラクター=ストーリー。




このダークナイト分析動画でも
マッキーのストーリーを引用している!




(Exceptionally Good
at Attacking
the Hero's Greatest Weakness

ROBERT McKEE
STORY
"A protagonist and his[or her!]
story can only be as intellectually fascinating
and emotionally compelling
as the forces of antagonism make them."

an antagonist must be powerful


John Trudy
THE ANATOMY OF STORY
"Create an opponent...
who is exceptionally good
at attacking your hero's
greatest weakness."


Pressuring the Protagonist
into Difficult Choices


ROBERT McKEE
STORY
"TRUE CHARACTER
is revealed in the choices
a human being makes
under puressure--
the greater the pressure,
the deeper the revelation,
the truer the choice
to the character's essential nature."


Competing for the Same
Goal as the Protagonist

John Trudy
THE ANATOMY OF STORY
"It is only by competing for the same goal
that the hero and the opponent are
forced to come into direct conflict and
to do so again and again throughout the story."

(確かに何度も戦う必然性を作れる。

敵の強さ=主人公に与える試練の手強さ
は異常性などではなく
ストーリーと主人公への影響力で測る方が良い。
つまり敵、特にラスボスのストーリーと主人公への影響力が
他の敵キャラより強くないといけない。
主人公の味方側のキャラのストーリーと主人公への影響力が
ラスボスのそれよりギリギリ上回っていることが
勝利の決定的要因になるようにすれば良いのでは?)


ぐだトマト@pteras14
2017年5月15日
最近ちょっと気付いたのは、
どーも日本では「ストーリー」と
「キャラ」と「世界観」が区別できて
いなくて一括りでこれら全てを「キャラ」
と呼んでる気がする。

あのノウハウ本とか、荒木本にある
キャラの履歴書みたいな奴、
「身上調査票」って奴?

あれって荒木本読む限りだとストーリー
展開でキャラの行動を決めるための
覚書みたいな使い方してて、それが本来
の用途だと思うんだけど、あの形式の
まま持ってくと蹴られる。


かなーり細かい所をツッコまれるん
だけど、親がどうなった?とか
(読者の)感情移入のポイント、それを
表現する具体的エピソードとか……

それってキャラ設定じゃなくて
もうストーリーの方だよね?

後、なんでもキャラ単体で無理矢理
完結させようとしたがる傾向が強い
様に思える。

人間って過去とか先天的な要因だけ
じゃなくて周囲の環境だとか、その都度
の選択、他の人間の影響とかで本来
キャラ性が時間軸に沿って変化してく
はずなんだけど、最初から完成された
人物を求められる…

まぁ、FGO方式で過去、現在、
もしも(未来)でそれぞれエピソード
作ればいいかー

要するに日本の「キャラ」ってのは
「ストーリー」やその他も諸々込みって
事で……

しかし、読者の共感するキャラねぇ?
難しいね。原則的には社会道徳的に
叶うって事だけど。


ハリウッドだと明確に「キリスト教的
道徳に合致している事」って定義され
てるのだけど。日本も同じで良いのかな?
荒木本にも究極のスーパーヒーローは
イエスだって書いてるし……

キリスト教的ヒーローだとかなり
範囲が狭まっちゃうんだけど……

そーゆーのが市場で求められてるの
かなぁ……



第三部の承太郎は一部と二部と違う性格にしたかった。
承太郎の紹介シーンの解説。
擬音でインパクトのあるキャラ紹介。
幼少期とのギャップ、
なぜか牢獄にいる様子が
主人公のただならぬ事態を予感させる。
鉄格子の質感は頑丈そうに。
17さい、身長195cm
父親は日本人でジャズミュージシャン現在演奏旅行中
母親はイギリス系アメリカ人
クールな男なのでなるべく無表情に
学ランで現代の話と分かる
学ランの日常性
神話性を表わした体の大きさ

承太郎という名前は
継承すると
ジョジョの語感を合わせたもの。
一部のジョナサンが正統的正義感
二部のジョセフが明るく派手なお調子者
承太郎は情熱を内に秘めたクールな男。

承太郎の動機を描いたページで心の底の優しさが表れる
(言え!
対策を!
のシーン。
母を助ける方法について。
母親のホリィがディオ出現の影響で危篤状態に陥る。
普段は世話焼きの母親を無視しているが
母親が倒れたとなったらそうはいかない。
一見不愛想な主人公の心の底にある優しさが表れている)


ストーリーの展開ばかりを描いていったとしたら、
密室推理小説のようなものになってしまうでしょう。
キャラクターが動かない欠点が出てくる。
金田一少年の事件簿は一見ストーリー中心に思えるが
実際は主人公と友達のやりとりであり
そこからどうやって捜査していくか、という構成。
主人公のためにストーリーを動かしていく図式。
逆にストーリーのために主人公を変化させてしまってはいけない。

キャラクターは時代の変化に弱い
ストーリーがない漫画には弱点がある。
キャラクター中心のマンガは、
一世を風靡したキャラクターであるほど、
時がたてば時代遅れになってしまうだろう。
なぜならキャラクターは時代性を反映するから。
キャラクター漫画の代表サザエさんの原作はおよそ半世紀前に描かれている。
今読むとそのままでは感覚的にわからないところもあり、
どうしても伝わらない部分が出て来ている。
キャラ中心のマンガは時代の変化に応じてアップデートしていかないと、
生き残るのは難しい。
時代が変わっても読まれる漫画にするためにストーリーがある。
アニメのサザエさんがなぜ何十年も続いているかといえば、
現代風にアップデートし続けているから。
こち亀も。連載開始当時1970年代と今の両さんを比べれば
ずいぶん違った雰囲気になっているのがわかる。
町おこしのゆるキャラが古くなるのはエピソードを与えてないから。
くまモンやふなっしーがよいキャラなのは
さまざまな場所やイベントでたくさんのよいエピソードを与えられているからだろう。

ストーリー=連載が終わるまでずっと続く

エピソード=1話ごとにその都度完結



主人公をなるべく早く登場させて紹介


敵や困難に出会う


困難に立ち向かうがさらなる問題が起こって窮地に立つ
難関を跳ね返そうとするが
どんどん困難が増幅し、いったいどうなるかという興味を引く


勝利などのハッピーエンド


プラスとマイナスの法則

まずゼロの線があるとして、
そこを基点に、
主人公の気持ちや置かれている状況が上がっているか、
下がっているかを考えてみる。
彼らは必ず成長するように描くことが大事だと前述したが
特に少年漫画は、常にプラス、プラス、プラスとひたすらプラスを積み重ねて、
どんどん上がっていくのがヒットするための絶対条件。
第一部冒頭でディオがジョナサンの世界を侵していくマイナスの部分を描ききり
そのマイナス地点から始まって、後はプラスプラスと上がっていくストーリー構成を考えていた。
ジョジョ一部でジョナサンのマイナスが続いた時期は読者も読むのがつらかったでしょう。
ディオもプラスで上がっていく。
ディオは悪なりに自分に肯定的で悩むことなく悪の道をひたすら進む。
ジョナサンもディオもお互いに自分の人生を一生懸命生きていて
ふたりとも常にプラスで上がっていき
善と悪のプラスが激突するのがジョジョの基本構成であり
主人公と敵役は変わっても、
第一部から現在までずっと続いているものだ。

(第四部のキラー手首マニアの悪のプラスの描き方が非常にすばらしい。
追い詰められて能力発現とか能力の爆発的向上はよくあるが
実際、極限まで追い詰められた状況で極度に集中できるなら現実でも普通に可能)

プラスとマイナスの法則の5つの図
縦軸が主人公の成長レベル
横軸がストーリーの時間軸(右から左へ進む)

1 ○よい
0から始まりどんどん上がっていく
少年漫画、スポーツ漫画は絶対これでなければならない

2 ○よい
1のマイナスからスタート版
無実の罪で刑務所に入れられた主人公が脱獄を目指す

3 ×よくない
プラススタートだがマイナスにしっかり落ち込んでから(「ひ」みたいな形のグラフ)
また上がる
幸せから一度下って上がる。
人生は実際そういうものだがストーリー作りでは欠点
例:ヒロインをやめた「キック・アス・ジャスティス・フォーエバー」のヒットガール

4 ×よくない
全体としては上がっていくがマイナスに向かう波を何度も挟む
主人公が停滞したり悩んだりしてとどまっている。
そのうち成長はするが読者はウンザリする

5 例外○よい
プラスからずっとマイナスへ
2の反転版
あえて人間の暗黒面テーマに挑戦
読者は落ちていく人間に興味がある
海外TV「ウォーキング・デッド」


どんどんプラスが積み上がっていく状態を作り出すために
1980年代の週間少年ジャンプの漫画家たちが考えだしたのがトーナメント制。
欠点は頂点に行ったらどうするか。
アンケートで苦戦していてトーナメント制を取り入れたらどうかと言われたことがある。
けれども、
人の思いは代々、次の世代に受け継がれていくというジョジョのテーマに沿うのであれば
トーナメント制でジョナサンが頂点に達したら
次の世代はどうするのか。
トーナメント制でない常にプラスの方法が
水戸黄門のような道中もの、
つまり双六のように進んでいった先で敵と戦うというやり方。
その方法で描いたのが第三部で
その場その場で違う敵と対決するが
必ずしも前より強い相手とは限らないので
トーナメント制と違い
個々の戦いにおいてはプラス、プラスというインフレ状態にはならない。
プラスになっているのは主人公たちが常に地図上のゴールに向かって近づいている、
前に進んでいくところ。
最終決戦の相手となるディオへと向かっている、ここはけっして後戻りしない
マイナスにならない。
道中ものにもどうしてもやっていることが毎回似てきてしまう弱点がある。
新鮮に思えるには時には弱い相手を敵にして内容に変化をつけた。
弱いからこその狡猾さや怖さがある戦い。
破壊力やスピードは最低レベルでも恨みの念の強さで攻撃する
エボニーデビルあたりから登場してくる。
その場のサスペンスを楽しんでもらうために
ディオの顔はシルエットにして最後の戦いまではっきり見せない工夫もした。
途中で見せてしまったら
最終決戦が気になって読者が途中の戦いに気持ちが入らなくなってしまうのではないかと恐れたから。

マイナスは王道に対してのルール違反。

壁にぶつかって負ける、一度上がってマイナスになるのもダメ。

ヒーローの偽物を登場させるのも
終わってみれば大したことなかったとなるので
マイナスプラスゼロに終わるダメ・パターン。
最後は本物が勝つに決まっているから。

(いいのか? 北斗のジャギやアミバの偽キリストの話は面白いと思うが。
あれは単なる偽物ではなく、ケンもトキもキリストがモデルなので聖書にある偽キリストという意味が付加されており、
単なる偽物ネタではないのだが、それを知らなくても面白いと思うぞ。
fateは主人公が模倣する、偽物側)

捕まって(マイナス)逃げる(プラス)は捕まる前(ゼロ)に戻っただけなのでダメ。
既に捕まっている(マイナス)が逃げて自由になる(プラス)ならOK。

タブー
①作者が語る
コマの外で作者が突っ込みを入れること。
読者を現実に引き戻してしまう。

(ギャグマンガならアリだろうね)

②偶然の一致

③主人公が間抜け

(某サイコレビュアーの指摘などを聞くに、なろう系の大半は敵が間抜けなのだがそれもやっちゃ駄目だろうな。
大抵は主人公も敵も間抜けだが)

④夢オチ

(流行だからで無理やり描かせようとする担当とかを知っているから書いたのかも)

あえてマイナスに挑むのは素晴らしい。しかし計算しての挑戦。
これにプラス要素を入れてしまうとダメ。

なぜジョジョ一部でジョナサンを死なせたのか。
自己犠牲はプラスのハッピーエンドになりうる。
ジョースター家の気高い血統を受け継いでいくためには
ジョナサンは死ななければならない。
ジョナサンの血と魂は二部のジョセフが受け継いでいく。
受け継ぐテーマがあるなら主人公が死んだり、
変わることも許される。
(自己犠牲させたのはキリストがモデルの1つだからだろう)


著者は最後まできっちりストーリーを作ってから描き始めず
着地点つまり勝利は決まっているが
どうやって勝つかは決めずに
どういうキャラがいるかを考え
そのキャラを困難な状況に放り込んで描き始める。

p.138から
たとえば、『ジョジョ』第四部のラスト前の主人公とラスボスの戦いは
著者がしまった勝てないかもと思うぐらいの状況に入り焦った。
キャラと一緒に悪戦苦闘しどうにかピンチを脱出できたときには
実際に体験した事のように本当にうれしかった。


 表現はヘミングウェイに学べ!

説明しようとしてはいけない
行動、自然な会話、しぐさ、いる場所の風景などで説明する。
お手本がヘミングウェイの『殺し屋』という短編小説です。
ふたりの男が食堂にやってきて注文するシーンから物語が始まるのですが、地の文では彼らがどういう男たちなのか、具体的なことをまったく説明せず、彼らの発するセリフだけでわかるように描いている。冒頭の部分から、少し引用してみましょう。

「アップル・ソースとマッシュ・ポテト添えのロースト・ポーク・テンダーロインてのがいいや」最初の男が言った。
「まだできないんです、それは」
「じゃあ、なんでメニューにのせとくんだ?」
「それはディナーですから」ジョージは説明した。「六時になったら、お出しできますよ」
カウンターの背後の壁の時計に、彼は目をやった。
(メモ者による中略)
「それはディナーなんです」
「こっちが食いたいのはみんなディナーってわけか、え? 上等な商売をしてるじゃねえか」
  (『ヘミングウェイ全短編Ⅰ』高見浩訳 新潮社)

この男たちは「人を殺した」とか、「銃を持っている」とか、「どういう職業なのか」とか、何の説明もないのに、こういう会話のやりとりで彼らがただ者じゃない、ある種の無法者だということが鮮やかに伝わってきます。
 この小説は、ひたすらセリフだけで情景描写をしてストーリーが進んでいくのですが、それでいてキャラクターや世界観をきちんと表現できている、「こういう風に書けばいいんだ」というお手本だと言えるでしょう。タフなセリフの応酬で物語が進んでいくハードボイルド探偵小説やタランティーノの映画などは、この小説の影響を強く受けていることが感じられます。

アーネスト・ヘミングウェイの短編「殺し屋」
http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/killers.html
”食堂《ヘンリーの店》のドアが開いて、男がふたり入ってきた。カウンターの席にすわる。

「何になさいます?」ジョージが尋ねた。

「何にしよう」ひとりの男が言った。「アル、お前は何が食いたい?」

「さてね」アルが答えた。「何にしたらいいか、見当もつかねえな」

外は暗くなりかけていた。窓の外では街灯に灯が入った。カウンターのふたりの男はメニューに目をこらしている。カウンターの反対側の端にいたニック・アダムズはそれを見ていた。ニックがジョージと話していたところに、男たちが入ってきたのだった。

「ローストポーク・テンダーロインのアップルソースがけ、マッシュ・ポテト添え、ってやつにしよう」最初の男が言った。

「それはまだなんです」

「じゃなんだってそんなものをメニューにのっけとくんだ」

「ディナーの料理なんです」ジョージは説明した。「六時になったらお出しできるんですが」
ジョージはカウンターのうしろの壁の時計を見やった。
「まだ五時ですんで」

「あの時計じゃ五時二十分になってるがな」もうひとりの男が言った。

「あれは二十分進んでるんですよ」

「やれやれ、なんて時計だよ」最初の男が言った。「じゃ、食い物は何ができるんだ」

「サンドイッチならどれでも」ジョージは答えた。「ハム・エッグやベーコンエッグ、レバーとベーコン、あとステーキもできます」

「チキン・クロケットとグリーンピースのクリームソース、マッシュ・ポテト添えっていうのをくれ」

「ですからそれもディナーのメニューで」

「食いたくなるのは全部ディナーってわけか、ええ? そいつがおまえんとこの商売のやりかたなんだな」

「ハムエッグならできるんですよ、ベーコンエッグも、レバー……」

「じゃ、おれはハムエッグをもらおう」アルと呼ばれたほうの男が言った。山高帽をかぶり、黒いオーバーの胸元はきっちりとボタンで留めあわされている。こぶりの顔は白く、唇を固く結んでいた。シルクのマフラーを巻き、手袋をはめている。

