土佐の高知の日本酒、清酒の司牡丹酒造株式会社
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歴史と文化 司牡丹の「米」「水」「技」そして「心」
司牡丹の「米」「水」「技」そして「心」
永田農法の開拓者永田さん
酒造好適米の最高峰
「
山田錦
」
は
、
酒造りに
は最適ですが大変作りづらく
、
収穫量も少な
く
、
価格も高価であるため
、
一般的には吟醸
酒などの最高ランクの酒造りのみに使用され
ています
。
また
、
酒造りは
「
一麹
、
二もと
、
三造り
」
と言われ
、
「
造り
」
の時に使用され
る
「
掛米
」
に比べて量は少ないが
、
「
麹
」
と
「
酒母
」
に使用される
「
麹米
」
「
酒母米
」
が
最も重要であると言われています
。
司牡丹で
は
、
特定名称酒はほとんどの酒の
「
麹米
」
「
酒母米
」
に
、
この
「
山田錦
」
を使用していま
す
。
「
山田錦
」
の産地は主に兵庫県であり
、
司牡丹でも兵庫県産の
「
特上山田錦
」
を中心
に仕入れていますが
、
平成8年より
、
永田農
法での
「
山田錦
」
栽培に
、
高知県佐川町と四
万十町にて取り組んでいます
。
ちなみに永田
農法とは
、
農薬はもちろん
、
水や肥料も極力
与えず
、
植物本来の生命力を引き出し
、
環境
にもあまり負荷を与えないという自然な農法
です
。
この
「
永田農法・高知県産山田錦
」
も
含め
、
司牡丹の
「
山田錦
」
使用量は
、
使用原
料米総量の実に15%以上に達しています
。
その他の使用米としては
、
「
北錦
」
(
兵庫
)
「
アケボノ
」
(
岡山
)
「
吟の夢
」
(
高知
)
「
土佐錦
」
(
高知
)
「
アキツホ
」
(
高知
)
等で
す
。
司牡丹では
、
仁淀川水系の湧水
(
軟
水
)
を仕込水として使
っ
ています
。
四国山脈の連峰を源として太平洋に
流れる仁淀川は
、
「
日本最後の清流
」
として有名な四万十川を凌駕する水
の透明度を誇り
、
「
日本一水のきれ
いな川
」
とも言われている清流です
また
、
仁淀川は古来より
「
神河
」
と
称され
、
、
「
風土記
」
の中に
「
神々
に捧げるための酒造りに
、
この清水
を用いた
」
とも記されている
、
伝説
の神の川なのです
。
さらにこの仁淀
川水系の湧水は
、
名著として名高い
坂口謹一郎著
「
日本の酒
」
(
岩波新
書
)
の中に
「
水と名酒
」
として登場
する名水でもあります
。
司牡丹の故
郷佐川町は
、
この仁淀川の中流域に
位置しており
、
周囲を山に囲まれた
盆地であるため
、
この名水が豊富に
湧き出しており
、
古くから酒造りの
町として栄えた要因とな
っ
ているの
です
。
司牡丹の育ての親
、
竹村源十郎
(
現社長の曾祖父
)
は
、
徹底した品
質至上主義を唱え
、
司牡丹品質向
上のための全国有名醸造地行脚の
旅を
、
昭和元年より開始します
。
そして
、
5年間の全国行脚の末
、
高知の軟水による酒造りには軟水
醸造法の広島杜氏が適任であるこ
とを発見
。
昭和6年には広島杜氏
の第一人者
、
川西金兵衛の招聘に
成功します
。
その軟水仕込みの優
れた技は
、
司牡丹の品質向上に格
段の進歩を促し
、
昭和13年
「
全
国清酒品評会
」
において四国で初
めて
、
また唯一の
「
名誉賞
」
受賞
をもたらすのです
。
(
名誉賞受賞
蔵は全国でわずか61蔵のみ
。
)
以来
、
他の高知県内酒造会社も
、
こぞ
っ
て広島杜氏を招くようにな
るのです
。
川西亡き後も広島杜氏
の伝統は引き継がれ
、
司牡丹は輝
かしい受賞歴を誇ります
。
「
全国
新酒鑑評会
」
最高位金賞受賞回数
も全国ト
ッ
プクラスの通算25回
(
昭和40年
~
平成18年まで
。
昭和40年以前は不明
。
)
を数え
ます
。
特に平成11年・12年は
2年連続
「
四国清酒鑑評会
」
にて
第1位を獲得し
、
四国ナンバ
ー
ワ
ンの酒質評価を得
、
さらに平成1
2年については
、
「
高知県杜氏組
合鑑評会
」
第1位
、
「
高知県酒造
組合鑑評会
」
第1位
、
「
四国清酒
鑑評会
」
第1位
、
「
全国新酒鑑評
会
」
最高位金賞受賞と
、
前代未聞
のグランドスラムを達成している
のです
。
平成16年8月
、
司牡丹最後の広
島杜氏として30年間活躍した加
島義樹杜氏が亡くなります
。
彼の
