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悪役だった令嬢の置き土産 作者:かたつむり3号

悪役だった令嬢の置き土産

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8.悪役だった令嬢


 深々と溜め息を吐き出した父親を見ながら、クリスティーナは口角を吊り上げる。父は実に感情豊かになった。

 氷塊を削り出して生み出された男。

 エドガー・アベルという人間は冷酷の権化であり、酷薄なことで名が知れていた。情などいくらでも捨てられる。理性に基づき、必要とあれば娘であっても政の歯車として差し出せる。


 母を喪って以来、クリスティーナは父の笑顔を見たことがない。

 よく似た容姿であるクリスティーナはしかし、決して父に温もりを与えられないのだと、幼いながらに察していた。そして同時に、父がそれを必要としていないことも。

 母だけが父を人間たらしめる。父に心を与えたのは母であり、母は己の死と共に父の心も冥府へ持って行った。二度と、クリスティーナが父の心を分け与えられることはない。それは幼いクリスティーナが初めて経験する絶望だった。


 同じ人間を喪って、同じく愛した人を喪って、なぜ己ばかりが二重の喪失感を与えられなければならないのか。父はクリスティーナ以上の、母との記憶を持っているのに。


 ――ズルい。


 クリスティーナは父にも母にもよく似ていた。両親の持つ要素をより濃く、より研ぎ澄まし、煮詰めて己の中に詰めていた。氷のような父の理性も、炎のような母の情熱も、二人以上に強く有していた。


「クリス、窮屈ではないかい? 実りを自分の目で確認できないことを、お前は寂しいと感じてはいないかい?」


 こんな風に、柔らかい口調で言葉をかけてくれる父ではなかった。こんな風に、娘の現状を憂いてくれる父ではなかった。

 視線すら交わらない、同じ血の流れる他人。同じ邸で暮らしていても、クリスティーナとエドガーの関係性はずっと平行線だった。


「いいえ、お父様。わたくしは満たされているのです」


 もう十分に、隙間なく。あふれる程の幸福を得た。

 今に至るまでの努力は全て、きちんと実を結んできた。喜ばしい。頑張った甲斐があった。


「そうか……。けれど、何かあればすぐに言うんだよ」

「はい、お父様。ありがとうございます」


 エレンが魅了の魔石を手に入れて、慎重に時間をかけてアルフレッドに近づいて。それに気づいたクリスティーナの幾度にも渡る忠告を、婚約者の愛らしい妬心だと笑った彼を見て。クリスティーナは二度目の絶望を経験した。

 いかに野心を感じられずとも、いかに男爵家の娘といっても、寄る全てを警戒すべきだ。未来の王とは、そういうものだ。良心だけでそばにいる人間にも、警戒と猜疑心を常に抱える。不意を突かれてはいけないのだから、その程度の罪悪感は呑み込むべきだ。

 優しさは尊さだが、これでは駄目だ。そう思ったら、クリスティーナの世界は瞬く間に色褪せてしまった。


 ――つまらない。


 こんなにも愛しているのに。一心に愛しているのに。今後どうせ魅了の魔石の影響を受けて、この男は自分を裏切る。捨てる。にもかかわらず、阻止しようとする女の言葉を、愛らしい、とは。くだらない。バカバカしい。呆れて物も言えない。もういい、勝手にしろ。


「私達は結果として、お前のおかげで幸福を得ている。やり方は、少々……かなり強引だったけれどね」

「私欲で国を腐らせる愚者がのうのうと玉座に居座ろうとしていたのです。あれら以外、全てが幸福になれるよう、頑張りました」


 愚者と、それに加担する愚者は決して幸福にならないように。偽りの幸福の檻の中で飼い殺し、最後は谷底に突き落とす。今はまさに、絶壁に追い詰めたところだ。あとは背中を突き飛ばすだけ。

 その瞬間を思うだけで、クリスティーナの胸を幸福が満ちる。


「……あ、ああ。よく頑張ったね、クリスティーナ」


 口端を引きつらせながらも、エドガーは否定しなかった。

 得た幸福に対する感謝と同じだけ、あるいはそれ以上に、降り注いだ恐怖があると知っている。それでも娘への情を抱き続ける父に、クリスティーナは心から笑む。


「ありがとうございます、お父様」


 クリスティーナは自覚している。自分はきっと、ろくな死に方はしない。だって悪魔を招き入れた。己の内に、悪魔を住まわせ飼っている。悪魔をこき使って得た今だ。他はともかく、自分はきっと、永遠の幸福は得られない。どこかで必ず、手痛いしっぺ返しを食う。


 ――それでも、後悔はない。


 母が亡くなった時、父の愛を失った時、クリスティーナは迷わず悪魔の手を取った。どこから嗅ぎ取ったのか、クリスティーナの枕元に姿を現した悪魔。彼女は絶望の最中で、魂と引き換えに愛を与えよう、と嗤った悪魔と迷いなく握手を交わし、そして薔薇のような笑みを浮かべたまま憎たらしい悪魔の頭をもぎ取った。

 悪魔ごときが与える愛が、わたくしの魂と釣り合うなどと烏滸がましい。身の程をわきまえろ。

 涙を流す悪魔にひとしきり説教し、身の内に住まわせ生かしてやるから隷属しろと脅した。もいだ頭に、手足の骨を折る様を見せれば、悪魔は素直に頷いた。死とは、最も手軽な脅威である。


 それからずっと、奴隷となった悪魔をこき使ってきた。魅了の魔石などでは太刀打ちできない。純然たる悪意をもって、愛を得ようと頑張ってきた。

 愚王を戴く国を愚か者から守り、権力争いなどというくだらないことで時間を浪費する貴族を正した。清廉潔白で完璧な淑女としての名を広めておいて本当に良かった。強い言葉を使っても、強引なやり方を選んでも、みんな文句を言いつつも最後は受け入れてくれたし結果としてみんな幸せになった。真面目に生きるということは大切だ。睡眠時間を減らし、余暇を捧げ、針の穴に糸を通すような生活だったが、みんなに優しくしておいて良かった。


 貴族令嬢として真面目に励んできたおかげで、孤児院の子ども達にも問題なく紳士淑女教育を施せている。やはり、未来を担う子ども達への教育は大切だ。貴族の養子として迎えられた子も増えているし、クリスティーナの息がかかった子ども達が貴族社会で活躍してくれることは、今後の国のためにもなる。よそ見せず国を支えてくれるだろう。


 頑張った。本当によく頑張った。

 失った父の愛を取り戻し、捧げるはずだった愛は余さず国へ注いでいる。子ども達は可愛いし、シスター仲間とのおしゃべりは楽しい。

 素敵な日々だ。素晴らしい人生だ。

 たとえ今後の人生が死より苦しいものになろうと、四肢が爆発四散するような死に方でも、悔いはない。後悔しない。


「クリスティーナ、お前は幸せかい?」


 父の言葉を噛みしめて、クリスティーナは心からの言葉を吐く。


「もちろんです、お父様」


 クリスティーナは己の幸福を諦めない。


「わたくしは、あふれんばかりの幸福を感じています」


 二人の背中を突き飛ばす、とっておきのお楽しみも残っている。不幸であるはずがない。クリスティーナの人生は、死の最中にあってもなお、最後の一滴まで幸福で満ち溢れているに違いない。


「わたくしはきっと、世界で一番の幸せ者です」

 

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