土曜日。
無人島試験と船上試験について考察を行っていた時に、俺はある大発明の着想を得た。試作品を作り終えて思った。これはすごいんじゃないか、と。
そうして試作品の改良をしていたら1日が終わった。
気づいたら日曜日になった。
***
日曜日の10時、15分前。王と井の頭と待ち合わせ場所に向かっている途中、スパムメールが送られてきたが、無視しておいた。
俺は個人情報が漏洩している事に恐怖しながらも集合地点にたどり着いた。時刻は9時55分であった。もう2人ともいた。気が早いよ。
「おはようございます。遅れてしまってすみません」
適当に謝っておく。
「おはようございます。赤石君。今日はよろしくお願いします」
井の頭は丁寧に返したが、王はドヤ顔で返してきた。いや、別に俺は5分前に来てるから。遅れてないから。
「あの、あ、赤石君。遅刻だね」
だから遅れてないって言ってるだろ。いや、言っては無いけど思ってるだろ。察しろよ。
「ええっと、その、すみません。王さん」
「いいよ、許すよ……あとメールは見た?」
許すなら、なんで遅刻を強調してきた……?あと、スパムメールなら見てないよ。というよりお前は何で俺のメアド知ってるんだよ。
「王さん、メールとは?」
「あのね、桔梗ちゃんに頼んで赤石君のアドレスを教えて貰ったんだけど、届いてない?」
戦犯櫛田。俺のアドレスを勝手に教えるんじゃない。
「ああ!なるほど。それは良かったです。櫛田さんのアドレスしか持ってなかったので、今日上手く待ち合わせできなかったらどうしようかと思っていたので……ええっと、45分に送られたメールが王さんのアドレスで合ってますか?」
「うん、合ってるよ」
一応、王に端末を見せておく。ちなみにメールの内容は待ち合わせ場所に着いている事は書いてあるが、差出人の名前が書いていないので、サーバーの名簿データを持っている俺でなかったら誰から来たか分からなかったと思う。まあ、状況から考えると王か井の頭の2択で、井の頭のアドレスを持ってるから王1択ではあるが……
「メールありがとうございます。そういえば今日はどのあたりに向かうんですか?何か買いたい物があるみたいですが……」
何を買う気だ……ラーメンの素とかだろうか?
俺の質問に対して、王が少し慌てながら答えてきた。今の質問に慌てる要素ある?
「ふ、ふ、ふ、……こ、心ちゃん」
王は何かを言いかけると井の頭の方に向かい、何かを小声で相談し始めた。帰っていい?
井の頭は近寄ってきた王に対して迷惑そうにしながらも何かを指摘していた。指摘を受ける度に王の顔色が赤くなったり青くなったりしていた。
しばらく雑技を眺めていると、相談は終わったようで、王がおずおずとこちらに近づいてきた。
「あの、赤石君。今日は参考書探したり、心ちゃんの裁縫道具を見たり、あとアクセサリーとか見たり……したい、な」
上目遣いで見てきた。それは名前を言ってはいけない本の人の技だから、やめろ。いや、まあ、王は身長がかなり小さいから上目遣いになるのは仕方ない事なのだが……ふむ、それにしても参考書か。やっぱり何というか王は結構勉強熱心だな。
あと井の頭は裁縫道具が見たいのか……もう充足していると思ったが……いや、俺もたまにパソコンや部品を見たくなるから、きっと周りからは十分に見えても本人には十分ではないのだろう。
「……わかりました。何から回っていきますか?」
「う、うん。さ、参考書かな」
いきなり実用的な所にいったな……
俺が反応に困っていると、王は少し顔を赤らめながら、こちらに体を寄せてきた。やめろ。近い。
「赤石君は行きたいお店とかあるの?」
参考書で行きたいお店って何だよ。それに、俺はそんなに参考書が好きではない。勉強会のは井の頭の為に作っただけだ。
「特には。王さんは、どんな参考書を求めているんですか?」
難しい問題が書いてある感じのやつだろうか。それとも期末試験で出そうなところだろうか。
「う、うん?……私は、数学の参考書にしようと思ってるけど……赤石君の方が詳しいから、教えて欲しいな」
……いや、ごめん。まったく想定外の事態だから何が王に向いてるか分からない。たぶん勉強会の時のような事をやれと言ってるんだろうが……今は無理だ。
