千田有紀(せんだ・ゆき) 武蔵大学教授(社会学)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。東京外国語大学准教授を経て、2008年から現職。著書に『女性学/男性学』(岩波書店)、『日本型近代家族―どこから来て、どこへ行くのか』(勁草書房)。共著に『ジェンダー論をつかむ』(有斐閣)、『上野千鶴子に挑む』(勁草書房)、『離婚後の共同親権とは何か-子どもの視点から考える』(日本評論社)ほか多数。
ジェンダー・アイデンティティの尊重と女性の間の緊張感
このように、ジェンダー・アイデンティティの尊重は、ときにトランスジェンダーと女性との間にコンフリクトを起こすように現在の社会制度は設計されている。とくに女性に性的指向をもつレズビアンは、「トランス女性」を恋愛対象にしないことが「トランスフォビア」と認定されることもあり、さらなる緊張関係がある。LGBTと横並びで書かれても、L(レズビアン)とT(トランスジェンダー)の利害は時にぶつかり合い、またTの中身も多様なのである。
野党は、ジェンダー・アイデンティティの尊重が、ときに女性たちとの間に緊張感を示すことに、あまり注意を払っていないように見える。実際、イギリスの労働党が2019年の選挙で大敗した原因として、選挙候補者のクォータ制をめぐっての女性とトランスジェンダーの間のコンフリクトが挙げられている(「英総選挙、驚きの保守党圧勝を読み解くと」ニューズウィーク日本版2019年12月14日)。
労働党は、トランス問題に関しては、何が差別であるかは自明であるから議論すること自体が差別であると「No Debate」という方針を取り、女性支持者たちのさらなる離反を招いた。その後、未成年時の安易なホルモン治療やその後の手術をめぐるって国民保健サービスが敗訴、その前には教育省から教育現場でのトランスジェンダーに関する指導のガイドラインの通達が出るなど、未成年者へのトランスに慎重な声があがってきており、事態は複雑に動いている。
LGBT法をめぐる攻防が炙り出した課題と論点は数多くある。それらはLGBTの社会的承認と権利の前進が現実のものになりつつあることの成果だろう。それと同時に、現実のものとなることで、自民党のみならず、ラディカル内部での紛争も激化している。トランスを積極的に推進してきた共産党のジェンダー平等委員会責任者でさえも、トランス問題をめぐり、「あおられている人も含めて、すべてを『差別者だ』と決めつけ、糾弾するようなやり方は、反発と分断を生むだけで、問題の解決にはつながりません」と注意喚起をする事態になっている。
このようなラディカル内部の紛争に嫌気がさしたLGBT当事者たちが野党から離反し、与党側にまわる傾向は確実にある。野党側がこうした緊張関係をきちんと把握し、幅広い納得が得られる制度構築を提示しないならば、政治的混迷はさらに深まるのではないだろうか。
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