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死ぬしかない






当人が死にたいと強く思っている傍で、頑張れとか、誰が悲しむとか、問題を解決すればいいとか

それは死にたい人のことを思ってのことではない。

それは死にたい人以外の人の主観でしかない。

死にたい人が望んでいることが死のたった一つであった場合、それを与えずに他で補うなど無意味だ。





日本は健康な人の安楽死を認めていない。ゲートキーパーというものもあるくらいだ。

何かの援助があれば生きたいという人もいる。そういう人達に対しては手厚い。

しかし死以外のことを何一つ望んでいない人間達に対しては何の援助もない。

おかしいとは思わないのか?




そんなに死にたいのなら勝手に死ねばいいと突き放す人は、自分の最期の時、どう思うのだろうか?

死に至るほどの苦しみを味わいながらジリジリ死んでいくのも人生だ、と余裕ぶれるか?


当人の気持ちを汲み取るなら、病人だろうが健康な人だろうが、死を望む人に、苦痛のない死を平等に与えてもいいのではないか。






しかし、日本では認めていない。気に入らないなら日本から出て行けというわけだ。


出て行くよ、日本だけでなくこの世からな。


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個人的に楽な自殺方法考察①



過去の経験によって体重は10㎏以上減少した。

たった一週間半の絶食で。

最後のあたりはフラフラで激しい動きができなくなり、失神しやすい。

しばらく横になってから急に立ち上がると100%意識を失ってしまいそうになっていた。最後の日は瞬時に気絶してしまった。

突然の不食体験の感想は《息苦しい》これが最も大きな印象。その次が《絶望》

中盤は絶望よりも息苦しさが勝っていた。身体が生きようともがいている証拠だ。

苦しみなど 痛みなど   絶望が勝っていれば全く感じない。アドレナリンが出ているかのように。



極度の緊張状態になると身体が傷つこうと痛みを感じない。

不食の終盤で首を吊る気力が残っていたら死ねた。安楽死に近い状態で。

医学の知識が豊富な者でも講義で得た知識と経験者の知識では雲泥の差がある。

その根拠はどこか。それは医者と密接な関係だからだ。内情もよく知っている。

といってもすべての医者と知り合ったことはないのでこの話題に関して専門的である医者もいると思う。

ただ私の知っている医者は意外にもあまり知識はない。そして誰もが気が強く、どこか冷めていてエゴイズムである。

そんな人間しか医者は長続きしないのだろうが。自殺未遂者にしても扱いはひどい。

手荒に扱うのはお灸をすえるためだと言っていた。その時にここぞとばかりに日頃の鬱憤をわからないように発散しているのだとか。


あと、患者に対する態度の良さの理由、それは医療も他と違わぬビジネスだからだと言っていた。患者はお客様でもあると。

笑顔を作るのが面倒なので当直での深夜勤務ではマスクをしてカモフラージュしているらしい。




製薬会社からの接待では色々なものがもらえる。

薬だったり、寿司だったり焼き肉弁当だったり。

一番多いのはメモ帳だ。大小様々。その会社のロゴが入っている。家に腐るほどある。

その時に開発されているものがプリントされたファイル入れやその開発の説明書…

医者がいいものを食べているというのはあながち間違いではない。

説明会に行けば弁当が支給され、接待を受ければタダ飯が食べられる。

少し注意しないと太ってしまう。



あまりいい性格の人がいない気がする。

バツの数が多かったり、異性をとっかえひっかえしていたり、堂々と不倫していたり

研修生はここで人間不信になる人も多いのではないだろうか。



すべての医者がそうであるわけではない。一応言っておく。


餓死未遂の体験記



餓死 とひとくくりにすると漠然としたイメージしか浮かんでこないだろう。

全くの食べず飲まずの結果、体が衰弱することにより起こる多々な症状で死ぬのだ。

この説明でも経験の無い人にはやはり理解できないと思う。具体的にどんな症状なのか?当人はどんな気持ちなのか?

これは私が心を病み、結果として不眠不食に陥った時の体験記だ。

人の顔が全く違うように、身体の個体値も全く違うので

不食によって起こる症状は個体差がある。必ずしも万人に当てはまることではないことを

あらかじめわかってほしい。だが経験のある人には当てはまる所が多々あるのではないだろうか。



1~2日目

私は当時 生まれてきて最大の絶望を感じていた。この世に留まることすら悲観するほどにだ。
絶望による力が強くて何もする気になれない。自殺をする手間さえする力がでなかった。
そのせいで意識の在る時は全く寝る気がおきない。食欲もない。
しかし突然の断食に身体は素直に反応する。二日目程になってからお腹が鳴り出した。
その音は三日目の終わり頃にはなくなっていたが。



