実力至上主義の教室と矮小な怪物   作:盈虚

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綾小路清隆の独白1-3

 6月某日。茶柱先生が範囲を伝えた次の日。平田から範囲の修正が発表された。Dクラスの面々は茶柱先生を非難したが問題はそこではない。

 オレは範囲が間違っていた事に気づかなかったが、平田はどうやって気づいたのだろうか。いや、それだけではない。平田は若干行動が怪しい面がある。

 例えば4月の後半に授業への集中を促したのも不審な行動だと言える。それまで平田は良く言えば放任、悪く言えばクラスの環境を放置していた。しかし、あの授業への集中を促したのは唐突すぎて若干不自然だった。平田があの事態を予期していたとは考えにくい。赤石が入れ知恵したか。あいつはおそらく5月1日より以前にポイントの事を予期していた節がある。前回も今回も平田に入れ知恵したのが赤石だと考えると自然である。

 

 しかし、そうすると別の問題が浮上する。いったい赤石はどうやってこの短期間で範囲の間違いに気づいたのか。

 可能性の1つとしては赤石の恋人であるCクラスの生徒だ。この生徒から情報を素早く受け取った事が考えられる。ただその場合はあまりにも連携が強すぎることから、少女と赤石の関係はクラスでの活動よりも重視されていると考えていいだろう。これが比較的可能性が高い方の考えだ。

 もう1つの可能性としては何らかの手段により茶柱の説明から範囲が間違いだと推測した場合だ。茶柱先生が範囲を間違えていると確信を持っているなら、あとは他クラスの誰にでも聞けば良いだろう。勿論恋人に聞くのが一番簡単だが。この場合の手段は様々だが、最も単純な方法としては茶柱先生の嘘を見抜いたのだろう。しかし、オレは茶柱先生を堀北の一件から観察していたが、範囲説明の時はあまり嘘のようには見えなかった。つまり茶柱先生は嘘が上手い。オレでも見抜ける可能性は5割といったところだ。赤石は茶柱先生からでも嘘を見抜けるのだろうか?

 

 まあ、どちらにしても赤石が関わっていると見て良いだろう。あの男の突出した才幹と人間観察力、そして横に広い人脈は有用だ。

 つまり赤石は、『利用できる』、…………?

 

 ……?おや、オレは今、悩んでいないか?赤石は『利用できる』区分でいいはずだ。他の区分は『利用できない』しかないのだから。……どういうわけが、オレの心理、いや本能か、とにかく、オレの何かが赤石を『利用できる』に区分したくないようだ。これは何という感情だろうか?

 

 ふむ、こういう時は、堀北と赤石を衝突させるといいだろう。経験上、それが一番のオレの理解へと繋がる。

 

「堀北、ちょっといいか」

 

「今日の勉強会の件かしら?」

 

 堀北は、オレの声を聞くと、間髪入れずに答えた。

 

「そうだな、それに関わる重大な事だ」

 

「重大……?念のため言っておくけど櫛田さんの参加は認めないわ」

 

 なるほど、そう解釈したか。

 

「そうじゃない……おそらく今後に関わる重大な事だ」

 

「それが何か言わないと分からないわね」

 

 櫛田以外というヒントだけでは堀北には分からなかったようだ。

 

「それをオレが今言うと、お前の成長に繋がらないかと思うが」

 

「成長?随分上からの物の見方ね」

 

 後、一押し。と、いったところか。

 

「どう思うかはお前の自由だ」

 

「まるで詐欺師のような言い方ね」

 

「詐欺のつもりでは無いんだがな」

 

 本当に詐欺師のような言い方になってしまったが構わない。今は堀北の感情よりもオレ自身への理解の方が重要だ。

 

「……まあ、いいわ。慈悲深い私は、綾小路君に騙されてあげましょう。で、何処かに行くのかしら」

 

 この少女はやはりプライドが高く負けず嫌いだ。だから扱いやすい。

 

「何、少しだけ歩くだけだ」

 

 そういってオレは堀北を赤石の近くまで導く。

 

「ちょっと待ちなさい、もしかして、赤石君の所かしら」

 

 やっと行き先に気づいたようだ。

 

「そうだ」

 

「先に別館に向かっていいかしら?必要性を感じないわ」

 

 堀北は赤石に対する評価はだいぶ悪いようだ。

 

「少しで良いから、お前も来てくれ」

 

「はぁ」

 

 堀北は溜息を吐きながらも少しは付き合ってくれるようだ。この少女も案外、入学時より人当たりが良くなっている気がする。

 

「ちょっといいか、赤石」

 

 赤石はこちらを一瞥すると興味の無さそうな顔をしていた。この男の表情が内面と同じなら分かりやすいのだが……

 

「はい、なんでしょう綾小路君」

 

 いつもの様な他人行儀な口調だ。この男は何時も口調を崩さない。恋人の前でも、この口調なのだろうか?