「おれはベーコンエッグだ」もうひとりの男が言った。アルとほぼ同じくらいの体つき。顔立ちこそちがっても、双子のようにそっくり同じ格好だった。着ているオーバーが窮屈そうなところまで同じだ。カウンターにかがみこむように腰をおろし、両肘をカウンターにのせている。

「飲み物はあるか」アルが聞いた。

「シルヴァー・ビール、ビーヴォ(※ともに低/非アルコールの麦芽飲料、ちなみに1920年代はアメリカの禁酒法時代)、ジンジャー・エールならありますが」ジョージが答えた。

「おれが聞いてるのは、ほんものの飲み物のことだよ」

「いま言ったとおりのものしか出せないんですがね」”


Hemingway, Ernest (1927). "The Killers". Chicago: Scribner's.
https://www.sleuthsayers.org/2012/12/literary-mystery.html#killers
” The Killers
by Ernest Hemingway
The door of Henry's lunchroom opened and two men came in. They sat down at the counter.
"What's yours?" George asked them.
"I don't know," one of the men said. "What do you want to eat, Al?"
"I don't know," said Al. "I don't know what I want to eat."
Outside it was getting dark. The street-light came on outside the window. The two men at the counter read the menu. From the other end of the counter Nick Adams watched them. He had been talking to George when they came in.
"I'll have a roast pork tenderloin with apple sauce and mashed potatoes," the first man said.
"It isn't ready yet."
"What the hell do you put it on the card for?"
"That's the dinner," George explained. "You can get that at six o'clock."
George looked at the clock on the wall behind the counter.
"It's five o'clock."
"The clock says twenty minutes past five," the second man said.
"It's twenty minutes fast."
"Oh, to hell with the clock," the first man said. "What have you got to eat?"
"I can give you any kind of sandwiches," George said. "You can have ham and eggs, bacon and eggs, liver and bacon, or a steak."
"Give me chicken croquettes with green peas and cream sauce and mashed potatoes."
"That's the dinner."
"Everything we want's the dinner, eh? That's the way you work it."
"I can give you ham and eggs, bacon and eggs, liver----"
"I'll take ham and eggs," the man called Al said. He wore a derby hat and a black overcoat buttoned across the chest. His face was small and white and he had tight lips. He wore a silk muffler and gloves.
"Give me bacon and eggs," said the other man. He was about the same size as Al. Their faces were different, but they were dressed like twins. Both wore overcoats too tight for them. They sat leaning forward, their elbows on the counter.
"Got anything to drink?" Al asked.
"Silver beer, bevo, ginger-ale," George said.
"I mean you got anything to drink?"
"Just those I said."”


p.148
承太郎、ジョゼフ、花京院、アヴドゥルの四人は
一目見て誰だかわかるようなシルエットであることに
重きを置いてデザイン。

p.153
”「絵」イコール「テーマ」であり、「絵」イコール「世界観」であり、「キャラクター」や「ストーリー」をどう表現するかは「絵」にかかっています。そして僕の実感として、「絵」は「神様」のものです。”
(ゴッドか神々かわからないが神は実在すると考えている)

p.155から
下手でも売れる絵と
上手なのに売れない絵との違いは
離れて見ても作者が誰かすぐわかること。
絵で大切なのは一瞬見ただけでも誰の絵かすぐわかるように描くこと。

美の黄金比を覚えよう

p.164から
人物画は何対何を覚える。
顔の長さの二分の一が目の位置
目から顔の長さの四分の一下に行くと鼻
顔の長さの八分の一の下に行くとが口(上下唇の間)

顔の黄金比を覚えたら今度は体
1人体の解剖図や骨格図
2裸体(骨にどう肉がついているか)
3衣服を着た状態
と順番にデッサンしていく。
重要なのは
正中線(人体の真ん中の線)
肘はウエストの位置
の二つで
これを覚えれば不自然でない人体を描けるし
回転させてねじればジョジョ立ちになる。
関節は斜めについており
上から見るとらせん状になっている。
服を着た状態なら関節の位置から皺が重力でどうついていくか、
といったことにもきちんと法則がある。

ウエストとの位置と
腕の肘の位置はだいたい一致する。
女性のウエストの位置は男性より上っぽい。
脚の長さはどうでも良い。

関節は斜めというかねじれてくっつく。

これを覚えて回転というか螺旋というか
ネジっていくとジョジョ立ちが描ける。

全身図は正中線と肘の位置を覚えれば描ける。
逆に肘を無視すると変になる。


p.168
模写するにしても、ただ「やっぱり上手いなあ、いいなあ」と写すのではなく、
「この骨格はしっかりしているな」
「このキャラクターは、こうやってシンボル化しているのか」
「どんなことを目的にして描いているんだろう」という視点ですれば理解も深まりますし、
何回か繰り返して描くうちに
自分自身の楽しさや絵に対する願いのようなものが絵ににじみ出てくるはずです。
そうしたものを突破口に、おそらく自分なりの世界ができるはずですし、単なる真似でない、
自分自身の絵が発展していくのだと思います。

p.171から
火は風を描く。
火炎の表現は周囲の空気の動きを描く。
燃えている物体はそのシルエットを描く。

水は重力を描く。
溜まっている位置や
表面を流れ落ちていく方向を表現

空気は視点に向かって動く線で表現
距離を描く

光は影を描く

岩は影を描く。線ではなく墨の部分を見せる
重さが重要。
岩石の図鑑などを見て描き分ける。


イタリアで自分の絵を掴んだ著者
ジョジョの連載前に行ったイタリア旅行。
著者の絵を一言でいえばポージング。
ローマの美術館の彫刻を見て
漫画で描けたらいいなと思えた。
彫刻のようなねじれたポージングは日本の美術にもほとんどなく
これまでのマンガ家があまり表現していないジャンルで
いい意味での色気も出せる。
ポージングが魅力的なのはポーズは人に記憶されるものだから。

(ぐだトマト@pteras14
2017年5月21日
彫刻は荒木本でもジョジョのポーズの
元ネタだと書いてあった。
だけど彫刻の造り方の本ってジュンク堂
とかでも置いてなかったりする……
仏像彫刻(木彫り式)は沢山置いてある
のにね。

本当に貴重な本は絶対に置かないのが
日本の書店の特徴。
地方の書店とか終わってる。















見えないものを可視化する
波紋とスタンドは超能力の可視化
波紋が飽きられたのは、たぶん一種類だけだったからで
たくさん種類があれば飽きることはないだろうということで生まれたのがスタンド。
心のエネルギーであるスタンドは
いわば超能力を可視化した波紋をさらにキャラクター化したもの。
スタンドではさまざまなものを可視化してきた。
速く動く
遠くまで行く
自動的に遠くまで行く
遅く動く
呪う
時を止める
時の中を動く
心の中を読む
未来を予知する
電気になる
磁石になる
重力に逆らう
老化する
魂を手に入れる
直す

(見えない、描けない、絵にできないの可視化ってできるの?)

p.191から
 漫画の神様が降りてくる

 その日の体調や、よくわからない何かの化学変化のようなものが反映されて、「今日のこの線、すごくいい!」「このほっぺたの角度、最高!」という、描く前には自分でも予想できなかった絵が描けたりすることがあります。絵が自分を超えていくというか、そういう偶然の贈り物みたいな絵が描けるときは、たぶん漫画の神様が降りてきてくれているのかもしれません。
 そんな風に自分を超えていく感じが、絵を描く楽しさではないかと思います。ポージングを下描きしていて、一本で線が決まるときもありますが、何本か描いてみて、「来た!」という線が決まってくる瞬間の喜びは、それこそ神様に感謝したくなります。
(絵は神様のものだと実感している荒木先生。つまり漫画の神様は実在すると考えている)


p.195から
「世界観」は背景描写とも言えますが、つまり漫画の中に広がる「漫画の世界」であり、キャラクターを置いてみたい場所です。たとえば美術や建築といったことも含まれるでしょう。ファンタジー、SF、冒険活劇、スポーツ、学園もの、ホラー……漫画で描かれる世界は様々ですが、非日常的あるいは日常的かにかかわらず、現実の世界とは違う「漫画の世界」が展開されています。そして、「世界観」は読者がひたりたいと思っているものなのです。
 漫画家を目指すときには見落としがちなことかもしれませんが、世界観の描き方は、その漫画が読者に受け入れられるかに直結しています。大勢の読者が、そこで描かれている世界観にひたりたい、と思えば、ヒットにつながるわけです。
 漫画の描き手が目指すものが「どういうキャラクターを描くか」だとしたら、読者側の最大の動機はまず「その漫画家が描く世界にひたりたい」です。その次に来るのが「あのキャラクターに出会いたい」で、「あのストーリー、おもしろいな」というのはその後になるのではないでしょうか。
 
 読者は世界観にひたりたい
 ですから、「世界観」は読者を惹きつけるために非常に重要です。
 「世界観」とは要するにリアリティですから、いい加減な世界の描き方では、読者はその中にひたることができませんし、その漫画を読もうという気も失せてしまうでしょう。たとえ架空のものであっても、世界観は漫画家の中では確固たるものとして成立していなければなりませんし、架空の世界なりにスジが通っている必要があります。


p.199から
 ムードで勝負できるのは天才だけ

画力にしろ世界観にしろ、天才的なものを持っていなければ、ムードを追うと失敗するリスクが高い、ということです。
ムードを追った漫画は、一握りの天才でなければ成功できないと言えるでしょう。

 徹底的にリサーチする
 世界観の作り方に戻りましょう。


組織を描くとき
その組織のトップは誰で、どんな人物か
組織の目的は何か
資金源や収入源
どんな特許を持っているか
ルーツや創始者について
何人くらい部下がいるのか
社則はどんなものか
流通はどうなっているのか
どんな部署があるか
裏社会はどうなっているか、どんな不正行為があるか……


歴史を描くとき
どんな社会か
王様は誰か
宗教は何か
ファッション
建築物
インテリア
食べ物
通貨
地形
他に起こっている事件……


地理を描くとき
地形、ガイドブック
東西南北の位置関係
どんな道路が走っているか
どんな鉄道が走っているか
空港から何分くらいの距離か
産業は何か
港の有無
ホテルやレストランにはどんなものがあるか
その他、旅行に行く準備のような情報……


スポーツを描くとき
ルール
歴史
選手、審判のユニフォーム
選手、審判は何人いるか
スタッフは誰から給料をもらっているのか……


寿司職人を描くとき
朝の仕入れ、支度、掃除はどんな風にするのか
店じまいの後片付けはどんな風にするのか
寿司を握るときの手の動きや力の入れ方
食中毒にならないための工夫
季節ごとのネタ……


ラブストーリーを描くとき
恋人の仕事は何か
恋人の収入はいくらくらいか
恋人のファッション
恋人の態度やマナー
デート・スポット……


SFを描くとき
インフラはどうなっているか
統治している政治家は誰か
ファッション
植物はどんなものがあるか
そこに住む動物に雌雄の別はあるか、誰から生まれたか
ロボットの動きや質感……

p.207から
ネットでリサーチできないことを現地で取材
著者はできる限り現地に行く。


p.211
最も基本的なことですが、締切りを守ること、そのために一定のリズムで漫画を描き続けることは何よりも大切だということを、ここにあえて記しておきます。

p.212
 調べたことを全部は描かない
 どれほど多くを調べ、実際に体験したとしても、それを全部描くとは限りませんし、世界観の説明が中心になってはいけません。読者が見たいのは、キャラクターの行動や運命ですから、世界観を延々と描くことでそれを妨げてはならないのです。

 世界観は、キャラクターの王道やセリフに盛り込んで描くものです。主人公が直面した困難にからめて描いていけば、その世界観をきちんと読者に伝えることができるでしょう。

p.215から
 すべての要素は「テーマ」につながる
 
 「基本四代構造」をつなぐ「テーマ」
 漫画の「基本四大構造」のところで述べたように、ひとつひとつの要素はそれぞれが互いに影響を及ぼし合っています。「キャラクター」「世界観」「ストーリー」を統括し、なおかつ、つなぐものが「テーマ」です。
 漫画に限らず映画や小説、テレビドラマでも、名作と呼ばれるものには、その背後に必ず強力な「テーマ」が存在しています。「テーマ」はストレートに表現されるものではなく、言ってみれば、「影のリーダー」的な存在なのです。

 漫画で言えば、『蟲師』は、自然の中に潜んでいる、ほんのりとした霊的なムードを描くことが「テーマ」の作品だと思います。たとえば水木しげる先生だったら、非常に真に迫った絵で背景を描いていくでしょうし、楳図かずお先生であれば、もっとキャラクターを描き込んだ作品になるはずです。しかし、『蟲師』の場合は、ムードを描くという「テーマ」に照らし合わせて、必ずしも描き込んでいく必要はない、と作者が判断したのではない(原文ママ。ない「か」にしないと意味がおかしい)と僕は推測していますし、描き込まない絵によってこそ、あのムードが表現できているように思います。
(「ない」と「ないか」は全然違うから危険な脱字。文脈的に蟲師は描き込まない側)


p.217から
テーマはぐらつかせない。
テーマは自分の人生に沿っていることが重要

売れるテーマから考えるのは間違い
自分ではたいして興味がないのに
世間に合わせてテーマを設定するのは
絶対やってはいけない。
何を描きたいのか
なぜ描くのか
は根本的で一番大事なこと。

アイデア
著者のアイデアメモ術
おもしろいと思ってメモする内容は三つ

1自分がよいと思ったこと

2自分とは違う意見や疑問に思う出来事、
理解できない人
自分には理解できないとシャットアウトするのではなく
なぜこの人はそんな風に思うんだろう?
どうしてこんなことが起こるんだろう?
その意見を聞いて、自分はどう思ったのか
などと分析することで
自分にはない視点を学ぶことができる。

3怖い出来事や笑える出来事、
トラウマになりそうな出来事
なぜ怖いと思ったのか
なぜ笑ったのかの理由を考える。

アイデアは尽きないんですかと聞かれることがあるが
アイディアが尽きるというより
自分の興味が尽きるからアイディアがなくなる。
アイディアは自分の人生や生活に密着しているのですから
興味がなくなってしまえば生まれなくなる。
常に何か興味を持つことができて、
周囲の出来事に素直に反応できるアンテナを持ち続けられるのであれば
アイデアが尽きることはないはず。
「素直に」ということを心がけるようにしてほしい。
自分が興味があることに限定して
そこから外れたものを無視する自惚れは絶対にNG。
何かネタを探さなければと苦痛になることがあれば
それは僕(著者)が漫画家をやめるときだろう。


(漫画アニメゲーム業界(というか大抵の業界(特に日本の業界))では
その所属者、しかもそこで権威ある人(荒木先生とか)の言うことでないと
聞かない傾向、
自分には理解できないとシャットアウトする傾向、
自分が興味があることに限定して
そこから外れたものを無視する自惚れる傾向が強い。
しかもその権威信仰者が権威信仰者を批判していて泣けるね。
荒木先生が言っても大した効果がなさそうなほどに頑固な悪癖。






コマ割りはリズムにのって
コマ割りは漫画を読んで訓練して実践する繰り返しが大事で
あまり余計なことを考えない方が、
よいコマ割りになるのではないかと思います。
基本中の基本は、その漫画の中で自分が伝えたい気持ちを素直に伝えるように心がける、
それに尽きるのではないでしょうか。
一応、基本は
「左、左、左に行って、
突き当ったら下に行く。
また左、左、左で突き当ったら次のページ、めくる」という、
一種のリズムのような感覚です。
リズムの強弱、つまりコマの大小を決めるのは重要度。
丸いコマはキャラが背中を向けていてどういう感情なのかわからないときに使う。

