3.王太子の決意
アーサー・スレインは絶望していた。
学院へ入学して三年、良い関係を築いていたと思っていた女性からお断りされるのは、これで何度目だろう。
王太子として将来を期待されるアーサーの目下の悩みはたった一つ、婚約者が決まらない!
陛下と王妃様の努力は全て泡と消え、アーサーは候補となったご令嬢達とまともに顔合わせを行った記憶すらない。まるでそれこそ正解である、と言わんばかりに届く欠席の手紙、縁談がまとまった、と嬉しそうに頬を染めるご令嬢達の表情。記憶の中にある婚約者選びの日々はそればかり。
両親の必死の努力も空しくアーサーは学院で学ぶ歳になり、自分で婚約者を探すようになった。
王命をもってしても叶わなかった婚約者選びは、いくら優秀な王太子といえども一筋縄ではいかない。
どうしてこうなった。
現在この国では、かつてない程、おめでたい話があふれている。
年頃のご令嬢のほとんどが、デビュタントを待たず婚約者を得ているのである。それはつまり、有力なご令息達にも婚約者がいるということ。年頃の生徒達の大半が、将来を支え合う相手を得ていた。
学院の至る所で、仲睦まじい恋人達の幸せそうな姿が見られる。政の一環であるはずの婚約であるが、白い関係にある、という噂の一つも聞かない。誰も彼もが幸せな婚約を交わし、良好な関係を築いているという。
貴族社会につきものである、派閥争いや権力争いが少ないことも拍車をかけているのだろう。先王陛下の時代にはバチバチの争いを見せていたという貴族達でさえ、どうしてか今は手に手を取り合って団結している。
現王の功績である、と父を誇らしく思うほど愚かではない。何かがあったのだ。王の代替わりに伴って、この国で貴族達が一致団結しなければならない程の何かが。
『私に王妃の席は重過ぎます』『王家に嫁入りはちょっと……』『殿下のことは素敵な方だと思っておりますのよ』『王太子妃を務める自信はございません』『いっそ婿入り……いえ、何でもございません』『とにかく私には無理です!』
これまでのお断りを思い出す。
数少ない婚約者のいないご令嬢達はみな、アーサーと良好な関係を築いてくれた。爵位は劣るけれど本人にも実家にも問題はなく、母という前例がある以上、下位貴族でも王太子妃に迎えることは不可能ではない。
きっと大丈夫、ぼくの母だって立派に務めを果たしているよ。
言葉を尽くせば尽くす程、彼女達の態度は硬化し、最後は逃げ出すように離れて行ってしまう。
アーサーは気づいていた。婚約者が決まらない原因が、両親にあるのだということに。仲良くなったご令嬢達と疎遠になるきっかけは、いつだって両親であった。
王妃、という言葉を聞いて、引きつる口元を制止できたご令嬢はいない。婚約の話を切り出せばすぐさま用事を思いつき、王宮へ誘えば日取りの話をする前に用事か体調不良の予定が発生する。勉強会や茶会への誘いは、誰も断ったりしないのに。
あからさまに避けられている。
アーサー個人ではなく、両親や王家に関する何かを、みなが強く拒んでいる。アーサーだけが、その理由を知らない。
『殿下は大変に優秀でいらっしゃいます、自信をお持ちなさい』
幼少期、ずっと支えてくれた家庭教師の言葉を思い出す。
なかなか婚約者が決まらず、己に魅力がないからだ、と泣くアーサーの頭を撫でてくれた。視野を広く持って、しかし決して恨みや嘆きに惑わされないで、と。あなたは素敵な人間ですよ、と彼女に言われると本当に自分が素敵になったような気がした。
『今のまま、素敵な紳士になってくださいますよう』
人としての在り方を叩き込んでくれた執事の言葉を思い出す。
自分の気持ちだけでなく、他人の気持ちを想像できる人間になれ。身分や立場にかかわらず、人には心があることを忘れてはいけない。
ぶっきらぼうだったが、彼の言葉は今も深く胸に刻まれている。
アーサーを愛し、育ててくれた人達はみな、注意深く熱心に言葉をかけてくれた。引っかかる言い回しや言葉選びから隠している何かがあるのだと、幼心に気づいていたが、聞かなかった。真に迫るみなの教えを一つもこぼさず抱えて生きる。アーサーにできるのはそれだけだった。
「どうして、……」
両親を愛し、尊敬している。けれど二人と接する人はみな、どこか一線を引いているように感じられた。貴族たちもそうだ。民へ真摯に尽くし国を守っている者同士、一個の意志を持って励んでいる。しかし両親と彼らの間に、情と言えるような温もりを感じたことはない。
親しげに会話している時も、アーサーのことで胸を痛めている両親の話を悲痛な表情で聞いてくれている時も、決して寄り添わず踏み込まない。
違和感はずっとあった。けれど見て見ぬフリをしてきた。
両親とその他の全て。両者を隔てる何かは、あまりに両親に不利だった。アーサーの知らない隠し事を知って、もし両親への愛が揺らいだら。アーサーはただ、それだけが恐ろしかった。
幸福ばかりが横たわるこの学院内で、誰からも愛を得られない自身が抱える不動のそれに、縋りつくことしかできない。
このままではいけない、と耳鳴りがする。わかっているのだ、アーサーだって。いつまでもこのまま放置して、見て見ぬフリを続けていても改善することなど一つもない。いつかは向き合わねばならない。知らねばならない。
アーサー・スレインは王太子。いずれはこの国の王となる。そのためには支えてくれる妃の存在が不可欠だ。
胸をざわつかせる気持ちを振り払うように、アーサーは両手を強く握った。