「えーっと、とりあえず本屋さんに行ってみますか?」
問題を先送りにしよう。そして、どさくさに紛れて話題を変えよう。
「そ、そうだね」
王が同意の言葉を出した後、井の頭も軽く頷き、モール内にある書店へと足を運んだ。
***
日曜日だが、時間がまだ早かったためか、それとも書店に来る生徒が少ない為か、人は少なかった。なんとなく後ろを向くと、王がこそこそと井の頭に話しかけていた。井の頭が何度か頷くと、王がこちらに忍び寄ってきた。いや、勝手に人のパーソナルスペースに入るんじゃない。
「赤石君。あの、参考書はあっち」
そう言って参考書があるコーナを指差した。いや、さっき館内案内図を見たから知ってるけど……
「あ、はい」
王に導かれるように参考書のコーナーへと来た。さて、どうやって言いくるめるか。適当にそれっぽい事言って問題集薦めるか?王はかなり勉強ができる、というより多分カンニングをしている俺よりできると思うので、適当な問題集でもやれば成果はでるだろう。
勿論、あんまりにも酷い問題集を薦めると駄目だが、さすがに、余程酷い物ならわかる。……まあ、それは王もわかると思うけど。
俺が対王戦術を考えていると、袖を引っ張られた。見ると、王が分厚い英語の演習書のようなものを持っていた。さらに俺が演習書を視界に収めたのを確認すると王はページをめくっていき、Dクラスでは到底解けそうもない問題を見せつけてきた。
「赤石君。この問題解ける?」
若干ニヤニヤしながら聞いてきた。英語でマウント取ろうとするのはやめろ。
「いや、ちょっと難しいと思います」
俺が答えると、王は渾身のドヤ顔を見せつけてきた。やめろ。というより、今日半日コイツのこの顔を見ながら過ごすのか……耐えられそうにないんだけど。
「そ、そっか、ふーん。そうなんだー」
おい、おい、おい。マジでその顔止めろ。あと煽ってくるな。というより、お前は解けるのか。ああ、いや駄目だ。きっと解けるのだろう。聞いたら、コイツは調子に乗ってさらなるドヤ顔からのマウントコンボを決めてくる。佐倉二世め……
「教えて上げるね。赤石君、これはまず……」
俺が王に煽りに黙っていると、何を勘違いしたのか、解き方の解説を行い始めた。あの、ここ書店なんで。迷惑行為になるから止めてください。あと、そのドヤ顔も迷惑行為になるから止めてください。
「あの、王さん。書店で解説を始めるのは、ちょっと気まずいので、……」
俺が苦言を呈すと、王は顔を少し赤くした。人が周りにいなかったとはいえ、流石に恥ずかしかったようだ。当たり前だ。もう王はDクラスの恥部と言っても過言ではない。須藤二世め……
「あ、あの、これ買います」
いや、それ結構高そうだぞ。それと、俺はその演習書を解いたりしないからな。
「それ結構ポイントすると思いますが……大丈夫ですか?」
「え!……うーん、でもこれで一緒に勉強できるなら……」
残念ながら勉強できません。あと、どれを買っても今後は王とは勉強しない予定です。
「そうですね……すみませんが、多分その問題はAクラスの人でも一部を除いて解けないレベルだと思いますよ……俺もまったく解ける自信が無いです」
正直な話だ。これはたぶん平田クラスでも解けないと思われる。Dクラスだと堀北と幸村がなんとか解けるか、解けないかといったところだと思う。高円寺と綾小路は知らん。
「そ、そうかな?……でも、それなら尚更、赤石君が解けるようになれば……Aクラスに近づけるかもしれないよ」
いや、ポイント争奪戦に個人の学力はあんまり関係ないんじゃない?まあ、出来ればいいと思うけど……このレベルの問題になると、かける時間に対してのポイントの回収能力を考えると微妙じゃないだろうか。勿論、英語の能力が上がることは良い事だとは思う。普通の学校であれば間違いなく良い事だ。けれど、この歪な学校とは相性が悪い勉強法のように感じてしまう。
――たぶん、王は根本的な部分で真面目なのだろう。佐倉と一緒だ。俺はそこまで真面目じゃない。自分がそんなに頑張れるとは思えない。
ドヤ顔を抜きにしても、いやドヤ顔は抜きにはできないけれども、この太い演習書をやろうという気にはなれない。綾小路や龍園、坂柳はこんな時、なんて答えるんだろうか?
「その、王さんの気持ちはありがたいのですが、他の教科との兼ね合いもありますし、英語だけを重点的にやるわけにはいきません」
結局、自分は適当に答える事しかできない。『なんとなく』で喋る事が癖になってるのだろう。
「う、うん……」
そう言うと、王はしょんぼりとしながら演習書を元の位置に戻した。なんか罪悪感がヤバイ。凄く気まずい。悪い事をした気分だ。やめろ。ドヤ顔していいから、いや、やっぱり駄目。ドヤ顔はしちゃ駄目。でも、そんなに落ち込むのも駄目。
なんとなく、どんよりとした空気になっていると、肩をトントンと叩かれた。井の頭が小さな問題集を抱えている。教科は数学のようだ。
「……あの、赤石君。……この問題集にある問題はもしかして前、赤石君が作ったテストの、問題ですか……?」
ふむ。井の頭が指したページを見る。……どうだったかな。たぶんそんな気がするが、自信はない。もう2月くらい前の事だ。でも問題集の出版を見た感じ、俺が取り扱ったビックデータに関係している気がする。おそらくそうなのだろう。
俺が問題集を眺めていると、王が横から覗き込んできた。王は背が低いから小回りが利くな……
「あ、うん。たぶんそうだよ。心ちゃん、よくわかったね……この問題を間違えちゃったんだよね。市橋さんだけ正解したんだよね。あの時は……」
王は先程までの、どんよりムードは無くなっている。そして唐突に自分語りを始めおった。心配して損したわ!
井の頭は俺と王を視界に収めると、くすりと穏やかに笑っていた。どうも気を遣わせてしまったようだ。
***
その後、資料集や参考書など学術的な物を一通り漁った後、王が井の頭が持ってきた小さな数学の問題集を買うことになった。どうも間違えた例の問題に復讐を果たしたいらしい。復習じゃないの?とは突っ込まないでおいた。目が少し本気に見えたからだ。君子危うきに近寄らず、というやつだ。
学術系を終わった後、井の頭が裁縫系の本を読みたいと言ったので、3人で裁縫本や雑誌を見て回った。残念ながら井の頭の満足するような本は無かったようで、こちらのコーナーではポイントを使用しなかった。
裁縫系を回った後は、王がお腹を鳴らしたため昼食を取ることとした。少し早いが、日曜日は混雑が予想されるため、丁度いいかもしれない。
お昼をどこにしようか3人で考えていると不意に井の頭が、俺の袖を引っ張った。なんじゃ?
「あの、……赤石君。……桔梗ちゃんがあそこにいませんか?」
井の頭がデッキの下にいる人達の中から小さな集団を指差した。目を凝らしてみると人が3人並んで歩いていたが……うーん、遠すぎて分からない。あの距離となると個人を識別するのは困難な気がする。こちらの方が高い位置にいるから3人組だと分かるが、同じ高さだったら人数の特定すら難しい距離だ。一応、3人組は家電量販店の方に向かっているように見える。というより、なんか1人だけすごい重装備だ。この距離からでも分かるぞ。今7月だぞ。なんであんな厚着なんだ……
確か、櫛田は佐倉と綾小路と一緒に行動しているハズだ。原因は櫛田の器物損壊だ。そして目的はカメラの修理。うん。条件は合ってる。
「なんか、1人だけすごい重装備に見えますが……」
「……たぶん佐倉さんだと思います。残りの2人は桔梗ちゃんと綾小路君なので……」
目良すぎじゃない?そんなに仲が良くない綾小路まで識別できるとは……
「井の頭さんって目が良いんですね。視力はいくつ位ですか?」
「両方とも2.0です。…………でもそれ以上は測ってないので……もしかしたらもう少し上かもしれません」
マジかよ。普通にすごい。この情報化社会でよく2.0なんて保てるな……友よ、流石じゃ。
「心ちゃんって目が良いんだね。赤石君は視力はいくつぐらい?」
なんかマウントの予感……
「両方とも普通です。0.8くらいだったと思います」
昔は1.2くらいだったのだが、この1年くらい、パソコンに触りすぎた。あ、これフラグだ。
「私は1.0だよ」
はいはい、知ってた。そして当然の如く、ドヤ顔だ。なんか最近、コイツ強気すぎない?初対面の時はもう少し弱気だったと思うんだが……
まあ、話しているうちに推定綾小路チームも家電量販店に入っていった。このあたりで話を打ち切ろう。
「そうですか……お二人とも目が良いですね。人も多くなってきましたし、そろそろ食べる所を決めた方がいいかもしれませんね」
3人ともポイントはそこそこだが、あまり無駄に使うというタイプではない。ちなみに俺が約5万5千、井の頭も同じくらい、王は1万くらいらしい。あ、王が思ったより無かった。まあ、王は野菜でない料理でかつ伸びない料理なら何でも良いような気がするが。
「えっと、私はあんまり苦手なものは無いけど、……美雨ちゃんはどう?」
井の頭が王に質問した。王もきっと伸びない料理なら何でもいいと思うよ。
「さっき、学生御用達のラーメン屋さんがあったから……そこにしようよ。……ポイントも安いし」
いや、お前ラーメンは鬼門だろう。何考えてんだ。
「…………」
珍しく井の頭が無言だ。反応に困っている。俺も困っている。何て突っ込めばいいんだ?
「えっと、いいよね……?」
おい、同調圧力の櫛田の物真似はやめろ。あと、この無言は反応に困っているのであって、反対意見が無いわけではないから。いや、まあ、俺も井の頭もラーメンは食べれるし、ポイントが少なめなら別に問題は無いのだが、無いのだが、どう考えてもお前が一番問題があるだろう。なんでラーメンなんだよ。この前、結構残しただろう。
「う、うん。いいよ」
井の頭、ツッコミを放棄。もう、いいや。どうせ困るのは王だし。
「えっと、俺も大丈夫ですよ」
俺と井の頭の回答を聞いた王は満足気に頷いた。王がラーメンを残す方に100ジンバブエドル賭ける。あ、いや、駄目だ。みんな残す方に賭けるから賭け事にならないや……
ラーメン店に突入する。王曰く普段は人気の店らしいが、まだ時間が早いため人は少なかった。王はもしかして常連なのだろうか……?だとしたら逆に怖い。
3人でラーメンを頼んでいく。井の頭は安めの野菜ラーメン。俺は普通の塩ラーメン。王はチャーシューが沢山入った豚骨ラーメンだ。1人だけ本気度が違う。あと、王は麺を硬めにするように頼んでいた。なるほど、その手があったか。
少しだけ感心していると、注文を終えた王がこっちをドヤ顔で見てきた。いや、その『作戦成功!』みたいな顔やめろ。別に凄くないから。普通の人は大体伸び切る前に食べきるから。
ラーメンが出来上がるのを待っていると、王が仕掛けてきた。まただよ。
「赤石君、これ、解ける?」
そう言って、王はバックからノートを取り出して見せつけてきた。当然英語の問題だ。王が考えてきたようだ。ちなみに文法の6択問題なのだが……いや、これ分からん。1と4は違う。2と6も多分違う。3かな?
「3番ですか……?」
俺の回答を聞くと、王が今日一日で最大級のドヤ顔を放ってきた。中間試験の打ち上げ時レベルだ。やばい、ちょっと頭にきた。
「はずれ……1番だよ」
え。マジで?1と4は絶対違うと………………あ!この野郎!ひっかけ問題作りやがったな!なんて狡い問題を!というか、こんな問題、普通に出題されないぞ……よく思いついたな。
「なるほど……これは難しいですね。王さんが考えたんですか?」
「うん。赤石君はこれができるようにならないと駄目だと思うから……」
駄目じゃないから。あと、このレベルはたぶん皆ひっかかります。Dクラスでやったら一部の人たちじゃないと解けないと思うよ。
「あの、私、土曜日は暇になることが多くて……赤石君、一緒に勉強しようよ」
やだ。
「すみません。実は土曜日は忙しくて……」
どちらかというと日曜日の方がメンテナンスを行うので忙しいが、まあ、メンテナンスを土曜日にするのもいいだろう。言い訳を考えながら、言葉を続けていく。
「ただ、王さんはとっても教えるのが上手いと思うので期末試験の勉強会は王さんに教師をやって貰うのがクラスのためになると思いますよ」
王はみんなにドヤ顔を出来て幸せ。皆は英語の成績が上がって幸せ。俺は仕事が無くなって幸せ。皆幸せの夢の計画だ。すばらしい。
「え!……それは、ちょっと。桔梗ちゃんも無理にしなくていいって言ってたし……」
櫛田の名前を出しチラチラとこちらを伺ってきた。櫛田の名前を出したら俺が怯むとでも思っているのか……?櫛田のことを今度から黄門様って呼んだ方が良い感じ?そうすると、井の頭と王は助さんと角さんだな。ちらりと井の頭を見ると首を横に振っていた。そして口パクで「ちがうよ」と言っていた。
……もしかして心読まれた?……今、すごく詰まらないギャクを思いついた。心の中に秘めておこう。うん。秘めてないな。
下らない事を考えていると、ラーメンが3つ到着した。よし!戦闘準備じゃ!今度は井の頭にも勝つぞ!
箸とレンゲを使いラーメンを処理していく。王が推すだけあって結構おいしい。ポイントも悪くなかったし、味に対するコストパフォーマンスは悪く無さそうだ。
「だから、Dクラスの人たちの前ではまだ、教えられない、かな……」
なんか戦闘中に喋っている奴がいたが、井の頭と共にスルーしラーメンを処理していく。伸びたら終わりだ。
「でも、もし、赤石君と勉強会ができたら、教え方が身について、それで……」
ラーメンを処理する。やはり井の頭は速い。
「そしたら、皆に教えられるかなって思えるから……」
ラーメンを処理する。よし、安全圏に入った。これから先は時間経過による伸びる速さとこちらの処理スピードが逆転する。軽く雑談ぐらいはできるラインだ。ただ井の頭は安全圏に入っても油断はしていない。おそらく前回と同じように、この機に一気にゴールする気だろう。王の方をちらりと見たが、まだ手を付けていなかった。故にもう伸びている。もう手遅れだが……このラーメン屋を紹介してくれた恩くらい返すか……井の頭には勝てそうにないし。
「王さん」
「うん、赤石君」
声をかけると、王はこちらをじっと見つめてきた。
「ラーメン、伸びてますよ」
そう指摘すると、王は一瞬呆けた後、ラーメンを見た。そうして顔を赤くしながらも、ラーメンを黙々と食べ始めた。
結果は井の頭が1位、俺が2位。王は半分食べて、諦めていた。また半泣き状態だ。あー、だからラーメン屋はやめた方がいいと言ったのに。これは自業自得である。
「ぐす、ひどい、……」
確かにひどいくらい伸びている。これは食べれそうにない。
「2人とも……なんで話をちゃんと聞いてくれないの……」
何言ってんだ……ちゃんと聞いてただろう。井の頭も首を傾げている。いったいなにが……?
「王さん、その、……話とは?」
慎重に聞いてみる。
「……食べるのに夢中で聞いてなかったの?」
もしかして、食べてる時に大事な話をしてたの?ここラーメン屋だよ。井の頭も目をぱちくりとさせていた。
「ええっと、その、ラーメンが伸びそうでしたので……」
「その、美雨ちゃん。ごめんね……ラーメンが伸びそうで、つい」
許せ。
「…………反省してる?」
あんまり。
「う、うん。反省してるよ美雨ちゃん」
井の頭もちょっと嫌そうだ。今日は帰ったら少しキレ気味に王さんには困ったなーという電話が来ると予想される。
「……赤石君は?」
流れが読めた。だから予め言っておく。やだ。
「……すみません、王さん」
「……なら、勉強会――」
ほら!来た!これを機に英語マウントを掛ける気だ!なんという手段だろうか!悪辣なり!
俺が心の中で王を非難していると、どういう訳か王は言葉に詰まったような顔になった。あれ?もしかして声に出てた?いや、井の頭も不思議そうな顔をしている。そうではないようだ。
「…………2人とも、私の苗字と名前、言える?」
なんか雲行きが怪しい。これは英語以上に恐ろしい事が起きそうだ。
「王美雨ちゃん」
「王美雨さん」
井の頭と共に緊張しながら名前を告げた。井の頭は俺以上に震えている。これから王がすることが分かるのか?
「あの、私の名前って呼びにくいよ……ね」
確かに王様みたいで言いにくい。ドヤ顔の王とか言ったら一瞬どういう意味か考えてしまう。あ、でもDクラスでドヤ顔の王といったら1人しか該当者はいないから問題ないか。あと王と書いてワンと読むから、話し言葉的にはセーフだ。書き言葉だと混乱するが……
俺が不毛な事を考えていると、井の頭の顔色はだんだん悪くなっていった。……なんだ?井の頭は何かに怯えているようだ。
「あの、だから私の事これから『みーちゃん』って呼んで。気に入ってる渾名だし、桔梗ちゃんや、仲が良い人は皆そう呼んでるから……」
いや、仲良くないけど。というか、なんか渾名ってちょっと嫌だ。井の頭の方を見ると、……すごく嫌そうだ。渾名で呼びたくないようだ。
「あの、美雨ちゃんの名前は可愛いと思うから、私はこのまま美雨ちゃんって呼びたいな……」
井の頭、敵前逃亡。
「うん、……そうかな?……なら、いいよ。赤石君は?」
え、いいのかい!井の頭の方を見ると、とても安心したような顔だ。さっきまでの怯えていた顔が嘘のようだ。そんなに渾名で呼びたくなかったのか……じゃあ、俺も……
「俺も王さんの苗字はとても真面目な感じがして、いいと思いますが……王さんではだめでしょうか?」
いいアイディアが思いつかなかった。
「…………『みーちゃん』がいい」
王さんがいい。というより、井の頭が良いのに俺の意見は駄目なのか……
「…………」
渾名で呼びたくないが、言い訳も思いつかなかったため無言になってしまった。
しかし、俺が答えないでいると、王がテーブルに手をついてこちらに少し体を寄せてきた。
「……『みーちゃん』がいい」
やだ。あと、視線の外で井の頭が王の近くにあった丼をてきぱきと移動させていた。
「『みーちゃん』がいい」
最初の方は伺うように聞いてきたが、だんだんと繰り返すごとに、はっきりと渾名で呼ぶように迫ってきた。もうかなり距離が近い。井の頭が丼を移動させていなかったら、王は丼をひっくり返していたな……なんて危ないヤツだ。
「えっと、じゃあみーちゃんって呼ばせてもらいますね」
その代わりもう二度と英語の話には付き合わないからな。
「うん!よろしくね、赤石君」
なんか、すごい笑顔だ。花が咲くような笑顔、みたいな感じだ。さっきまで半泣きだったのに、コイツはコロコロ表情が変わるな……
まあ、いいか。これでラーメンの時の謎談義と英語の話は流れたと考えてい良いだろう……これから、みーちゃん呼びは少し負担があるが……だが、これでアドバンテージは取った。もう絶対、英語の話には付き合わないからな。あと、出来るだけ王の名前は呼ばないようにしよう。君とかあなたでいいだろう。
***
各自ポイントを支払いラーメン店を出た後、少し歩いてから井の頭の裁縫道具を見て回ることになった。
お昼の時間が過ぎ、モールの近くも混雑し始めた。生徒が行き交う中、俺と井の頭と王は人混みの間を潜り抜けつつ、目的地へと向かう。
途中でちっちゃい王が人混みの中に2回ほど紛れそうになった。1回目はなんとか、俺が高所から見つけ、合流に成功したが、2回目は完全に見失ってしまった。
どうしようかと悩んでいると、背後から笛の音が聞こえた。何かと思い振り向くと井の頭が口笛を吹いていた。ピー、ピー、とまるで本当の笛のような音だ。そんなこともできたのか……
やはり井の頭は興味のある事は、とことん得意なようだ。半面、興味の無い事は全然できない。勉強や運動が苦手である(勉強は過去形だが)のもその性質が原因だろう。
俺が考えている間もピー、ピー、と器用に口笛を吹いている。本当に上手いな。笛みたいだ。……でも、今、王を探してるんだが……もしかして口笛で王が来てくれることを期待しているのだろうか……5歳児とかならまだしも高校生が口笛に惹かれて来るとは思えないが……いや、来たよ。
あたりを見ると不思議そうな顔をしながらもこちらに近づいてくる王が見えた。俺は口笛に誘われたお前の方が不思議だよ。井の頭は王を視認すると口笛を止めて、いつものおっとり無表情顔に戻った。
合流した王は井の頭を少し見つめた後、唐突に口笛を吹こうとした。え?お前も口笛上手いの?
「ふー、ふー、ふー」
息を吹いているようにしか見えなかった。そのまま見ていると、ずっと息を吹き続けて、だんだんと顔が赤くなっていった。
「えっと、王さん、口笛を吹きたいんですか?」
無理だから止めとけ。
「ふー、ふー、ごほごほ、み、みーちゃん、だよ」
息を整えながらも訂正を要求してきた。こいつはこいつで強気な時はとことん強気だ。クラスにいる時は気が弱いのに……
「美雨ちゃん、コツがいるから、……初めてだと難しいと思うよ」
井の頭が王の背中をバシバシと叩きながら指摘した。いや、王は咽てるわけじゃないから背中は叩かなくていいと思うよ……
「う、うん。赤石君は吹ける?」
やったことないから、たぶん無理。
「いえ、やったことがないので、たぶん、できないと思いますよ」
「そ、そうなんだ……やってみない?」
やだ。
「いえ、別に口笛が吹けなくても問題はないかと思っているのですが……」
一応言っておくけど、この件に関してはお前はどう足掻いてもドヤ顔できないと思うぞ。どんぐりの背比べで終わるぞ。
「ふ、ふーん……赤石君、自信ないの?」
ないよ。というより、俺はさっきできないと思うって言ったよな……どんだけマウント取りたいんだよ。本気で佐倉を紹介した方がいいかもしれないな。
「赤石君。えっと、私が教えましょうか……?」
なぜか、井の頭が悪乗りした。……もしや王の気を逸らせということか……?確かに英語マウントよりは避けやすい……なるほど妙案だ。
「もし、井の頭さんが良ければ教えて貰えると嬉しいです」
俺が答えると井の頭は笑顔で了承し、そして王の方をちらりと見た。
「心ちゃん、私にも教えてほしいな」
よし、王が釣れた!井の頭ナイス!さすがは親友だ!
***
それから王と一緒に歩きながら、ふーふーふー、と息を吐き続けたが一向に上達しなかった。俺と王はどっちも才能が無かったらしい。裁縫道具を扱っている店に着いた後も王は、ふーふー言っていた。お店の迷惑になるから止めよう。
井の頭は店の内部を素早くチェックしたが、お目当ての物は無かったらしい。どうも井の頭曰く、この店には毎週訪れており、常に新しい物がないかチェックしていらしい。今週の入荷物はあまり良くないようだ。なんか夏物を作りたいと言っていたが、色合いがしっくりこないらしい。
王と俺は井の頭の行動を近くから観察することしかできなかった。俺は裁縫知識が乏しく、王は口笛の練習をしていたからだ。店内で口笛を吹くな。……いや、まあ、傍から見たら、ただ息を吐いているだけに見えるから問題は無いのかもしれないが……
裁縫店を出た後は本日最後の目標であるアクセサリー店へと向かった。モールの中でも比較的大きな店舗を構えている。中には休日の午後という時間帯もあるせいか、かなりの生徒がいた。そういえば7月のポイントが入って初めての日曜日だ。つまり給料日最初の休日だ。なるほど、今日入店したのは間違いだったか。
ちなみに生徒層としてはやはり女子が多いが、カップルの姿も多い。ちらほらと1人で見ている男子生徒もいる。自分用か、もしくは親しい女性への贈り物か。
王と井の頭は2人とも、ウキウキしながらアクセサリーを見て回っていた。王はなんとなくわかったが、井の頭もこういった物品に興味があるのは意外であった。まあ、女子は皆、こういうの好きだよね……し、じゃなくて名前を言ってはいけない本の人、元祖マウント王の佐倉、あと非コミュの双璧の堀北あたりも、こういったアクセサリーに興味があったりするのだろうか?
堀北はあまり着飾らないイメージが強い。あとの2人は花より襲撃といった感じのタイプだからアクセサリーとは無縁な気がする。
王に引っ張られつつアクセサリーコーナーを回る。そろそろ、袖が伸びそうだな……
「あの、赤石君。これ、どうかな……似合ってる……?」
月みたいなネックレスを王が見せてきた。月マークが王の胸元を揺れている。……似合っているような、似合っていないような。どちらかというと8000プライベートポイントという値札の方が気になってしまう。しかし、このネックレスのブランド名はイヤホンの種類みたいだな。
でも、月マークは小柄で勉強熱心な王のイメージとなんか合ってる気がする。
「月の意匠は勉強熱心な、……みーちゃん、には合ってると思いますよ。鎖の部分の色はその色以外はありますか……?」
「え?鎖の色は……うーん、たぶんこれ一色だよ。……変かな?」
「いえ、すみません。自分も色彩や意匠には疎いので判りませんが……ただ、王さんの雰囲気と鎖のイメージが上手く結びつかなくて、青色とか緑色みたいな穏やかな色なら中和されていいと思ったのですが……」