 

「櫛田からお前が勉強会を開いていると聞いた。何でもかなり教えるのが上手いとも言っていた……実はオレも結構小テストがヤバくてな……できれば教えて欲しい」

 

 まずは軽く、質問する。

 

「それは過大評価だと思いますが……ちなみに綾小路君はどのあたりが苦手なんですか?」

 

 今日は、左瞼が殆ど動かない。何も考えていないのか、思考する必要すら感じていないのか。それとも……自身の特徴を抑制する手段を知ったか。

 

「そうだな。全部苦手だが……強いて言えば――」

 

「行きましょう、綾小路君。時間の無駄よ」

 

 堀北。もう少し我慢して欲しかったが……いや、堀北が行動を起こすときは結果としてオレの何かが判明する時だ。きっとこれで良いのだろう。

 

「いや、櫛田があそこまで言ってたし、それに最近の博士を見ろ。かなり授業に集中してるぞ」

 

「博士――ああ、外村君のことね。外村君の事はあまり興味がなかったから、よく見てないわね。それにたとえ綾小路君の言った通りだったとしても、それが赤石君の勉強会の効果かどうかはわからないわ」

 

 確かにそれは一理ある。外村がどのようにして伸びたかが判明しない以上、赤石の勉強会との相関性は不明である。そこまで考えて、頭の奥がチリチリと焼けるような感覚に陥った。赤石の勉強会。基礎の見直し。そして堀北の勉強会。

 そう、櫛田が持参したチェックシートを見た時から、僅かに想像していた恐ろしい仮定。

 

――櫛田にチェックシートを渡したのは赤石ではないか、という仮定だ。

 

 櫛田と赤石は比較的仲が良い。またセキュリティ理論における天才的な才幹を持つ赤石が、他の何かにも卓越した技術を持つ可能性はゼロではない。または直接チェックシートに関係してなくても、この男の広い人脈なら何処からか作成した問題を受け取って、自身が作者のように見せて櫛田に渡した可能性もある。勿論、これらの事は何1つ物証は無く、根拠の無い推測に過ぎない。

 だが、この仮定が成立した場合は、櫛田と赤石のラインが確定的なものになる。危険だ。

 

「お前は、どうにも赤石の能力を低い水準だと確信しているみたいだな」

 

 堀北には悪いが、少し面白い。

 

「別に、私はただ事実を言っているだけよ。まあ、櫛田さんのように『なんとなく』で話す人が赤石君を評価している時点で、あまり期待していないというのはあるわね」

 

「櫛田からの評価が気に入らないということか?」

 

「別に櫛田さんだけではないわ。平田君も『なんとなく』で話す人の1人よ。あと赤石君もね」

 

 赤石が『なんとなく』か。そのように評価されても赤石の表情に変化はない。この男もオレと同じで他者からの評価を気にしないのだろうか。

 

「つまり櫛田の事を嫌っているように赤石も嫌いだから勉強会に入って欲しくないと?」

 

「別に嫌いではないわ。ただわざわざ関わらせるほど優秀な人間には思えないと言っているのよ」

 

 確かにあの優秀さは、上手く手綱を握らなければ大変な事になるだろう。そういう意味では、まだ堀北には荷が重いかもしれない。

 

「ええっと、すみません。外村君と井の頭さんを待たせてしまうので。俺は失礼しますね」

 

 残念ながら時間切れのようだ。今日のオレ自身の分析は失敗だ。どうやら、毎回上手くいくわけではないらしい。

 赤石はオレと堀北の前から離れるとき、不思議なステップを刻んでいた。意味が分からなかったが、天才なりに何か考えがあるのだろう。

 

 

 

***

 

 中間試験当日。

 須藤が過去問題を解いて来なかった。

 

 前日の櫛田から貰った過去問により緊張が切れてしまったようだ。こうなるならば2日前に渡すべきだったか?

