チートスレイヤー1

 少し前、『チートスレイヤー』という作品の第一話が掲載され、その内容が物議を醸した。まあ、「物議を醸した」というのはだいぶ穏当な言い回しで、実際には炎上したのだが……。その経緯は創作とパロディについて考える上で興味深いものだったので、ここで整理してみようと思う。

1 発端
 本作は月刊ドラゴンエイジ2021年7月号に掲載された。内容としては異世界において英雄ともてはやされ、魔王軍と戦う転生者たちと、それに憧れている主人公の物語である。しかしその転生者たちは主人公の村を襲い、彼の幼馴染たちを殺してしまう。転生者たちの本性を知った主人公が、復讐を誓うという内容だ。

 おそらくいわゆる「なろう系」異世界転生ものへのアンチテーゼの意味合いのあった本作だが、問題がいくつかあった。そのひとつがパクリ……とは言い難いが、明らかに特定の作品の人物が元ネタだと分かる転生者たちの存在である。
チートスレイヤー2

 以上の画像を見れば分かる通り、有名どころのなろう系作品が盛りだくさんという感じである。ただこの中にいくつか不自然な点が見受けられる。主軸としては異世界転生ものへのアンチテーゼのはずが『SAO』のキリトモチーフがいたり、転生させた側の『このすば』のアクアモチーフがいたりである。また私は当該作品を知らないので側聞する限りの話になるが、『異世界食堂』が元ネタらしい人物は、転生者はこの女性じゃないらしいし。どうしてこういろいろごっちゃになっているのか、そのあたりは後述しよう。

 また、もうひとつの大きな炎上ポイントとしては、こうして露骨にモチーフ元を明らかにしたキャラクターが、本来そのキャラクターの取りえないだろう悪行を行ったという点である。第一話では『賢者の孫』の主人公シンがモチーフらしいルイという男が、村を襲い主人公の幼馴染を強姦する。こうした、元ネタありきのキャラデザインでありながら、元ネタを貶めるような描写が問題視されたというわけである。

2 批評性の不足
 本作の炎上原因は、あらかじめネタ元の作者に話を通しておかなかったとか、編集が適当な仕事をしたとかいろいろ言われているが、その辺は推測するしかできないし本ブログの手に余るからひとまず置こう。あくまで作品単体で見たとき、炎上の原因は何かと分析するに、批評性の不足が挙げられるのではないかと考えられる。

 まず前提として、ある種のアンチテーゼを含む作品というのは、アンチ対象への正確で詳細な分析と、そこから導かれる深い洞察がなければならない。対象を正確に分析できなければ、批判は的外れになるし、仮に分析が正確でも、そこから導かれる洞察が凡庸であればあまり面白くはない。この点は具体例を出さずとも、一般論として理解されるだろう。

 翻って本作『チートスレイヤー』であるが、まず正確な分析という点が既にお粗末である。これは転生者の中にキリトを混ぜてしまうところから推察できるだろう。

 もとより、「なろう系」と言われる作品群はそれなりに広範である。大抵の読者は「なろう系」と聞いて異世界転生ものを思いつくかもしれないが、『防振り』のようにゲームの中で大冒険を繰り広げるタイプの作品もある。『オーバーロード』はこうしたゲームものと異世界転ものを組み合わせた「なろう系」の作品であると分かる。他にも転生はするが転生前から異世界にいる『失格紋の最強賢者』のような場合もあるし、近年では追放ものというある特定のグループから追い出された人物を主人公にする作品も流行っているが、これはもう転生要素はどこにもない。

 こうして並べたとき、異世界転生ものはあくまでなろう系の一形態でしかないことが分かる。それはそれで一時の隆盛を誇り、また今でも安定した人気ジャンルではあるのだが、ならば本作『チートスレイヤー』では転生者が悪人という形態をとるために、元ネタは異世界転生ものに限定する必要があっただろう。ここにゲームもののキリトを入れてしまうあたりが、作者の分析不足を端的に表している。

3 元ネタがやらなさそうなことをやったのは原因か?
 先ほど、炎上の原因として元ネタのキャラがやらなさそうな悪事をしたことが原因である、と書いた。これは一面では事実らしく思われるのだが、あくまでも一面でしかないという印象も受ける。

 こうした悪魔化は「リスペクト不足」とみなされるのだが、リスペクトの話は後に回すとして、本当に元ネタがしないだろう悪行をさせたことは問題だっただろうか。私はこの見解について、「悪行をさせること自体は問題ないが、なろう系の場合その必要もなかっただろう」と考えている。

 問題ないという話についてだが、これは『チートスレイヤー』とパロディの関連を語る上で多くの人間が既にふれている海外ドラマ『ザ・ボーイズ』がある。このドラマではアメコミヒーローらしい登場人物が企業と結託した拝金主義の汚れ切った人物として描かれる。ドラマでは主人公の恋人が高速移動の能力を持つヒーローに轢き殺され、それを適当に処理されたことから反旗を翻すという内容になっている。

 まあ『ザ・ボーイズ』の場合は特定のヒーローのパロディというより、イデアとしての『アメコミヒーロー像』を悪人化するところに面白さがあると言えるだろう。これはアメコミの積み重ねがどうしたってなろう系より長く大きいことに由来している。例えば同じことをなろう系でやろうとしても、こうした最大公約数的なヒーロー像は確立が難しく、どうしても具体的な元ネタに頼らざるをえないというところはあるだろう。