ネームの描き方に日本と欧米のマンガの決定的な違いがある。
欧米はいい構図の絵が重要視されたコマ割りで
キャラが何をしたかということだけをひたすら描いていく。
日本はキャラの心の動きや表情を細かく描いていく。
人物の心の動きを追うテクニックが日本のマンガならではの特徴。

視点は動かさない
主人公は背中だけが見える構図は動かさないなど。
映画のカメラのような視点があると考えて
それを固定してあまり移動させないのが著者のやり方。

(コマ割りの訓練は日本語情報だと有用なものがほとんどないらしい。


ぐだトマト@pteras14
2017年9月25日
あのコマ割りのノウハウってイマイチ
謎で、学校とかでも「プロの作品を
模写して直感でフィールして覚えろッ!」
みたいな指導が多い……


マンガを描くために必要な12の掟












荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - あなたは今どんな姿勢でモニターを見ているのか?
https://moebius.exblog.jp/6209565/

[荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - その1]:問題を設定します。
[荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - その2]:基礎的な分析をします。
[荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - その3]:荒木割りの分析です。
[荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - その4]:荒木割りの発展的考察です。
[荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - 追記]:作者の意図は関係ありません。

[返信が遅れてすいません]寄せられたコメントへの返信です。
[メモ:荒木割り数の訂正]訂正の記録です。 へのリンクあり)



殺し屋
by アーネスト・ヘミングウェイ の日本語訳
http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/killers.html

「荒木飛呂彦の漫画術」に書かれていた作品まとめ
https://m765.hatenadiary.org/entry/20150501/1430472153

尻系が含まれていておハーブw


本書のメモは終わり。次は
『バビル二世』


『バビル2世』
週刊少年チャンピオンで
1971年28号 - 1973年47号 まで連載。

・主人公のバビル2世は赤髪、赤目、学生服。
(赤い髪の毛は能力使用時だけかも。
アニメ版は見てない)

3つのしもべ(ロデム、ロプロス、ポセイドン)を操る。

ロデムは何にでも変身できるが普段はクロヒョウ。

ロプロスのモデルは鳥型恐竜やフェニックス?
『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』に登場するロボットであるガルーダ
のモデルがロプロスらしいのでガルーダがモデルかも。


ポセイドンは巨大ロボットで二本の大きな角のようなものが頭についている。

・バビル2世の先祖である
バビル1世の特徴は以下の通り。
地球から遠く離れた星の住人。
彼(見た目が人間の男なので)の任務は惑星調査。
人型宇宙人。
顔以外を覆う服を着ている。
服の胸のマークが「v」みたいな形。
寿命がある。
地球人と生殖し子供を作れる。
高度な科学技術を持つ。
地球に不時着したが、当時の地球には船の修理ができる科学設備もないので地球に留まる。
仲間に居場所を知らせるために目印=バベルの塔を作った
(正確には、支配者のニムロデ王に近づき、人間に作らせた。
当時の地球人の科学知識はゼロで
機械の取り扱いの不注意から塔を爆発させてしまったので
一世は永住することに決めた)。
地球の女と結婚。

(聖書の神やユダヤ人は宇宙人だとする宇宙人系キリスト教カルトや、
宇宙人陰謀論が元ネタだろう。
本作では一世がユダヤ教徒である描写はない。
バベルの塔は本来はユダヤ教と無関係だよ、設定なのが本作。
本作では
バベルの塔はメソポタミア各地に見られる”ジッグラト”ではないかと言われている
というセリフが登場する。
本作では宇宙人が仲間への目印に作らせた目印という設定)


・敵のボスであるヨミ(黄泉)も、
バビル2世と同じくバビル一世の子孫。
バビル2世の三つのしもべに命令できる。
(非常に面白い設定)

ヨミの組織のシンボルが丸に十字(たぶん十字星)。
四重の円(中心から、赤、水色、黒、赤の順)の上に黄色い十字星が重なっている。

ヒマラヤの支配者。
各国政府高官や軍人を改造し
ミサイル基地や戦略上重要な場所に送り込んでいる。
世界の半分の国の重要な地点には改造人間が送り込まれている。
世界中に配置することで世界支配をもくろむ。

主人公に心臓を停止させられるが復活。

(ヨミ=プルートゥ。死を象徴する名まえ。
しかも死と復活(尻が大好きな儀式)を経験する。


超能力者がヒマラヤ在住で世界征服を企んでいてシンボルが丸に十字
って宇宙人カルトの源流の一つである神智学系要素てんこ盛りだ。
恐ろしいのは、現実ではヨミみたいな奴がヨミみたいな手段で世界征服が完了してしまっていること。
改造人間
=支配層に都合の良い思想を注入され、
支配層の意のままに動く人間の比喩
と解釈すれば現状まんまだ。

フィクションで公開されると、現実、現状も嘘に見せることができる。
フィクションで公開することで、現実、現状も嘘に見せることができる。
現実感を奪う魔術。


横山光輝も尻なんだろうな。
漫画版『史記』が最高傑作だというのが私の評価。
次が漫画版『三国志演義』。
とてつもなく勉強になるし、
尻要素が感じられないのでオススメ)

・第四基地と第六基地には大規模な人体改造実験室がある。
両方ともバビル二世が狙う。
(4と6って46疑惑。
しかも第六基地は太平洋のフェニックス諸島にある)


・主人公と彼の敵のどちらかが神でどちらかが悪魔というセリフが登場。
人間が神なら一神教ではないな。
予想通り、きちんとした一神教思想の話ではない。

・敵にチベットの霊媒者が登場。

・心を読めるシムレという超能力者の出生地がチベット。
しかもバビル2世がこのチベット人に変身する。

↓主人公が赤髪だとわかる。

バビル2世
https://mangapedia.com/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AB2%E4%B8%96-415wo1x7h
”シムレ

ヨミの部下で超能力者。強力なテレパシストでバビル2世の所在を探っていた。しかし、ヨミのヒマラヤ基地に潜入したバビル2世に襲われ、エネルギー衝撃波の一撃で死亡する。この後、バビル2世はシムレの姿に変身して、ヨミのもとに迫ろうとした。テレパシストであるシムレに変身していれば、ヨミに心を読まれる恐れがないと考えての行動であった。 ”


・ヨミの部下の中にはどくろマークのネクタイをしている者がいる。

・またヨミが死んで甦るのだが
今度は宇宙衛星731にひっついて地球に来た宇宙ビールス。
731!
感染して生き残ると超能力が使えるようになる。

ビールスに干渉されまくることになるけど。
これで黄泉がえったヨミはビールスの力でパワーアップ。
味方に感染させないようにカプセルに入ったりしている。
味方に感染させて超能力者を作ることもする。
三分の二は死んで三分の一は生き残るらしく
数字で黙示録を思い出す。

この微生物は過去にも地球に来ていて
ドラキュラもこの微生物のせいでああなったというのが本作の設定。
この微生物はニンニクに含まれる成分に弱い。
ヨミに吸血鬼属性が追加された。
しかもドラキュラはチベットより現れたとある。


・人気が出たから引き延ばしのためにヨミが復活するのだが
結果的に尻が大喜びする死と復活の儀式を何度も行っている。

・全体的にロボットのデザインが斬新に感じるのは
ガンダムの影響があまりに強いせいだろうね。
線の数がガンダムみたいなロボよりかなり少ないから漫画家とアシスタントに優しいデザイン。

・体内に住み着いた宇宙ビールスが自分の住処をまもるために
宿主の能力を最大限に引き出す。
隠された能力を何百倍にもして出させる。
これが超能力者になる理由。
最後には宿主を完全支配。
人間の姿だが、
宇宙ビールスに体を貸した物体になる。

(能力を与えるのではなく引き出すことが重要。
このビールスは犬にも感染する)

・ビールスによる超能力者は複数人で手をつなぐと
一層力を増す。





ウイルス進化説
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AA%AC
”ウイルス進化説(ウイルスしんかせつ)は、自然淘汰による進化を否定し、進化はウイルスの感染によって起こる[1][2]という主張。
〔中略〕
彼等によれば、ウイルスによって運ばれた遺伝子がある生物の遺伝子の中に入り込み、変化させることによって進化が起きるとする。

ウイルスの遺伝子が宿主に取り込まれる可能性とその進化的意義については、レトロウイルスの逆転写酵素が発見された直後からすでに議論されていたとし、「進化はウイルスによる伝染病」ととらえ、適応進化を否定する。
〔中略〕


ウイルス進化説の解説によく用いられるのが「キリンの首はなぜ長い?」という疑問である。この疑問は現在においても科学的に解明されておらず、様々な説が存在する。有力な説は、ダーウィニズムを基本とする進化論だが、首の短いキリンと首の長いキリンの間の「中間の首の長さ」のキリンの化石が発見されていないことが大きな問題とされることがある。このため、この疑問に答えうる、瞬間的な進化を可能とする説としてウイルス進化説がしばしば登場する。

また分子生物学によって解明されつつある「遺伝子の突然変異による変化の蓄積」は、突然変異のほとんどが生存に不利なものであり進化の基礎とはならないと主張する。適者生存については、必ずしも適者が生き残るのではなく、個体で見れば運の良いものが生存する。だから適者生存も進化の基礎をなすとは言えないと主張する。また生物の体や習性の仕組みはどれも精巧であり、緩やかな変化の蓄積によって成し遂げられた物とは考えにくいとも主張する。これらをすべて説明できるのがウイルス進化論である、としている。ただしその具体的な仕組みには未だ言及していない。

キリンのように生息域が狭い種族が餌環境の激変などにより短期間で進化した場合は「進化の中間の化石」がそもそもあまり残らないため発見されないことは決して珍しい事ではなく(いわゆるミッシングリンク)、ダーウィニズムを基本とする進化論を否定する根拠にはならないとも言われている。
〔中略〕
本説を裏付けるに足る報告は存在せず、進化生物学の専門家からは認められた学説ではない。また、査読のある学術雑誌に投稿した論文でもないため、科学学説としても認知されていない。
〔中略〕
ウイルス進化説を取り上げたメディア等

奇跡体験!アンビリバボー(2007年に詳解している)
たけしの万物創世紀 (ウイルスの回)

フィクション

MMR (この説に基づき人類を進化させようとする科学者が登場する話がある)
ジョジョの奇妙な冒険 - 劇中に登場するスタンドと呼ばれる超能力は、地球外のウイルスがもたらしたという仮説が登場する。
オメガトライブ、オメガトライブ キングダム - ウイルスによる人類の進化と淘汰がテーマ。
テラフォーマーズ - ウイルスによって急速に進化した人型ゴキブリとの戦いを描く。


ルゥ@LOUMOGU
2016年9月20日
くそー今更気づいた!ジョジョ5部で出てきた「矢の元となった隕石に付着したウイルスに感染し、生き残った者がスタンド能力を得る」って設定、バビル2世の宇宙ビールスじゃねーか!


バビル二世から影響受けたって言ってるし承太郎の学ランはバビル二世の影響。

第3部に登場する宇宙ビールス。ジョジョ3部でスタンドの矢が登場する。

この宇宙ビールスはアメリカの宇宙衛星にくっついて地球に飛来したミクロの知的生命体(ウイルス)だから、アメリカと731ネタ。
ビールスに感染しても死ななかったら超能力を獲得。


小山田浩史@magonia00
2014年1月19日
本邦の異能力バトルコミックの流れは私見では大まかに山風忍法帖→『伊賀の影丸』→『バビル二世』→『リングにかけろ』→『風魔の小次郎』(ここで一度先祖がえり)→『聖闘士星矢』→『ジョジョの奇妙な冒険』→……という感じかしら。


・バビル2世にはエネルギー吸収能力があるが
ヨミにはない。
(吸収能力があるならヨミみたいに老衰しないかも。
老衰と書いたが、ヨミも能力を使いすぎなければ不老不死かもしれない)

・一つ目が特徴のロボット、サントスがかなり強い。
バビル2世は強力なビームを放つ一つ目がある頭部につかまって、
方向を他のサントスに向けて破壊したりしている。

・バビル2世にめりこんだ鉄片が勝手に外に出る。
(異物排除能力があるらしい。
ファイアパンチのアグニも銃弾を体外に排出していたな)

・ヨミは部下思いであり使い捨てにはしない。
(使い捨てとしても貴重な命だと考えているっぽい)

・バラバラになったヨミの肉体を移植された人間が自殺。
まるで持ち主に返すためであるかのように。
ヨミの肉体が他人に移植されても、
移植先の人間の意思に逆らう。

・アメリカ原子力潜水艦ネバダ号が北極海で行方不明。
水爆ミサイルを積んでいる。
これを手に入れたヨミは水爆ミサイルでロプロスを破壊。
バビル2世も核兵器には耐えられないらしく、
ロプロスは水爆ミサイルを食らう直前にバビル2世を海に落として避難させる。

・最終決戦(もうヨミは復活しない)で
ヨミが
「もしこの建物(北極の要塞)がバビル2世によって
やられるとすればそれは部下のおろかさがまねいたものだ」
と言う。
これからの展開の予告。
外の様子を見るためのテレビカメラは壊されたので
部下がドアを開けて直接確認。
その間にバビル二世が侵入して、
ヨミ敗北。
確かに部下のせいで負けている。
基地をポセイドンと破壊するバビル二世を止めるヨミ。
「この建物には原子炉があり、
アメリカの原子力潜水艦を奪ったのも原子を得るためであり、
これが爆発すれば北極の水が溶けて地球が大洪水に襲われるからだ。
わしはそんなことはしない。
地球を支配したいと思ったが
地球を滅ぼそうという気はない、
だからこれ以上破壊せずにおとなしくひきあげてくれ。
この建物、夢のあとで永遠に眠りたい」

バビル二世は結局、殺して死体を完全消滅させなかった。

物語を再開できるためっぽい。

結局、ヨミにもバビル二世にもMやカインの刻印やオリオンの三ツ星っぽいものはなかった。
影響力を考えれば、ほとんどの漫画系の尻より地位が上なのが横山光輝先生。

鉄人とサリーちゃんも読んだら尻てんこもりなのだろう。


参考資料




















さて、契約内容ですが、まず、契約期間を見ましょう。
開始と終了はいつからいつまでなのかをチェックし、開始からの異議申し立て期間についても見ておきましょう。
この期間は通常8日~1ヶ月ある筈ですが、中には数日しかない悪どいケースもあります。→

さらに読み進めると「命令に従え。権利はやらない。責任は取れ。他の仕事するな」などなど、だいたい会社側の都合の良い条件ばかりです。でも怒ってはいけません。通常、最初に出てくる契約書はこんなもんです。この時点での契約書は叩き台で、これを元にして交渉をします。では交渉の進め方→


契約書のたたき台は、会社側がハッピーな条件です。これを元に、自分が飲める条件と飲めない条件に分けます。それからこちらの条件を要求して、対等な契約書にしてもらいます。例えば→

「権利くれないなら、報酬上げて」とか「他の仕事するなと言われても、この報酬だと生活できないので、この条文を削除するか、報酬上げて」とかこちらが不利な条件には、必ず対価や条件を求めましょう。「保険はないよ」って条文があれば「保険料あるので報酬上げて」とか。→

「他の人はそんな契約やってないから」と言われたら「個別契約なので他の方は関係ありませんよね」と言って下さい。その場で「飲めない」と言われても「でら持ち帰ってご検討下さい」と、交渉を引き延ばすのもひとつの手です→


また、予期せぬ追加作業(修正など)が発生した場合の取り決めもしておいた方がいいです。その場合の追加報酬は「その都度相談し、合意に至った金額とする」でもよいので、書いて貰うようにしましょう。修正された契約書に、交渉内容が全て記載されていれば、サインしてOKです。→

契約書を貰う→交渉→新しい契約書をチェックしてサイン。
これが、基本的な契約の流れです。新しい契約書に漏れがあれば、書き直させて下さい。少しでも漏れがあれば、口約束の条件になってしまい、証拠性がなくなります。これが、契約の基本です。→

個別契約は、同じ仕事をする誰かと同じである必要はありません。全てが通らないかもしれませんが、自分が働きやすい条件を要求し、妥協する点は妥協して、契約しましょう。→

面倒だと思うかもしれませんが、業務委託契約というのは、普通、コレをやります。大変なのは、コレを何十人とやらなきゃならない会社側ですねw
いい加減、契約社員で雇用する方がずっと楽なのにと、思います。

あ、あと契約書のサインは、フリクション・ボールペンで書いちゃダメですよ。消えないボールペンで書いて下さい。
当たり前過ぎる事なので蛇足ですが、初心者向けなので、一応。





白いゴハン@siroigohan_
2017年9月5日
返信先: @Victim_Girlsさん
人格権譲渡って何だろ?

