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【青天を衝け第21回感想あらすじレビュー】
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福沢諭吉で新旧一万円札コンビ
新旧一万円札が交錯する今回。そんな福沢ですが、幕末の人物でありながら170を超える背丈で立派な体躯。イケメンでした。
「ちょっとぉ! 福沢さんが今日うちの屋敷にいるって知ってる?」
「マジで、あのイケメンがきてるのぉ!」
そう女中がざわついていたそうです。渋沢栄一でイケメンが一万円札になったと思ってはいけませんよ。福沢諭吉の時点でイケメンです。
そんなイケメン福沢諭吉本人からすれば、こう言いたいとは思います。
「ハァ〜〜〜〜? なんで俺がよりによってあんな弐臣ドラマの引き立て役なのぉ!?」
そうキレそうだと思えました。
なんせ渋沢栄一と福沢諭吉は気が合わなかったそうですが、それも無理はない。
福沢諭吉は政府に仕えた元幕臣が大嫌いでした。
「弍臣」という言葉はそういう家臣を指すもので、儒教規範では最低の存在とされています。福沢は栄一と違って儒教を嫌う一方、弍臣を憎むというアンビバレントな感覚があります。
特に嫌いなワーストが勝海舟と榎本武揚です。
『痩せ我慢の説』でこの二人を罵倒しまくりました。一応、事前許可は取っていたものの、いざ出ると榎本は激怒したそうですよ。
ではなぜ諭吉は、この二人をターゲットにしたのか?
実は私怨もあります。勝海舟のことは渡米時代から嫌い。
榎本武揚にはむしろ感動しておりました。函館まで戦ってエライ! 東京で牢屋に入った榎本に、福沢はせっせと洋書の差し入れをした。
しかし榎本はこうでした。
「なんでえ、この書はよ! 俺ァこんなもんとっくに読んでんだぜ、舐めてんのか」
そこは幕臣でもトップクラスの知性ですので、差し入れ書籍が低レベルすぎてかえってイライラした、と。以来、福沢は榎本にバカにされたという恨みつらみがあった。そして爆発……とは、しょーもない話ですけど、それが史実です。
渋沢栄一については、福沢が激怒した無血開城&慶喜を持ち上げ、長州閥と親しい時点で不可避ですね。
勝や榎本にケンカを売った福沢諭吉~慶応ボーイの先生は誇り高き武士だぞ!
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尊王攘夷思想を学ぶためには
尊王攘夷を学べる本を一冊紹介させていただきます。
◆「尊皇攘夷」書評 今また勢いを増す 正義の思想(→link)
この本は確かに素晴らしい。
ただ皮肉にも、この記事で『青天を衝け』の危険性も暴いてしまっている。以下の記述に注目です。
NHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」が面白い。日本の近代化を進めた渋沢栄一が主人公だが、前半は幕末、若き栄一が当時流行していた「尊皇攘夷(じょうい)」という思想にどう向き合ってきたかが物語の中心をなしている。
ドラマに胸を衝かれるセリフがあった。水戸藩出身の一橋慶喜(草彅剛)が腹心の部下を水戸藩士に暗殺された後にこうつぶやく。
「尊皇攘夷か……。まこと呪いの言葉になり果てた」
天皇を立て、外国を打ち払う。日本を新時代に導いたのは間違いなく水戸で生まれた尊皇攘夷思想だが、慶喜のつぶやきに象徴されるように、この思想によって幕末の日本は複雑怪奇な道をたどることになった。
何がおかしいのか?と言いますと「尊王攘夷」とまとめていることがひとつ。
そこはむしろ「水戸学」かと思います。
この本のテーマであり、サブタイトル「水戸学の四百年」を無視してはなりません。この四百年には三島由紀夫が生きた時代、そして現在も入っています。
『青天を衝け』には多くの問題点がありますが、その最たるものが「水戸学の隠蔽ではないか?」と思う点です。
