この日記は、25日に投稿されるよう予約設定されているものです。
そして、これが投稿されているってことは、私はもう死んでいます。
死んでいる場所は高尾山のはずです。
人が多くて見つかる心配があるけれど、これが投稿されてるってことは死ぬことに成功したってことです。
祝いましょう。
私の名前は・前田琢磨
昭和52年6月10日生まれ 35歳
本当は、新聞配達だとか建設業などで、やり直す方法はいくらかあるのですが、もう疲れました。
馬鹿はこの世に必要なし
結果として死ぬことが私の希望でした。
これを読んでいる方へ、お手数ですが東京の千代田区役所の福祉課にご連絡いただけないでしょうか?
もしかしたら過去に私を担当していたかたがいるかもしれません。
もしいなければ、就労支援の工藤さんでも結構です。
母に連絡取るように伝えてください。
そして、ブログのことは内緒にしておいてください。
スポンサーサイト
- 2012/11/25(日) 00:05:08|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:5
2012年11月20日現在
まぁ、沖縄から東京に戻ってやり直そうとしたけれど、あれかも色々とありまして・・・。
今では住まいもなくし、昨日からは漫画喫茶にいます。
このブログもあるていどまとめることができたし、もしこれを読んでいて細かい所がきになるのであれば、記事を探して下さい。
まだブログを書く時間は少しだけのこされているけれど、もうそろそろ終わりにしょう。
もう十分です。
まだこれからやることが少し残っていました。
実家に手紙をかいておかないと後々になって迷惑かけてしまうな。
面倒だけど、もうひとふんばり
もし私が死んでいたら、25日には「 もう死んでいます 」ってタイトルで自動的にアップされているはずです
- 2012/11/20(火) 12:18:55|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:1
2011年7月
生活保護の就労支援担当指導により、4ヶ月ほど勤めていたコンビニを辞め、翌月の7月からは築地にある鶏肉解体加工業者で働くことになりました。
でもこの職場のことをよく調べないまま勤めたこともあり、実際に働いてみるとハローワークの求人内容や面接時での内容とはだいぶ違い、たった1日で辞めてしまいました。
まず、ハローワークの求人内容では、勤務時間は2時から昼の12時までとなっていました。
実際に面接に行き話しを聞いてみると、通常は2時から14時までで休憩が1時間。
築地が休みの前日には、得意先の店舗が前もって沢山発注するため、17時まで勤務することがあるとも聞いていました。
確かに長時間労働です。
この段階で辞退する人も多いそうです。
でも風俗店などで働いていた経験のある私は、12時間拘束などは普通でしたし、時には16時間拘束15時間勤務ってのも珍しいことではなかったので、大丈夫だと甘く考えていました。
築地ではたらくことへのブランドイメージ、包丁技術を要求される精密などからも、それが普通の世界なんだなと思っていて、その時はやる気十分でした。
なによりも、保証人どころか緊急連絡先すらも求められない環境で働くことで安心したかったのです。
いや、本音としては、安心どころか不安でした。
風俗で長時間勤務の経験があると言っても、結局は長続きしませんでした。
長時間勤務の仕事をこの先、十何年も続けていけるのだろうか?
保証人が求められないとはいえ、逆に言えば最初から選択肢なんて限られているだけで、築地って場所と職人って言葉で自分で自分に納得させようとしていました。
内定をもらってから初勤務までの数週間、希望と不安との葛藤に揺れる毎日でした。
それでも希望を強くもたなければ、何も始まらない。
ここで内定を貰うために、幾つかの条件がありました。
それは通勤用のスクーターなどの足を用意すること。
長時間勤務なので、自転車通勤などは疲れて余計危ないし、長続きしないとのことでした。
それと、仕事でつかう自分用の包丁と長靴購入するため、最低でも1万円は準備しておくことです。
安いスクーターを買って4万円と包丁等で約5万円の出費です。
これですぐ辞めてしまったら、無駄がねに終わってしまうので、本当に頑張ろうと思っていました。
ところが実際に働いてみたら、面接で聞いていた話からまた違っており、頑張ろうって気持ちが早くも折れてしまいました。
普段の日は2時から14時までで、休憩は1時間と聞いていたのですが、それは注文が少なく早く終われる日のことで、休憩も30分しかありません。
本当の通常は、1時もしくは1時30分から、16時17時。
翌日が築地休日の場合で、18時から19時までの勤務。
この職場では、12時間で早上がり扱いなので、15人近くいるスタッフでも5人が勤めてまだ3ヶ月程度でした。
長く勤めている人もいますが、それでも5年目で1人だけで、全員の勤務期間を平均するとたったの2年でした。
いかに入れ替わりの激しく過酷な職場なのかは、この年数だけでも容易に想像できるはずです。
ここに勤めるために費やしやしたお金は勿体無いけれど、1日で辞めてしまいました。
- 2012/11/20(火) 11:23:22|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0