朝凪@夏コミ3日目東A-06a@Victim_Girls
2017年9月5日
例えば作品に名前やサインを入れたり、「この絵は私が描いたんですよ~」と主張する権利とかです。

白いゴハン@siroigohan_
2017年9月5日
ありがとうございます。
キャラクター丸ごと
持ってかれちゃうって事ですね。

キクタ:サンクリF03a@kikuta256
2017年9月3日
返信先: @Victim_Girlsさん
>リテイクでリリース遅れたら作家が弁償
過去にこの文面が実在したのなら本当に怖いですね

朝凪@夏コミ3日目東A-06a@Victim_Girls
2017年9月3日
直接は書かれていないのですが、同じ条でリテイクに制限がない項の下に、納品遅延などにより損害が発生した場合~ って項があったのであわせ技になってしまってました。なお、指摘したらすぐ直してくれたのであちらも悪意があったわけではなく、テンプレになってるみたいですね。

白紳士P@HakuShinshP
2017年9月10日
返信先: @Victim_Girlsさん
ワシの知り合い、言うか嫁がこれで潰されたことあります
ライターとしてゲーム完成まで、報酬は完成後って契約を結んだら、
事務所行ったら前のチームがとんずらしたあと
なんのノウハウも開発費もなしに製作やらされて壊れましたよ

(その時助けた縁で嫁になってくれたんやけどね)

翔★アクシズ教徒 @UNCHERTEDplayer
2017年9月5日
返信先: @Victim_Girlsさん
あまり知られてませんが、一方的に片側に不利益がある契約は、実は無効にすることができます。

ちょあー @choachoa1014
2017年9月3日
返信先: @Victim_Girlsさん
人格権は譲渡出来ないので不行使特約ではないですかね
公表権を行使されると商売できなくなったりするので
商業ベースだとよく有ります
リテイク無限は下請法上、発注内容の変更にあたると思うのでそこは突っぱねるか公取委いこか?でもいいかと

ymymmgmg@ymymgmg223
2017年9月3日
返信先: @Victim_Girlsさん
著作者人格権って譲渡出来なかったような。慣れない人は行政書士さんとかに立ち会ってもらうなど自衛の策が必要かもですね

うめ/イイダ派@umesansansan
2017年9月5日
著作者人格権は作者が合意しても譲渡できないのに契約書に書いちゃうのかぁ。 https://twitter.com/Victim_Girls/status/904266517562265600 …

のりまき @nority_z
2017年9月3日
返信先: @Victim_Girlsさん
著作者人格権って、譲渡できたでしょうか?
と、ふと思ったりしました。
何はともあれイラスト業だけでなく、他の業種も契約書はきちんと読まないと危険ですね。
特に個人経営の場合。

てんたま@tentama_go
2014年5月19日
ユニクロのオリジナルTシャツってTシャツ作成サービスの姿をした知財無償譲渡契約なんだ・・・・譲渡が「知的財産権」なので著作権だけでなく、特許権、実用新案権、意匠権、商標権など全部持って行かれる様子。「著作者人格権を行使しない」まであり http://utme.uniqlo.com/terms_ja.php

知的財産法ボット@chizai_bot
【著作権法】/「著作者人格権」/ 著作者の人格を守る権利。著作者の一身に専属する「一身専属権」ため、譲渡ができず、著作者が死亡(法人の場合は解散)すると権利は消滅する。ただし、その後も著作者人格権を侵害することは、原則として禁止される。 ①公表権 ②氏名表示権 ③同一性保持権


三国陣@名犯人 @mikunijin
6月2日
返信先: @jmdojoさん
それが、公表権や氏名表示権の存在を知らなかったり同一性保持権を無視したりする場合があるから言っているわけです
「基本的に名前は出ません」とか「こっちで勝手に書き換えます」とか「どういうかたちで出すかはこっちの独自の判断できめます」とかそういうのアカンやろ


ゲヌーク鍋@閃2改終盤@genugtopf
2017年9月3日
返信先: @Victim_Girlsさん
契約書は作成する側が優位になるように書きますからね…
時間は掛かりますが、できれば読み上げでの確認も必要かもしれませんね…

(項目ごとに相手に有利×マイナス1、自分に有利○プラス1、対等△0の三種の記号で分けて
合計点数を数えるとよくわかる。
点数をつけるのは複数の契約書と比較するため。印象で決めてはいけない。)






ぐだトマト @pteras14
13時間13時間前
ふ?む、“世界観”という言葉は確かに
2000年近辺の3DCGアニメギョーカイ
でも使ってたね。

自分がその時聞かされた“世界観”の
説明の例としては「スターウォーズ」
と「スタートレック」の衣装デザイン
の違いについてだった。
スタートレックのあのパジャマみたいな
ユニフォームは不自然だ!と。

で、スターウォーズの砂漠の惑星なら、
その環境に適応した実用的な衣装を
デザインしなさい、と、スターウォーズ
の作り方をお手本にしなさいみたいな
事を言われた記憶がある。

スターウォーズだからREALITYの事
じゃないよ? そりゃフィクションだから
さ。リアルではないわけよ。
“REALITYではなくてCREDIBILLITY”
と教わった。

要はその作られた“世界観”を信じられる
かどうか?
って話。


あ!w
これ、教えない方が良かったかな?w
ま、いいっかぁw


スマン……
綴りL一個ね。credibility。


「小説の大部分はAIに書かせてます」――AI時代のストーリー創作術を、『428』イシイジロウ×『刀剣乱舞-ONLINE-』芝村裕吏が語り合った!
http://news.denfaminicogamer.jp/interview/genso-koryu/2
”ゲームの歴史の中で「ストーリー」をどう扱うかは、いつも問題になってきた。
 プログラムで記述されたキャラに生命を与えてくれる一方、小説や映画のように作り込むと「一本道」として批難される。プレイヤーの入力に反応を返すデジタルゲームの表現で、実は大変な難しさがあるのだ。
〔…〕

 そんな二人が対談で今回語った”お題”は「世界観」。プレイヤーに自由度を与えつつ、設定に魂を吹き込むストーリーを構築する上で欠かせない概念だが、はてさて――。議論は芝村氏の「小説は最近AIに書かせている」という発言とともに、とんでもない方向にすっ飛んでいったようだ。
〔…〕
イシイジロウ氏(画像左)と芝村裕吏氏(画像右)
“芝村AI”が自動生成する物語
〔…〕
イシイ氏:
 僕としては最初に会ったとき、「イシイさん、もう脚本とか物語を人間が書く時代は終わりますよ。もう全部“芝村AI(人工知能)”【※】が書くので」と言われたのが忘れられません。

※芝村AI
芝村氏が開発した物語を構築するためのAI。その詳細は、本記事内で語られている。

――出会い頭に、シナリオライター職をまさかの全否定(笑)。

イシイ氏:
 そのときに僕も、キャラクターのAIをいかにアドベンチャーゲームやシミュレーションゲームに取り入れるか、考えていたことを話してみたんです。すると「……それはゲームに落とし込めないなぁ」と言われてしまいました。

 当時から、芝村さんは「ゲームキャラだけでなく、物語さえも芝村AI化していく」と豪語していたので、『ガンパレ』や『新世紀エヴァンゲリオン2』(以下、『エヴァ2』)は、芝村AIによる自動生成していく物語として、ずっと注目していたんです。
 最近では小説も書いてますけど……あれも、もしかして?

芝村氏:
 (笑)。……実は、小説の大部分はAIが書いてます。私は最終的な細かいつじつま合わせなどを担当しているだけなんです。

〔…〕

芝村氏:
 そうなんですよ。むしろ、プロットやキャラクターの動きに関しては、人間が考えるとすごく恣意的に見えてしまうんですよ。リアリティらしいリアリティを出したいなら、もうAIに任せたほうがいいかもしれません。

 それに、コンピューターは内容を忘れないので、例えば途中で伏線が行方不明になることもない(笑)。一方で、AIは個々の考えで動いているので、作品全体の世界観を切り出すのは難しくて、散漫な印象になりがちなのが問題ですね。

――あの、ちょっと確認させていただきたいのですが、文字通りに「芝村さんの小説はコンピューターが書いている」ということでいいんですか?

芝村氏:
 基本的な話の筋や時間に応じたキャラクターの動きは、すべてコンピューター、というか、AIにプロットを作ってもらっているんですよ。

――それって……もしかして芝村さんが作ったAIだったりするんですか?

芝村氏:
 そうですね。自分で作りました。
 最初は小説の表記の揺れを防ぐ執筆支援プログラムとして作ったんですけどね。そのうちに、もう一歩先に進んで、キャラクターの動きも書いてもらうようになりました。

 で、だんだん小説の仕事が増えてきて、月間の生産数が1冊以上になると、もう人間の限界値を超えます。そうしたら、コンピューター様のお力がないとちょっと難しい(笑)。小説の場合はゲームと違って、「話の筋が”ない”と思ったらまた書き直せばいいか」と思ってやってます。

 まあ、私はどちらかというと、クリエイターというよりも技術者寄りの人間なので、ものづくりにおいてはまず機械力が使えるかを検討して、使えないならいかにアルゴリズムにできるか、あるいはいろいろな人の力を借りてそれを実現するか、そういったことを考えてますね。
〔…〕
芝村氏:
 とはいえ、AIも万能ではなくて、文脈の理解のようなことは苦手としています。言い換えると、そこ以外は人間じゃなくても構わないんですよ。なんでもかんでもAIにやらせようというのは、もちろん技術的によくないし、コストもかかるんですけど、役割分担としてAIの支援は十分に有用だと思います。
“世界観”という言葉はなぜ生まれたのか

――で、いきなりメチャクチャ面白い話が続いているのですが……ちょっと本題に入らせてください。実は今回、このPR記事ではお題が一つ与えられてまして、それは「世界観」について話すということなんです。お二人とも、複数の作品で世界観の構築を担当されていますから。で、あとは「何を話してもOK」という感じなので、さっきのお話も含めて、ゲーム業界を代表する理論家肌のお二人に、とにかく色々と話していただければな……という企画です。

ちなみに、この「世界観」という言葉って、デジタルゲームやTRPG【※】の周辺から出てきたのかな、と思うのですが。

※TRPG
テーブルトーク・ロールプレイングゲームの略。ゲーム機などのコンピュータを使わずに、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、ゲームマスター(GM)と呼ばれる進行管理者(ルール作成者を兼ねることも)に従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲームを指す言葉。

芝村氏:
 いやあ、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』【※】からTRPGをずっとやってますけど、「世界観」なんて言葉が出てきたのは本当に突然でしたよ。

※ダンジョンズ&ドラゴンズ
1974年に制作・販売されたアメリカのファンタジーテーブルトークRPG。世界で最初のロールプレイング、ロールプレイングゲームの原点と言われている。

――あれ、そうなんですか。てっきり芝村さんのような、TRPGの人たちが使い出したんじゃないかと思っていたんですが……。

イシイ氏:
 もともとは哲学用語でしょう。割と最近になって、急に物語の世界に入ってきたものですよ。映画業界の50代の人に聞いてみたんですが、昔は世界観という言葉を使ってなかったそうです。当時は「設定」という言葉が一般的だと言ってました。だって、僕は『428 〜封鎖された渋谷で〜』【※】で映画スタッフの方たちに「どんな世界観なんですか!?」と聞かれて、むしろこっちが「え……」ってなってましたから(笑)。
〔…〕

イシイ氏:
 確か、2000年代に入ってからは、みんなすごく言うようになりました。ただ、ゲームが普及した時代になってから、監督やシナリオライターがこの言葉を使い出したのはあると思うんです。だから、ゲームからの逆輸入なんじゃないかと、話していましたね。

 ちなみに、ゲーム業界では「世界設定」という言葉を使ってたんですよ。ここで言う世界の設定とは、作品内の「重力」のような科学的な考証まで含めた、登場するあらゆる要素のリアリティのことです。

 ここは映画や小説との違いです。彼らは重力の話なんてほとんどしませんよね。彼らが話すのは、例えば警察が登場するなら、「太陽にほえろ!」なのか、もしくは「踊る大捜査線」なのか、はたまた「火曜サスペンス劇場」なのかによって、作中での描き方が大きく変わってくるというレベルの話です。

 でもゲーム業界では、重力のような細かな設定も仕様書の水準にまで落とし込んで、しっかり記述する必要があるんですよ。「世界観」は、その行為の延長線上で生まれた言葉なのかもしれません。

――ああ、なるほど。ゲームは制作過程の中で、そもそも物理法則のようなレベルから大量に決めなきゃいけないことがあるんですね。確かに、そうなると創作の過程で「世界観」というレイヤーを意識せざるを得ないですね。

イシイ氏:
 とはいえ、ひとつひとつの設定を考えるのが当然だった僕からすると、逆に改めて「世界観」という言い方はしませんでしたね。だからこそ、スタッフから「この作品の世界観は?」と、やたら質問されたときは驚いたんですよ。

芝村氏:
 私はある日、インタビュアーからその単語を聞いたんです。たぶん「世界設定」よりも「世界観」と言ったほうが、なんとなく良さそうなイメージがあるんでしょうね。

 技術者としての考え方でいうと、別の言葉で意味が成立するなら古くからあるほうを選択する――「世界設定」でいいわけですよ。つまり私にとって「世界観」が入り込む余地などない!……と言いたいところですけど、あえて否定してケンカしてもしょうがないですね(笑)。
争いを回避しながらつながる日本人の知恵

――うーむ……。ちなみに、これはちょっとした思いつきなんですが、2000年頃に登場したという点で思ったのが「コミックマーケット」【※】の一般化やHPの同人サイトの登場です。こういう一つの作品を二次創作として複数の人間が共有していくなかで、世界観という表現が用いられていった歴史があった気もするんですよ。

※コミックマーケット
毎年8月と12月東京国際展示場(東京ビッグサイト)で開催される,、世界最大級の同人誌即売会。第一回は1975年。

イシイ氏:
 なるほど、わかります。

芝村氏:
 オタクこそ、衝突を嫌う人たちですからね(苦笑)。
 我々が幼かった頃――人と人が衝突しても壊れないと思っていた時代がありました。
〔…〕

イシイ氏:
 住み分けですね。

芝村氏:
 そうなんですよ! 人とは違う差別化した表現をしてみたいけど、みんなひとりでは生きていけない。そんなとき、「世界観」という言葉でモヤッとしながらも、「私たち、同じ世界観の中で創作してるよね」とつながれる!

 そもそもオタクコミュニティ内で互いにやり取りすることって、世界的に見ても珍しいんです。そういう意味では、争いを回避しながらつながれる世界観という概念は、日本人の知恵によって生み出されたもの、と言えるかもしれません。

――手厳しいですね(笑)! つまり芝村さん的には、「世界観」は当時の新世代のオタクや映画業界のような人たちが発見した「便利ワード」という感じで、特に厳密な定義がある言葉ではないということですか?