片山先生の本は良いですが、画竜点睛を欠くとは思える。江戸時代で終わるのです。
しかし、水戸学は終わらない。
渋沢栄一だって、結局のところずっと水戸学を捨てきれてはおりません。
中国思想と幕末史のみならず、現代史にもかかる問題がある。
そこは小島毅先生の『靖国史観: 日本思想を読みなおす』(→amazon)等をお勧めします。まぁ、毎週のように勧めてますが。
小島先生の名前がでたから付け加えますと、本作の重大な欠点は中国思想理解の不味さではないかと思えます。
ここ十年で中国思想をプロットに取り込み、かつ成功していた作品は『麒麟がくる』が頭ひとつ飛び抜けてはいる。日本史でそこまでする必要があるのか?とツッコミされますと、そこは難しい問題ですが。
とはいえ『論語と算盤』著者であり、タイトルが漢詩由来でありながら、こうも弱い本作はどうしたものでしょうか。
渋沢栄一の語るところの儒教は、何かと極端に流れる陽明学であり、かつ危険な水戸学です。渋沢栄一経由で儒教を学ぶことにはそれなりのリスクがあることは踏まえておいてください。
個人的な見解ですが、渋沢栄一と吉田松陰経由の儒教を学ぶことは、ちょっとごめん被ります。
土方は“何十人も人を斬ってきた”のか?
先週の話を蒸し返してどうかと思いますが……懸念が的中しました。
渋沢栄一と土方歳三はズッ友だよ!
そんな感想が盛り上がっています。うーん。
あくまで渋沢栄一の自伝ベースであり史実認定は危ういと先週のレビューで書かせてもらいました。
青天を衝け第20回 感想あらすじレビュー「篤太夫、青天の霹靂」
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今回は土方のことでも。
どうにも不穏な空気が漂う『青天を衝け』ファンダムです。
先週放送の土方は「何十人も殺した」旨を述べました。
それに対して私は上記の記事で「現場指揮官タイプなので彼自身が斬った数はそこまで多くない」としました。
そもそも論として。池田屋事件のような戦功記録があり、報奨金が出ているならばまだしも、そうでない刃傷沙汰は5W1Hすらハッキリしません。
新選組は怨恨や誇張が当時から多い。
坂本龍馬暗殺犯は新選組だという誤認が、近藤勇の処刑を早めとも指摘されております。
ゆえに、土方が無双してバサバサ斬っていく本作は【誇張が過ぎる】ことは確か。
ただし、こういう意見もまた違います。
・新選組がそんなに人を斬ったわけがない。今の警察官だってそんなに発砲しないよ
→現在にまで残る警察制度は、川路利良がフランス式を導入した明治以降のもの。新選組とは組織体制から逮捕術まで異なります。
新選組はむしろ八王子同心の方が近いでしょう。
幕末の治安悪化は特殊です。ゆえに、今の警察から新選組の類推をすることは間違いのもとです。
・新選組時代の土方は、人を斬ったことがないと思われます
→戦争従軍経験者、しかも副長でその認識は流石に大袈裟でしょう。
では、どうすればよいのか?
断定はしない、白黒つけないことが大事です。
「何十人も斬った」と数を盛りすぎてもよろしくない。だからといって「人を斬ったことがない土方」もおかしい。
「任務のために多くの人の命を奪ってきた」
「若く強い沖田、永倉、斎藤ほど斬ってはいないと推察できます」
この程度のボカし方にしましょう。
もちろん話は盛った方がバズりやすいし、不正確な情報を流したところで責任を取らなくてもよく、最終的には「信じた方が悪い」と逃れることができる。そう思ってしまったら、もう戻れない……。
和宮は“闇落ち”してません
先週放送の内容で、もう一つ気になった反応が和宮です。
◆<青天を衝け>家茂他界で和宮が“闇落ち” 失意と憎しみ…深川麻衣が体現「鬼気迫る」「ゾクッとしました」(→link)
なぜ和宮はこんなことを言われなければならないのでしょう?
