[4a-45] 終ノ獄 怨獄の薔薇姫③
「話が見えないんだが……結局あんた誰なんだ?」
ウィルフレッドが声を掛けると、囚人服の男は少し、説明に困った様子で伸びかけたあごひげを撫ぜた。
「
「前世? では、ルネは記憶を残して輪廻したのですか?」
「いや、そこはかなりややこしい事情があって……」
ルネの前世を名乗る男は、簡潔に事情を説明した。
こことは異なる世界で死を迎え、大神に招かれてこちらに転生したこと。
異世界より招いた魂は加護を与える器として適するのだということ。
だが加護らしい加護は与えられず使い捨てにされたこと。
そして……死の瞬間、邪神に出会ったのだということ。
「邪神が前世の記憶を蘇らせたのか。
それは……済まないが、体よく焚き付けられたという気もするな」
話を聞いてウィルフレッドは哀れに思い、こう言わずにはいられなかった。
これでは大神に続いて邪神からも利用されているように見える。
異世界云々という話は正直ピンと来ないのだけれど、前世の記憶を持ち越すなんてあってはならないことだというのはウィルフレッドにも分かる。
ウィルフレッドも以前、神通力があるとか言う占い師に興味本位で聞いた事があるのだが、ウィルフレッドの前世は砂漠の街で若くして病を得て死んだ獣人奴隷の踊り子だったらしい。
だとしても今の自分とは関係無いことで、話を聞いても『そうなのか』と思っただけだったが、その記憶が蘇ったなら話が変わってきそうだ。前世で恨みのあった相手がのうのうと生きていたら……
喜びも悲しみも、誉れも恨みも、一生きりのもの。
それは魂の輪廻がこの世界の仕組みとして作られたときに決まった掟だ。記憶が持ち越されてしまえば前世の因縁も持ち越され、世に混乱をもたらす。
故に、死に際して魂の経験と記憶は精算される。だからこそ未練のある魂は輪廻を拒んで地上に残り、アンデッドに堕ちる。この世の仕組みとして、神殿学校でも習うことだ。
魔物や魔族の魂でさえも基本的には例外でない。
だが、神々は戦いのために、しばしばこの掟を破るそうでもあった。
ましてそれが邪神の所業であるなら、そこには邪悪な意図があるものと考える方が普通だろう。
「利用されてる気はしてる。わたしもきっと、手駒の一つでしかない。
……だとしても、この戦いを止めようとは思わないわ」
へたり込んでいたルネの銀色の目が、鋭く冷たく輝いた。
「地に平和無く」
囚人服の男は低く、風化したように掠れた声で言う。
「人に
戒めから解放された『ルネ』も、心の痛みを堪えるように悲しげに呟いた。
「「「故に、天に神在るべからず」」」
三人は唱和する。
「……結局、意見は一致するのね」
「方法論の違いだけだな」
溜息が交差する。
それから囚人服の男は振り向いて、ちょっとおどけた様子でキャサリンに言う。
「キャサリン。君がこの世界に迷い込んで最初、
なにしろ……幸せそうだったから」
「え……?」
「ちょっと! 何言って……」
男の言葉に被せるようにルネが叫んだけれど、その言葉は尻すぼみになった。
この場にはルネが都合三人も居るのだから隠し事はできない。
幸せそう、と言った。
どういう意味かは明白だ。
三人が一斉にウィルフレッドの方を見る。
ルネはバツが悪そうにむくれて。
『ルネ』はちょっと済まなそうに。
囚人服の男は、ただ静かに。
――俺かよ!