芝村氏:
 んー、私自身は「監督によるモノの切り取り方」として使っています。
 でも一般的に使われている「世界観」という言葉は、だいぶモヤッとしていますよね。言葉が指す範囲がものすごく広い。もちろん、インタビューで「世界観について語ってください」と言われるときは、そういうモヤッとしたものについて語ってほしいときだと理解して、対応しています。

 だって「まずは定義から始めましょう!」と意気込んでも、そんな細かいことを聞いて喜ぶ人なんて誰もいませんからね。論文ならまだしも、記事だったら、バンバンとスクロールされてしまう(笑)。

〔…〕
イシイ氏:
 とはいえ、今や映画業界ではよく使われている言葉みたいですよ。自分も映画業界の仕事に関わるにあたって勉強したんですけど、その講義でも頻繁に聞きました。そこでは「世界観を映像化するとコストがかかる」「日本の映画に足りないのは世界観だ」「日本のアニメには世界観を映像化するテクニックがある」という話はバンバン出てきましたから。

 ただ、僕としては「世界観」という言葉には、ゲーム業界の「世界設定」と、芝村さんが言った「世界の切り取り方(ワールドビュー)」の二つがあるのであって、映画業界で求められているのは前者ということなのかな、と思います。

 ただ単純に「監督なりの視点で切り取る」だけなら、実写はカメラを向けるだけでも成立するわけです。そうではなくて、「オリジナルで考えた細かな設定」ということですね。

――ちなみに、その「日本に世界観が足りない」という話は、例えばよくあるような、「ハリウッド式の脚本術を学ぶ」みたいな講座とかで出てきたのですか?

イシイ氏:
 いや、ハリウッドの脚本術には「世界観」のような言葉は出てこないですね。

芝村氏:
 おそらく「世界観」という言葉を使ってるのは日本だけですよね。ハリウッドではそういった表現はしない気が……一番近いのは「アートワーク」だと思います。

――それは海外の映画などのレビューの語彙を思い出すと、非常にわかります。日本人が思い浮かべる「設定を集積したデータベース」のようなものよりは、むしろ宣伝の際のキービジュアルやPVで象徴的に表現されるような「視覚・聴覚的なもの」という印象はありますね。

イシイ氏:
 そういう意味では、僕らの世代からすると、やっぱりSFの影響がある気はしてしまうんですよ。

 僕らは「SFは絵だ」と言われてきて、その世界観を文章で表すよりも、一枚の絵の方が作品のすべてが見える瞬間があったんです。その感覚は、確かに「アートワーク」という表現がしっくりきます。
ゲーム生成ルールが世界観を強くする

――ううむ。となると言葉としては、本当に日本で独自に使われている可能性が高いんでしょうか。逆に、だからこそ「日本の作品には世界観が足りない」という言い回しが成立しているだけのような気もしますね。

イシイ氏:
 ただ、僕はこの映画業界の使う意味での「世界観」には足りないものがあると思っていて、それはルールなんですよ。

――「世界観」を表現するようなルール……ということですか?

イシイ氏:
 僕は、それこそが日本の強みになりうると思ってるし、ここにゲームデザイナーとして「ゲーム生成ルール」を持ち込むことこそが今後の仕事だと思ってるんですよ。

 例えば、今のハリウッドでは「マーベル・シネマティック・ユニバース」【※】のような原作モノが流行しているように見えて、実は「原作不足」で苦労しているという話がありますよね。あれも僕からすれば、設定としての「世界観」があっても、「ゲーム生成ルール」を本格的に導入できていないからだと思うんです。まあ、マーベルについては、もともとそんな発想がない時代から作り続けられたからだと思うんですけど、今後は「ゲーム生成ルール」を持つコンテンツが強いと思ってます。

※マーベル・シネマティック・ユニバース
マーベル・スタジオが製作するアメリカン・コミックヒーロー映画作品が共有する架空の世界、及び作品群。『アイアンマン』、『インクレディブル・ハルク』、『アベンジャーズ』などが代表作。

――なんかこう、具体的なイメージが湧かないんですが……二次創作の「バトルロワイヤル設定」みたいな感じなんでしょうか。

イシイ氏:
 僕がよく例に出すのは、現実に存在している設定なんですけど、「甲子園」ですよ。実は、甲子園は最強の「ゲーム生成ルール」なんです。

 だって多くのチームは3年生が出場するから、1回でも負けたら、もうそこで彼らにとっての甲子園は終了です。つまり、常に一番ドラマティックな「最後の試合」を見ているわけです。しかも、甲子園は毎試合、敗者が出ますからね。

 僕たちはそんな彼らの試合を「いつ負けるか?」とドキドキしながら観戦して、そして負けられないチームが負ける瞬間を見る――そういうドラマが毎回毎回、勝手に生まれる装置が「甲子園」なんです。

――なるほど! 甲子園のルールそのものが、ドラマを次々に生成してくるデザインを持っているというわけですね。確かに毎回、人が入れ替わっていくのにあんなに面白いというのは、その説明が妥当な気がしますね。

イシイ氏:
 だからこそ、甲子園は何度も繰り返し見られて、息の長い人気を誇っているんです。

 しかも、このルールを使って『タッチ』や『ドカベン』のように、いろいろな作品がフィクションでも生まれてるじゃないですか。

――確かに、リアルでこれだけ面白くなる「物語の自動生成装置」なら、当然フィクションでも面白くなるわけですね。

イシイ氏:
 それこそ『幽☆遊☆白書』【※1】のトーナメント表を見ただけでご飯何杯でも食べられる、みたいなこともあったじゃないですか。その瞬間こそ、僕は「ゲームデザインの勝利」だと思っているんです。

 もちろん、こういう物語が自動で生まれる仕組みはアメリカにもあるんです。例えば、僕からすると、アメリカのドラマやリアリティショーが優れているのも、ゲーム生成ルールが築かれているからなんです。『ハンガー・ゲーム』【※2】なんかもそうですよね。あのルールに突っ込めば物語をどんどん生成できるじゃないですか。でもハリウッド映画の影響力が強いせいか、こういう物語とルールデザインのような発想が、アメリカで本格的に注力されているかというと、実はそうでもないんです。
芝村氏世界観・脚本・監修の『刀剣乱舞-ONLINE-』。
(画像はDMM GAMESの公式サイトより)

 それに対して、日本だったら「Fate」シリーズ【※3】や、まさに芝村さんの『刀剣乱舞-ONLINE-』【※4】もそうですけど、いくらでも続編が生まれて、キャラクターを入れ替えて物語が生成されるような作品が沢山あるんですよ。そして、それを「世界観」として作品に落とし込むという技術は、日本が先行していると思います。

※1 幽☆遊☆白書
「週刊少年ジャンプ」にて1990年から1994年まで連載された、冨樫義博による漫画作品。主人公の浦飯幽助とその仲間たちの活躍や熾烈なバトルを描く冒険活劇。

※2 ハンガー・ゲーム
2008年にアメリカで発行された小説。文明崩壊後の北アメリカに位置する国家パネムを舞台に、16歳の少女カットニス・エヴァディーンの一人称視点で書かれている。パネムはキャピトルという高度に発達した都市によって政治的に統制されていて、そこでは年に一度、キャピトルを囲む12の地区から選ばれた12歳から18歳までの男女24人が、テレビ中継される中で最後の1人が残るまで殺し合いを強制されるイベント「ハンガー・ゲーム」が開催される。ここでは、この「ハンガー・ゲーム」という仕組みは「いくつでも物語を作れる設定の好例」として語られた。

※3 Fateシリーズ
2004年発売のアダルトPCゲーム「Fate/stay night」という作品を起点とし、アニメ、漫画、小説などさまざまに派生している作品シリーズ。

※4 刀剣乱舞-ONLINE-
2015年にサービス開始。DMM GAMESとニトロプラスが共同製作したPC版ブラウザゲーム/スマホアプリ。名刀を擬人化した「刀剣男士」を収集・強化し、合戦場の敵を討伐していく刀剣育成シミュレーション。ミュージカルやアニメをはじめとするメディアミックス作品も多数。

――イシイさんの感じている可能性がよくわかりました。実際、二次創作なんかでも、ストーリーの形式に注目したジャンル分類とかがあって、そこにファンがついていたりしますもんね。

芝村氏:
 ゲームのルールは無数に存在すると思うんですけど、ルール化、枠組み化の圧倒的なメリットって、その内部で集団化できることなんです。極端な話をすると、イシイさんが決めたルールに従って私が書けば、イシイさんっぽい作品が作れる。ルールに従ったうえで、少しアレンジを加えた作品が次々出てくるので、ルール作りは商業的に成功するための一つの手段ですよね。

 日本は、そもそも本当の意味でクリエイティブな仕事ができる人って、ごくわずかでしかないんです。アレンジする人たちこそが、エンタメ業界においては主役なんです。でも、それは決して悪い意味ではない。「オリジナルは嫌いだったけど、(アレンジされた)似たような作品は好き」ということもあるし、アレンジの中から新しい作品が生まれるかもしれないですから。

――面白いですね。ちなみに、こういうふうにルールをデザインするときにも、個人の作家性や独自性は出るものなんですか?

芝村氏:
 もちろん、それがゲームをデザインするということですからね。だからこそ、きっと僕はルール作りにおいてイシイさんと意見が合うことはないと思います(笑)。

 将棋で例えると、「この駒はこうやって動く」ということ決めた時点で、世界が生まれて、その世界の中でルールに従う限りは、そこにドラマが生まれるわけですよ。最初にルールがあって、その上で初めて物語が構築される一番の根本を作りたいというのは、ゲームデザイナーの本能みたいなものですよね。
 いまAIで何がどこまで実現できるのか

――せっかくなので、冒頭の会話につなげる形で、今の「物語の自動生成」とAIを結びつけてみたいと思うんです。実際、デジタルゲームで物語を自動生成するためには、AIの問題は欠かせないと思いますし。ちなみに、そもそも芝村さんはどんな風にAIで小説を書かれているんですか?

芝村氏:
 簡単に言えば、キャラクターを並べてもらい、時系列順にこういう行動をするというタイムスケジュールを書いてもらい、伏線の張り方も決めてもらう――という感じです。

 まず、物語というのは事象のつながりなんです。

 だから、仮に誰々がこの時間に起きて、こういうトリックを用いて、殺人を起こす、ということを文章にするとしますよね。そのときに、まず事象を最初に作って、事件を並べてしまうんです。これで大まかな事象のつながりができますね。でも、物語は伏線をしっかり張らないと、キャラクターの行動に整合性がないように見えてしまうんです。

――そうでしょうね。上手な作家の人ほど、しっかりとあらゆる行動に伏線を張り巡らしますね。

芝村氏:
 そこで、次にAIには、「50ページ前には第1伏線、25ページ前には第2伏線を、それぞれこういう内容で張ってください」ということを提示してもらう。まあ、ここまでは現状のAIで可能です。

――……AIが伏線なんて張れるんですか?

イシイ氏:
 むしろ伏線は周回しながら作ると完成度が上がりますからね。AI向きなのかもしれません。

芝村氏:
 そうですね。
 でも、この方法でできるのは一本道の物語だけですよ。ここから先の部分、ゲームだったらイシイさんのアドベンチャーゲームのように、分岐するものだと話は変わってきます。というのも、ああいうゲームでは、どちらとも受け取れるような事象や、伏線のように見えて伏線ではないといった「高度なフェイク」が事件のきっかけになるんです。ここは、人間の職人芸が光るエリアになりますね。

――それもちょっと不思議ですね。伏線を張る作業が得意なら、それらが複数に分岐したり、見せかけたりするような作業も同じように出来るように思えますが……。

芝村氏:
 分岐が起きるときって、事象に対する複数の解釈が必要になるんです。

 でも、AI――というかコンピューター――は、定義されているもの以外のことはできないんですよ。もちろん、伏線に対する理解や研究が進めば、この分岐の領域もプログラミングできるようになるでしょう。そのときには、物語の自動化ももう一段階、進むと思います。ただ、いかんせん我々人類は、まだしっかり伏線の研究をしてないので(笑)。

イシイ氏:
 既存の研究では、まずは一本道の物語の伏線をどうするかという、基本のところが優先されてますね。分岐まで含めたプログラムとなると、まだ研究に至る段階ではないと思います。

 これも構造さえ理解すれば、プログラムに落とし込めるんですけどね。そもそも研究者がいない状況なんです。

芝村氏:
 ゲームを作ってる人たちは、現場レベルでノウハウとして持っているんですけどね。ただ、それが成文化されて、学校で教えられるようになっているわけではないです。

イシイ氏:
 ちなみに、この問題を歴史的な目で見ると、「音声文化」と「文字文化」の問題になってくるんです。かつて文字が発明されるまで、人類は口承で物語を伝えてきたんです。そういう時代では、例えば落語もそうですけど、基本的にはお客さんありきなんです。相手とのインタラクション(相互作用)において物語は変化するので、仮に一本道の伏線を張ったとしても……。

芝村氏:
 役に立たない(笑)。

イシイ氏:
 そうなんです。

 実は人類は、オチの数だけ伏線を張るという、もともと分岐型のノベルゲームみたいなことをしていたわけです。ところが、文字の発明以降、いきなり物語が一本線になってしまった。そうなると、観客とのインタラクションの部分は、文字として紙に印刷するときには無駄になってしまう。すると、無駄を削り落としていって、一本の線として物語のクオリティアップに注力していくことになるんですね。

――紙というメディアの物質的な条件が、インタラクティブを許さなかった、と。でも、まさにコンピューターは、読者とのインタラクティビティが……。

イシイ氏:
 あるんです!
 そういう意味では、コンピューターの発明で、我々は過去に戻ることができたんです。でも、文字が印刷されるまで物語はもっと自由に語られていたはずなのに、そのノウハウが蓄積される前に印刷技術が普及して、リニア(一方通行)な物語ばかりを追究してきてしまったんです。まだまだ、インタラクティブに物語を語るノウハウを蓄積するには、歴史が短すぎるんです。

 文字文化が発展した一方で、物語として不自由になった影響は今も続いているんです。
『声の文化と文字の文化』ウォルター・J・オング(1991・藤原書店)。音声で語られた物語が、いかに文字によって変化したかを論じた有名な本。本書ではポオの探偵小説のようなプロットは「紙」の存在あってこそのものとして論じられている。
〔…〕
芝村氏:
 完成度の高いゲームブックは伏線が張れないので、一本道になっていくという話があるんです。

 自分でも、どうすればこのクオリティで複数の分岐を作れるかと考えたとき、手直しする部分があまりにも大きくて、最終的に長い別ルートが複数あるだけでイマイチだなぁと思うことは多いです。

イシイ氏:
 本当にコストパフォーマンスが悪いですよね。だって『428 ~封鎖された渋谷で~』の頃は、分岐専任の人がいたんですよ!

 3つのシナリオを並べて、その筋を全部見ながら、どうリンクさせるかを考えて、分岐や伏線を組み直していく。それを1年間ひたすら続けるという……。

〔…〕

――ただ、そこでもう一つ踏み込んでみたいんですよ。分岐するシナリオのリンクを考える上で、「プレイヤーがどう思うか」という視点も盛り込む必要があるはずなんです。そこも本来はAIが扱っていいんじゃないかと思うんです。

イシイ氏:
 それに関しては僕自身、芝村さんに聞いてみたいことがあって、GM(ゲームマスター)のAI化と、プレイヤーのAI化って別物じゃないですか?

芝村氏:
 全然違いますね。

イシイ氏:
 今までの芝村さんの話は、いわばGMのAI化みたいな話です。でも、そういう単純なルールの裁定や世界の設定を作って、GMによって物語が生成していくことは、もうAIによってほぼできるんです。

 ただ、その中で「Fate」のように7人のプレイヤーが殺し合うときに、7人それぞれをAI化するような部分は、まだきちんと動くには至ってないですね。

〔…〕

 僕は将来的に、この後者のプレイヤーレベルのAIを実装できたとき、初めてコミュニケーションまで織り込んだ、インタラクティブな物語が生成されるような気がしています。例えば人狼ゲームのように「人間を騙す」ことだとかで、もう想いが匂い立ってしまうような「本当のドラマ」を作るAI化のために、これこそが必要だと思うんですよ。

 でも僕は、芝村さんが実は、プレイヤーやNPC(ノンプレイヤーキャラクター)の「芝村AI」化の方もどんどん進めていると聞いているんですけども。

芝村氏:
 そうですね。
 まずGMのAI化に関する話からすると、『エヴァ2』の開発時に、どうしても物語にまとまりができないので、「庵野AI」というものを作ったんですよね。

一同:
 (笑)

芝村氏:
 でも監督がいないと、やっぱり「エヴァンゲリオン」っぽくないんですよ!

