▼行間 ▼メニューバー
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
悪役だった令嬢の置き土産 作者:かたつむり3号

悪役だった令嬢の置き土産

2/10

2.王太子だった彼の苦悩


 アルフレッド・スレインの気分は、最低といっていいほど深く沈んでいた。

 愛する妻との間に授かった最愛の息子、次期国王となる我が子の婚約者選びが難航している。どころか、小指の甘皮ほどの進展もない。

 なぜこうなった。

 愛する妻であり王妃でもあるエレンは政務もままならない程の落ち込みを見せ、ここ数か月、自室にこもって涙に暮れている。かつての勇敢な姿は見る影もない。


 息子の婚約者を選ぶために、これまで幾度となく茶会を催してきた。できれば息子と歳の近いご令嬢を、と望むのは親心だったが、事が事であるためやむなく、王太子の婚約者として相応しいご令嬢を求め、最近では国中の貴族へ招待状を出している。


「なぜだ……」


 手元にあふれる返信の手紙を見下ろし、頭を抱える。


『妻の体調が優れない』『娘の持病が悪化した』『風邪を引いた』『既にまとまった縁談がある』『娘は留学中ということになっている』『妻の不治の病が再発した』『娘は体が弱い設定なので』『妻の従妹の兄の娘が流行り病に罹った』


 ありとあらゆる理由をつけて、誰も彼もが不参加の返事を寄越してきたのである。

 あっちの公爵の妻はいつまで経っても体調が戻らず、昨日の午後もご友人達とお茶会を楽しんだらしい。こっちの侯爵の娘は持病の人見知りが悪化して、明日にも王立図書館の司書として就職するという。そっちの伯爵は自身の風邪が三か月経っても治らず、今日は朝から奥方とデートを楽しんだと聞く。あっちの子爵の娘はめでたく縁談がまとまった。こっちの男爵の娘は留学中ということで、昨日もご友人達と王都の薔薇園へ出かけたという。そっちの男爵の妻は不治の病が再発し、明日は旦那とデートと聞いた。騎士団長の娘は体が弱い設定らしく、毎日のように騎士団の訓練場を見学しては、時折、自らも剣を振るうという。宰相の娘はここ数か月、宰相の邸宅で流行り病に罹ったという妻の従妹の兄の娘と楽しくおしゃべりに花を咲かせているらしい。


 どれもこれも、隠す気もない大嘘である。そしてこれは、今に始まったことではない。

 初めの内は申し訳なさを激しく訴えかける文章を情感いっぱいに綴った手紙が届いていたが、回数を重ねるうちに段々と返事は簡素になり、内容も雑なものになっていった。最近では、言い訳すら書かない連中も増えてきている。


 数度、王命をもって参加させたこともあったが、その際に招いたご令嬢はみな招待状が届く直前で縁談がまとまっており、そうなれば当然、息子との婚約を打診することなどできなかった。

 そうでなくても、あっちでもこっちでも婚約したという話があふれている。やっとの思いで婚約者のいない娘を見つけても、病弱で領地から出られないだの縁談がまとまりかけているだのとそれらしい理由を並べ立てては躱されていた。


 なぜ、なぜこうなったのか。


 一年、二年と時が過ぎ、上位貴族だけでなく、下位貴族にまで招待状を送らざるを得ない程、状況は切迫していった。しかし下位貴族から王太子妃を選ぶのは難しい。

 かつて、歴史に名を残す悪女に騙されていたあの頃、たった一人で彼女に立ち向かった勇敢な妻のような女性を求めるのは酷だとわかっている。それでも、どうしても比べてしまう気持ちが邪魔をする。


 エレン・クララ男爵令嬢。

 元婚約者、王立学院唯一の汚点クリスティーナ・アベルを相手に孤軍奮闘し、彼女の悪行を暴いた立役者である。長年連れ添った婚約者に裏切られ、騙され傷ついたアルフレッドの心を癒してくれた女神だ。殻に閉じこもるアルフレッドに根気強く言葉をかけ、辛抱強く慰め、ずっと寄り添い支えてくれた天使。

 彼女と比べると、どんな女性も霞んでしまう。下位貴族のご令嬢を王太子妃に迎えるということでかなり苦心し骨を折ったが、絶望のどん底から引き揚げてくれた聖女を諦めるようなことはできなかった。


 初めの内は反発の声も多かった。エレンも分不相応だと身を引こうとした。それでもどうか、と手を握るアルフレッドに折れて頷いてくれた時の喜びは忘れない。

 男爵家の娘を王太子妃に。エレンは求められる以上の努力を重ね、少しずつ周囲の非情な視線を溶かして行った。時間はかかったが、彼女は多くの祝福の元アルフレッドの妻となり、そして王妃として今も励んでくれている。爵位を理由に眉を顰める者など、もうどこにもいない。


 エレンのために重ねた努力を繰り返してまで息子の婚約者へと望む程の魅力があるご令嬢は、果たしてどこにもいなかった。


 褒められたことではないと理解していても愚痴ることはやめられず、最近では宰相から財務の長、人事の長と臣下に助言を求めることが増えた。彼らはみな真剣に話を聞いてくれる。しかしこれといった助言は得られず、ずるずると現状を引きずっている。

 幼い頃からずっと、不参加の手紙や自分以外と婚約した令嬢達のおしゃべりばかり見てきた息子は、すっかり自信を失っている。

 妻に似た華やかな顔立ちは多くのご令嬢を魅了しているのに。アルフレッドに似た聡明さは、次期国王として申し分ないと多くの臣下を魅了しているのに。王太子として隙のない息子はしかし、将来の伴侶だけがどうしても手に入らない。

このまま婚約者を見つけられなかったら。不安ばかりが募る。


 息子は今年で十二歳になる。学院への入学は間もなくだ。入学までには婚約者を見つけてあげる。ぼくに魅力がないから、と落ち込む息子と交わした約束を叶えてあげられない無力感を噛みしめ、アルフレッドは深い溜め息を吐き出した。

 

  • ブックマークに追加
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。

― 感想を書く ―

1項目の入力から送信できます。
感想を書く際の禁止事項をご確認ください。

※誤字脱字の報告は誤字報告機能をご利用ください。
誤字報告機能は、本文、または後書き下にございます。
詳しくはマニュアルをご確認ください。

名前:


▼良い点
▼気になる点
▼一言
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。