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悪役だった令嬢の置き土産 作者:かたつむり3号

悪役だった令嬢の置き土産

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1.悪役令嬢



「クリスティーナ・アベル! 貴様の数々の悪行は許されるものではない。私アルフレッド・スレインの名において、ここに王家とアベル公爵家との婚約を破棄することを宣言する!」


 大広間に反響する声には、強い嫌悪と正義が宿っている。怯えたように肩を震わせる令嬢を一人、背に庇うように立つアルフレッドの視線の先で、今まさに断罪されようとしている女は普段と変わらぬ能面を貼りつけ、静かに視線を受け止めた。


 編み込み結われた髪は濡羽色、温度を感じさせない双眸はしかし燃え上がる炎を閉じ込めたような色をしている。群青のドレスを彩る金糸の刺繍が時折シャンデリアの光を反射して、うっとりするような彼女の姿をいっそう艶めかせていた。


 学院の卒業式を兼ねたパーティが始まる直前のことである。親族の入場が開始される前に、済ませなければならないことがある、と。アルフレッドの言葉に誰もが心を弾ませた。遂に結婚式の日取りが決まったのだろう、と。わずかに首を傾けたクリスティーナの姿を見つけた生徒達は一斉に口元を緩めた。婚約者の知らない話。であればきっと、殿下は皆の前でプロポーズなさるに違いない、と。


 しかし、始まったのは告発だった。

 クリスティーナ・アベルは、王太子の婚約者という立場を利用して、学院内に不穏をばら撒いている。身分の差を理由とした明確な差別、あからさまな贔屓、不当な嫌がらせの数々。それら全てを人に行わせ、自身は高みの見物を決め込み、被害者達の嘆きをティータイムのお茶請けにしているという。

 被害に遭った令嬢達はみな怯え直接証言を得ることは難しいが、勇気ある生徒が一人名乗り出た。クリスティーナの悪辣な言動を認め、被害に遭った令嬢達の署名を集めたのである。男子生徒には決して漏らさぬよう徹底した情報統制を行っていたため、ここまで気づくのに時間がかかったが遂に断罪の時である。


 悲痛な表情で告発を続けるアルフレッドの様子に、多くの生徒が冗談や狂言ではないのだと青褪めた。男子生徒にとっては青天の霹靂ではあるものの、事実であるなら看過できない。

 王太子妃に望まれる女性が、己の権力を笠に着て非道に堕ちた。

 クリスティーナの卒業を祝い、共に学べなくなることを惜しんでいた女子生徒達は一斉に、婚約者に腕を引かれ遠ざけられた。困惑と疑心に支配された彼女達は、抵抗もできなかった。そんな、と小さく漏れた声は、ざわつく空気に溶けて誰の耳にも届かない。


「陛下、及びアベル公爵との協議は済んでいる。これより、貴様の処分を言い渡す」


 五歳の頃から続いた婚約の終焉とは、こうもあっけないものなのか。どこか他人事のように扇で口元を隠したクリスティーナには、多くの鋭利な視線が突き刺さっている。それらすべてに嫌悪感と侮蔑の念がこもっていると、もちろん彼女も気づいていた。


 アベル公爵家の長女クリスティーナと、王太子アルフレッド。

 指の先から髪の一本に至るまで、完璧な淑女と称されるクリスティーナは将来、国母として大いなる愛をもって国に慈雨を降らせるだろう。慈悲深く英邁な王太子と期待されるアルフレッドは将来、歴代でも最高の王となり大いなる智をもって国に幸福をもたらすだろう。

 一つの問題もなかった。欠片の不安もなかった。

 手に手を取り合い、互いを尊敬し切磋琢磨する二人の姿は生徒達にとって理想であり、政略とは思えない程の愛が感じられた。


「貴様はこれからの人生を全てかけ、己の愚かな行いを反省するのだ」


 追放処分。

 公爵家の令嬢としての身分を剥奪し、北方にある修道院にて生涯、神へ祈り民へ奉仕する。アベル公爵家の領地へも、王都へも、今後一切、立ち入ることは許されない。

 とはいえここは、国中の有力貴族の子息令嬢を囲う学院である。立ち入りを禁止された場所に限らず、クリスティーナは今後どこにも行けないだろうことは容易に想像できた。

 国外へ追放し放逐するのではなく、国内に止めることで一切の自由を奪い縛りつける。重い罪だと令嬢達が青褪め、令息達でさえ息を呑む中、やはりクリスティーナは眉一つ動かさず最後まで黙って聞いていた。


「アルフレッド様の、仰せの通りに」


 深く、完璧な姿勢で首を垂れる。しかしその声に熱はなく、周囲の視線が鋭さを増す。そしてアルフレッドもまた、不快感から紺碧の双眸を燃え上がらせた。


「貴様はもう私の婚約者ではない! 気安く名を呼ぶな!」

「失礼いたしました」


 反響する怒号に紛れ、クリスティーナの声がわずかに冷え込んだことには、この場の誰も気づかなかった。


「話は以上だ。貴様は祝いの席に相応しくない。早々に立ち去れ」


 そのための、時間だった。

 まだ生徒達しかいない内にクリスティーナの罪を知らしめ追い出すことで、続く祝いの時間を邪魔されないように。卒業というこの日を、笑顔で締めくくるために、嫌な話を先に済ませてしまいたかった。


「はい、殿下」


 静かに返事をしたクリスティーナは変わらぬ能面のまま、しゃんと背筋を伸ばして出口へと振り返った。しかしすぐに、踏み出したその背を、アルフレッドの声が叩く。


「何も、……何か言うことはないのか」


 ゆっくりと、淑やかな動きでアルフレッドを振り返ったクリスティーナの双眸が、シャンデリアの光を移して鮮烈に赤めいた。


「何一つ、ございません」


 失礼いたします。

 まるで化粧を直しに退室するような気軽さで、クリスティーナは大広間を後にした。

 申し開きも、謝罪も、十五年に渡り連れ添った婚約者への未練の一つも口にせず。クリスティーナ・アベルという女性は、悪女として、誉れ高き王立学院の歴史に暗い染みを落とした。

 

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