 例えば、ミサトさんというキャラクターに、違和感のないマトモな行動の背骨を与えようとすると、原作のようにならないんですね。というのは、物語の作り手から見ると、少年のための物語の中核を装飾するために必要な存在という感じなんです。つまり、説明役だったり、場面の穴埋め役だったり、大人の汚さを見せたり、というような。

――ああ見えて、実はストーリー内で都合よく使われているキャラクターなんですね。

芝村氏:
 そうなんです!
 だから実は、彼女は人のかたちをしてないんです。もうね、厳密に言えば、ミサトさんは登場「人物」ではなかった(笑)。

 で、『エヴァ2』に話を戻すと、このタイミングでミサトさんが来ないといけないけど、どうすればいいだろう……という場面は、やっぱり出てくるんですよ。そのときに思いついたのが、「別個に庵野AIを作ろう!」ということでした。

 それは何かというと、物語の筋というものをコントロールするAIですね。例えば「この場所にこの人を連れてくる」みたいなものを指示するAIを作ったんです。ただ、それでも実際にゲームとしてやると、気持ち悪かったんですよ。行動を上手く予測できないから「バグってるんじゃないか」「なんでここに出てくるんだよ」と言われてしまいました。

――まあ、現実の人間の出会い方なんて唐突なモノばかりだと思うんですが、それがストーリーとして楽しむつもりのプレイヤーには違和感になってしまうんですね。

芝村氏:
 そうです。ゲームになるとバグを疑うんですよね。一本道をAI化することと、プレイヤー視点も交えたGMをAI化することは、技術的にまったく別のものです。GMのAI化の場合は、「ここでGMは働いている」ことを明示しないと、ただ変な動きをしているように見えてしまう。このあたりが現状の技術的な限界かなと思っています。

イシイ氏:
 ただ、普通はそこまで行かないですよ(笑)。
 基本的にGMは、ゲームルールを統括していけば物語が進むんですけど、芝村さんの場合は一歩先に進んで、「演出としてのGM」に手を出しているのが恐ろしいですね。
芝村氏が作り上げた「庵野AI」も話題となった『新世紀エヴァンゲリオン2』。
〔…〕

イシイ氏:
 でも、こうなってしまうと相当なチューニングが必要でしょうし、物語上のGMという発想よりも、まさにプレイヤーのドラマを生成するAIを強化したほうがいいかもしれませんよ。

芝村氏:
 あぁ、なるほど。そこでプレイヤーのAIの話ですね。三宅陽一郎さん【※】がご自身の本で、AIで“らしさ”をどうやって作るかということについて書かれていましたね。

 ただ、ここは演出部分も含めて考えると、結構複雑になるんですよ。動作の矛盾というか、考えて動いているという点が重要なんですけど、実際の人間は考えてないシーンがいっぱいあるじゃないですか。

※三宅陽一郎
1975年生まれのゲームAI開発者。株式会社スクウェア・エニックス テクノロジー推進部 リードAIリサーチャー。京都大学で数学を専攻、大阪大学大学院物理学修士課程、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経た後、人工知能研究の道へ。2004年、株式会社フロム・ソフトウェア入社。2011年4月より、株式会社スクウェア・エニックスに移籍。ゲームAI開発者としてデジタルゲームにおける人工知能技術の発展に従事している。

――先日、三宅さんにインタビューさせていただいたときも、まさにそのことをおっしゃっていました。「反射」の領域に近いような、身体の運動にまつわる感覚器官のレベルでの動きが、AIに取り込めていない、と。

芝村氏:
 それらを取り込もうとすると、バグって言われちゃうんですよね。三宅さんと私が話すとだいたいその愚痴になってしまう(笑)。

 例えば「視線」がそうなんです。とりあえず、胸とかお尻とかスカートとか、女の子の揺れている部分を必ず見るプログラムを作ったとしましょう。それぞれに優先順位をつければ、なんとなく「常に胸しか見ない奴」みたいなキャラクターが生まれますよね。ただ、生まれるんですけど、そこに思考があるのかと言われると……。

〔…〕
芝村氏:
 せいぜい、「そういう動きを見ている人が、物語性を感じる」というメタ的な話になってしまうんです。

 じゃあ、なぜそういう行動に違和感があるのか。それは例えば、自分に向かって銃弾が飛んできているときに弾を見ずに胸を見てしまったら……と思うと、わかると思います。人間らしさを追求しようとすると、ルール情報がものすごく増えていくんです。

 もちろん、5個とか6個くらいのルール情報だったら、簡単にワールド内のキャラクターに“らしさ“を適用できると思います。でも、もっと突き詰めていくとなると、どんどん複雑になって処理が重くなってしまうんですよ。

――でも、その話が示しているのは、実際の人間は複雑に情報処理していないという可能性であって、モデルの問題のような気もしますけれども……。

芝村氏:
 いや、そこについては人間がそれぞれ独立した処理を行う器官を持っているからできるのであって、それを1つのコンピューターでやろうとするから大変になるという話ですね。

――そういう意味では最近、三宅さんは「人工知能のための哲学塾」の「東洋哲学編」を始められましたよね。ああいうディープな東洋哲学は、まさに「阿頼耶識」のように人間 の身体と心の関係みたいなものまで降りていく世界じゃないですか。

芝村氏:
 実際、AIに一番足りないのは仏教のようなものですよね。
 特に伝統宗教の場合だと、我々が言う「人間らしさ」「人間とはなんぞや」みたいなものは、何千年も前に通ってきた問いであって、そこに役立つものを見出そうとするのは自然なことなのかもしれません。

イシイ氏
 そうですよね。僕は人間って、世界が与えてくる情報に対して、思考の計算が間に合わないから「宗教化」していくんだと思っています。

 だって、「これはうまくいく!」と思って動くときが山ほどあるけど、そのときにすべての思考を論理的に処理できているのかは怪しいですよ。将棋や囲碁の世界でも、その一手を選んだ背景って、当日のコンディションやその人の人格が関係してきますよね。それらすべてを論理的に処理できる時間はないじゃないですか。

 とすれば実際になぜうまくいくのかを考えると、その説明は難しいですよ。そういうときに、モノの考え方が、どんどん宗教化していくんです。

――有名な大企業の経営者が意外と占い師に相談してたりするという話がありますけど、ああいう不確実性の中で決断する人たちは、そういう方向に行きがちなんでしょうか。

イシイ氏:
 そもそも、人間は客観で動いていないですからね。これは人狼ゲームをやるとわかるんですよ。与えられた情報に対して、みんな客観だと思って処理するんですけど、実は主観が大量にあるだけで、そこに気づかないとイライラするという(笑)。

 ちなみに、もう一つ言うと、僕はプレイヤーやNPCがその世界において「観客」を意識すると、リアリティにまつわるそういう面倒な話はなくなると思うんです。これ、なかなか難しいんですかね。

――要は、「これって演技ですよ」というお約束をみんなで共有して、リアリティの部分での違和感を受け流す感じですよね。

芝村氏:
 ただ、舞台劇のゲームだったら作れるかもしれないですけど、一般的な人々が生活しているような世界でそれをやろうとすると、メタ視点をいかにして取り込むかという話になってしまうんです。

イシイ氏:
 でも芝村さんの実験は、もともとすごくメタ視点を生み出してますよね。

芝村氏:
 そうです。実はリアリティを求めるほど、キャラクターにメタ視点を入れないと、どうしても人間の中で整合性が取れなくなるんです。ここは『ガンパレ』の時代から、かなり早い段階で意識していました。キャラがメタ視点を持つことを許容しないと、ゲームとして成立しないです。

 だって、コンピューターゲームのキャラクターは、人間が動かしているのに全然人間らしくないじゃないですか。例えば同じコマンドを延々と繰り返したり、あらゆるタンスを開けたり、とかするでしょう。もし普通の人間がこんなことしたら、ただの逮捕案件ですよね(笑)。

――「ゲームのお約束」だけど、リアルに大まじめに置き換えると単なる「変質者」である、と(笑)。要は“メタ視点を取り入れる”というのは、そういう“普通の人間ではない”行為の違和感がなくなるようにしてあげるということですね。

芝村氏:
 そうなんです。だって、コンピューターに「普通の人間らしく動いてください」と言われたら嫌じゃないですか。冒険がしたいのに、「お前の冒険はタンスを開けることだ」と言われたときは、プレイヤーは本気で怒りますよ。

 この時点で、コンピューターから見た人間は、全然人間っぽくない。言葉のあやみたいな話ですが、これは大事です。実際、そういうリアリティは、「自分(プレイヤー)は外から来たんです」と明示することで成立するんです。

イシイ氏:
 そういう意味で『ガンパレ』はすごく演劇的だなと感じました。やっぱり行動がメタ視点、記号なんですよ。舞台も演劇も記号でなければ成立しない。セリフの壁をすごく意識した作りにならざるを得ないんです。

――先日「ウイニングイレブン」好きの人に話を聞いていたら、「最近AIがメチャクチャ人間らしい動きをする。でも、その裏をかくためにあえて変なプレイをするので、むしろ自分の方がAIより人間っぽくないプレイになっている」と言ってて、面白かったんです。ちょっと、その話を思い出しました(笑)。

芝村氏:
 それが技術ってもんです。本当はもっとリアルにするために、年俸も考慮してもらってですね……。

一同:
 (笑)

芝村氏:
 いやいや、実際のプロにとっては重要な問題だと思いますよ! 試合中の動きに凄く影響を与えているはずですよ。
 そういうメタ視点を入れると、スポーツゲームはもっと面白くなりそうですよね。「昇格がかかった試合のロッカールーム」の雰囲気をゲージとしてきちんと再現できたら、めちゃくちゃ売れますよ! そういう面白さは技術的にもできるんじゃないかと思います。

 ただ一方で、「完全」という意味でのリアルなシミュレーションをして、現実世界と変わらないものを作ったとして、それが果たしてエンタメとして面白いのかどうかというのはあります。世の理不尽がたくさん出てきてしまって、逆に嫌になっちゃうかもしれませんね(笑)。
 だから、「世界観」に話を戻すと、その部分を魅力的に圧縮するという行為が世界観を作るというか、世界の切り取り方という話になってくるんだと思います。
リアルにイタかった文豪たち

〔…〕

芝村氏:
 イシイさんの『文豪とアルケミスト』はすごく危ないところに着弾したな、と思ってますよ。一歩間違えると「文豪警察たちが動き出すぞ!」みたいなポイントに着弾してるのを見て、率直にすごいなと思いました。

 でもまぁ、文豪を題材として選んだ時点で勝ちというか、キャラクターとして明らかに面白いですよね。「この人たちは実在したのかな?」と思ってしまうような略歴の人たちばかりで。

イシイ氏:
 文豪の場合、戦国とか幕末に比べると、比較的時代が新しいのでリアルな情報が残っていて、関係性がやたらと複雑だったりとか、事実がすでにゲームの設定のような状態なんです。物語の構造としては基本的に4人パーティーなので、そのときの関係性は意識しました。あとは文豪同士で頻繁に文通していたようなので、ゲームでも文通が勝手に発生する仕組みが入っています。リアルな関係性を表現する仕組みは、うるさいくらい出てくるゲームだと思います。

芝村氏:
 基本的に登場人物がイタい人ばかりですからね。プレイしているとツッコミどころが多すぎて追いつかない、その面白さたるや……。

イシイ氏:
 「こんなのいるわけない! 嘘でしょ?」と思って調べたら本当だったりする(笑)。太宰治が、芥川が好き過ぎて「芥川先生の本」のようなものを作ってたりとか。

〔…〕

イシイ氏:
 まあ僕は世界観設定の担当だったんですが、それをそのままゲームデザインに落とし込むことで、物語の自動生成がどこまでできるんだろう、と思ったのはあります。もっと過去の話だったら、フィクションとして好き勝手できたのかもしれないですけど、あえて時代が近いがゆえに、がんじがらめの中でどこまでできるかという挑戦ですね。

芝村氏:
 それこそ『ゲームデザイナーとアルケミスト』みたいなものを作ろうとしたら、あと70年はかかるでしょうね。「本人はそんなやつじゃなかったよ」と、後輩や身内からどんどん裏切られてディスられるという光景をあの世から見ることになるんだろうなぁ(笑)。

イシイ氏:
 僕たちがイケメン化させられて転生するなら面白そうですね。同人でもいいので、生きてるウチに誰か作ってください!
 ”

※画像省略
アニメ「蟲師 続章」長濱博史監督インタビュー
https://natalie.mu/comic/pp/mushishi


「蟲師」が帰ってきた。漆原友紀による新作「日蝕む翳」が月刊アフタヌーン1月号、2月号(講談社)に前後篇で掲載され、1月4日には「日蝕む翳」が早くもアニメ化。1期のスタッフが再集結し、特別篇として1時間のスペシャルアニメを制作した。そして、4月からはついにアニメ2期「蟲師 続章」がスタートする。

コミックナタリーではこれを記念し、長濱博史監督にインタビューを敢行。1期終了より約8年経ったいま、やっと動き出すアニメ「蟲師」についての並々ならぬ思いを語ってもらった。

取材・文/増田桃子 撮影/坂本恵
僕たちが作らない限り、2期は動かない

──まずはアニメ「蟲師」2期の制作が決定した時のご感想を聞かせて下さい。

「やっとか!」って感じですね。やっと決まったと。

──約8年ぶりですからね。
長濱博史

本当は1期が終わってすぐに続きがやりたかったんです。漆原(友紀)さんとも「続きやりたいです」って話をしていたし、アフタヌーン編集部も「1期のスタッフで作ってくれるなら、全面的にお任せします」と言ってくれたので。でもそう言ってる間に、8年も経ってしまいましたからね。もしほかに2期を作りたいという人が出てきたらどうしよう、みたいな話もしてたんですけど、アフタヌーン編集部に「それはないない(笑)」と笑われまして。「あなたたちがやらない限りは2期は動かないから」と。

──それは1期のハードルが高すぎて?

そうですね(笑)。「1期を観て『俺ならもっとうまくやる』って人がいるってことでしょ? そんな人出てこないよ」って。ありがたいことです。

──2期の話が上がったのは何がきっかけだったんでしょうか。

アニプレックスのプロデューサーの岩上(敦宏)さんから、突然ポンッと話が来て。僕が「1期と同じことをやりますよ。2期だからって『もっとダイナミックに』とか『もっとCGを使って』って言われても出来ませんよ」と聞いたら、「むしろ同じことをやってほしい。同じスタッフで同じことを同じように納得いくまでやってくれればいいです」と言ってくださったので、じゃあやりましょうと。
「蟲師」の新作がスタートするってことには特別な意味がある
「日蝕む翳」場面カット

──2期に先駆けて、1月に特別篇の「日蝕む翳」がオンエアされました。この作品はどういった位置づけだったのでしょうか?

2期に向けてベストな環境を整えるための準備、と言いますか。8年待ってくれたファンの人もそうだし、漆原さんもそうだし、もちろん自分たちも、待ちに待っていた2期なので、「蟲師」の新作がスタートすることには特別な意味があるんです。だからどういった形で見せていくべきか、そのタイミングをどこに定めるかは大事でした。

──慎重に、準備に準備を重ねていたんですね。

はい。でもTVアニメって動き始めると止まらないんですよ。息つく暇もなくなるんです。だからスタートを慎重に決めたかった。講談社やアニプレックスともたくさん話をして。制作サイドとしては1月に放送する準備は出来ているけど、まず1月に1、2話だけ放送して「『蟲師』が帰ってきたぞ」っていう下地を作って、4月に新シリーズ開幕というのはどうか、とか。そしたら、ちょうどその話を進めている時期に、実は漆原さんが「蟲師」の新作を描かれていることがわかって。

──それが「日蝕む翳」と。

そうなんです。特別にネームを読ませてもらって、これは素晴らしいと。まず新年一発目に「日蝕む翳」を1時間の特別篇として放送したら、きっと2期に向けて良いベースが出来ると思ったんです。すぐに「作りたいです」とお願いをして。

──でもその時点ではまだマンガは完成してないんですよね?

