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無観客提言の分科会委員語る「五輪中止の現実味」 感染症の専門家として訴えたいことの本質

東洋経済オンライン / 2021年7月8日 8時30分

そうなると、やっぱりオリンピックの“コア(中核)”の議論なんですよ。競技をやる、記録を作り、1番を決める、というオリンピックのコアならできる。僕は無観客という言葉はこれまでに使っていなかったけれども、僕のいうコアは結果的には無観客になるわけですよね。観客が見る、観客に見てもらうことが目的ではなくコアの部分をやるというのが明確な目的となれば、オリンピックは実現が可能になる。

スポーツを見て、それが華やかなものだと思い、まねをしたいし、競技をみることで『自分たちも!』と思うし、応援もする。あるいはナショナリズムもでてくる。

でも、それは競技を行うことの結果として膨らむもので、人が集まっただけではそうはならない。コアがないとならない。コアがますます大事なコアにぎゅっと集約して充実するには、周りに膨らみがあったほうが、それはよりいい。楽しみも膨らむし、選手もやりがいは当然出てくる。

だから選手の中にも、観客がいない大会に俺は行かない、という人も出てくる。僕はそれには、どうぞ辞退してください、と言いたい。“見せる”ことが目的ならそれはそれでオリンピックでのトップ候補から外れていればいいじゃない、という考えです」

新型コロナウイルスは「社会の病(やまい)」に例える(前編参照)とはいえ、そこまでオリンピックやスポーツについて感染症の専門家が議論することだろうか。

「『感染症を防ぐためには』なんですよ、前提が。感染症を防ぐには、人が動かない、来ない、行かない、というのが大前提だけど、それじゃあ社会生活は成り立たない。

それだけじゃなくて、例えばソーシャルディスタンスという言葉を厳密にとるならば、家の中、家族がいる場でのソーシャルディスタンスなんておかしい。ありえない。くっつきながら生活するのが人間生活の“コア”なんですよ。そこは崩せない。ということは、感染症が出るということは、ある程度目をつぶらなきゃいけないことも出てくるんですよね」

■感染者が増える勢いなら無観客にスイッチが妥当

そこでもう一度、現実的な話題に戻る。現状でオリンピックはできるのか。

「いま(インタビュー日の6月30日)の状況をみて、いまの段階ならできるでしょう。今日が開会式であれば。ただしその判断は、開催が可能なのか、終わってから影響が出るのか、大会中に増えるのか、を考慮することによっても違う。

ということは、考え方としてフレックス(柔軟)にやらないといけない。1つの固定観念ではできない。感染の増加によって、途中で作戦の変更も考えないといけない。厄介ではあるけれど、最初からこういうこともあります、と考えておかないと。それはうまくいけばいいけれど、想定したことを何が何でも死守するということでもない。

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