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無観客提言の分科会委員語る「五輪中止の現実味」 感染症の専門家として訴えたいことの本質

東洋経済オンライン / 2021年7月8日 8時30分

それに変異株の問題も考えておく必要がある。現在のところ変異株が確証を持って、感染が広がりやすい、重症化が起きやすいと判断ができる状況にはなっていない。しかし流動的な考えは持っておかないといけないし、そのための情報収集、ウイルスの監視はやり続けなければいけない。

■問題は大会期間中というよりその後

オリンピックの会場そのものがクラスターのるつぼになることは考えがたい。競技場はいろいろなチェックを受けた選手が競技をやっているところなので。ただ観客がいればいるほど、競技場に来る前後の行動を含めてその中の人がクラスターの原因になるかもしれない。そのリスクは否定できない。

問題は大会の真っ最中というよりはその後。感染症はその場で現れるのでなくて、その10日くらい前にかかって症状の出た人の話。

いまの時点で感染者が増えているとして、その数字はいまかかった人でなくて、1週間から10日くらい前の感染の結果を見ていることになる。となるとオリンピックの真ん中あたりに感染者数が増加したとしても、それは開会式前後のことなので、オリンピックをやろうがやるまいが、関係なく増えていることもある。

安全・安心というのであれば、大会期間中が安全に開かれるだけではなくて、それによる影響があとからでてくることも考えなければならない。オリパラが終わったあとに、オリパラを契機として大きなアウトブレイクやクラスターを起こさないこと、それは避けなければいけない」

だが、そもそも「安全・安心」だったら、毎日の検査は必要ない。安心できないから、毎日の検査を義務付ける。それはもはや「安全ではない」ことを示しているのではいのか。

「安全でいうなら、選手村であるとか、選手の安全はかなり対策が講じられている。 “安心感”のほうについては、国民は漠然とした不安を持っていると思う。不信感と言ってもいいでしょう。でも不安を持ちながら、怖いもの見たさなんですよね。危ないと思うのであれば、本当にオリンピックに行かなきゃいいんです。でもチケットは離さない。

去年の3月の末、今年もそうですが、お花見に行っていいか悪いか、メディアなどにもずいぶん取り上げられていた。僕は行ってもいいと言っているし、自分でも家内と行きました。混んでいるところ、混んでいる時間を避ければ、“花見”はできる。

でも、みんなが言っているお花見は、花だけを見るのでなくて、名所に行く、一緒にごはんを食べて、場合によっては宴会をやって、がお花見でしょ。花見の“コア”は何か、花を見ることですよ。僕は常々言っているが、人は残念ながらコアをすぐに忘れる。確かにそれはそう、周りのほうが面白いから。

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