こんなもの八つ当たりじゃないか、とも思ったが、この状況で目の前でいちゃつかれたら目障りに思うのも理解はできる。
ましてキャサリンはルネにとって、ある意味、特別な存在なのだから。
キャサリンにとってルネはもうそうでもいいのなら、ルネにとってもまた然り、ということか。
だが、違う。違うと、ウィルフレッドは知っている。
「誤解だ。
キャサリンはルネのため、オニになろうとしていた。それを不幸だとも思わないまま。
そんで俺は、キャサリンにとってどうしても『二番目』なんだなって思ってたとこだよ」
「ウィルフレッドさん……その」
「謝んなくていい。それを承知でついてきたんだ」
今はな、と、ウィルフレッドは心の中で付け加える。
キャサリンにとっての『一番目』になりたい。そう思う気持ちは、いや増していた。
ライバルがよりによって“怨獄の薔薇姫”だとしてもだ。
「ともあれ。殺すつもりだったキャサリンが、未だに自分を想っていたと知って……
ああ、“
「
「ご名答。心が読めるんだから疑う余地が無いわけだ。
そこでキャサリンをどうしたいか迷い、己を割いてしまった……」
キャサリンという存在を切り捨てるか。
繋ぎ止めて救いとするか。
相反する二つの気持ちが存在し、『理性の調停者』は後者を支持した。
もっとも、その理由は三人に分裂しようとも根底に存在し変わることがない想い……復讐のため。復讐の戦いを続けるため、なのだろうけれど。
その時、やにわに男の輪郭がゆがみ、彼は風に溶けてしまいそうな自分の手を見て、それから、穴の
「おっと……『隠れ里』も壊れかけてるし、そろそろ、この不安定な状態も終わるらしい。
別れの挨拶は要らないか。別れるわけじゃないんだから」
それだけ言い残して。
余韻を感じる暇も無く唐突に、男の姿は掻き消えた。
囚人服の男だけではない。“怨獄の薔薇姫”たるルネの姿も消えていた。
「消えた?」
「違うわ。ひとつに戻ったの」
残ったのは一人。
留置所に捕らえられていたルネだけだ。
彼女の痛々しい傷跡が、時を巻き戻しているかのように消えていく。
そしてボロボロだった下着も再生し、その上から白い羊毛のワンピースが生み出された。
自分自身との不毛な主導権争いが終わり、この壊れかけの『隠れ里』は、今や彼女の支配下にあるのだ。自身の姿を変えるくらい、わけもない。
と言うことはつまり、今やこのルネの中には復讐の念に突き動かされるルネも存在するわけで、先程までの人畜無害な被害者ではない。
キャサリンを庇ってウィルフレッドは身構えようとしたけれど、その前にルネは、ウィルフレッドの気持ちを察したようだった。
「今はそういう気分じゃないから、安心して。
別れていたものが
そう言って笑うルネがさっと手を振ると、景色が塗り変わった。
そこはもはや偽りの王都ではなく、暖炉で温かな炎が燃える部屋の中。
必要以上に飾られてはいないため質実剛健な雰囲気を漂わせるが、大きな天蓋付きのベッドも、民芸品のカーテンもそれなりに高直ではあるはず。
窓の外には雪と星が降る夜。毛足の長い絨毯の上には、スノーローズの鉢植えが置かれていた。
「ここは……『薄暮の歌声』城の、私の部屋……」
いたく感銘を受けた様子でキャサリンはベッドに腰を降ろす。
するとルネもキャサリンの隣に座った。
「あらためてありがとう、キャサリン。わたしを助けに来てくれて」
「あれは私を試した、っていう認識でいいのかしら?」
「半分正解。わざわざ敵なんか置かなくても、あなたが来てくれるだけで孤独の否定には充分だったわ。
だけど『キャサリンは恐れをなして、結局わたしを見捨てて逃げ帰った』というのも、わたしが望んでいた筋書きだったから。あれは折衷案よ」
ルネは無邪気に笑って、言った。
ふと、ウィルフレッドは怖いことを考えた。
救いを求めるルネの思い通りになったから、別たれた三人の再融合において、一時的に彼女の要素が強く出ているのだ。
もしあそこでルネを見捨てて逃げる選択をしていたら、仮にどこかで異界の出口を見つけられたとしても、迷いを抑え込んだ“怨獄の薔薇姫”(それはもはやルネではないのかも知れない)にキャサリン諸共惨殺されていたのか、と。
「きっとこれ、あなたが来たかどうかは重要な『ルート分岐』なの」
「る、るーとぶんき?」
「いつかどこかで、わたしが何かを思いとどまる
世界の行く末が、ちょっとだけ変わるかもね。バッドエンドがメリバになるくらいは」
「め、めりば?」
妙なことを言って、それからルネは、今更のようにキャサリンをまじまじと見た。
隣り合って座る二人だが、18歳のキャサリンと10歳のままのルネでは座高が違う。ちょっと見上げなければ、ルネはキャサリンと目を合わせることができないのだ。
「……キャサリン。大きくなったのね、あなた」
「何年経ったと思ってるのよ」
そして二人は、どちらからともなく、抱き合った。
第四部Aはあとミニテキスト1回と本編2回です。……たぶん。