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LGBT法案をめぐる攻防が炙り出した「ねじれ」

ジェンダー・アイデンティティの尊重と女性の間の緊張感

千田有紀 武蔵大学教授(社会学)

日本学術会議による提言

 ジェンダー・アイデンティティの問題、トランスジェンダーをめぐっては、実はさまざまな緊張関係が存在している。

 ひとつの緊張は、トランスセクシュアル、または「性同一性障害」(性別違和、もしくは、性別不合という言葉がそれに置き換わりつつある)と自らを名乗るひとたちとの間にある。

 「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(いわゆる特例法)では、性同一性障害とともに生きるひとたちは、「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者」と定義されている。自分の身体や社会の性別を、自分のアイデンティティに適合させようというひとたちに、性別適合手術を受けた後の戸籍変更の道を開いたのは、特例法である。

 特例法の適用の対象となるひとたちは、身体も戸籍も変更し、基本的には「他の性別」として「埋没」して生きることを望んでいるひとたちである。それに対してトランスジェンダーは、異性装のひとも含む、性別を越境するひとびとによるアンブレラターム(傘にぶらさがるような包括的な言葉)である。

 近年アイデンティティは多様化しており、ノンバイナリー(Xジェンダーともいい、男女いずれかの一方に限定しない性別のアイデンティティをもつ人)、や、ジェンダーフルイド(アイデンティティが流動的に頻繁に変わるひと)など、多様なアイデンティティの形態がある。こうした多様なアイデンティティは認められ、尊重されるべきであろう。重要なことは、それを前提としてどのような社会的な制度を私たちが作っていくかということである。

 性同一性障害もアンブレラタームとしてのトランスジェンダーに含まれる。おそらく私たちがトランスジェンダーと聞いて頭に浮かぶのは、典型的にはトランスセクシュアル、性同一性障害の人びとだろう。

 1990年代には、母体保護法違反とならずに日本国内で性別適合手術を受けることが可能になった。2003年には特例法が成立し、性別適合手術を受けたひとたちの「他の性別」への戸籍の性別の取扱いの変更が可能になった。トランスセクシュアルの人々にとっての課題は、いまだに未成年の子どもがいる場合には性別変更ができない特例法の子なし要件を初めとするさらなる改正であり、ホルモン治療の保険適用である。私もこれらの課題の改善を支持するが、ここでの問題は、いまある性別の2分法の枠組みのなかにおさまっているともいえる。性別適合手術を受けて、戸籍の性別変更を行ったひとの性別を尊重しないひとは、さすがにほとんどいない。

 ところが、アンブレラタームとしてのトランスジェンダーには、これらトランスセクシュアル、性同一性障害以外のひとたちも含まれている。日本学術会議による提言「性的マイノリティの権利保障をめざして(Ⅱ)―トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けて―」では、性別適合手術を経たのちの性別変更の法律である特例法を廃止し、ジェンダー・アイデンティティやジェンダー表現を「個人の尊厳」ないし「性的自己決定」として明確に保障する 根拠法の制定が不可欠であるとされている。つまり身体を変更することなく、各々のジェンダー・アイデンティティが尊重されて生活することができ、性別を変更して生きることが可能な社会が理想とされているのだ。

 こうした変化は、私たちの社会が、「女性スポーツ」や「女子トイレ」といった性別2分法を前提として、公正や安全をつくりあげてきたかを、ぎゃくにあぶり出す結果になっている。女子スポーツは、「女子は男子よりも肉体的にハンデがあるから、別の枠組みでスポーツを競うことが公平である」といった前提に依拠している。しかし歴史的には、どうやって「女」を定義するかに苦慮してきた。外性器や染色体によって女性を定義してきた時代を経て、いまは(競技や試合にもよるが)、過去1年間のホルモン値によって定義することが多くなっている。東京オリンピックからトランス女性が、女性競技に参加するが、このホルモン値をクリアしたひとたちである。

 また多くの場合に「安全は、性別を男女に分けることによって担保される」といった前提もある。刑務所や更衣室、シャワー、シェルターなども、性別分離をすることだけをもって事足れりとしてきたが、例え同性間であっても、安全やプライバシーの担保がされない場合もあるだろう。性別による分離だけでは、安全性は確保されない。配慮のある制度設計が考えられる必要がある。

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筆者

千田有紀

千田有紀(せんだ・ゆき) 武蔵大学教授(社会学)

東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。東京外国語大学准教授を経て、2008年から現職。著書に『女性学/男性学』(岩波書店)、『日本型近代家族―どこから来て、どこへ行くのか』(勁草書房)。共著に『ジェンダー論をつかむ』(有斐閣)、『上野千鶴子に挑む』(勁草書房)、『離婚後の共同親権とは何か-子どもの視点から考える』(日本評論社)ほか多数。