著者の梁葉津子氏は、昭和35(1960)年、17歳(本書では18歳と表記されているが、数え年と思われる)の時、帰国事業で両親と長兄を除く兄弟と共に北朝鮮に旅立つ。両親は共に南朝鮮出身で、北朝鮮に行くことは”帰国”などではなかった。また北朝鮮に行きたがったのは父親だけだったが、父親への同情心と両親との別れがたい気持ちから、気が進まないまま北朝鮮へ向かったのである。一家を待っていたのは、日本にいた時よりもはるかに貧しく希望のない生活だった。
その後、著者は同じ帰国者の男性と結婚するが、夫はほとんど働く姿勢を見せず、生活や子育ては著者が女手一つで引き受けることになる。約20年後、日本から長兄が訪ねてきて、事情をよく把握していた長兄はその後、毎月送金してくれ、著者らを支えてくれた。
1994年、金日成が死去してから北朝鮮の食糧事情が悪化し、餓死者が出るようになり、著者は1997年、末息子の三男と脱北を決意する。豆満江を渡って中国に渡り、事前に連絡していた中国朝鮮族に匿われる。
初めは親切だった彼らは、日本の兄から送金がくる中で次第にビジネス的になっていく。そして何者かの密告によって、著者らは先に脱北していた長女と共に捕らえられ、北朝鮮に強制送還されてしまう。脱北者の中には、捕らえられた後、北朝鮮のスパイとして仕立てられ、同じ脱北者を密告する役割をする者もいるのである。
そして著者らは、山奥の電気もろくにない村に追放されるが、著者はその寒村でむしろ、人々の厚い人情を感じ、純朴な生活に喜びを感じたという。
しかし居心地のいい村とはいえ、そこはやはり北朝鮮であり、三男が脱北のルートを用意したことにより、著者は再び、三男と豆満江を渡る。しかしそこでも、他の脱北者に密告され、中国国内の拘置所に収容されてしまうが、逮捕前に日本からの救援NGOに接していたことが幸いし、著者は取調官から「北朝鮮には送還しない。日本に行くことになるかもしれない」と告げられる。
この拘置所でかなり待たされ、1年半も過ごすことになるが、著者は多くの脱北者と出会う。お金を稼ぐために子供を置いて中国に渡っている間に子供が餓死してしまい、正気を失った人も何人かいた。しかし悲惨な話ばかりではなく、雑居房の仲間と歌ったり踊ったりして楽しんだこともあった。また彼女はリーダー的存在になり、できるだけ清潔にきちんとした生活をするよう仲間に指示し、副所長の信頼を得た。
著者は帰国時点での日本人官僚の酷い対応に怒りを感じたが、食べ物の苦労のない日本に子供達と一緒に帰ってきて本当に良かったと思っている。そして北朝鮮という国が崩壊して、かつての同胞に平和と自由が手にできる日が来ることを願っている。
著者の性格が良いので、暗さや深刻さは感じられない。最初の拘置所で窓から見た杏の花に感動したり、寒村の掘立小屋で酷い雨漏りを経験した時も、昔本で見たヴェニスを思い浮かべ、シャンソンを口ずさみ、見回りに来た人を驚かせたという。
解説者の三浦小太郎氏も、「著者が全体主義体制下で数十年暮らしながらも、決してその精神を破壊されなかったのは、自然の美しさに感応し、想像力によって日常生活に潤いを与え、人々の善意と精神の美しさを感じ取る姿勢を持ち続けることができたからだ」「どんな抑圧体制下でも決して精神の自由を失わなかった人々、時として体制側の人間にすら見られる善意や良心が確かに存在したこと、それが読者に希望を与えてくれるのだ」と述べている。
冷たい豆満江を渡って 「帰国者」による「脱北」体験記 単行本(ソフトカバー) – 2021/5/10
梁 葉津子
(著)
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本の長さ272ページ
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言語日本語
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出版社ハート出版
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発売日2021/5/10
