見渡せば山々に寄り添った田畑や人の営み
それらを照らす陽は眩しく、月は優しく、
傍らには川が流れ、山が鎮座する
ここ佐那河内村は、まもなく千年を迎える
一千年前から
人々は種を蒔き、田畑を耕し、
時代とともに作物や栽培方法を変えてきた
一千年前から
人々は隣人と語らい、家族と笑い、
時には不平不満を言いながらも
自ら暮らしを作り、「今」を生きている
川が流れるように、変化するべきは変化し、
山が鎮座するように、人々の本質は変わらない
大地の恵みに感謝を忘れず
余分があれば分かち合う
助けが必要であれば手を差し伸べ
恩は巡り巡って返される
ここに全てがあり、ここで生き続ける自信と覚悟
それぞれの顔に刻まれた平穏と満足
とある村人は言った
「自然に生かされて、地域に育てられとるんよ」
一千年の時をかけて「今」を積み重ねてきた
つづくむら 佐那河内村
村の花 シャクナゲ
村の鳥 ウグイス
村の木 スダチ
往古、徳島県は粟国と長国からなり、佐那河内村は長国に属していました。今から1800年前、成務天皇の御代に観間都比古色止命の孫、韓背足尼がその長国造となり、当時南北の連絡要地であった本村に居を定め、祖を祀り、水田を拓き、農業を勧めたといわれています。大化の改新(645年)のとき、阿波の国は7つの郡がありましたが、本村は、その中の名方郡に属していました。その後寛平8年(896年)、名方郡が廃止されて名東郡と以西郡に分かれ、以西郡に属していた1021年~1024年に現在の佐那河内村と改称されました。寛文4年(1664年)、再度名東郡へと合併されます。明治22年(1889年)名東郡から徳島市が分離して独立、このとき名東郡は9か町村でした。その後合併、町制などがありますが、昭和12年(1937年)には加茂町、加茂名町、八万村が、昭和42年(1967年)には国府町(南井上村、北井上村)が徳島市に合併されましたので、以後、名東郡は佐那河内村のみの一郡一村となりました。
いわゆる自治会といわれるものですが、佐那河内には、全ての集落に常会があり、その数は47です。古くは、藩政時代の五人組の流れを汲んでいるといわれ、以前は納税や自治の改善の上で大きな役割を担っていました。現在では、毎月1回定例会が開かれ、行政や農協、地域行事などの連絡事項を周知し地域の合意形成をすると共に、同じ地域に住む人同士の大事なコミュニケーションの場になっています。