現在アニメ「山月記」を制作中です。囲碁もゲームもご無沙汰です。
ひろさわの人生ダメ詰まり--No Liberty--
花の乱・最終回『風花』(前半)(「受信料・花の乱」より移殖)
うわー明日から花の乱の再放送が第一回から始まるというのに、まだ最終回のレビューがかけてない! 「勝元暗殺」「花の御所炎上」の詳細レビューも後に取っておこうと思いつつ書けないまま・・・
最終回後半のレビューが今日中に間に合うかどうかw
では参ります~
かざばな【風花】
(「かざはな」とも)
1 空が曇り、風が吹き始めようとする時、小雨や小雪がぱらぱらと降ってくること。《季・冬》
2 降雪地から風に送られて小雪が飛来すること。
国語大辞典(新装版)小学館 1988より
最終回です。
天女(アプラサールじゃないよ)とも言われた日野富子の頭にも白髪が混じり始め、櫛にからみつく髪の多さが老いを示すこのころ・・
○延徳2年(1490)1月7日(太陽暦では2月6日)
小川御所に居た日野富子に、森侍者が《足利義政の死が近い》と告げます。
富子と森侍者は、連れ立って東山山荘に赴きますが・・・
この森侍者は亡霊で、富子にしか見えません。やがて姿を消してしまいます。
富子は狼狽し、森侍者の姿を探すのですが、義政は驚きません。視聴者も、もうこの程度では驚きません
この世を見ている者と、あの世を見ている者の違い。今までならばこの違いは壮絶な夫婦喧嘩を呼び起こしたでしょうが、老いた二人には穏やかな語らいがあるだけです。
義政は言います。
「森女は、そなたの心の中に居たのだ」
「先にこの世を去った者たちは、おのれの命の中で生かし続ける--これが生きながらえていく者のつとめではないのか。されば余も、そなたの命の中に宿らせてくれ」
・・・状況は全然違うのですが、
・・・に、似ていませんか? このセリフ。
引用部は、ウルトラマンA(エース)の第48話「ベロクロンの復讐」から、女ヤプール(歯医者)のセリフです。
from「 あしたはきっとやってくるさ!」by かめ吉様(いつもAの引用でおせわになっております)
ちなみにこの「ベロクロンの復讐」、能面の女にムラサキ照明と、なかなか「花の乱」してますな。歯医者が出てきたぐらいしか自分は覚えていませんでしたが・・・しかも超獣とは相撲対決・・・ですか?(汗)
・・・そういえば今日は1月7日、七草粥の日です。それに関連して、富子は、椿の庄の一年を話します。
・正月七日・・・七草粥。
・二月・・・苗代つくり。田に草を敷きこむ。
・春・・・田楽、辻祭り
・5月・・・麦刈り、麦打ち
・7月・・・盂蘭盆会(うらぼんえ)
・秋・・・取り入れ、稲刈り、もみすり、稲こき、俵詰
・9月・・・秋祭り
この世の極楽浄土とも思われるところなのだと、富子は言います。それならば自分も行って見たいと義政は答えるのです。
「この35年間、49回、ともに出かけた。これを50回目としよう・・・」
病をおして義政は富子と出かけます。二人は庶民に身をやつして歩くのですが、洛外の長い橋の上、日食(じゃないかもしれない。日食って新月の時にしか起こらないんじゃなかったけ?)の中、義政は亡くなるのです。
ここで、大館右馬助が通りかかるのが良い。
富子が少女のころ、いろいろ関わりを持っていた彼も、ずいぶんおじいさんになりましたが、「仲むつまじきご夫婦ですな」と言ったりします。
喧嘩ばかりだった二人が、最期のときにようやく穏やかな気持ちになれたのですね・・・
富子
「こなた様が風なら、わたくしは風に乗って舞う花びら。思えば・・・こなたさまあってこそのわたくしだったのですねえ。もう離れませぬぞ・・・」
「あなたあってのわたし」という言葉は史書にも出ているそうです。「あなたが居なければ私はこんなにはならなかったのに」というニュアンスも若干あるらしいw
というわけで、前半は足利義政の最期の一日でした。享年55歳。
後半は、この世の極楽浄土が崩壊します。楽園追放?子供のころを懐かしむことは出来ても、二度と戻ることは出来ないという意味かもしれない・・・
最終回後半のレビューが今日中に間に合うかどうかw