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ISBN-104802401175
-
ISBN-13978-4802401173
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商品の説明
著者について
梁 葉津子(りょう はつこ)
昭和18(1943)年、朝鮮半島出身の両親の下、大阪市に生まれる。2歳の時に大阪大空襲で家族は焼け出されて石川県に疎開、そのまま定住し、16歳で地元紡績工場に就職。
17歳の頃から父親あてに朝鮮総連関係者の訪問が始まる。熱心な説得に応じて北朝鮮への「帰国」を決心した父親に違和感を感じながらも、父親への同情心と両親との別れがたい気持ちから共に北朝鮮へ行くことになり、昭和35(1960)年、両親の生地ではなく自分の出身地でもない「祖国」北朝鮮に「帰国」する。
言葉も習慣も日本とまるで違う生活、同じ帰国者でも働かない夫、ないないづくしの育児……それらを通じ、北朝鮮では「強くなければ生きていけない」ことを自覚。改革開放で活気付く中国人を目の当たりにし、金正日体制下の「苦難の行軍」で食糧配給が途絶えるに及んで脱北を決意する。1度は失敗して強制送還されるものの、2度目に成功、現在は日本に定住している。
昭和18(1943)年、朝鮮半島出身の両親の下、大阪市に生まれる。2歳の時に大阪大空襲で家族は焼け出されて石川県に疎開、そのまま定住し、16歳で地元紡績工場に就職。
17歳の頃から父親あてに朝鮮総連関係者の訪問が始まる。熱心な説得に応じて北朝鮮への「帰国」を決心した父親に違和感を感じながらも、父親への同情心と両親との別れがたい気持ちから共に北朝鮮へ行くことになり、昭和35(1960)年、両親の生地ではなく自分の出身地でもない「祖国」北朝鮮に「帰国」する。
言葉も習慣も日本とまるで違う生活、同じ帰国者でも働かない夫、ないないづくしの育児……それらを通じ、北朝鮮では「強くなければ生きていけない」ことを自覚。改革開放で活気付く中国人を目の当たりにし、金正日体制下の「苦難の行軍」で食糧配給が途絶えるに及んで脱北を決意する。1度は失敗して強制送還されるものの、2度目に成功、現在は日本に定住している。
出版社より
「プロローグ」より
一九九七年四月十七日。意を決したわたしは、体の弱かった末の息子(三男)とともに、北朝鮮と中国の間を流れる豆満江を渡りました。
凍てつく冬が終わり、道端の草木も枯れ色の間から新たな命を芽吹かせ始め、わたしたちにも本来ならば、新たな希望が芽吹くはずの季節です。しかしその三年前、「英明なる指導者」金日成が死去してから、北朝鮮の食糧事情は悪化していました。
「指導者」が生きている間は、充分ではないにしても、なんとか生きていけるだけの配給を受けられていました。それが、死去してからは量が減りはじめ、ついには滞り、わたしの周囲でも餓死者が出るどころか、さらに陰惨な出来事が起こりました。
それを聞いてわたしは、自分の意志にかかわりなく北朝鮮に帰国してから三十七年目で「これ以上ここでは生きていけない」と、春もまだ浅い国境の川を渡る決心を固めたのです。
新緑が萌え、あたたかな風が吹き始めていたとはいえ、川を流れる水は文字どおり身を切るほどの冷たさでした。しかし、それに怖じ気づいていたのでは、わたしと、体の弱い三男の命は、もっと危ないことになってしまいます。
わたしはこの時の、川の水の冷たさを一生忘れません。
登録情報
- 出版社 : ハート出版 (2021/5/10)
- 発売日 : 2021/5/10
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 272ページ
- ISBN-10 : 4802401175
- ISBN-13 : 978-4802401173
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 17,537位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 1位文化人類学・民俗学の参考図書・白書
