仕事での取引先とかファンとか、
人間関係が相思相愛の
信頼関係ができていて、


旦那さんとのパートナーシップも
言葉でなんて言ったらいいか
わかんないくらい充実してて。


そう感じられるのは、
アンチがいたり、
よくない出来事が起きるからだと思った。


仕事にも夫婦関係にも、
アンチがいるのよ。


いればいるほど、
真実の密度も濃くなる。


時代というのは、
常に激動の変化の中にあって、
誰にも理解できないような
先端を生きてると、
同じような仲間と
出会うことになってる。


わたしを見つけてくれてありがとう。




最近、こんなことがありました。


すっごく貢献してる先に
わたしの名前が書いてなくてね。


書かれたいか?と問われれば
『絶対いや』っていう答え。


わたしがソレを好きなことを
認められた!みたいになると
純度が濁る気がしたの。


わたしだけが、
それをひっそり情熱的に
好きでいればいいし、
相思相愛な自負があるから
別に、その他誰かに
認められなくたっていいし。


つまり、わたしは
ソレのファン。


勝手に愛されてると
思ってるから幸せで。


わたしって
めちゃくちゃ優秀で品のいい
ファンだなって思った。


そんなことを考えていたら、
『あ、今思ったことって、
わたしの事を好きなファンも、
同じこと考えてるのかな?』
って思った。


楽しそうだから
参加してみたい、
凄そうだから
買ってみたい、


そうゆうただ純粋な好奇心で
関わってくれてるのかな?


わたしがファンの立場なら
そうだから。


わたしが
ファンのこと愛してるの
伝わってるのかな。


って考えた時、


『わたしもさやちゃんのこと
愛してるの伝わってる?』


って聞こえた。


わたしの好きなソレは
神社の神様なんですけどね。


“見えないもの”から
愛される気がするのって
最強だよね。


見えないのに、
会いに行きたい。


見えない世界に恋してるのに、
見える世界が最悪なわけがない。


お金という物質を追うことに
チャレンジした先に
満ち満ちた愛の感覚を手に入れた。


この先これは
もっともっと大きな感覚に
なると予測しています。


去年はこの先
どうなるのかと不安と緊張に
満ちていました。


徐々に現れた温かい気持ち。


人ってこうやって
回復するんだなって思った。


つい先日だって流産して
怒りと悲しみを感じたばかりですが、
流産とは言え、産後と言えば産後。


若干ほっそりして
なんか綺麗になった気がする。






妊娠を喜んでくれた
周囲の喜ぶ様、


流産伝えて悲しんだ
周囲の悲しみと残念の様、


どっちも大袈裟に見えたくらいでした。


そんなに喜ぶ?
そんなに悲しむ?


って驚いた。
わたし以上じゃないか。


ああ、愛されてるんだな、
今度はもっとしっかりした自分で
赤ちゃん迎えようと思った。


だから、
引きこもりを強化して
外の情報を入れないようにする。


田舎にいるとね、
SNSの情報より
リアルな人間関係から
外の情報がうっかり入ってくる。


1人での外食もやめた。
誰に会って何言われるかわからないし
『〇〇さんが〇〇って言ってたよ』
が一番クソ。無責任極まりないし、
外出るわたしが悪いんだよ。


あったかい世界で
勇ましくチャレンジしたいから
そうゆう状態で赤ちゃん迎えたいし、
そうゆう環境で産んで育てたい。


だからわたしも、
赤ちゃんの気持ちで
既に愛されてる世界で生きることにしたし、
これからももっと届けたいと思った。

わたしも嬉しい照れラブラブ
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