偽ユダヤ人=サタンの会堂
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14115951294
より一部転載
ベストアンサーに選ばれた回答
minaminoooshimaさん
マルティンルターは今日でもルター派の表看板です。
だから彼の悪項は隠ぺいされ続けるのでしょう結局商売なんでしょう。
ルターは初めはローマ殲滅戦を煽動していたが、次第に路線をめぐり党派に分裂するなか、ルターは反乱側にではなく、市民・貴族・諸侯の側について、平和な抵抗を訴えるようになる(この平和な抵抗の路線についてはすでにさかのぼること1520年『ドイツ国民の貴族に与う』で示されていた)。
多くの学者がルターのユダヤ人に関する文書について議論している。彼の反ユダヤ主義的な声明は、1933年-45年にナチスの宣伝材料として使用された。ルターは1523年の時点ではローマ・カトリックの反ユダヤ主義に抗議していたが、ユダヤ人がキリスト教に改宗しないことに失望したルターは、1543年に反ユダヤ主義のパンフレット『ユダヤ人と彼らの嘘について』[6]を書いた[7][8]。現代のドイツ・ルーテル派(マリア福音姉妹会など)は悔い改めを表明している。
ローマ・カトリック側はルターを「異端者」、「好色家」、「犯罪人」と呼んで批判した。ヨハネス・オッホレウス著『マルティン・ルターの行為と著作についての注解』がその代表作の一つである。ドミニコ会のハインリッヒ・デニフレの『原資料によるルターおよび発展初期のルター主義』は、ルターが肉欲的な動機でもって宗教改革を行ったとしている。イエズス会のハルトマン・グリザールの『ルター』は、ルターを「誇大妄想狂の精神異常者」と判断している。[9]
ところでルターであるが、この偏執的とも思える排他主義者について、ユダヤ人とのかかわり方という見地から書いておかねばなるまい。ルターは異常としかいいようのないユダヤ人排斥論者であった。ルターがお上に進言した七つの提案は以下の通りである。
「まず第一に、ユダヤ人のシナゴーグ(集会所)や学校には火をつけること。第二に、彼らの家も同じく取り壊すこと。第三に、祈祷書やタルムード(ユダヤ教の聖典)もすべて取り上げること。第四に、ラビ(ユダヤ教でいう賢人)がユダヤ教を講じるのを禁止すること。これを守らぬならば命を奪うこと。第五に、ユダヤ人には警護や道路使用を全面的に禁ずること。第六に、高利貸しを禁ずること。現金、金銀の装身具はすべて取り上げ、保管すること。第七に、若くて丈夫なユダヤ人には、男女を問わず殻竿、斧、鍬、シャベル、または糸まき棒、紡鐘を手にもたせ、額に汗しておのがパンを稼がせること。」
これが一方で宗教改革に邁進してきた男のもう一方の側面である。自らが唱え、説くものはすべて正しく、神の御意に従っているが、カトリック、ユダヤ教が唱え説くものは背徳にほかならない。改革、革命とは古今東西かくなるものなのである。当時ルターの信奉者はおおぜいいたが、彼の改革運動に加わったのは信奉者だけではなかった。ルターの力説することが理解できない者、ルターの教義などどうでもよいと思っている者のほうが数の上ではまさっていただろう。
その多数派とおぼしき人々が改革に参加して、あるいは参加するふりをして、カトリックやユダヤ教を排斥するにいたった動機は何か。カトリック教会を焼き払ったり、司教やユダヤ人を殺害した動機は何だったのか。
しかし、ルターの最大にして最高の信奉者はこの当時の人々ではなかった。それはユダヤ人からみれば幸いにも、といったほうがよいのかもしれない。最大、最高の信奉者の登場まで、歴史は400年の時を与える‥。400年後かれは現れた、
ヒトラーという名でる。
プロテスタントの偉大な改革者であるマルティン・ルターは、後期中世のもっとも悪質なユダヤ人迫害者の一人として突出している。うひゃあ、そうだったのですか、ちっとも知りませんでした。
1933年1月、ヒトラーが権力を握ったとき、ドイツ全土にユダヤ人は52万人ほど、ベルリンに7割近い38万人がいた。ユダヤ人の多くはドイツ人の暮らしの中に完全に同化していた。
ヒトラーは、自らの反キリスト教の見解を表明するのは注意深く、公衆の面前では教会の忠実な支援者という建て前を装った。
推定で2万人のユダヤ人がドイツ国内で生きのびた。そのうちの1万5000人は地下生活に潜ることなく、非ユダヤ人配偶者との結婚によって保護された。推定5000人近くのユダヤ人が潜伏して生きのびた。
ドイツでは、ほとんどのプロテスタント聖職者、とりわけルター派が1937年1月のヒトラーの権力掌握に際して、強い高揚感を表明した。
黙示録2: 8スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。
2: 9わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。
2:10あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。
2:11耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。