そうですね、まだネームの段階だったので、「ネームを元にアニメーションを作っていきましょう」と言いました。編集部や漆原さんは「そんなことが可能なんですか?」って仰ってましたけど(笑)。

──その話があがったのはいつ頃なんでしょうか。

7月か8月くらいですかね。オンエアまで半年切ってて、しかも1時間ものってなると、さすがに無茶だよなとも思ったんですけど、総作画監督の馬越(嘉彦)さんやスタッフに話をしたら、「ムリ」っていう人は1人もいなかったです。

──でも普段のアニメ制作とはやり方が違いますよね?
「日蝕む翳」の絵コンテ

そうですね。こちらがアニメを作っているときに、漆原さんもペン入れを進めている状況でしたので、上がった原稿を見せてもらいながら、細かく補正していくという、ほぼ同時進行。セリフも絵コンテの段階と本番では当然違ってくるので、アフレコのときにやっとセリフが完成するような状況でした。あと、いつもの「蟲師」のやり方だと、絵コンテで描ききれないわかりづらい構図は原作を参照してくださいという指示でOKだったんですよ。でもそれが今回は出来なかったので、その点は苦労しました。

──そこまで同時進行だと、共同制作のオリジナルアニメのようなものですよね。

いえ、今回はちゃんと漆原さんの原作があるので。実は1期のときから、いつかはオリジナルをやりたいねって、みんなで話はしてるんですけど。実現できたらうれしいですね。


とにかく全力で1回走ってみますか、みたいな感じ

──久しぶりに制作された「蟲師」はどうでしたか?
長濱博史

うーん、ある種のリハビリだったかな……と(笑)。

──リハビリ、ですか?

8年経ってみんな年を取ったんですよね。しかもその間、それぞれが別の作品を経てきてる。だから、まずは「蟲師」をどうやって作っていたかを思い出すところからのスタートでした。自分が8年前と同じ身体感覚を持っているのか、果たしていまの自分が「蟲師」を表現出来るのかを「日蝕む翳」で試したというか。でも、もちろん肩慣らしみたいな軽い気持ちではやってないです。「今回失敗しても、次で挽回すればいいや」とは誰も思ってない。カンを取り戻すために、とにかく全力で1回走ってみますか、みたいな感じ。

──なるほど。8年間の空白を取り戻す作業だったんですね。
「日蝕む翳」場面カット

そうですね。だから「日蝕む翳」ができたときは「やったー! できたー!」って感じじゃないんです。逆に気持ちが引き締まったというか。「ちょっと新シリーズ頑張るわ、気合い入れ直すわ」っていう(笑)。いろんな課題が見えましたからね。納得できなかった部分もあるし、自分で思っていた以上に出来た部分もあったし。終わってまずしたことは、反省会。みんなで今回の出来について本音をぶつけ合いました。

──8年ぶりの作業で、何か変化はありましたか?

もちろんありましたよ。8年で全く変化してない人間がいたとしたら、すごいですよ(笑)。よく思うんですけど、僕達ってパーソナルなエスカレーターに乗っているようなものなんですよね。時間はどんどん流れていくから、いつの間にか階数が上がってきちゃう。でもエスカレーターを逆走するワケにはいかないから、上から「前にやってたのあそこだよね」って下を見て、あのとき自分が何考えてたのか、何故そう思ったか、過去の自分と話し合いをしている感じです。で、その思い出す作業で僕達が一番頼るべき存在が、やっぱり原作なんですよね。

──なるほど。

原作を読むと、あの頃にバッと戻るんですよ。原作はこういう絵だけど、アニメではこう変えたんだった、とか一気に思い出せるんです。原作のおかげで、1期が終わったときの自分と今の自分を直結させることができましたね。
グレートマジンガーにパワーアップしたのが嫌だった

──スタッフの方々にはどんな指示をされたんでしょうか。

スタッフにもそのまま「あの当時に戻って、同じことをやってほしい」とお願いしました。もちろん変わってしまうものはありますよ。例えば声優さんが8年前と全く同じ声が出せないのは仕方がないことだし、アニメーターだって8年経っていれば絵も変わる。子供が生まれた人は子供に対する考えが芽生えるし、親御さんを亡くした人がいれば、親が死ぬ話に反応してしまうことはある。それは当然です。でも、せめて取り組み方、我々作り手側のスタンスは同じものでありたい。「蟲師」を表現する上で、前と比べてあまりにも違うっていうことはやりたくない。

──パワーアップさせよう!みたいな思いはなかったですか。
「日蝕む翳」より、ギンコ。

僕は「蟲師」のファンなので思うんですが、大好きな作品が8年ぶりに帰ってきて、全く新しい作品になってしまうのは寂しいんですよね。いくらパワーアップと言われても。僕が子供の頃、「マジンガーZ」っていうロボットアニメが大好きだったんですけど、続編で、グレートマジンガーっていうパワーアップした新しいロボットが出てきて。それがものすごく嫌だったんです。なんかトゲとかいっぱいつけて、そんなので子供が喜ぶと思ったら大間違いだぞ!って(笑)。

──派手にすればいいってもんじゃないと。

もしギンコのディテールが増えて、なんか細かいリアクションがいっぱい入って、タバコを吸うとファーって先端が光ったりとか、常に光がバーって出てる映像を見たいか?って言われたら、自分は見たくないです。変わらないギンコが見たい。
ソフトやツールが進化しても、思考プロセスは効率化できなかった

──変わらないために特に心がけたことはありますか?

やっぱり経験はそのまま残るから、当時に戻そうとしても、どうしても歪みみたいなものがあって。それを戒めるのには苦労しました。作業を簡略化しようとしてしまうというか、その知恵を得てしまったというか。これまでの仕事で培ったことを、無意識に適用しようとしてしまうんですね。でも「蟲師」はその枠に当てはめちゃダメなんです。

──でも技術的な部分では、昔は出来なかったけど今なら出来る、っていうこともありますよね?
「日蝕む翳」より、蟲が登場するシーン。

もちろんありますよ。例えばレンダリングという作業では、蟲が何万匹もいるような場面だと重くて処理に時間がかかるんです。だから8年前は失敗した時にやり直しが効かないことが多かった。でも今回は余裕なんですよ。もうマシンのスペックが全然違いますから。

──技術的には作りやすくなった部分もあると。

そうですね。ただそれって効率化でしかないんですよね。それに、ソフトやツールが進化しても、思考プロセスは効率化できなかった。もっと上手くやれるかなって思ってたんですけど、8年前と同じでした(笑)。

──「思考プロセス」というのは具体的にはどういうことですか?

「蟲師」ではどんなシーンや会話でも、もっと言うと絵1枚でも、すべてに意味が存在します。それを忘れると、ただ原作をなぞってるだけになってしまう。マンガとアニメでは表現方法が違うので、映像にするには、まず漆原さんと同じ思考プロセスを踏まないといけないんです。漆原さんが何故ここで少年の顔を描いているのか、なぜここで森の背景を入れているかを考える。そうすると原作のコマ割りどおりでは、映像にすると伝わらないことが出てくる。漆原さんはリズム的にここアップを入れたけど、映像ではいらない、次のカットまで我慢してそこでアップを入れよう、こっちが重要だと。その作業を丁寧にやらなきゃダメなんです。そういった意味でも「蟲師」の作り方は変わってないなって思いますね。

──きっと1期の時点で作り方が完成されてたんでしょうね。

そうだといいんですけど。何か到達したものはあったんだと思います。


安易にアニメの文法に落とし込まないこと

──監督がマンガ原作でアニメを作る上で、大事にしていることはありますか?

まずはその原作をアニメにする意図や意味、ある種の勝算みたいなものが見つけられるか。アニメ制作には本当にたくさんの人が関わるので、「この作品なら絶対に大丈夫!」という確信がないまま作るのは、すごく危険なことです。

──なるほど。
長濱博史

それを見出せたら、次はスタッフに「このアニメはここを目指して下さい」というゴールを提示します。アニメはたくさんの人たちの頭と手を使って作品を作り上げていくものですが、それぞれの作業は単独作業。最終的に、みんなの作り上げたものが一緒になって完成します。だから、同じゴールを定めておかないと、合わせたときに「なんでこんなに合わないの?」と、当然なります。「サイケデリックな色味を目指してみました」っていう色彩設定の人と、「リアリティのある背景美術を描いてみました」っていう美術監督が描いたものを合わせても、やっぱりバラバラになるじゃないですか。

──作品の方向性を定めておくのが、監督の仕事と。

目標を定めて、ポイントを示してナビゲートする。そうすると、ゴールに何があるか知らなくても、最終的にひとつの絵になったときに「これだ!」ってなるんです。

──では「蟲師」に関してはどういう“ゴール”で作られたのでしょうか。
「日蝕む翳」場面カット

僕は、「蟲師」はキャラクターが主役の世界ではないと思っています。ギンコそのものではなく、その周りを取り巻く世界が主役の作品だと。だからキャラクターに焦点を当てて、キャラクターだけを表現できれば済む作品ではないということは、何度も話しました。「蟲師」は、とにかく原作を読んで感じる空気感を損なわないアニメにしたかったんです。山奥の湿気とか、海の潮の香りとか、本来、映像やイラストでは伝わらないはずの感覚、原作に散りばめられた作品の世界観や空気感を構成する要素のひとつひとつを大事にしていこうと。安易にアニメの文法に落とし込まないでほしいと。

──アニメの文法、ですか。

現実の動きとは違うけど、アニメだったらこの方がわかりやすいだろう、みたいな表現って結構あるんですよね。デフォルメするというか、記号的な表現というか。でも実際は、そういう既存のアニメの文法に落とし込まなくても、作れるはずなんですよ。中にはアニメの文法に則って作ったほうが良い作品もあると思うけど、「蟲師」は違うと思っていて。以前、「タッチ」の監督の杉井ギサブローさんと雑誌の対談でお会いしたときに、杉井さんに「『蟲師』はすごく良い作品だけど、油断しているとパターンになるので気をつけて」って言われたことがあって。
完全フィクションの世界と、実生活との接点を持たせる

──パターンになる、というと?

何も考えずに、ここはパン(横方向にカメラを振って撮影すること)で、とか、ここはTU(カメラが被写体に近づいていくこと)で、というやり方ですね。演出の人にはよくある癖だと思うんですけど、絵がもたない、とかそういう曖昧な理由で動きを付けてしまう。でもその動きに意味を見出さない限り、むやみに動きをつけちゃいけないと思うんです。僕はもし「ここは何でパンアップなんですか?」って聞かれても、「このキャラのこういう心情を表現するためですよ」って、答えられるようにしてあります。

──すべての演出に意味があると。
大八車が登場するシーンの原作と絵コンテ。

はい。それにアニメーターだって、自分の描いている絵に意味がないと、ただ疲れるだけじゃないですか。だから意味をちゃんと説明することも大事ですね。あとは作り手が実感していること。「日蝕む翳」の大八車の場面は、現実感を持たせるために実際にみんなで大八車を引きに行きましたよ。実際に引いてみるとかなり重いんだけど、スピードに乗っかってくると、今度は止まるほうが大変なんだ、とか、発見も多いです。

──やっぱり体感することで絵に現れるんですね。

現れます。鉄砲を持ったことがない人には鉄砲の質感や重さが描けないですし、草履を履いてみると、草履を履いた足がどういう動きをしているのかまで表現できるようになる。体感しておくことはとても大事です。火が熱い、水が冷たいっていうのも、各々が実感しているから伝わるわけですから。

──実感できる要素があれば、共感できると。

キャラへの感情移入とかよく言いますが、感情移入するしないは実は大きな問題ではなく、どちらかというと、キャラたちが直面している出来事だったり、彼らの手触りみたいなものを理解しているかどうかのほうが大切かなと。特に「蟲師」は、時代劇みたいな舞台背景に、コートとシャツに銀髪で片目の男が出てくる、という、完全フィクションの世界じゃないですか。その中に少しでも、我々の実生活との接点を持たせることは大事かなと思いますね。
毎回違うものを提示していきたかった

──2期の構成表を拝見して気になったのですが、「蟲師」には各話ごとにテーマカラーがありますよね。これにはどんな意味があるのでしょうか?

ギンコって劇的に変わらないキャラクターなんです。だいたい同じシャツに同じコートで、季節によってコートを着るか着ないかくらいじゃないかな。でも、ギンコは変わらなくても、「蟲師」の世界の舞台は毎回変わっていくじゃないですか。山間部もあれば南の海もある。それに各話で誰が主軸になるかというと、ギンコではない別のキャラクターです。そこで、各話の世界にギンコを馴染ませる手助けとして、テーマカラーというものを設けた感じですね。

──ギンコのある種の違和感というか存在感を、その話につなげる役割なんですね。
長濱博史

そうですね。例えば1期の4話「枕小路」のイメージカラーは「苅安(かりやす)色」っていう、黄色っぽい色なんですけど、画面全体にうすーく黄色い色味を混ぜているので、ギンコの髪の色が少しだけ黄色がかってる。この影の色の彩度をあげていくと真っ黄色になるんですよ。

──確かに! すごいですね。

明確に「今回黄色の回だ」って認識しなくても、人間の脳はすごく優れているので、前の話のギンコとは違うってことはわかってくれるはずなんですよ。同じ服を着て同じ髪なんだけど、前とは違う。全話のギンコを並べてみたらわかると思います。同じように見えても、全部色が違いますよ。

──なるほど。面白いですね。

ギンコだけは全く変えず、周りの環境が変わっていくっていう見せ方もあったと思うんですけど、毎回違うものを提示していきたくて。そうすれば、ひとつひとつのエピソードが単体で成立するようになるんじゃないかと思うんです。5話から見て1話に戻ってもいい。僕はどこから読み始めても楽しめるのが原作の「蟲師」の魅力かなと思っていますので。

──確かに、アニメの順番って原作の掲載順とは違いますが、全く違和感がありませんでした。

原作の「蟲師」ってスケールの大きな話が続いたりすることがあるんですよ。最終回クラスのエピソードが2連続で来ちゃった!みたいな。あと内容的に悲しいお話が続くこともある。僕としては毎週楽しみにしている人たちに、「前回がバッドエンド、今回もバッドエンド、来週もまたバッドエンド……?」とはならないようにしたくて、順番を変えました。「蟲師」はそれをやっても全く問題がない作品ですしね。実は全話をシングルDVDみたいにして売れないだろうか、という話をしたことがあるんです。話数ではなく、「緑の座」「瞼の光」っていう感じで。

──自分が好きな順番で見られるように?

