ネット上で扱われている著作権の多くが文化の発展の寄与という建前とは無縁の
単なるアマチュア創作者の利己的な起源主張になってしまっているからです。
そもそも著作権とは文化の発展の寄与という建前を掲げつつも、
隣接権やら権利の売買やら作者の死後も一定期間認められたりと、その本質はプロの創作者やそれを抱える企業を守る為のものです。
この辺の私の著作権に対する認識については、今回の話題から脱線する上、話すと長くなってしまうので、次の記事にでも書いておきます。
とりあえず著作権は商業的な保護であるという事を前提にこれから話を進めると認識してくれれば十分です。
あと子供の頃は無知に因る著作権の軽視もありましたが、これも本題とズレるので省きます。
ネット上の著作権の扱いについて
著作権は本来商業的な保護というのが私の認識ですが、ネット上の特にアマチュア間で取り扱われる著作権の話題はパクったパクってないとか、
トレスしたとかしてないとか、誰のアイデアだオリジナルだとか
そうした事に重点が置かれがちです。
また逆に著作物を拝借していても元の作品や作者をリスペクトしてるかとか、
断りとか引用を入れたとかそういった側面や、同人作品であれば許容するといった風潮も見られます。
ここから見えてくるのは著作権の侵害による商業的な損害への危惧ではなく、
作者は誰なのかという事を正しく広めたいという意図だと思います。
別に世の中、法律だけが全てではありません。
しかし例えばプロの一次創作者の寛容さ(その意図はどうであれ)の上で成り立っている文化、例えばMUGENやMMDといったもので
そのキャラ製作者が一次創作者以上に厳しく三次創作者に対して利用規約を取り締まる姿を見てどう感じるでしょうか。
人によって色んな受け止め方があるでしょうが私には醜く見えます。
そこには二次創作物法律を越えた倫理や礼儀、著作権の建前である文化の発展の寄与といった目的も感じ取れません。
本人たちはそうだと思い込んでいるのかもしれませんが…
しかし、実際は著作権の本音である市場の保護ともかけ離れた創作者が自尊心を満たす、
あるいは傷付けられない事に重点を置かれたものです。
もっと砕いて言えば
創作者が自分の作品で威張りたい、馬鹿にされたくないという欲求が生み出した利己的なルールです。
そしてそのルールはもはや言い出した本人すら消えても、転載禁止と言った利用規約を守り、それを破る者を糾弾する事すらあります。
創作者と使う側の争いなら創作者側に分があるのでまだ円滑に進みますが、創作者同士の争いになると目も当てられません。
こんなルールがまかり通っているのは、そのルールが機能的に優れているからというよりも、
作者の機嫌を損ねれば配布禁止や使用禁止、引退による新作への見込みの消失と言った、
これまで出した、あるいはこれから出すかもしれない作品を人質にとった脅しが可能という状況に基づく立場の強さに支えられたものです。
著作権も単なる血統書です。
素晴らしい創作者であれば優れた人格を持っているという図式が成り立つならば、この作者ありきのルールも良い方向へと形作られていくのかもしれません。、
ただ別にそんな事は無いようです。
偏見もありますが、創作者というのは大なり小なり人より気難しい傾向があるように思えます。
あるいはそうした繊細さこそが創作においては有利に働くのかもしれません。だとすればそれは素晴らしい事でもあります。
しかし、そのような人々が皆が従うのを良い事に個人の感情で秩序や道徳を作ってしまうのは問題です。
創作者は創作者であって、法学者でも経営者でも聖人でもありません。
例えば仮にガチガチの商業主義の著作権があったとします。
しかし、そのような悪法でも様々な専門家が長い時間をかけて形作られていくはずで、
少なくとも商業的な目的には一定の合理性はある事だと思います。
でも、アマチュア創作者の感情論が根底にあるこうした秩序にはそうした合理性すらありません。
どんなに超売れっ子の漫画家だって読者全員の反応を制御できません。
全ての反応を制御したいなら、中学生の頃の黒歴史ノートの如く、自分だけで楽しめば良いでしょう。
そしてネットに作品を公開したという事は、大なり小なり自分の予測できないタイミング、内容の反応が欲しくてした事だと思います。
だとすれば思惑通り予想外の反応が来ただけです。
自覚してるかはともかく、そうした思わしくない反応が来る可能性のある環境において、良い反応を貰うからこそ嬉しさが際立つことを期待しての活動だと思います。
そしてそれが他人からの評価の醍醐味なはずです。
以上のような状況から私はネットでよく見る著作権に対して反感を覚え無視するようになりました。