酒造りは以下の言葉に集約されま
す
。
「
酒造りは子育てと同じ
。
自分の
都合ではなく
、
相手の生活に合わ
せて作業しなければならない
。
赤
ん坊が泣きだせば
、
深夜だろうと
早朝だろうと母親は乳を与え
、
お
むつを替える
。
何のためらいもな
く無償の愛を与え尽くす
。
特に吟
醸酒ともなれば
、
香りと味わいの
バランスは両刃の剣
。
共栄点を見
つけることが難しい
。
しかし
、
手
のかかる赤ん坊ほど可愛いもの
。
ただただ
、
与え尽くすのみです
。
」
加島杜氏は既に平成4年より
、
後
継者育成の使命を担
っ
て取締役杜
氏に就任していました
。
加島杜氏
の酒造りの精神と技を確かに受け
継ぎ
、
平成16酒造年度より
、
社
員としての杜氏
、
浅野徹
(
高知県
出身
)
が就任します
。
約70年間
の広島流軟水醸造法の伝統を引き
継ぎ
、
新たに
「
司牡丹流
」
とでも
いうべき段階に至
っ
たといえるで
し
ょ
う
。
①昭和16年
、
司牡丹の醸造石数
は5000石を突破
。
さらに当時
全国で1万軒あ
っ
た酒蔵の中から
「
特等格27銘柄
」
に選抜され
、
「
特等酒
」
の指定を受けます
。
こ
れは
、四国の酒蔵で唯一の快挙で
ありました
。
そんな矢先
、
太平洋
戦争が勃発
。
翌17年には全国的
に米不足となり
、
司牡丹の醸造石
数も約十分の一の600石と激減
します
。
「
金魚酒
」
等の粗悪な酒
が全国に蔓延する中
、
竹村源十郎
は
「
石数は落としても酒質は落と
すな!
」
と終始品質至上を貫き通
したのです
。
昭和20年
、
終戦
。
そして戦後復興の足音が聞こえ始
めた昭和25年頃
、
戦中戦後も貫
き通した品質至上主義が不動の信
用を得
、
四国四県はもとより
、
大
阪
、
名古屋
、
東京からも引き合い
が殺到
。
「
天下の芳醇・司牡丹
」
の名を全国に轟かせることになる
のです
。
②竹村源十郎亡き後も
、
その精神
は確かに司牡丹酒造に受け継がれ
ていきます
。
「
三倍増醸酒
」
とい
っ
た大量生産酒に市場が席巻され
ていた昭和50年
。
司牡丹は
「
特
級酒
」
を全て
「
純米酒
」
か
「
本醸
造酒
」
という高品質酒に切り替え
、
さらに昭和54年には
「
特級酒
」
を全て
「
純米酒
」
とし
、
翌55年
には
「
一級酒
」
を全て
「
本醸造酒
」
とし
、
この頃始まる
「
地酒ブ
ー
ム
」
の中心銘柄の一つとなるのです
。
現在
、
全国酒造メ
ー
カ
ー
の
「
特定
名称酒
(
吟醸酒・純米酒・本醸造
酒などの高付加価値酒
)
」
比率は
平均30%程度ですが
、
司牡丹の
「
特定名称酒
」
比率は実に70%
を超えているのです
。
そして
、
平
成12年9月からは
「
糖類・酸味
料
」
を使用した
「
三倍増醸酒
」
の
製造を全廃
。
品質はア
ッ
プし価格
は据え置き
、
さらに全量高知県産
米を使用した
「
土佐司牡丹
」
を新
発売
。
これにより
、
司牡丹は全商
品が
「
糖類・酸味料
」
等の添加物
なしとなりました
。
また
、
平成8
年より
、
「
土佐・本物・エコロジ
ー
」
にこだわ
っ
ていくという方針
を打ち出し
、
同年
、
永田農法での
「
山田錦
」
栽培に
、
高知県佐川町
と四万十町にて取り組んでいます
。
ちなみに永田農法とは
、
農薬はも
ちろん
、
水や肥料も極力与えず
、
植物本来の生命力を引き出し
、
環
境にもあまり負荷を与えないとい
う自然な農法です
。
さらに
、
平
成12年12月には
、
四国の日本
酒業界では初めてとなる
「
ISO
14001
」
(
国際標準化機構の
環境マネジメントシステム企画
)
を取得しています
。
そして
、
平成
17年12月8日まで認証を維持
し
、
以降は独自の
「
司牡丹酒造・
環境マネジメントシステム
」
を構
築しています
。
③司牡丹では新時代を見据え
、
こ
れまでの
「
品質至上主義
」
のその
上に
、
平成4年
、
新たに
「
社是
」
を制定しました
。
すなわち
、
「
源
・和・創・献
」
です
。
歴史と文化
司牡丹の由来
社宝「芳醇無比乃巻」
司牡丹の「米」「水」「技」そして「心」
司牡丹酒造の社是「源・和・創・献」
司牡丹酒造のミッション(使命)
司牡丹と偉人・著名人
司牡丹酒造の憲法(クレド)
土佐の偉人
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