他人を変えようとしたって
変わるわけがない。

何でいつまでも
自分の大事な時間や労力を
奪われることを許してたんだろう。

体力と時間の完全な浪費。

他人を変えたいと思ってしまったら、
自分を小さく見積もってないか
確認してみる。

誰かに何か言われて
反応してしまうんなら
スルースキルを磨かないとね。

無視するわけじゃない。
集中の矛先を定める。

邪魔されても
邪魔されることを
受け入れたのは自分自身。

よそ見してんだ。
そのくだらないものや人に。

ちなみに、
人は誰かを守ることなんて出来ない。

男の人にあるあるだけど、
誰かや何かを守ってこそ男!
みたいな考え方があるけど、
守れる範囲の女を選んだってことは
安い人生選んでるし、

男に守られてこそ女!
って思ってる女は安い女。

それ、男をコントロールしたくなるよ
『なんで守ってくれないの!?』って。

他人を変えることも、
他人を守ることもできないんだ。

できないどころか、
それはズルいこと。

変わりたくないのは自分だし、
生きてていい価値を他人に委ねてる。

変わりたくても
変われなくて悩んでる人は
何を変えればいいのか
わからない人もいるんだろな。

誰かのために生きることをやめる。

人は誰かを守ることも
幸せにすることも
傷つけることもできない。

それはまやかし。

他人を通して幸せを感じるのは
やっぱり自分自身であることを忘れずに。


さやりんご🍎




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リブログ(3)

  • 人は誰かを守ることも、幸せにすることもできない

    母とのやりとりで少しイラッとしたことがあって、自分の気持ちを書き出してたら、気づきが色々出てきて最終的には「こう生きたい」って望みまで持っていけた。そのあと、さやりんごちゃんのインスタの文章が目に入った。"人は誰かを守ることも幸せにすることも傷つけることもできない"と書かれていた。アメブロにも投稿があった!私は昔幼心に、「お母さんを守らなきゃ」とか「お母さんに笑っていてほしい」と思っていた。夫婦喧嘩をしてる時、お母さんがため息ついてる時、大人になったら、そりゃ喧嘩もするし、ため息つくよなとは思うけど子供心に"お母さんに幸せでいてほしい"と思う気持ちが大きかった。笑っていてほしくて冗談言ったり、表情が暗い時は「大丈夫?」と声をかけたり気にかけて色々やってた記憶がある。でも結局は私が笑わせても、声をかけても母本人の心情なのでどうすることもできず、、ということに割と大きくなってから気づいた気がする。。人は誰かを守ることも、幸せにすることもできないなら「母を守れないし、幸せにできない」という良い意味での諦めがついた。相手の幸せは、相手に委ねて(相手の領域)自分の幸せは、しっかり自分で幸せにする。少し心が軽くなった気がした。

    アヤ

    2021-07-12 15:22:00

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