現在アニメ「山月記」を制作中です。囲碁もゲームもご無沙汰です。
ひろさわの人生ダメ詰まり--No Liberty--
花の乱・最終話『風花』(後半)(「受信料・花の乱」より移殖)
「いいえ、わたくしはまだ死なぬ。
何度でも生きなおしてみせる・・・」
・・・というわけで、あと9時間後にふたたび波乱の生涯の再放送が始まってしまうわけですが、その前に最終回のレビューが出来てよかったです。
----------------
義政死後7日目、1月の13日に、日野富子は出家し、一位の尼になりました。歴史上、一位尼は3人ぐらいしか居なかったような気がする
富子は今までいた小川亭を離れ、義政が作った東山山荘に移り住むことになりました。
----------------
さて、ここから、やや時間が混乱します。および、史実にアレンジが入ります。
以下、とりあえず、ドラマの流れに沿って記述し、突っ込みは小さい文字で入れます
----------------
●1
同年(注・延徳2年〔1490〕)7月、足利義材が、富子の推挙によって10代将軍になる。
●2
しかし、細川政元は「(義材は)操り人形にするには少々大きすぎる(←年齢が高すぎるの意。ちなみに政元と同い年)」と、陰謀を企てる。
畠山義就が支配する河内に将軍・義材を親政させ、その隙にクーデターを起こし、歳若い義トオ(漢字が出ないよ)を将軍にしようというもの。
実は義材は、河内攻めの前に近江の六角を攻めています(延徳3年〔1491〕~明応元年〔1492〕)
●3
それから3月のちの春(テロップでは「明応2年(1493)・春」と書かれる)、河内の陣で、将軍に付き従っていた畠山政長は、細川方と思われる乱入者に暗殺される。
将軍・足利義材は京に連れ去られ、讃岐細川家の領国の小豆島に流罪となることになったが、富子と伊勢貞宗が手を廻して越中に落ち延びさせた。
問題がここで、
「3月のち」をそのまま解釈するなら、「●2」は明応2年初頭だと解釈できます。
しかし、畠山義就が亡くなったのは延徳2年の末。
となると「●2」は延徳2年のことでないといけません。
ならば「みつきのち」は「みとせのち」の読み間違いではないかという気もしましたが・・・どうも後の展開を見ると、このドラマでは、畠山義就は息子(畠山基家)の分まで生き延びているようです。
というわけで、義就もゾンビか・・・
なんにせよ、3年を3ヶ月と思わせるドラマ的な圧縮が、かかっています。
畠山政長は、暗殺されたのではなく、包囲されて自刃。まあこれは時間を縮めたということでOK。
あと、この政変には富子が共謀していて、義材が京で幽閉されていたころ、富子に毒を盛られかけたとか。(そうなの?) 義材は命からがら北陸に逃げおおせたそうです。
その後、義材は各地をさまようことになります。山口の大内氏を頼ったりとか。「毛利元就」でも出てきましたね。
ドラマでは、富子は義材を かばっていたように見えたけどなあ~♪ あ~でも富子の前の義材は、ものすごくおびえていたような・・・
●4
政元は義政の遺言を盾に富子を東山山荘から追放。
富子は椿の庄へ向かおうとするが・・・
これ(追放)には元ネタがありそうなのですが、見つかりません。多分実際にあったことなんでしょうが、いつなのかが分からない・・・
●5
明応2年9月、7年9ヶ月続いた惣国は最後の時を迎えていた。
細川政元は、畠山義就と気脈を通じており、
山城国人衆は、幕府軍によって壊滅させられた。
リーダーだった伊吹三郎も炎の中に消える。
富子が見たのは、すでに灰となった椿の庄だった。
すでに死んでいるはずの畠山義就と気脈を通じるのが天狗のお面の力なのだろうか、細川政元・・・でもこの時期、義就の息子は河内にいて、気脈を通じたのはあくまでクーデター成功のためだったような
ゾンビ骨皮もいろいろあって蛍火と夫婦になりましたが、その後は生死不明。
ここの戦闘、ツブテを投げて闘ったり、月代を剃るものが居たりと、興味をひかれるものがあります。
●6
夜、畠山義就が伊吹三郎に暗殺される。
ゾンビ義就が生き残ったのも、すべてはこのシーンのため。椿の庄と対立した関係上、かなりの悪役に描かれていた気がしますが、実際は畠山義就のほうが「名大将」といわれ、(ドラマではさわやかな顔をしていた)畠山政長のほうが、実際は専横を疎まれたんだよな~
なお、このシーン、両方とも亡霊だ、という解釈も可能。