では参ります~
かざばな【風花】
(「かざはな」とも)
1 空が曇り、風が吹き始めようとする時、小雨や小雪がぱらぱらと降ってくること。《季・冬》
2 降雪地から風に送られて小雪が飛来すること。
国語大辞典(新装版)小学館 1988より
最終回です。
天女(アプラサールじゃないよ)とも言われた日野富子の頭にも白髪が混じり始め、櫛にからみつく髪の多さが老いを示すこのころ・・
○延徳2年(1490)1月7日(太陽暦では2月6日)
小川御所に居た日野富子に、森侍者が《足利義政の死が近い》と告げます。
富子と森侍者は、連れ立って東山山荘に赴きますが・・・
この森侍者は亡霊で、富子にしか見えません。やがて姿を消してしまいます。
富子は狼狽し、森侍者の姿を探すのですが、義政は驚きません。視聴者も、もうこの程度では驚きません
この世を見ている者と、あの世を見ている者の違い。今までならばこの違いは壮絶な夫婦喧嘩を呼び起こしたでしょうが、老いた二人には穏やかな語らいがあるだけです。
義政は言います。
「森女は、そなたの心の中に居たのだ」
「先にこの世を去った者たちは、おのれの命の中で生かし続ける--これが生きながらえていく者のつとめではないのか。されば余も、そなたの命の中に宿らせてくれ」
・・・状況は全然違うのですが、
「そうだ!お前は勝った!
勝った者は生き残り、負けたものは地獄へ堕ちる。
しかし、これだけは覚えておくがいい。
勝った者は常に負けた者達の恨みと怨念を背負って生き続けているのだ。
それが戦って生き残っていく者の定めだ!」
・・・に、似ていませんか? このセリフ。
引用部は、ウルトラマンA(エース)の第48話「ベロクロンの復讐」から、女ヤプール(歯医者)のセリフです。
from「 あしたはきっとやってくるさ!」by かめ吉様(いつもAの引用でおせわになっております)
ちなみにこの「ベロクロンの復讐」、能面の女にムラサキ照明と、なかなか「花の乱」してますな。歯医者が出てきたぐらいしか自分は覚えていませんでしたが・・・しかも超獣とは相撲対決・・・ですか?(汗)
・・・そういえば今日は1月7日、七草粥の日です。それに関連して、富子は、椿の庄の一年を話します。
・正月七日・・・七草粥。
・二月・・・苗代つくり。田に草を敷きこむ。
・春・・・田楽、辻祭り
・5月・・・麦刈り、麦打ち
・7月・・・盂蘭盆会(うらぼんえ)
・秋・・・取り入れ、稲刈り、もみすり、稲こき、俵詰
・9月・・・秋祭り
この世の極楽浄土とも思われるところなのだと、富子は言います。それならば自分も行って見たいと義政は答えるのです。
「この35年間、49回、ともに出かけた。これを50回目としよう・・・」
病をおして義政は富子と出かけます。二人は庶民に身をやつして歩くのですが、洛外の長い橋の上、日食(じゃないかもしれない。日食って新月の時にしか起こらないんじゃなかったけ?)の中、義政は亡くなるのです。
ここで、大館右馬助が通りかかるのが良い。
富子が少女のころ、いろいろ関わりを持っていた彼も、ずいぶんおじいさんになりましたが、「仲むつまじきご夫婦ですな」と言ったりします。
喧嘩ばかりだった二人が、最期のときにようやく穏やかな気持ちになれたのですね・・・
富子
「こなた様が風なら、わたくしは風に乗って舞う花びら。思えば・・・こなたさまあってこそのわたくしだったのですねえ。もう離れませぬぞ・・・」
「あなたあってのわたし」という言葉は史書にも出ているそうです。「あなたが居なければ私はこんなにはならなかったのに」というニュアンスも若干あるらしいw
というわけで、前半は足利義政の最期の一日でした。享年55歳。
後半は、この世の極楽浄土が崩壊します。楽園追放?子供のころを懐かしむことは出来ても、二度と戻ることは出来ないという意味かもしれない・・・
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 完全変形合体... | 花の乱・最終... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |