スレッド

会話

返信先: さん
>あらためて説明すると「エス」とは「シスターフッド(Sisterhood)」の頭文字 まず冒頭が誤り。シスターフッドではなく、シスターの頭文字に由来する。この誤解説は2007年『女学校と女学生』で発生したと考えられ、ニコ百やユリイカが百合界隈に周知した。恐らく後者2つのどちらかを参照したのだろう
1
7
10
戦前にシスターフッドという語が定着していないことは、学生向け辞書や流行り言葉、少女雑誌などからも推測できる。また今で言うシスターフッド教育を受けていた一色義子は自著において、そういった言葉がなかった旨を記し、そもそも博愛に基づくシスターフッドとエスがかけ離れていることを示唆した
1
7
8
>吉屋信子にしても~はたして三島や太宰などと較べて~いずれにしてもライトノベルと同じような感覚で若者たちが気軽に手に取れる作品でないことはたしかだ。 ここも大きな誤解を孕む。昭和29年8月『主婦と生活』では「我が国の女流作家」の筆頭に挙げられ、永井荷風など合わせて似顔絵が描かれている
1
4
6
>なぜならば『マリみて』は、その「薔薇様」やスール制度などに象徴される独特の世界観が、良くも悪くもあまりに独特すぎるがゆえに、じつのところ後続の「百合作品」の世界観には、それほど影響を与えていないのである。 後述するがこれも主観に基づくもの。
1
4
6
>少女文化の第一人者として知られる嶽本野ばらが「エス」について解説する特集記事を掲載しているが~とは論理が破綻している。 百合姫の当該記事は確認していないので、どのように嶽本が紹介されていたかはわからないが、嶽本はあくまで作家であり決して「少女文化の第一人者」ではない。
1
4
6
確かに嶽本は現代における少女文化の継承において大きな役割を担っているが、例えば「日本の少女論や少女文化論の原点」とされ、それまで文学研究において軽視されていた吉屋や少女文化を再評価した本田和子の登場は80年代初頭である。作家としての嶽本の登場より10年ほど早い。
1
6
5
嶽本のエスに対しての説明がどう矛盾していようと、彼がどうにアジっていようと、それは彼の自説であり、エスそのものを批判する材料にはならない。 そもそもオッシー氏記事は、戦前の作品や文化を参照し、エスが当時どう理解されていたか、どう定義されていたか確認する作業が決定的に欠けている。
1
5
5
>最先端のオタク・カルチャーに親しむ若い百合作家たちが、戦前の古臭い文学作品を読み込んでいるとは、到底考えにくい。 直接参照しなかったにしろ、現代の百合観にエスが影響を与えていないことにはならない。
1
4
5
具体的なところで『エス』の第一義を確認しておくと、川端・中里は『乙女の港』で「シスタァ、姉妹の略」とする。 戦前の辞書を見ると、大正『是は素敵だ 男女学生花言葉集』には「シスター(姉妹)重にオメの略稱」とある。オメとはエス、シス、お花などとほぼ同義である。
1
5
6
つまり、エスが一過性か、疑似恋愛かなど細かい定義は一旦脇に置いておくとしても、まず第一に女学生らの擬似姉妹関係を指す。「お姉さま!」やマリみてでいうスール関係のことだ。こういった疑似姉妹関係は、百合の一般的なイメージを形成する上で大きな役割を担っていることはあえて書くまでもない。
1
6
7
オッシー氏の記事で最先端の「百合小説」の例として挙がっている『超電磁砲』の白井黒子は勿論、スールをモデルにしたと思われる関係性では『FLOWERS』のアミティエ、『わた百合』のシュヴェスター、『アサリリ』のシュッツエンゲルがある。いずれも現代の百合市場では規模の大きなコンテンツだ。
1
5
9
ちなみに『超電磁砲』は小説ではなくコミック。 なんにせよ現代の百合観を形成する上でも、大きな支柱であるはずの疑似姉妹関係が、エスに端を発していることは明らか。同記事でも今野がエスを継承している旨は記載があったが、何故百合の源流の「ひとつ」であることすら頑なに否定を試みるのか?
1
5
8
>そも今日的視点からすると「エス」なるものは~旧時代の痛々しい副産物に過ぎない。 ここが特にひどい。こういった分析は可能だが、「旧時代の痛々しい副産物に過ぎない」と切って捨てられていたのはそれこそ本田の登場以前だ。 つまりこの断言は40年近く前の立場をそのまま継承していることになる。
1
5
6