あの炎の中から伊吹三郎が生き延びたとも思えないし。
●7
富子が失踪する。
亡くなったのは明応5年(1496)5月20日、57年間の生涯であったが、
どこでなくなったかは明らかではない。
生まれが永享12年(1440)だから数え年で57歳ではありますが、
これを57年「間」と言っていいのか・・・まあいいか。
それにしても日付まで分かっているのに場所が分からんとは・・・
実際もどこでなくなったか分からんのですよね。
●8
天下をめざす織田信長が念願の上洛を果たしたのはこれより72年後のことである。
ええっと、1568年ですか。
総集編のときも どうも蛇足のような気がした最後の文字列ですが、
どう考えればいいんでしょうね、これ。
伊吹三郎が織田信長になって帰ってきたとか。
(役所さんということで)
----------------
最後は富子の言葉でしめましょう。
「いいえ、わたくしはまだ死なぬ。
わたくしの命はわたくし一人のものではない。
わたくしの命にはこれまでの生涯で出会った人々のたましいが刻み込まれているのだ。
あの人たちのためにも、わたくしは生きる、生きつづける。
何度でも生きなおしてみせる・・・」
ニーチェの永劫回帰のような(?)、強い現世肯定の言葉です。
常にこの世を見てきた富子らしい言葉。
ゆえに彼女はあの世に行くのではなく、
再び子供になって椿の庄に帰ってくるのではないかという気がします。
何度でも生きなおしてみせる・・・」
・・・というわけで、あと9時間後にふたたび波乱の生涯の再放送が始まってしまうわけですが、その前に最終回のレビューが出来てよかったです。
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義政死後7日目、1月の13日に、日野富子は出家し、一位の尼になりました。歴史上、一位尼は3人ぐらいしか居なかったような気がする
富子は今までいた小川亭を離れ、義政が作った東山山荘に移り住むことになりました。
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さて、ここから、やや時間が混乱します。および、史実にアレンジが入ります。
以下、とりあえず、ドラマの流れに沿って記述し、突っ込みは小さい文字で入れます
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●1
同年(注・延徳2年〔1490〕)7月、足利義材が、富子の推挙によって10代将軍になる。
●2
しかし、細川政元は「(義材は)操り人形にするには少々大きすぎる(←年齢が高すぎるの意。ちなみに政元と同い年)」と、陰謀を企てる。
畠山義就が支配する河内に将軍・義材を親政させ、その隙にクーデターを起こし、歳若い義トオ(漢字が出ないよ)を将軍にしようというもの。
実は義材は、河内攻めの前に近江の六角を攻めています(延徳3年〔1491〕~明応元年〔1492〕)
●3
それから3月のちの春(テロップでは「明応2年(1493)・春」と書かれる)、河内の陣で、将軍に付き従っていた畠山政長は、細川方と思われる乱入者に暗殺される。
将軍・足利義材は京に連れ去られ、讃岐細川家の領国の小豆島に流罪となることになったが、富子と伊勢貞宗が手を廻して越中に落ち延びさせた。
問題がここで、
「3月のち」をそのまま解釈するなら、「●2」は明応2年初頭だと解釈できます。
しかし、畠山義就が亡くなったのは延徳2年の末。
となると「●2」は延徳2年のことでないといけません。
ならば「みつきのち」は「みとせのち」の読み間違いではないかという気もしましたが・・・どうも後の展開を見ると、このドラマでは、畠山義就は息子(畠山基家)の分まで生き延びているようです。
というわけで、義就もゾンビか・・・
なんにせよ、3年を3ヶ月と思わせるドラマ的な圧縮が、かかっています。
畠山政長は、暗殺されたのではなく、包囲されて自刃。まあこれは時間を縮めたということでOK。
あと、この政変には富子が共謀していて、義材が京で幽閉されていたころ、富子に毒を盛られかけたとか。(そうなの?) 義材は命からがら北陸に逃げおおせたそうです。
その後、義材は各地をさまようことになります。山口の大内氏を頼ったりとか。「毛利元就」でも出てきましたね。