3~4日目

活動源が全く入らなくなった身体だ。とてもだるい。運動する気になれない。終始横になっている。
歩こうと立ち上がると脚の筋肉が痛む。身体は自分自身を削って重要な器官に栄養を送っているようだ。
このころから動悸が出てきた。常に大きく脈打っているのを感じる。運動した後のようだ。
呼吸するのにも多大な力を要するようになった。息苦しいとはこのことか。
心は死を望むのに、身体は必死に生きようとしている。
私はこの時、心と体は表裏一体のものなのだと思った。相容れないのに、私たちは一つなのだ。
そんな他愛のないことを起きている間グルグルと考えていた。
どうやら思考能力も判断能力も低下しているようだ。
ついさっき聞いたことをすぐ忘れてしまうようになった。これは心因からかもしれないが。


5~ 日目

流石に同居人から私の異常を示唆される。しかし寝込んだままの状態だったので寝ているのかと思ったようで声をかける程度だった。
寝込んではいたが一日ほとんど意識はある。でも絶望に打ち拉がれた私は返事をする気にはなれなかった。
このころから日付曜日の感覚が無くなった。覚えることをやめた。ただ必死に呼吸をしていた。それで手一杯。
どうやら私は不食の栄養失調による呼吸不全の症状がでやすいようだ。
力を抜くと呼吸ができなくなる。しかし常に意識して呼吸することに開放された感はあった。
しかし時間が立つと苦しくなってまた力を入れて呼吸することのループであった。
動悸も激しい。
そういう状況に 私はただ横になって感じることしかできなかった。


今思えば一週間半ほどであっただろうか。
何の意志のなくただ立ち上がった時、目を開いているにもかかわらず辺りが暗くなった。
立つことを維持できない。維持できないならばしゃがむ行為をしなければならない。でも、できない。
足がグラグラしているのに頭が働かない。私は身体が傾く時意識を失ってそのまま倒れた。
目の前が暗くなってその間1秒も無かったと思う。起立性失神だろうか。

私が倒れた時、同居人がその部屋にいたので慌てて起こし、病院に連れられたのだった。
なぜ行ったのか。私自身のせいでこのような状態にあったのに。
同居人の強い意志に逆らえなかった。意志の強さなんてこの状態になってから全く無かった。
こんな私を放っておいたら後々保護責任を問われるからだろうか。
それとも同じ人間が絶望の後死に向かおうとする過程をまざまざと近くで見たくないからだろうか。
それとも私達が共依存の関係であるからか。




わからない。わかりたくもない。

医者には診てもらったが端から何も期待してはいない。
この病は医者では、薬では直せない。

私の場合、これは餓死ではなく絶望死の方がいいのかもしれない。
絶望は死に値する。この体験を持って知った。
あの時は同居人の気持ちさえどうでもよかった。というより考えることができなかった。


絶望を感じた瞬間、すぐに死ねる行為をする気力も無くなる。ただ打ちひしがれるだけの生きる屍となる。
絶望の回避方法なんてない。絶望は今でも私の中にある。



病院の帰り、同居人がラーメン屋に連れて行ってくれた。
餓死寸前の人にいきなり固形物を与えるのではなく流動食から始めるのが一般方式なのではと疑問に思ったが…
同居人の心情を察するに断れなかった。ラーメン屋…重そうな食事と予想できるのに(笑)

もちろん完食はできなかった。
しかし久々の外の景色と空気、同居人との会話で気分が少し軽くなった。
会話と言っても私達の会話は非常に少ない。「~へ行く。」「わかった。」ぐらい。
食事中の会話は全く無い。これが私達の《普通》だ。





もし私が一人であったなら、死んでいただろう。




ずいぶん後になって気づいた。不食か心因かわからないが、白髪が数本でていた。白髪が出るには若いのでショックだった。

夢の考察②


記憶があるから夢を見る。

記憶があるから人格が形成される。

記憶があるから選択ができる。


あのまま永遠に彷徨えていたら… 久しぶりに後悔した。

永遠と歩くのは面白みのない夢。死後永遠と彷徨っている気分であった。

または死後、新たに産まれそうになる感じ。

新たに産まれるとしたら、生の記憶など無いだろうから理に従って塔を登り切るだろう。

ことわりには抗えない。



こうやって夢にあれこれ考えたとしても不毛だが、暇つぶしにはなった。

夢の考察


夢の中でバットやナイフ等の棒状のものは男性性器、

トンネルや洞窟等の暗い空間があるものは女性性器の象徴だという人がいる。


実際に生まれ変わりの儀式として洞窟や神社を何周かして罪を削ぎ落とすというものがある。
洞窟や神社を女性の子宮と見立てて何回も通る=産まれる



それに当てはめるならあの巨大な塔は女性器、持ち主は私の母親

私と少年は 空へと続く塔の果てまでのぼりつめたら人間となり産まれるもの。

少年は登りたがった。私は登りたくなかった。

私はなんとなく塔を登り切るとどうなってしまうかその時予想できていたと思う。だから登りたくはなかった。

現実での生を知っているから。希死念慮があるから。


少年は今思えば私の幻想であり、ならば少年は現実の生を知らない。

精子が卵子とくっついたら生命ができる。育つと子宮から出てくる。

当たり前のことだ。だから少年は塔の上を目指した。




しかしこの世に生きているのは《私》である。

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