田能村直入
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田能村直入
三幅対である。向かって、左が兼本春篁、中央に真紅女史、右が田能村直入と並べられるべきものと思われる。
兼本春篁は、直入の弟子。真紅女史は不明である。「真紅女史田氏[真紅女史][田常]」とされている。([]は、印文である。)
真紅女史は、「田」とあるから、田能村の可能性もある。名は、「常」と云う事であろう。号を、「真紅女史」としている。
直入の妻は、梅子といい、「春窓」と名乗っている。直入夫妻の子「徳蔵」は、13歳で夭折しているし、その妹「直子」は、徳蔵の後を追うように他界してしまったと云う。そうなると、直入の周辺に「女史」を名乗るものはいないものと思われる。
直入近辺の人物ではないとすれば、単に直入の一弟子(いちでし)で有ったかも知れない。真紅女史の為書に、「朝倉彌三翁九十有九歳」と記されていることに、何かのヒントが隠されているかもしれない。直入の重録箇所(後賛)には、「朝倉彌三云々」の次に、「於宇和島客次~」と記されているから、直入の、地方に於ける弟子筋の人物である可能性もある。特に真紅女史の幅を、床の中央に設(しつら)える手立てを計画した事は、真紅女史が、「朝倉彌三」氏の血縁筋等の「強い関わり」を示すものと推測出来なくもない。
これまでの自分の怠慢であったが、直入の弟子関係の詳細を調べた事は無い。直入の画の変遷を把握する常套手段として、直入の弟子筋の絵画傾向も調べておかなければならない重要なファクターであった。
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