わりと本音だ。いや、なんか鎖つけてる女の子ってパンクな印象があるから、王みたいな真面目だけど抜けているタイプとは違う気がする。
「う、うん。そう言われると、そんな気がする……かも、ちょっと待ってて、別のにしてみる」
いや、俺の意見は素人が適当に言ってるだけだから、あんまり気にしなくていいと思うけど……
「あ、いえ、すみません。俺の意見が合ってるかどうかは分からないので、井の頭さんにも聞いた方が良い気がします」
しかし、王は俺の声が聞こえていないのか、ネックレス選びに没頭していた。まあ、静かなのは良い事だ。
それから、王の選ぶネックレスを中心としたアクセサリー群に適当にコメントしたり、なぜか店内に1人でいた松下の視界に入らないように努力したり、店舗の外に一之瀬らしき人影を見かけたりと、色々と体力を使うことになった。アクセサリー店を出た時にはもうヘトヘトであった。
ちなみに、2人とも買ってはいない。当然だ。金欠のDクラスにそんな余裕は無いのだ。いや、まあ井の頭はポイント的には買えそうだが、意外と財布の紐は堅いようで買おうと悩む素振りも見えなかった。
アクセサリー店を出た後は自然と解散となった。王と井の頭に笑顔で今日付き合ってくれたお礼を言われた。何だかんだで感謝されて、少しだけ嬉しかった。
***
寮に着くと、井の頭から電話がかかってきた。今日の怒りの愚痴タイムだ。
やはり井の頭は人を渾名で呼んだり、呼ばれたりするのは嫌らしい。少しいつもより怒っていた。井の頭の話を聞きつつ、口笛の話やラーメンの食べる速さについての話題をこちらからは提供した。
井の頭的には俺が提唱するラーメンの均衡点というのは存在せず、常に食べることに全力を出さなくてはいけないらしい。なるほど。確かにそういう解釈もあるだろう。
ラーメン論について井の頭は熱く語ると、王への怒りも一旦収まったのか、テンションも下がってきた。
『あとは口笛の話だったよね』
「そそ、あれ凄いね。もしかして鳥の真似とかできる?」
『――――――』
返答はまさかの鳥の鳴き声だった。敢えて文字で表すと、ホーホケキョと言った感じだ。
「そっくり。井の頭さんって、前世がウグイスだったりする?」
こういった、適当な雑談はしていて楽しい。
『――――――』
今度は別の鳥だ。何の鳥だったか分からなかったが、ウグイス以外も余裕のようだ。
「ごめん。訂正します。前世が鳥類だったりします?」
『鳥以外もできるよ』
マジかよ……
「降参です、助さん」
『やっぱりラーメン屋さんに居た時に櫛田さんの事を水戸黄門だと思ってたんだね……』
あ、やっぱり心を読まれていたようだ。いや心が読んでるんだけどね。これは流石に言ったら井の頭でも怒りそうなので黙っておこう。心に秘めておいて正解だった。
「なんで、分かったの……?あと、あの時の口パクって、ちがうよ、で合ってる?」
『うん、正解だよ、分かった理由は……私もあの時、王さんが櫛田さんを口実にしたのが紋所っぽく思ったからかな』
まさかの同じ発想をしていたからだった。やっぱり考え方が似ているようだ。
「さすがじゃ、友よ」
『……じゃ?』
じゃぞ、も駄目。じゃ、も駄目。覚えておこう。
「じゃ、って喋っちゃ駄目な感じ?」
『…………じゃ?』
じゃ、も許されないラインのようだ。
「駄目な感じですね。次から気をつけます」
『別にいいよ?』
いやいや、許してないような雰囲気だから止めておきます。
「ええっと、あとそうだ!視力!すごいね!」
『露骨に話を変えたね』
「視力!すごいね!」
『うん、実はちょっと自慢……かな』
心なしか少し嬉しそうな声だ。
「2.0は結構珍しいから、かなり自慢していいと思うよ……ちなみに口笛の自信度はどのくらい?」
『かなり自慢』
「それはわかる」
それから井の頭と少し長めに雑談に時間を取った。通話が終わる前には、調子も戻ったようで、声音からも機嫌の悪さは消えていた。良かった。
さて、火曜日、つまり明後日は須藤の審議の日だ。土曜日に作った珍兵器、じゃなくて新兵器の実戦研修もかねて明日は朝早くから登校しますかね。
井の頭さんの公式の特技は編み物だけです。大人しく友達は多くない。櫛田と仲が良い。勉強と運動はどっちも苦手。
最近、前園さんに公式で台詞がついたので、未だ台詞がない市橋さんと井の頭さんの明日はどっちだ……
今更ですが、こんな感じで9巻で使われているネタを随所に仕込んでいます。まあ、勉強会のあたりから8巻ネタをよく使っていたので、本当に今更ですが……