慶喜はおめおめと突如江戸に戻り、勝海舟はじめ多くの人に縋りました。
その中に和宮がいる。
本作が、この先どんな描き方をするのか、私にはわかりません。
しかし、和宮に慶喜が縋り、彼女が憮然としながらも朝廷に折衝をしたことが描かれないとすれば?
現代には甚だふさわしくない言い回しと断った上で言いますが――これは紛れもなく、不敬でしょう。和宮への侮辱としか思えません。
もう一度、当時の川柳を出させていただきますと……。
かずのこは無事で にしんがへたりたる
【意訳】和宮はしっかりして意思を貫くのに、二心殿(慶喜)はダメだな
これも結局は見方次第で「帝に攘夷を誓いながら反故にする慶喜の方がよほど堕落してるわ!」と言いたい人は上から下まで大勢いたということです。
江戸城無血開城を裏方で支えた和宮!イメージを一新させる仕事ぶりとは
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『獅子の時代』の第一回はパリから
大河ドラマ『獅子の時代』をご存知でしょうか。
1980年に放送されたもので、もう40年以上も前になります。
菅原文太さんの演技が話題になりましたが、私が注目したいのは
・渋沢の大河初登場となる作品
・実は渋沢大河になる予定だった作品
の2点です。
NHKではこう紹介されています。
明治維新前年のパリ万博、幕府随行員として赴いた会津藩の下級武士・平沼銑次。
幕府に対抗して独自に参加した薩摩藩の苅谷嘉顕。
万博で出会った架空の2人が近代国家樹立という志を掲げて生きるさまを追い、幕末から明治にかけての激動の時代を描く。
「大河ドラマ」初の明治もの。
会津訛り(なまり)でしゃべる菅原文太の迫力ある演技が話題になった。
上記をご覧の通り、『青天を衝け』では20回を過ぎてもぐずぐずしている展開が、冒頭なのです。
『青天を衝け』はコロナとオリンピックもあり、年間スケジュールも曖昧なまま進められていることがわかります。
それを考慮しても、序盤があまりに長過ぎた。
その序盤に重要なことがあったかと言えばどうか?
不気味な蚕ダンス。
未成年設定栄一の褌披露。
栄一と慶喜が並んで放尿。
斉昭が慶喜に伝えた痔の対処法。
欲求剥き出し栄一、胸をぐるぐるさせながら千代を欲する。
家斉お手製スイーツを食べて闇落ちする井伊直弼。
心臓発作で休止したはずの斉昭が、死ぬ間際に妻にキスをする。
「なんで、そんなことばかり思い出すんだよ!」というツッコミはわかりますが、各メディアで「見所扱いされていた」ことも忘れてはならないでしょう。
『獅子の時代』を踏まえますと、今まではむしろ虚無への供物だったのではないかと思えてなりません。
渋沢栄一と同年代の人物とは、幕末か、明治か?
どちらで扱うべきか迷いますが、栄一は圧倒的に明治の比重が高い人物です。
ではなぜ、パリ渡航(大政奉還)までに20回もかけたのか?
『獅子の時代』とどこが違うのか?
逸全のレビューで私は、大河ドラマ『徳川慶喜』のころよりも歴史観が劣化していないか?と嘆きました。
訂正します。『獅子の時代』から……いや『花の生涯』や『三姉妹』からもそうとしか思えない。
『獅子の時代』は、架空の会津藩士を語り手とすることで、斗南藩の苦労や自由民権運動、市民が生きるための物語を描くことができました。
『青天を衝け』は違う。
徹頭徹尾、民衆を労働力扱いする視点がそこにはある。
海外ドラマでもみてください。稗史目線、民衆からみた歴史ものが圧倒的に多い。
そういうものを「ファンタジー」とみなすことはない。海外で「ファンタジー」と明瞭に言い切られるものとは、それこそ『ハリー・ポッター』であり『ゲーム・オブ・スローンズ』なのです。
歴史フィクションの定義がこうも異なることに、困惑と懸念を覚えるしかありません。
菅原文太兄ぃは仙台藩士の末裔~『仁義なき幕末維新』に見る賊軍子孫の気骨
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