 堀北は懸命に須藤に応対していた。見た所、嫌味を言ってるわけではなく、純粋に須藤を退学にさせない気持ちが強いように見える。それでいい。

 だが、この段階に至ってしまった場合は行えることは少ない。須藤の力を出すよりも、安全圏を拡大させる方がいいだろう。

 

 堀北の努力に心打たれたというわけではないが、最近はあの少女のおかげで少し自己理解が進んだ。少しは協力するか。

 オレは英語の試験が始まる前に赤石の元へと向かった。

 

「赤石。少しいいか?」

 

 左瞼が少し動いたか?やはりこちらから突然近づくと、瞼は震えやすい。

 

「えっと、なんでしょう?綾小路君。英語は苦手なのでギリギリまで粘りたいのですが……」

 

 これは協力する気はないという意思表示だろうか?まあ、一応伝えておこう。

 

「次の英語の試験、出来るだけ低い点を取ってくれ。お前ならできるだろう」

 

「すみません。その、言ってる意味がよくわかりません……」

 

 ……?いや、須藤が過去問をやってきていないのはさすがに想定外だったか。オレも想定外だったことだ。

 

「須藤が英語だけ過去問をやっていない。このままだと退学になる。おそらくクラスの平均点の半分が赤点のラインだ。お前は高得点組だから、点数を落とせば須藤を救える」

 

「ええっと、そのよくわかりませんが……目的があるのでしたら頑張ってみます。ただ、俺も英語は苦手なので、あまり落としにくいです。それでもいいですか?」

 

 見た所、左瞼は震えていないように見える。赤石の思考は加速していない。何か策を考えている様子はおそらくない。単純に協力はするといった所か。

 

「ああ、それでいい。頼むぞ」

 

 赤石の元から去り、席に着くとチャイムが鳴った。堀北の方もギリギリまで須藤に詰め込んできたようで、その顔には焦りもあったが一種の達成感があった。堀北も須藤を見捨てないという意志は固いようだ。

 

「須藤はどうだった?」

 

「彼も出来る限りの事はやったはずよ」

 

 いつもの様な怜悧な口調だが、心なしかその目は須藤の合格を祈っているように見えた。

 

「余計なお世話かもしれないが、次の英語の――」

 

「分かっているわ。60点、いえ出来ればもっと低い点を目指すつもりよ」

 

 どうやら、赤点の仕組みについては理解していたようだ。

 

「あなたはどうする気かしら?」

 

「オレはいつも通り全力で試験に取り組むつもりだ」

 

「50点を取るという解釈でいいのね?」

 

「もっと上かもしれないぞ」

 

 オレの回答に対して、堀北は薄く笑うだけだった。

 

 

***

 

 そして、結果公開の日。須藤は退学となった。

 赤点のボーダーラインを見て疑問を感じ、Dクラスの面々の得点を確認していく。

 

――『赤石求 82点』が目に入った時、疑問は解消された。

 

 どうやら、あの男は須藤を退学させたかったらしい。なんとも絶妙な点数だ。小テストの時と同じように全員の点数を予期したのだろう。その上、堀北が点数を下げたことも考慮に入れたようだ。

 

 赤石にはオレとは違うものが見えているのだろう。

 オレは須藤が退学になるデメリットと須藤がDクラスにいるメリットの2つを考えて行動した。しかし赤石には須藤が退学になるメリットとDクラスにいるデメリットの2つを考えていたようだ。いや、どちらかと言うと退学のデメリットを早く確認したかったといったところか。オレも確認したい事項であったが、それを戸惑いなく自身のクラスで行うというのは想定外であった。

 

 赤石に対して行動を行うと、少しずつだが、こちらが不利になっていく感覚に陥る。勿論、それはただの感覚で、現状は実害がない。しかし、この男を堀北のように簡単に利用できると思わない方がいいだろう。というより、現状、干渉するのは危険な可能性がある。今後は接触はある程度までで控えた方が良さそうだ。

 

 

 平田が何かを言っているのを尻目に、オレは教室を出て茶柱先生を追った。そして廊下を走っている時に気づいた。今まで悩んでいた赤石の正しい区分に。

 

 

 

 

――赤石は『利用してはいけない』区分だ。

 

 




ここまで読んで頂きありがとうございます。
次からは、今度こそ2巻部分になります。

よろしくお願いします。


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