ドラマでは、富子は義材を かばっていたように見えたけどなあ~♪ あ~でも富子の前の義材は、ものすごくおびえていたような・・・
●4
政元は義政の遺言を盾に富子を東山山荘から追放。
富子は椿の庄へ向かおうとするが・・・
これ(追放)には元ネタがありそうなのですが、見つかりません。多分実際にあったことなんでしょうが、いつなのかが分からない・・・
●5
明応2年9月、7年9ヶ月続いた惣国は最後の時を迎えていた。
細川政元は、畠山義就と気脈を通じており、
山城国人衆は、幕府軍によって壊滅させられた。
リーダーだった伊吹三郎も炎の中に消える。
富子が見たのは、すでに灰となった椿の庄だった。
すでに死んでいるはずの畠山義就と気脈を通じるのが天狗のお面の力なのだろうか、細川政元・・・でもこの時期、義就の息子は河内にいて、気脈を通じたのはあくまでクーデター成功のためだったような
ゾンビ骨皮もいろいろあって蛍火と夫婦になりましたが、その後は生死不明。
ここの戦闘、ツブテを投げて闘ったり、月代を剃るものが居たりと、興味をひかれるものがあります。
●6
夜、畠山義就が伊吹三郎に暗殺される。
ゾンビ義就が生き残ったのも、すべてはこのシーンのため。椿の庄と対立した関係上、かなりの悪役に描かれていた気がしますが、実際は畠山義就のほうが「名大将」といわれ、(ドラマではさわやかな顔をしていた)畠山政長のほうが、実際は専横を疎まれたんだよな~
なお、このシーン、両方とも亡霊だ、という解釈も可能。
あの炎の中から伊吹三郎が生き延びたとも思えないし。
●7
富子が失踪する。
亡くなったのは明応5年(1496)5月20日、57年間の生涯であったが、
どこでなくなったかは明らかではない。
生まれが永享12年(1440)だから数え年で57歳ではありますが、
これを57年「間」と言っていいのか・・・まあいいか。
それにしても日付まで分かっているのに場所が分からんとは・・・
実際もどこでなくなったか分からんのですよね。
●8
天下をめざす織田信長が念願の上洛を果たしたのはこれより72年後のことである。
ええっと、1568年ですか。
総集編のときも どうも蛇足のような気がした最後の文字列ですが、
どう考えればいいんでしょうね、これ。
伊吹三郎が織田信長になって帰ってきたとか。
(役所さんということで)
----------------
最後は富子の言葉でしめましょう。
「いいえ、わたくしはまだ死なぬ。
わたくしの命はわたくし一人のものではない。
わたくしの命にはこれまでの生涯で出会った人々のたましいが刻み込まれているのだ。
あの人たちのためにも、わたくしは生きる、生きつづける。
何度でも生きなおしてみせる・・・」
ニーチェの永劫回帰のような(?)、強い現世肯定の言葉です。
常にこの世を見てきた富子らしい言葉。
ゆえに彼女はあの世に行くのではなく、
再び子供になって椿の庄に帰ってくるのではないかという気がします。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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『花の乱』で検索してたら、このブログに辿り着きました。このドラマ放送当時はまだ中学生だった私ですが、毎週観てました。このドラマのお陰で室町時代が好きになったと言っても過言じゃない位思い出深いドラマです。…確か、一番好きなのが畠山政長と義就だったのですよ。二人が出ない回の時はテンション下がってた事まで覚えてます。ビデオだと映像劣化が心配なので、DVDになって欲しいものです。
Posted by 董 at 2008年03月09日 20:44
>董様
書き込みありがとうございます。
自分は当時は途中で見るのをやめてしまってましたね~後になってから、全部見とけばよかったと思いました。
時代劇専門チャンネルで全話放送してくれたおかげでようやく見ることは出来ましたが、
ブログのほうは中途半端になったままです、すみません。
自分が切り絵をやってるのも、たぶんこの番組のおかげです。
>DVD
総集編のDVDはすでに出ていますから、全話集のほうが出てくれればいいんですけど・・・
Posted by ひろさわ at 2008年03月13日 02:21
ありがとうございます。
メールを送りますので、よろしくお願いします。