吉屋がいかに男性規範を「迂回」して、大衆にレズビアニズムを浸透させたかについては、久米依子による論考などに詳しい。 戦前のエス小説もまともに確認しない、関連書も読まない。現代の流行タイトルすら書き落としている。それで一体なぜここまでの決めつけができるのか、非常に理解に苦しむ。
1
7
6
彼いわく「いずれにせよ「百合」の源流・原点は吉屋信子などの「エス」などと知ったかぶりしちゃうような手合い」とあるが、エス・百合の両者を愛好する側とすれば、吉屋を「ただ古臭い」としか見ないで、ろくに資料も確認しない人が、エスについて知ったふうな口を利かないで欲しい。
画像
1
4
5
百合魔王オッシー氏にしろ、先に批判した熊長・ユリスキー氏にしろ、百合オタがエスを好まないこと自体は個人の嗜好の問題で、口を出す筋合いもない。百歩譲って誤解したまましゃべるのもいい。 ただ、エスについて誤解したままエスを貶めるのは、愛好する側からすれば小言を言いたくもなる。
1
3
7
補足。ここでいう「そもそも博愛に基づくシスターフッド」というのは、1930年代以前の日本におけるシスターフッド観を指し、現代のシスターフッド観とはズレがあります。
引用ツイート
ぜんらまる🍅🍅🍅🍅
@ZEN_naked
·
戦前にシスターフッドという語が定着していないことは、学生向け辞書や流行り言葉、少女雑誌などからも推測できる。また今で言うシスターフッド教育を受けていた一色義子は自著において、そういった言葉がなかった旨を記し、そもそも博愛に基づくシスターフッドとエスがかけ離れていることを示唆した
このスレッドを表示
1
3
4
補足2。こういった分析は今でも研究者がしているけど、大抵の場合「こういった側面があるから手放しにきれいな【だけ】の文化として褒め称えてはいけない」という趣旨や警句であって、全否定ではない筈なんすよ。
引用ツイート
ぜんらまる🍅🍅🍅🍅
@ZEN_naked
·
>そも今日的視点からすると「エス」なるものは~旧時代の痛々しい副産物に過ぎない。 ここが特にひどい。こういった分析は可能だが、「旧時代の痛々しい副産物に過ぎない」と切って捨てられていたのはそれこそ本田の登場以前だ。 つまりこの断言は40年近く前の立場をそのまま継承していることになる。
このスレッドを表示
1
3
5
補足3。細かな定義論を脇に置いたのは、「疑似恋愛」「一過性」みたいな解説の多くは、後世の研究や傾向分析によって付されたものであり、当時の理解は必ずしもそうでなかったからと、立場によって意見が結構別れるため。今回の論旨からは外れるし。
引用ツイート
ぜんらまる🍅🍅🍅🍅
@ZEN_naked
·
つまり、エスが一過性か、疑似恋愛かなど細かい定義は一旦脇に置いておくとしても、まず第一に女学生らの擬似姉妹関係を指す。「お姉さま!」やマリみてでいうスール関係のことだ。こういった疑似姉妹関係は、百合の一般的なイメージを形成する上で大きな役割を担っていることはあえて書くまでもない。
このスレッドを表示
1
2
3
訂正1。「本田和子による少女文化や吉屋再評価を旨とする論文の上梓が80年代初頭」が正しい。「ひらひら」などの論文のことです。
引用ツイート
ぜんらまる🍅🍅🍅🍅
@ZEN_naked
·
確かに嶽本は現代における少女文化の継承において大きな役割を担っているが、例えば「日本の少女論や少女文化論の原点」とされ、それまで文学研究において軽視されていた吉屋や少女文化を再評価した本田和子の登場は80年代初頭である。作家としての嶽本の登場より10年ほど早い。
このスレッドを表示
1
2
4
補足4。RTで誤解されてる方を散見するが、この解説はあくまで「百合はエスの影響を一切受けていない」という誤りを指摘するもので、「百合=」と主張するものではない。 当世的な意味において百合はエスを包括する概念になりつつあるが(個人的にはこれを支持するが)、まったく同一というわけではない
5
5

Twitterを使ってみよう

今すぐ登録して、タイムラインをカスタマイズしましょう。
アカウント作成

トレンド

いまどうしてる?

エンターテインメント
今日の午後
📺『テレ東音楽祭2021』30日5時40分から放送
トレンドトピック: #テレ東音楽祭
日本のトレンド
Nissy
6,631件のツイート
日本のトレンド
ジャミル
30,696件のツイート
マネー現代
今夜
ひろゆきが提案「会社は給料や仕事内容よりも『人間関係』で選びましょう」
共同通信公式
今夜
首相、通学路の総点検を指示 千葉の児童死傷事故で閣僚会議