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悪役だった令嬢の置き土産 作者:かたつむり3号

悪役だった令嬢の置き土産

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6.握手を交わした男達


 ウィル・メイナードは戦慄した。

 指示通りに動いただけで、得るべきものがきちんと手元に届いたことに、どうしようもなく恐怖する。思考する必要など何もなかった。ただ言われた通り、書かれた通りに言葉を発し体を動かす。

 まるで舞台を見ているよう。演者である自覚などありはしないが、観客であるとは思いたくもない。一体いつから仕組まれていたのか。


『大事な話があるんだ』


 思えば、あの時にはもう決まっていたのだろう。

 長年、互いをすり減らすことに注力していた憎き相手、エドガー・アベル。あの男が深刻な面持ちで話しかけてきたあの時にはもう、先の未来は全て決定していた。そうとしか思えない。


 何を企んでいるのか、と顔を顰めたウィルに、エドガーは迷いなく頭を下げた。どうしても、聞いてもらわなければならないことだと、そう言って。面食らったことで断ることを忘れ、しかたなくついて行った先に、彼女はいた。


 クリスティーナ・アベル。


 宮廷でも社交の場でも、彼女の名を聞かない日はない。社交界の華、完璧な淑女、女神。ありとあらゆる言葉を尽くして、誰もが彼女を褒め称える。素直に頷けない理由など、彼女の父親を嫌っていることと、愛娘が彼女と競い合っているからでしかない。


『こんにちは、メイナード公爵様』


 にっこりと、噂に違わぬ美しい笑みを浮かべたクリスティーナは、まるで悪魔のようだったと、今なら気づける。


 満ち欠けする月のように、少しずつ旋律を変える彼女の言葉は鮮烈だった。

 魅了の魔石。王太子の心変わり。婚約破棄。

 語られる内容は嘘のようで、夢物語のようで、けれど偽りない事実であると本能が理解する。恐ろしい。ただ恐ろしかった。

 欠片も損なわれない彼女の笑みも、愛を囁くように王太子を傀儡の王とすると言い切ったことも、権謀術数ひしめく宮廷で人事の長として君臨している自分をも駒として数えたことも、何もかもが恐ろしくて堪らなかった。すぐにでも逃げ出したい。ウィルの頭の中は、そればかりが支配していた。

 ウィルの他にも数名が集められていたが、全員がクリスティーナの言葉に慄き声もなかった。しかしそれでも、足が竦んで一歩も動けない状況であってなお、ウィルは、ふざけるな、と声をあげた。


 王太子欲しさに魅了の魔石などという未知の異物まで持ち出したのは、たかが男爵家の娘でしかない。消してしまえばいい。闇に葬って、これまで通り淑女の鑑でも女神でもやっていればいい。


 きつい語調で責めるように言葉を吐いた。己が軽んじられた怒りなど微塵も浮かばなかった。ただ目の前で微笑む娘に抱いた恐怖を振り払いたかった。愛娘と同じ歳の、何も変わらぬ少しばかり優秀なだけでしかないはずの女に、国を差し出すような真似をしたくなかった。


 クリスティーナが言っているのは、そこまでしてアルフレッドを得ようと足掻く小娘に愛を遂げさせ、王妃の席までくれてやり、しかし国は王家から取り上げる。これまでと変わらぬよう装って、その実、中身はまるで様変わりさせる。王家が演者で、台本は全てクリスティーナが書き、舞台は全ての貴族が整え、観客である民には安寧を。

 冗談ではない。できるはずがない。そんなことが許されるはずない。権力争いという厄介事に悩まされず、みなで手を取り合って国のために全身全霊を注げる生き方など、それこそ夢物語だ。誰も不幸にならず、損もしない。無理だ。


「では仕えるか?」


 苦々しい声で放られたエドガーの言葉に、みな息を呑んだ。

 魅了の魔石。自分の都合を相手に押しつけてしまえる石を持った娘はいずれ王妃に据えられるだろう。魅了され既に手に落ちたアルフレッドはその隣で王となるのだ。仕える自分達は、石の存在を知りながら目を瞑り、これまで通り生きていく。いつ、どこで、王妃となった男爵令嬢の都合を押しつけられたのか知る術もないまま。その可能性に怯えながら。


「王家が切り捨てようとしているのは公爵家の娘だ。そして発端である娘は間違いなく成り代わる。同じ事態が二度ないと、誰が証明できる?」


 エドガーの言葉は暗に、選択肢が二つしかないことを訴えていた。クリスティーナの案に乗り王家から国を取り上げるか、全てを知ったまま何もせず現状を受け入れるか。

 クリスティーナはもう、王太子妃として生きる未来を見限っている。仮にクララ男爵家を娘ごとこの世から消しても、これまで通りの未来はやってこない。彼女がそれを、許さない。


 ただの公爵家の娘ではない。クリスティーナ・アベルだ。欠点の一つを挙げることすら難しい、社交界に咲く大輪の薔薇。彼女に勝る娘はいない。それはウィルの娘にも言えることだ。優秀だと誇りに思う。けれどクリスティーナに勝るか、と問われれば、並ぶことさえできないと目を伏せることしかできない。

 沈黙が、答だった。


「では話を進めよう」


 エレン・クララは賢い。いつまでも石頼みで行動しない。手離す時が必ず来る。そうなったら、証拠隠滅のためクララ男爵家へ石が移される。それを待って、石はこちらで回収し、男爵家には生存を餌に服従を誓わせる。もちろん、哀れな娘には秘匿する。


