こう見えて私は下手ながら、自分の絵を下手だ下手だと苛みたくはないと思っている。しかし実際のところ下手であるので、それを言う口は止まらない。
基礎を固める努力をしてこなかったので、下手なのは仕方がないというか当然の帰結であり、責める前に練習しなよといわれるとぐうの音も出ない。
そう言う訳であるので、私は絵の巧拙について人一倍敏感であり、絵の巧拙というか自分の絵の巧拙だけれども、とにかく心の真ん中にウィークポイントとして存在する。
そのウィークポイントに、何がもっともヒットするかというと、拙い絵を人に見られることがある。特にそれが自分が上手いないいな素敵だなと思っている絵描きの方だとこうかはばつぐんだ。消え入りたくなる。
今日久しぶりにそれを体験した。二次創作の方のアカウントに通知が来たと思ったら、フォローしていた鬼のように絵の上手い絵描きの方からイラストにふぁぼがついていたのだ。総毛だった。
こういうことを言うといやらしさが出るかもしれないけども、その人の絵がどういう上手さかというと、東京芸大の日本画科出身という、私からはもっとも遠い、かつ権威に弱い私にとっては雲の上というか月の人といった風情で、そんな上手い人にふぁぼられるのはうれしい!と思う人ももしかしたらいるのかもしれないけど、しかし私にとってはなんというか、泥中に蹲っている私の顔を、なぜ月のあなたが照らそうとするのです?私を惨めにしないでください。という感じ。
ふぁぼってくれた絵が拙いのはあれだけど、もっと拙いアレとかコレとかもご覧になられたんですかね。見てもいいけど見た痕跡を残さないでよ!惨めになるじゃない!
超絵うまの気まぐれに、ミジンコ絵描きはこうも掻き乱されるのだ。
しかしアレですかね、もしかしたらタイムラインにはよく描けた!と思った絵だけ上げていればいいのだろうか。
私は自分の絵の巧拙には頓着する癖に、出来た絵の巧拙についてはあまり気にせずにぽいぽい投げてしまっている。それがよくないのだろうか。
いや、多分、私の場合はどんなによくできたと思った絵を並べたところで惨めな気持ちになるのには違いあるまい。
どうでもいいけど、素敵な絵描きさんで、絵を発表する頻度があまり高くない方は、一枚一枚を作品として向かい合っていたりするんでしょうかね。
だとすれば、というかそうだと思うんだけど、そうならば私が一番見習うべきは絵の巧拙よりむしろそういった姿勢なのではないかと思ったりする。粗製濫造してるんじゃないよ。