そうです。自分が好きじゃない話は買わなくてもいい。みんなが自分の「蟲師」のラインナップが作れるくらいがちょうどいいなと。そういうことができたらいいですねって言ってたんです。だから劇伴も毎回変えたんです。


曲を聴くと「ああ、これは○話だな」と思い出させる力

──音楽もすごく素敵ですよね。とても印象に残ります。

増田(俊郎)さんの音楽はすごいですよね。名作と言われるような映画には、テーマソングがアレンジ違いで映画中に散りばめられていて、全体を通して観た時にその曲が頭に残るような力があるじゃないですか。「蟲師」の音楽も同じように、曲を聴くと「ああ、これは○話だな」と思い出させる力があると思っています。

──監督から「この話はこんなイメージの曲を」というような注文はあったんですか?
「日蝕む翳」より、淡幽。

全くないです。「この話の曲を下さい」って増田さんに言うだけです。実は笑い話があって、淡幽が出てくる「筆の海」という作品があるのですが、この曲のCDが届いて聞いてみたら、なんか違和感があって。僕はどうしてもそれが淡幽の曲とは思えなくて、「これ本当に『筆の海』ですか?」って確認したんですよ。でも届いたCDには確かに「筆の海」って書いてある。でも「筆の海」じゃないと思う、って話をしていたら、増田さんから連絡が入って、さっき送ったCD間違ってましたって。

──言い当てたんですね。

もうわかっちゃうんです。あの話の最後にこの曲が流れるわけないって。改めて届いたCDを聞いたら「ああ、これですこれです」って。ちょっと神がかってますよね(笑)。でも、それくらいみんな原作を読んでるんですよ。みんなの中心にあるのは原作なんです。
「蟲師」は僕のすべて

──原作に忠実に作ることへのこだわりがあっても、実際ここまでマンガを読んでいるのとアニメを見ているテンポが同じ感覚で見られるアニメってないと思うんですよ。

ああ、うれしいですね。

──でもたくさんの人が関わるアニメという表現方法で、作り手全員がその感覚を共有して実行するのはかなり大変なのではないでしょうか。
長濱博史

僕は原作が好きで面白いと思って作っていれば、みんなの感覚はズレないと思っているんです。例えば同じものが好きな同士が集まると大概盛り上がれるじゃないですか。「あそこいいよね」「でもおれはあのシーンも好きだな」「ああ、確かにそこもいい」「わかるわかる」ってなるでしょ。それは、それぞれの見方は違うかもしれないけど、感じているものにはそんなに大きな差がないからなんじゃないかなと。

──「好き」という感覚が共有できれば大丈夫、と。

僕は自分がアニメにする作品は絶対に好きになります。「蟲師」はそもそもが大好きなので、実はそんな苦労すらないんですよ。あと、僕には漆原さんっていう力強い味方がいたので。「このコンテ間違ってますか?」って聞いても、「何も間違ってないです。むしろセリフがないのによく表現出来ましたね」って言ってくれる。ああ、僕は間違ってないなって信じて作れます。

──確かにそれは間違いないですね(笑)。

誰かに文句言われてもね、「漆原さんからこれでいいって言われたもん」って(笑)。

──では最後に、監督にとって蟲師とは何ですか?

うーん、そうだなあ……。僕の「すべて」でしょうかね。何を作っていても「蟲師」が基準になっている。全部の中心に存在してます。監督をやり続ける限り、「蟲師」とともにありたい。スタートでもあるし、終わるのも「蟲師」で終わりたいですね。

漆原友紀(うるしばらゆき)

アフタヌーン四季賞1998年冬のコンテストにて「蟲師」が四季大賞を受賞し月刊アフタヌーン(講談社)でデビュー。同年、アフタヌーンシーズン増刊(講談社)にて投稿作と同名の連載を開始。現実には存在しない蟲という特殊な存在を用いた、一話完結主体の秀逸な話作りで人気を得る。同作にて2003年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、2006年に第30回講談社漫画賞一般部門を受賞。アニメ、小説、ゲームなど多数のメディアミックスがなされ、2007年には監督大友克洋、主演オダギリジョーによる実写映画化が話題を集めた。


長濱博史(ながはまひろし)

1990年、マッドハウスに入社。「YAWARA!」などさまざまな作品に参加した後、フリーランスになる。1996年に「少女革命ウテナ」のコンセプトデザインを担当し、以降はプリプロダクションとしての作品参加も増えていく。2005年には「蟲師」にて初監督を務め、高い評価を獲得。東京国際アニメフェアでは、第5回東京アニメアワードのテレビ部門にて優秀作品賞を受賞した。このほか代表作は、OVA版「デトロイト・メタル・シティ」「惡の華」など。(長濱の「濱」は正しくは旧字体)




薔薇物語
2017年4月で20周年を迎えた、アニメ『少女革命ウテナ』関するあれやこれや。                              
当時のインタビューや対談、解説など。
コンセプトデザイン・長濱博史インタビュー
http://kasira.blog97.fc2.com/blog-entry-36.html
”- 2007/05/11(Fri) -
LD「少女革命ウテナ L'Apocalypse 6」封入特典・解説書より

 冒険したデザイン。手にした武器は違和感


――コンセプトデザインという役職ですが、具体的にはどんなお仕事をなさっているんですか。

長濱:世界観設定みたいなことですよね。具体的には背景美術のための、叩き台みたいなものを作っています。監督の頭の中にフワフワと浮いてるものを、形にしていく。
『ウテナ』の世界は、基本的になんでもあり、みたいなところがありますので、それをふまえつつ、各話数に出てくる小道具とか大道具とか、ちっちゃいものからでっかいものまで、作っていく。

――建物、自転車、小道具。

長濱:そうですね。あとは家具とか。画面設計みたいな仕事も少しやらせてもらっています。個々のカットのレイアウトだけチェックするとか、レイアウトだけこちらが切るという作業もやってますね。

――『ウテナ』の画面作りのコンセプトみたいなものはあります?

長濱:「見えているものが全て」ということですかね。言い方を変えると、「見せたいものは全て見せる」みたいなことです。ウテナが決闘場に向かう時に出てくる薔薇の門の裏側がどうなってるのかを、画面で見せようと思えば見せることはできるんですけど、敢えて描かない。どういうカラクリで門が展開していくのかも視聴者に提示してないんですよね。
そこにあるものを、なるべく描かないことで絵に描いた以上のものを表現したいというか。

――見せるべきものだけ見せる。

長濱:そうですね。見えるものが、作品の中では全てですからね。見せないでいいところは見せないでおく。

――いわゆるアニメのリアリズムとは違う、と。

長濱:違いますね。やっぱり、舞台美術に近いです。

――実は、薔薇の門は書き割りで、裏側にはつっかい棒があるかもしれない(笑)。

長濱:ええ、そうかもしれないですね。幾原さんの根本的なところにあるものが、舞台的なものだったりするじゃないですか。自分は舞台演劇とは全然、縁がないんですけど、幾原さんの中からモチーフやアイデアを引き出していくと、結果、そういう風になっていきますね。
そういう作り方は『ウテナ』の強味でもあったと思います。制作面でのコストパフォーマンス的な意味でも、作品の世界観に広がりを持たせる上でも。

――そういったことに関して、なにか、具体的なエピソードはあります?

長濱:学園に一番それが出てるんじゃないでしょうか。最初に、校舎の配置とか、学園の正門、理事長室のある塔とか、塔から見える海とか、そういうものの美術ボードを全部作って、美術監督の小林七郎さんの方に美術として起こしてもらいました。
基本的にはその第1話で作った世界観で、その最初に作ったものの持つエネルギーで、最終回まで持っていってしまおうという考えがありました。

――話数が進むにつれて積み重ねていくわけじゃないんですね。

長濱:そうですね、少しづつ加速していくんじゃなくて、最初の爆発で最後まで飛んでいくロケットのようなものでしょうか。だから、最初の小林七郎さんとの打ち合わせでも、「最初に学園を目一杯描いて下さい」というかたちでお願いしました。それが第1話のあの最初の場面に出てくる背景です。それ以降は、表現を絞って、学園をなるべく記号だけで表現する方向に行きました。真っ黒な学園のアーチが立っていてその後ろが空、というような画面が『ウテナ』にはたくさん出てきますよね。ああいった記号的な画面でも「ああ、鳳学園の中なんだな」と認知してもらえたのは、第1話の美術にインパクトがあったからだと思うんです。
それも美術スタッフの、小林七郎さんと小林プロの「美術」としての力量、技術のお陰ですね。あくまで、自分がやってきたものは叩き台ですから。出来上がった画面を見たときに改めて小林さん達のパワーに驚かされました。

――『ウテナ』のデザインに関して、例えば○○調とか、そういう意味でのコンセプトはあるんですか。

長濱:デザインラインについて明確な方向性というのは決めなかったんですよ。例えば学園の装飾品などは、既成のデザインにありがちなものから多少引用して使ってはいるんですけど、あくまでそれは見てる人間に説得力を与えるためだけに使用しただけです。
見ている人たちの中には「ドイツの○○建築だ」とか、「□□デザインの末期に見られる△△だ」とかって思ってる人もいるみたいですが。

――薔薇の門の取っ手とか、○○調とかありそうじゃないですか。

長濱:全然、ないですね。実際、あれに関しても、幾原さんからキーワードをもらって、そこから作りました。取っ手を握ったら何か起こりそうなものに見えなければならないとか、ウテナがそれを握ろうと思うようなデザインでなくてはいけないとか。それから、指輪が鍵のような役割をして、薔薇の門が開くようになっているから、指輪が鍵になってることもデザインの段階で盛り込まなければいけない。

――あの取っ手のところには、水が溜まっているんですか。

長濱:そうです。初期には、薔薇の門をくぐった向こうの世界に関して、水に満たされた世界のイメージが、あったんですよ。だから、薔薇の門が開くときには、水が大量に流れ出たりしているんですけどね。画面では、見えてないですけど、螺旋階段の一番下の方にも水があったりするんですよね。

――そもそも脚本の段階では螺旋階段は、なかったんですよね。

長濱:そうですね。最初は茨がまずあって、それを抜けると霧に包まれた決闘場が出るというかたちでした。
絵本とかでよくある、お城に向かって伸びている道がありますよね。曲がりくねった道が。ああいうのが伸びててお城に向かっていくという、そういうメルヘンチックなビジュアルイメージを残しつつ、かつ現実的なものをと考えて、螺旋階段に落ち着いたんです。幾原さんが「支柱を斜めにしてみないか」と言ってくれて、斜めの螺旋階段になりました。あれは自分と幾原さんの間でデザインが二転三転して、途中で幾原さんが描いたりもしているんです。
螺旋階段や決闘場は、見方によっては、いろんな意味を感じとれるようなデザインになっていると思います。だけど、作ってるときには、本当に手探りでしたね。

――印象的なデザインとしては、薔薇の門がありますが。

長濱:薔薇の門のデザインも色々ありました。門が開く仕掛けもあんまり不思議になりすぎないというか、魔法のような力で開くのはやめようというプランがありました。ですから、例えば、最初の頃には、マス目が並んでいるパズルみたいなかたちにしようというアイデアもありましたね。結局、何の図形か分からないものが回転することで薔薇の形になって開くというコンセプトで、デザインを詰めていきました。幾原さんと一緒に、ただひたすら紙に思いつく限りの形を描いていきました。
その中で、最初は薔薇の形に見えないものが持ち上がって、くっつくと薔薇の形になるということになり、展開した形は、鳳学園だから鳥にしようか、ということで今のデザインに落ち着いたりしましたね。

――なるほど。他に何か、手こずったデザインは?

長濱:生徒会室ですね。あれは最初は、どうやっても発想が「部屋」から出られなかったんですよ。ビーパパススタジオのスタッフみんなで描いたんですけど、誰一人として部屋の中から出られなかったですからね。

――生徒会「室」ですからね。

長濱:それ以前に長谷川(眞也)の描いた学園のイメージボードの中に、学園の屋上に温室のような一角があって、普通日本にはないような植物とかが咲き乱れているというものがあったんですよ。生徒会室のデザインがなかなか決まらなかった頃に、長谷川が屋上にテーブルをひとつ置いて生徒会のメンツが悪巧みするようなかたちはどうだろうって、言い出したんです。真っ青に空が晴れてて、見たこともないような南国の鳥とか飛んでてさ、とかって言ったんですよね。
そのアイデアを幾原さんが膨らませて、塔の端に飛び出すようにしたんです。生徒会のメンツが本来覆い隠すべきような秘密の会話を、とてもオープンな場所でしてるのが、演出的に面白い。生徒会の面々一人一人をカメラで撮っていった場合にも、バックは空だけとかになったりするんで、それがまた面白い。画面の中ですごく美しいんじゃないか。生徒会室は一番手こずったんじゃないでしょうか。

――根室記念館は。

長濱:あれは小林七郎さんのデザインです。特に、建築物としての説得力が必要だったからということもあり、小林さんにお願いしました。「黒薔薇編」で登場する新しい舞台は、今までの鳳学園や生徒会室みたいなオープンな形のものとはうって変わって、地下室だったりとかエレベーターだったりとか、狭い空間で繰り広げられることが多いものですから、「見せるべきものだけ見せる」という作り方が、難しいんですよね。エレベーター内を撮ればエレベーターの内側が全て見えますし、百の棺桶も見せれば、全部見えてしまう。それじゃあ、その中で『ウテナ』のコンセプトである、見せたものだけ、表現したいものだけを記号化して盛り込むということを、どこまで出来るかという作業でした。

――例えば、音楽室だと何もないところにピアノだけあって、窓が並んでて、というかたちですよね。ああいうのは、どんな風にデザインが決まるんですか。

長濱:各話に登場する音楽室や、図書室などは、演出さんと密に打ち合わせをして詰めていきました。暗い空間にピアノがあって、窓が斜めに上がるかたちで並んでいる。それを音楽室の記号にしているわけです。ポンと1カットだけそれを見せれば「あっ、音楽室」とわかるように。それくらい、見ている人に与える象徴的な、記号としてのデザインとして確立できるように。そこを重点に置いてますよね。
音楽室の窓の形もそうですし、学園のアーチも、生徒会室のステンドグラスも同様ですね。塔がどういう風に見えているかで、学園から近いか遠いかが分かるようにするとか、学園の形自体が記号の塊です。
話は違いますが、今、作業が最終回近くまできているんですが、個々の話数のために作ってきた設定が、最終的にひとつの世界に落ち着いてきている実感があるんですよ。
幾原監督には、僕に個々のデザインを発注する段階で全体の流れが見えていたんでしょうね。一緒に作業をしていても見てるところが違ったんだなあ、幾原さんはすごいな、と思います。

――些細なことですけど、薔薇のマークがあっちこっちについているというのは、誰が考えたんですか?

長濱:あれは、自分が強引につけていったみたいなものですね。ここにも薔薇、あそこにも薔薇というようなかたちで。

――薔薇は鳳学園の、象徴なんですか。

長濱:そうですね。最初から「薔薇」がキーワードになっているのは分かっていたんですけれども、あそこまでになるとは幾原さんもあんまり考えていなかったんじゃないでしょうか(笑)。

――第9話でウテナの両親が入ってる棺桶にも薔薇のマークがついていますよね。あれは鳳学園の棺桶なんでしょうか。

長濱:いえいえ。言っても仕方ないことかもしれませんけど、あれは宗教的なものを一切廃したところでの「死」のイメージというか、そういうところに持っていくために使ったんですよ。

――あ、むしろ、キリスト教的にしないために、薔薇を使ったんですね。

長濱:ただ、見ている人には「棺桶にまで薔薇がついているのか」と思ってもらえばいいんですけどね。

――幾原監督とのやりとりで印象的だったことは。

長濱:自分で「これはかっこいい絵だな」と思ったデザインは、まず幾原さんの方からOKが出なかったですね。

――あっ、そうなんですか。

長濱:「これはかっこいいな」というものよりは、「ここまでやっていいのか」と思ったものの方がOKが出やすかったですね。
『ウテナ』という作品の中における世界観の設定が、軽いものだという感覚はなかったんですが、背景美術にまで『ウテナ』の物語やキャラクターにあるような、不思議な……何て言ったらいいんでしょうね、チグハグ感というか、そういうものが必要になるとは自分も思っていなかったですから。ただやっぱり、監督と話していくと、それが一番重要なんだ、と。

――違和感。

長濱:そうです。作品の中での違和感。それが、背景美術にも一番必要なものなんです。普通のものに見えてしまう、流れていってしまうものに対しての、恐怖感みたいな感覚すらありましたね。
「何でこんな形をしてるんだ?」と思われるようなものでないと、見た人がその形を記憶に留めてもくれない。「ここまでやっていいのか」と思うところまでやって、初めて人は少し違和感を持ってくれる。そこまでやらなくっちゃいけない。そういうことに関して大変に勉強になったなあと思う反面、こういうやり方でない普通のアニメーションに自分が参加した場合に、どういう関わり方をするのだろうか、という怖さはあります(笑)。

――ここで磨いたスキルが、他にアニメでも使えるのだろうかということですね。

長濱:そうですね。でも、本当に、デザインをやっててこんなに楽しい作品はないんじゃないかと思うんですけどね。本当に楽しいです。





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