 ただ、それを抜きにしてもである。創作の歴史的背景から生じる手法の違いはあるにしても、こうした世間一般に受け入れられたキャラの悪魔化自体が問題であるとは思えない。表現の自由、という話でなく、パロディとは必ずしもリスペクトを必要とはせず、時に元ネタを嘲笑する側面があるからだ。というより、パロディとしての使用はその時点で対象の軽薄化を招き、必ず嘲笑する要素があるのではないか、と考えている。そう思考するならば、悪魔化したところで問題はないと言える。

 しかし、なろう系においてはそもそも悪魔化の必要がないと言えるだろう。というのも、なろう系、特に本作『チートスレイヤー』がその対象とする異世界転生ものは異世界を未開の地と捉えた場合の侵略者としての側面、現地の女性を隷属化する側面など、ごく一般的に受け入れられる作品の中でも既に批判すべきポイントはいくらでもあるからだ。こうした傍若無人な振る舞いをする異世界転生者を現地人の側から書くだけでも、既に作品としての要点を満たすと言える。あえて悪魔化する必要性はない。

4 パロディにリスペクトは必要か
 こうした話題に合わせて巷間叫ばれるのが、パロディに対してリスペクトを要求するものである。リスペクトがあるものがパロディだというのはよく言われるが、実際のところそれはどうなんだと思わなくもない。というのも、パロディに対してリスペクトを籠めたとして、それに意味があるとは思えないからだ。

 もちろん、リスペクトがあるにしくはなし、である。また作品にリスペクトを籠めることは一見主観的に見えるが、ある程度客観的にそれを表現することは可能だと思われる。ただ問題となるのは、じゃあリスペクトを籠めたとして、それを誰が判定するのか、という部分である。それを判断するのは読者だろうか、作者だろうか、それとも編集者だろうか。この点がぼやかされているのに、リスペクトの有無でパロディを許容するしないを話しても意味があるとは思えない。また極論を言ってしまえば、パロディをする時点でリスペクトがないと言い張ろうとすればできてしまうわけで、リスペクトの有無がパロディを許容するかどうかという点は議論する意味がない。

 そもそもパロディはその対象に対しての風刺や嘲笑を含む場合が往々にしてある。例えば『彼岸島』の「丸太は持ったか!」のシーンなんかはパロディの対象としてあまりに有名だが、しかしあのシーンを用いたパロディに対し、リスペクトを籠めましたと言われて納得するやつはいないだろう。あのシーンを用いる人間は九割九分が、本来シリアスなはずのシーンがギャグに見えるという面白さを取り上げて嘲笑しているに決まっているのだから。

 また前述の通り、パロディとしてあるシーンを取り出すこと自体がある種の軽薄化を招くと言える。本来存在する文脈から取り外しての利用は、どうしたってそのシーンに対する敬意を欠くものである。一度パロディとして利用され面白さを大衆に発見された作品は、以後同様のシーンを繰り返しパロディに使われる危険性をはらむという意味においては陳腐化の原因であるともいえ、この時点でリスペクトもクソもないわけである。パロディという行為自体が極めて風刺的、嘲笑的側面を持つ以上、リスペクトの有無を詮議することすら馬鹿らしいと言える。

5 別の作品だったら
 ところでここからは完全に私見なのだが、例えば本作『チートスレイヤー』が扱う元ネタが別の作品だった場合、ここまで騒動が大きくなっただろうかという疑問がある。

 というのも、なろう系作品のレビューを見ていると、作品の低レベルさを嘲笑するタイプのレビューが大半を占めていることが分かるからだ。無論作品のレベルが低いのは事実としても、「なろう系作品のレビューをしました」という体のレビューの大半が、こうした嘲笑を含んでいる。なろう系作品を渉猟した結果低レベルな作品にぶつかりました、という様相ではないのは明らかだ。なぜならこうしたレビューはまるで足並みを揃えたように、類似する作品ばかりを取り扱うからだ。別にその作品が新刊だとかアニメ化する情報があるとかもないのに。

 どうしてこうなるのかと言えば、なろう系作品の中には馬鹿にしていい、嘲笑していいと大多数に認識されているタイプの作品があるからだ。というかなろう系自体がそうである、と言えるかもしれない。そして特定のインフルエンサー的レビュワーがひとつの作品をこき下ろすと、それに同調して多数のレビュワーがこき下ろすという状況が発生する。レビューという自身の価値観を披瀝する場面ですら、馬鹿にしていいとお墨付きをもらった作品を馬鹿にするだけという自分なりの価値観を持ち合わせない状態なのはどうなのか。

 まあそれはともかく、なろう系作品の中には馬鹿にしてよし、と考えられている作品がいくつかある。代表的なのは本ブログでも取り上げた『俺だけ入れる隠しダンジョン』『回復術士のやり直し』などだが、仮にこうした作品が『チートスレイヤー』のパロディ元となった場合、本作は今回のように炎上しただろうか。

 好きな作品がおかしな扱いを受けた場合、それに対し憤るのは当然である。だが、本来的な話をすればおかしな扱いをされるいわれはどの作品にもないわけである。しかし、仮に『チートスレイヤー』が別の作品をやり玉に挙げた場合、それに人々が憤ったかどうかは……。残念ながら個人的には、そこまでオタクという存在を私は信用していない。