ふぃくしょんです

このぶろぐはふぃくしょんです

残念だけど自殺は世界最強の問題解決手段の一つだと思う

そういえば絶対書いておこうと思ったのに書いていなかったこの話を。

自殺するって決めてから無茶苦茶精神が楽になるのをお伝えしておきたい。ふつうはつらいもんだと思うけど、もうきっぱりと「死にます」と決めると迷いがかなり失われる。視界が晴れやかになる。これはヤバい。麻薬とかそういうたぐいのものと同等だと思う。やったことないから分からんけど。もちろん麻薬と同じで永遠に効いていることなんてのはなくて、少し時間がたつと当然効果が薄れて罪悪感と苦しさとかが襲ってきてうぎゃあってなります。でもなったときに「死にます」って思うと「お、わい死ねるやん!天才!」ってなってまた精神が楽になります。

タイトルの通り、世間的には理解なんてされないだろうし、健全な精神なら残念だと思って止められるんだろうけれども、これほど魅力的で素晴らしい解決手段に浸ってしまった今となってはもうどうしようもありません。本当にヤバいです。ので、死にたいですが発生していない人はそのままでいてください。なったら本当に終わるしかないですから。

泣いた分だけ強くなれれば良かったのに

タイトルでオチている気がする。数週間涙が出続けることが発生しているけども何も楽にならない。最初はすごく楽になった。でもどんどん効かなくなる。強い薬を最初から使うとすぐ死ぬみたいなやつですね。

泣くという行動そのものは人に見られるにせよ見られないにせよ、今自分は完全にダメで参っていますという精神状況を世界に表明するもの、要は自分の弱さを世間にさらけ出すものなので、そんなもんをする人間って本当は強いと思うんだよ。恥ずかしくて苦しいはずだから。でもそうはならない。ならないどころかどんどん弱くなる。恥ずかしい思いを繰り返しても苦しい思いを繰り返しても人間は強くなれない。弱くなるだけ。

死にたい人がする相談は無意味です

解決にはならないから。以上。

 

っていうとちょっと短すぎる気がするのでもう少し引き延ばす。これ、関係各所でさんざん言われている話のような気もするんだけど、相談に何を求めるかにもよる気がする。私は解決策の発見。例えば自分の技術・能力で問題解決ができなくなった瞬間に相談をする。たいていはそうすると新しい解決策を提示してくれたり、あるいは自分で説明しているうちにこんがらがっていた部分がすっきりしたり、まぁいろいろある。

でも、タイトルで言っている死にたい人がする相談ってのは、要は苦しいとかつらいとかそういう内容なんだけれども、これは全くの無意味で、なんでって解決策なんてないから。誰にどんなことを言っても「つらかったね」「苦しいね」ぐらい。解決にはつながらない。理由は単純で、そんな重い話(死にたいぐらい苦しいんだからそら重い)相談される側としては受け止めたくもないし、何か解決策を提示して責任なんて取りたくないわけですよ。自分が言ったことを相手がわけわからなく解釈して死んじゃったらどうすんのと。

だから相談は無意味。死にたい人は相談するってことはさらに死にたくなりに行くみたいなもんだから、まぁ本当に死にたいときは相談してさらに絶望するといいんだと思う。私もしました(苦笑)

死にたくなっても新しいものでは笑えるらしい

気づきですが、人間という生き物は多分反射で笑っています。というのも、完全に気分が落ち込んでいて死ぬ以外の思考に至れなくても、テレビを垂れ流していて面白い場面に遭遇すると笑えるからです。

で、これ笑えるんだから大丈夫そうに聞こえるじゃないですか。全くそんなことはないです。息するだけでも罪悪感を感じる状況で笑った後を考えてください。息をしたときに感じる罪悪感の数十倍が襲ってきます。笑えたではなく笑ってしまったが発生します。こうなるともう終わりですね。お疲れ様でした。また来世で。まぁ来世なんて来てほしくないけどが発生します。

あと大切なのは「新しいもの」であること。ようは見たことがないものってことですね。見たことがあるものだと「あぁ、あの頃は……」とかなってさらにつらくなります。でも新しいものだと、まだ見たことがないので、反射で笑うという反応ができます。でも反射なので、上気した通り結局はつらくなります。どうしようもないですね。やっぱりお疲れさまでした。また来世で。まぁ来世なんて来てほしくないけどが発生します。

カウンセラーなんて信じられるわけないじゃん

だってあの人たち仕事でやってんでしょ?人間って結局生きるために金が必要で、金もらうためだったらわりと頑張れるじゃん。まぁ興味とか適正とかあるんだろうけども。でもやっぱり、お金って人を動かすためにはすごく大切な要素だと思うんよ。

そういう人間だからさぁ、カウンセラーに自分の話聞かれているときも遠回しには「あぁ、この人は自分の生活のために若干の精神を削って今私の話を聞いているんだな」って思っちゃって。そう思うともうだめだよね。何言われてもお金のためって発想になる。

まぁこれ遠回しに僕がお金に執着しまくっていることを示しているんだけれども。はい。お金大好きです。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

その点、いのちの電話はボランティアらしいんだけど、今度それはそれで「いや、お給料もらって……お願いだからという気にもなる。大変なんだし。結局、相談したいと思える人がいなくなる。

宗教嫌い

そういえば新年あけおめです。この記事はそのぐらいに書かれているってことがバレますね。

私はおそらくそれなりにちゃんとした無神教で(とか言うとガチ宗教家の方々から燃やされそうだけど死んでいるから炎上は怖くないのである。書きたいことが書けるって最高だな。)、お守りとか買わないしもらったお守りもこっそり捨てるし賽銭箱は小銭を捨てて財布を軽くするところぐらいにしか認識していないんですけど、そういう人間にとって除夜の鐘とか初詣とかそういう宗教がらみの行事は総じて嫌で仕方がない。いや、お前らだけで勝手にやってくれよ。楽しくやってくれ。

で、まぁこれはN=1のお話かも(要するにサンプルが私だけの話かも)しれないですが。自殺関連のことを調べているときも結構な頻度で霊的云々に遭遇することがあったんですけど、あれって人の生き死にに意味を持たせて金稼ぎしている人たちのやり口でしょう?それでほんとに人救うつもりあんの?っていう。宗教はだれも救えないよ。人の行動を縛るだけだから。自分から縛られているのはいいのかもしれないけど。少なくとも家の宗教と同じ宗教に入信しないといけないみたいな風潮はとっとと消えるべきだと思う。