『死は最も手軽な脅威ですわ。服従の果てに負う生涯の恐怖になど、彼らはきっと気づかないでしょう』


 耳にこびりついて離れない。鈴を転がすような笑声は、何年経っても夢に見る。


『お父様、メイナード公爵様、仲直りしてください』


 宮廷内にはびこる不和は全て叩き潰す。そのうえで、全ての不義を排し無能は切り捨てる。誰一人の裏切りも許さない。徹底した団結を、永劫の結束を。国を満たす歯車として身命を賭せる者だけが、今後の国には必要となる。役立たずも、愚図も、おしゃべりも必要ない。秘密を呑み込み罪を享受し、己が口を縫いつけられる者だけを残して。

 アルフレッドの即位と同時に、国の在り方は一変する。その際、邪魔になる者は一人も残さない。情ではなく理性で判断し、見極めろ。

 エドガーの娘だと、むしろこの時ウィルは安心したのだ。氷塊の心を持つ男の娘らしく、彼女は身内でも無能なら殺せと言った。生かして万が一、気取られ綻びとならぬよう、芽のうちに手折れ、と。

 国家の礎となれる男達が巨大な一枚の岩になることを彼女は望んだ。国のためとなることならどんな無茶も無謀も理想も好きにしろ、と。代わりに、国のためにならないことなら蝶の羽ばたきだって潰せ、と。笑顔のままそう言った。


『傀儡におべっかを続けるのは疲れますものね』


 王家との信頼関係の形成にさえ手を抜かなければ問題ない。傀儡の王家が生む次の王には、隙なく王としての器を満たしてもらう。そばに置く人間は全てこちらの味方から手配する。その際、王家から不満が出ないよう、とことん懐に潜り込んでもらう。

 傀儡がそれと気づかぬよう、気持ちよく王を演じさせてやる。そばに控える人間は全て自分達の味方だと信じ、監視ではなく信頼から近くにいるのだと。

 たった一人でも、真から首を垂れるに足る相手がいた方がやりがいもあるだろうから。


 ありとあらゆることを話し合った。今後のことを、これからの流れを。気が遠くなるような計画。目も眩むような提案。

 一本、また一本と首に糸が巻きついていく。息苦しくて、生き苦しくて。けれど首に巻きつく細い糸の先を握るのは彼女、クリスティーナ・アベル。従順に国へ尽くせば糸は見えないまま、自由に生きることができる。耳にこびりついた笑声も、いつかは慣れる。

 全てが、クリスティーナの言葉のまま、今、現実として目の前にある。


 ありとあらゆる不測の事態を、ルート1ルート2とご丁寧に名付けまでしていると知った時は眩暈がした。

 裏で糸を引くようになってからというもの、クリスティーナは運以外の全てを綿密に練ってきた。糸を束ね終えた頃には、運すら手中に収めた。不測の事態はただの予定と成り果て、状況がどう転がり誰がどこでどんなミスを犯しても、クリスティーナの計画が乱されることはない。


 恐ろしい。


「……」


 多くを語り、修道院へ行ってからも手紙や伝言という形で次について語るクリスティーナが、一つだけ語らなかったことがある。


 女のことだ。

 国のための歯車となった男達は全て、クリスティーナの支配下にある。けれど彼女は一度も、その妻や娘、女性達のことは語らなかった。

 気にする余裕もなく放っておいたが、気にする必要がそもそもなかったのだと、今ならわかる。


 クリスティーナの改革のために走り回る日々の中で感じた違和感。筆頭は縁談だ。

 子の元へ舞い込む縁談、妻が選ぶのは打算よりも関係性を重視したような相手ばかり。まるで、打算で組まれたアルフレッドとクリスティーナの婚約を過ちだったとでも言うように。

 そして娘達。卒業パーティ―でクリスティーナが断罪される様を見せられた彼女達はみな、不自然な程の落ち着きを見せていた。冷静になるのが早過ぎる。嘆き、何も言わぬ父に絶望したはずの娘は、数日と経たず平静を取り戻した。


 口を噤み、微笑みの仮面をつけ、そうして一人また一人と北方へ行く少女達。帰って来ると、清々しい晴れやかな笑みで、避けていたはずの父と抱擁を交わす。

 全てを察した。

 クリスティーナは国を完全に掌握したのだ、と。妻も、そして娘も、もうクリスティーナを敵や味方といった見方はしていない。女性達は教わるまでもなく気づいたのだ。男が敷いた貴族社会で生きる彼女達は、クリスティーナというたった一人を奪われたことで眠れる獅子の心を呼び起こした。

 国は変わったのだ。密やかに、しかし大胆に。


 ウィルだってそうだ。とにもかくにも仲が悪く、視線があった時が喧嘩の合図と言われるほど険悪だったエドガーとの関係が、すっかり様子を変えていた。今はもう、クリスティーナに支配された今となってはもう、彼を失うわけにはいかない。一蓮托生、運命共同体ともいえる男である。彼を失っては文字通り、国が立ち行かない。


 多くが変わった。変わらざるを得なかった。たった一人の女のために。

 そうして変わった国で今、心からの言葉で、笑みで、家族と過ごせるようになった。本心で、本気で、仕事に励めるようになった。

 クリスティーナ・アベルが恐怖と共に降らせた雨は、確かにこの国に望外の実りをもたらしたのである。

 

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