じゃあどうあるべきなんだという私の意見ですが、著作権というのは結局のところプロのものです。
プロならまだしもアマチュアはプロの立場なんか取らず、アマチュアの立場にいる事が良いというのが私の考えです。
アマチュアはプロを気取るべきではない
アマチュアには大きな強みがあります。それは遊びであるがゆえ権利に縛られないという事です。極端な話、誰かの作品を勝手に拝借し転載し、アイデアをパクリ、自分の創作に利用できます。
そんなんじゃ創作者としての能力は高められないのかもしれません。他では通用しないのかもしれません。経済にも文化や芸術の発展にも繋がらないのかもしれません。
プロであるならそれは今後の売上やブランドなど自身の根本的な存在価値に関わってくるものなので注意する必要があります。
でもアマチュアは気にする必要はありません。
作品を勝手に使ってもアマチュアの作品であれば訴えられません。訴えてもその労力に見合った価値も損害もないのですから。
プロの作品にしても、大抵の場合YouTubeやニコニコ動画と言った仲介役がいるでしょうから、その仲介役が削除する形で対応を取ってくれます。
そして作る側は削除避けなり再投稿なりでリスクなく逃げ回り続けられます。
まあよほど厳しいところは中々逃げ切れないかもしれませんが、
そこまで固執する必要もないので大人しく諦めて他を題材とするのも良いでしょう。
題材はいくらでもありますし、大抵のプロはアマチュア相手にそこまでしつこく追いたがりません。
実力を高めるという点では成長を妨げてしまっているのかもしれません。
でもそれで創作が楽しいのならそれで良いでしょう。遊びなのですから。
急ぐ必要もないので成長したくなったら、その時改めて鍛えれば良いでしょう。
そして自分がしている事はそっくりそのまま誰かによってされるわけです。
でも自分はアマチュアなので損失は受けません。
そしてこうした活動は既に多くの人がやっているはずです。
MAD動画の投稿者は勿論ですが、キャプチャー画像のツイート、アニメアイコン、
そもそも自分で描いていようが二次創作全般がキャラデザ設定を拝借したものです。
二次設定も設定考察も色んな人々の考えが集合しているものです。
そしてインターネットという存在はそうしたアマチュア創作者にとって非常に心強い道具です。
何せクリック一つで世界中の人と作品を共有できます。
自分の作品は世界中の人が見れるし、自分も世界中の人の作品が見れます。
そして世界中の人と利用し合う事が出来ます。
私は多くの動画を投稿しましたが、それらは様々な素材やネタやソフト、ノウハウを勝手に拝借したからこそ作り出せたものです。
私のような実力の無い創作者でも、他人の力を利用する事で実力以上の作品を作る事が出来ます。
そして私の作品もまた、誰かに実力以上の実力を発揮させる糧として利用されているのだと思います。
互いが互いを勝手に利用し合えるという状況によって実力以上の力を創作に発揮できるという事がアマチュアの大きな強みだと思います。
そしてアマチュアの身でありながら、プロを真似て権利を主張すれば
そうしたアマチュアの恩恵も捨ててしまう事になってしまいます。
一方そうしたところでアマチュアである以上プロの恩恵は得られません。
今回はこのようなアマチュアだから出来るドーピング漬けのような創作活動を多くの人に楽しんでもらえれば良いと思いこの記事を書いた意図もあります。
これは親切心もないわけではありませんが、
互いに利用し合うという性質上より多くの人がそんな楽しみ方をもっと嗜んでくれればマルチ商法のように私もその恩恵を多く得られるからです。
そしてこれは少なくともアマチュアである限りはスポーツのドーピングや本物のマルチのように自身を害することもありません。
パクって上等の常識が蔓延るそんな世界を望まないアマチュアの創作者も少なくないかもしれません。
しかし、先述したよう少なくとも二次創作者であるなら既にその恩恵を受けていることだと思います。
一次創作者であっても、その活動は界隈の盛り上がりというそうした恩恵に下支えされたもので成り立っているのではと思います。
そこに立場の強さを利用しただけの個人の感情に基づく線引きを各々がしてしまえば、周りは勿論、自身すらもその恩恵から遠ざかってしまうと考えています。
それに私は他人の権利を侵害する事を目的としているわけではありません。創作を楽しむ上で権利を侵害する必要があれば躊躇なく侵害するだけで、必要以上に侵害する気はありません。
プロへの淡い期待は持つな
私の話はプロにはどうか知りませんが、