動画の上からご覧くだされば もしかしたらご理解くだされるかもしれないです。
より一部転載
ベストアンサーに選ばれた回答
minaminoooshimaさん
マルティンルターは今日でもルター派の表看板です。
だから彼の悪項は隠ぺいされ続けるのでしょう結局商売なんでしょう。
ルターは初めはローマ殲滅戦を煽動していたが、次第に路線をめぐり党派に分裂するなか、ルターは反乱側にではなく、市民・貴族・諸侯の側について、平和な抵抗を訴えるようになる(この平和な抵抗の路線についてはすでにさかのぼること1520年『ドイツ国民の貴族に与う』で示されていた)。
多くの学者がルターのユダヤ人に関する文書について議論している。彼の反ユダヤ主義的な声明は、1933年-45年にナチスの宣伝材料として使用された。ルターは1523年の時点ではローマ・カトリックの反ユダヤ主義に抗議していたが、ユダヤ人がキリスト教に改宗しないことに失望したルターは、1543年に反ユダヤ主義のパンフレット『ユダヤ人と彼らの嘘について』[6]を書いた[7][8]。現代のドイツ・ルーテル派(マリア福音姉妹会など)は悔い改めを表明している。
ローマ・カトリック側はルターを「異端者」、「好色家」、「犯罪人」と呼んで批判した。ヨハネス・オッホレウス著『マルティン・ルターの行為と著作についての注解』がその代表作の一つである。ドミニコ会のハインリッヒ・デニフレの『原資料によるルターおよび発展初期のルター主義』は、ルターが肉欲的な動機でもって宗教改革を行ったとしている。イエズス会のハルトマン・グリザールの『ルター』は、ルターを「誇大妄想狂の精神異常者」と判断している。[9]
ところでルターであるが、この偏執的とも思える排他主義者について、ユダヤ人とのかかわり方という見地から書いておかねばなるまい。ルターは異常としかいいようのないユダヤ人排斥論者であった。ルターがお上に進言した七つの提案は以下の通りである。
「まず第一に、ユダヤ人のシナゴーグ(集会所)や学校には火をつけること。第二に、彼らの家も同じく取り壊すこと。第三に、祈祷書やタルムード(ユダヤ教の聖典)もすべて取り上げること。第四に、ラビ(ユダヤ教でいう賢人)がユダヤ教を講じるのを禁止すること。これを守らぬならば命を奪うこと。第五に、ユダヤ人には警護や道路使用を全面的に禁ずること。第六に、高利貸しを禁ずること。現金、金銀の装身具はすべて取り上げ、保管すること。第七に、若くて丈夫なユダヤ人には、男女を問わず殻竿、斧、鍬、シャベル、または糸まき棒、紡鐘を手にもたせ、額に汗しておのがパンを稼がせること。」
これが一方で宗教改革に邁進してきた男のもう一方の側面である。自らが唱え、説くものはすべて正しく、神の御意に従っているが、カトリック、ユダヤ教が唱え説くものは背徳にほかならない。改革、革命とは古今東西かくなるものなのである。当時ルターの信奉者はおおぜいいたが、彼の改革運動に加わったのは信奉者だけではなかった。ルターの力説することが理解できない者、ルターの教義などどうでもよいと思っている者のほうが数の上ではまさっていただろう。
その多数派とおぼしき人々が改革に参加して、あるいは参加するふりをして、カトリックやユダヤ教を排斥するにいたった動機は何か。カトリック教会を焼き払ったり、司教やユダヤ人を殺害した動機は何だったのか。
しかし、ルターの最大にして最高の信奉者はこの当時の人々ではなかった。それはユダヤ人からみれば幸いにも、といったほうがよいのかもしれない。最大、最高の信奉者の登場まで、歴史は400年の時を与える‥。400年後かれは現れた、
ヒトラーという名でる。
プロテスタントの偉大な改革者であるマルティン・ルターは、後期中世のもっとも悪質なユダヤ人迫害者の一人として突出している。うひゃあ、そうだったのですか、ちっとも知りませんでした。
1933年1月、ヒトラーが権力を握ったとき、ドイツ全土にユダヤ人は52万人ほど、ベルリンに7割近い38万人がいた。ユダヤ人の多くはドイツ人の暮らしの中に完全に同化していた。
ヒトラーは、自らの反キリスト教の見解を表明するのは注意深く、公衆の面前では教会の忠実な支援者という建て前を装った。
推定で2万人のユダヤ人がドイツ国内で生きのびた。そのうちの1万5000人は地下生活に潜ることなく、非ユダヤ人配偶者との結婚によって保護された。推定5000人近くのユダヤ人が潜伏して生きのびた。
ドイツでは、ほとんどのプロテスタント聖職者、とりわけルター派が1937年1月のヒトラーの権力掌握に際して、強い高揚感を表明した。
黙示録2: 8スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。
2: 9わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。
2:10あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。
2:11耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。
動画の上からご覧くだされば もしかしたらご理解くだされるかもしれないです。