- - 2,103位ノンフィクション (本)
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
殿堂入りベスト50レビュアー
Amazonで購入
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2021年6月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本人が自分の意志でなく、親に連れられて行って大変な思いをして、食べ物も無く言葉も通じにくいのに、苦労の連続で、生きるか死ねかの境目を耐え忍んで帰ってこれた喜び感動しました。
2021年5月11日に日本でレビュー済み
1990年代の北朝鮮には国中が飢餓状態となり、おそらく100万人レベルの餓死者が出現、そして中朝国境を超える脱北者が出現しました。本書は10代の時に両親と共に帰国運動で北朝鮮に渡り、この時期に脱北した女性の手記です。
この本の中心は、北での生活以上に、脱北して暮らした中国での体験、特に捕えられて牢獄に入れられた時の様々な出来事が書かれています。残念なことですが、脱北者は単純に「北朝鮮独裁政権の気の毒な被害者」というだけではありません。同じ脱北者が脱北者を密告することもあれば、犯罪を犯す人もいます。実際、著者は密告されて中国で二回にわたり逮捕されているのです。
そして、彼らを中国で匿い、保護する中国朝鮮族も、最初は善意で気の毒な同胞を保護したのかもしれませんが、彼らを韓国や日本の親類からお金を引き出すための「脱北ビジネス」として利用するようにもなります。本書にはそのあたりの現実もきちんと描かれています。
正直、在日朝鮮人の人権問題や差別問題を議論するなとは言いませんが、20世紀以後の現代史において最も朝鮮人を虐待し、かつ殺していったのは、どう考えても日本でもアメリカでもなく金日成に始まる北の独裁者たちです。大東亜戦争中も戦場にならなかった朝鮮半島を地獄の戦果に変えたのは北朝鮮の引き起こした朝鮮戦争だし、その後、北に確立されたのは抑圧と飢餓の収容所国家です。
そして、もちろん日本の知識人や政党がそれに賛同した責任は免れないけど、帰国運動という名のもとに、その地に在日朝鮮人を甘言と偽宣伝で送り込んだのは朝鮮総連でしょう。このことを無視した「人権」論って正直何なのかと思うし、この歴史にこそ「責任」と「犯罪者の処罰」が必要だと思います。
本書はこの現代史を生きた女性の貴重なドキュメントと思いますので、興味のある方はぜひご一読ください。
この本の中心は、北での生活以上に、脱北して暮らした中国での体験、特に捕えられて牢獄に入れられた時の様々な出来事が書かれています。残念なことですが、脱北者は単純に「北朝鮮独裁政権の気の毒な被害者」というだけではありません。同じ脱北者が脱北者を密告することもあれば、犯罪を犯す人もいます。実際、著者は密告されて中国で二回にわたり逮捕されているのです。
そして、彼らを中国で匿い、保護する中国朝鮮族も、最初は善意で気の毒な同胞を保護したのかもしれませんが、彼らを韓国や日本の親類からお金を引き出すための「脱北ビジネス」として利用するようにもなります。本書にはそのあたりの現実もきちんと描かれています。
正直、在日朝鮮人の人権問題や差別問題を議論するなとは言いませんが、20世紀以後の現代史において最も朝鮮人を虐待し、かつ殺していったのは、どう考えても日本でもアメリカでもなく金日成に始まる北の独裁者たちです。大東亜戦争中も戦場にならなかった朝鮮半島を地獄の戦果に変えたのは北朝鮮の引き起こした朝鮮戦争だし、その後、北に確立されたのは抑圧と飢餓の収容所国家です。
そして、もちろん日本の知識人や政党がそれに賛同した責任は免れないけど、帰国運動という名のもとに、その地に在日朝鮮人を甘言と偽宣伝で送り込んだのは朝鮮総連でしょう。このことを無視した「人権」論って正直何なのかと思うし、この歴史にこそ「責任」と「犯罪者の処罰」が必要だと思います。
本書はこの現代史を生きた女性の貴重なドキュメントと思いますので、興味のある方はぜひご一読ください。