真言宗の方に質問です。 “理同事勝なので法華経より真言が優れている”と主張しだしたのは一体誰ですか?
真言宗の方に質問です。 “理同事勝なので法華経より真言が優れている”と主張しだしたのは一体誰ですか?
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顕教。顕わな教え。 言葉で真理は表現できません。 しかし、言葉を用いなければ伝えられません。 密教。秘密の教え。 言葉で真理が伝えられないのなら、別の方法を探そうとした。 真理の視覚化。疑似体験化。 「象」を見たことがない人に、いくら言葉を重ねたって「象」にはならないのだから、伝わらん。 「鼻が長くて耳がでかくて足が太くて体は大きくて・・・」 こんな情報、いくらあっても絵を描かせたら似ても似つかぬ化け物の絵になっちゃう。 しかし。 写真を見せたら? 動画を見せたら? さらには3D画像を見せたら? そこに映ってるのは「象そのもの」ではないけれど、「象」を実際に見たときには、たちどころにそれが「象」だと判るでしょう? 自動車教習所のテキストを読んだだけで運転できると思いますか? 密教が「疑似体験化」だと言ってるのは、「トレーチャー教習」のようなもので、運転そのものではないんだけれど、似たような体験が可能になる・・・。 だからといって、『法華経』が劣っていると言ってるのではないのです。 そのあたりを誤解されてる方がいっぱいいますけどね。 教習所で、教本を全く読まずにいきなりトレーチャー教習をやったらどうなるか。 さらにそのまま路上で運転したらどうなるか。 要は、顕教と密教の関係って、「ステップ」なんですよ。 理論としては、インド伝統哲学の上に成立している顕教は優れていますが、それだけでは真理にアクセスする方法論が不完全ですから、疑似体験や視覚化が必要になってくる。 どっちにせよ、真理に到達するための手段なんだから、こだわる必要はありません。
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