少なくともアマチュアの創作者には良い話だと思います。
主張も単純でアマチュアがプロ意識を持つなという事だけです。
近年はYouTuberやskeb、プロゲーマーなどサブカルによってちょっとした金銭を得る機会も増えてきており、
そうした存在が身近になってきている事もプロへの意識を芽生えさせる要因になっているのかもしれません。
もしかしたらそうした活動でプロになれるかもと淡い期待を寄せている人も読んでいるのかもしれません。
しかし、ハッキリ言ってほとんどの人はプロにはなれません。もっと言えばまずプロにはなれません。
プロの定義自体色々あると思いますが、ここで想定しているプロというのはそれで食って生きていく人です。
副業するしない関わらず、それを将来自分が生きていくための稼ぎとして確立できるでしょうか。
短期的なものではなく一生を過ごす為の手段として維持し続けられるでしょうか。
今や稼ぐ手段も良い作品を作るツールも技術の進歩によってどんどん充実していっています。それによってちょっとした金銭を得るぐらいならハードルもどんどん下がっています。
場合によっては結構な額を得る機会もあるかもしれません。
しかし、下がったハードルは同時に急速なライバルも増えていく事も意味しています。
自分でもできるかもと思う事は、大抵の人もまたそう思っているはずです。
しかもこのライバルは単なる商売敵ではありません。
稼げなくていい、場合によっては金を払ってでも世に自分の作品を送り出したいというような
利益度外視の趣味人すらも競合相手となります。
そんな連中を相手取ってなお、顧客に金を払わせる程の価値ある作品を生涯生み出し続けられるのでしょうか。
出来るならとても素晴らしい事なのだと思います。
どんなにパクりまくろうが、その源泉である三度の飯より創作が好きな実力者を相手取ってアマチュアは勝てません。
それこそがまさにプロの創作者なんだと思います。
そして私のような有象無象のアマチュアを圧倒し続けてください。
ただ、私は無理です。
今や既に金銭を得るハードルが下がり切っているので、私にだってちょっとした小遣い程度を得る事は出来るかもしれません。
でも、それで生涯食っていく自信は全くありません。
だから私は一生アマチュアの創作者で良いです。
そもそも私は作品で食っていきたくて創作活動を始めたのではありません。
創作が楽しくてやっているのです。これからも楽しみます。
あとこれは嫌儲思想が良いという話でもありません。
即売会のようなちょっとした金銭のやり取りそのものにも縁日やお店屋さんごっこのような娯楽性がある事もわかっているつもりですし、それはアマチュアの範疇です。
先述した経済にも文化や芸術の発展にも繋がらないという事をアマチュアが気にするなという事は、
プロでもない者が収入の有無を善か悪か決めるなという事も含んでいます。
プロの立場からすれば、商売敵に稼がれると場合によっては危惧すべき事態になるでしょうが、アマチュアには関係の無い話です。
そういった事もまた法学者とか経済学者とか経営者とか、よくわかりませんがそんな感じの専門家が議論して考えるべき事なはずです。
創作者の定義
ここまで創作者について話してきましたが、ここで想定している創作者というのは大体絵師とか動画やゲームの製作者、作曲と言ったものだと思われているかもしれませんがそうではありません。
ブログやnotoと言った文章、もっと言えばツイッターや掲示板、あるいは感想欄といった、公開された場での書き込みもまた創作と想定しています。
私が創作物と見ているのは継続的に誰かに影響を与えるよう作られたものとしています。短い文であってもそうした意図があるなら立派な創作活動です。
要は私が今回指摘している対象は匿名非匿名関わらずTwitterやスレであれこれ善し悪しを語っている人も含めています。案外そっちの方が多いのかもしれません。
終わりに
私がニコニコの淫夢での活動が心地いいのはこうした互いに利用し合うアマチュアらしい関係が安定して成立しているからです。
勿論あれこれ口を挟む人はどこにでもいますが、自身が屑であることが前提の淫夢であればお利口さんでいなければならないという使命感もないので簡単に撥ね退けられます。
逆に言えば、淫夢という何かしら後ろめたいものがあるジャンルでないと創作者というのは傲慢になってしまいがちなのかもしれません。
そんなものが無いと傲慢になってしまう性があるのだとしたらちょっと悲しく感じないでもありません。
またこれ以上アングラに寄ると、それはそれで893の掟のような秩序が幅を利かせてしまうようです。
この辺のバランスは意外とシビアなのかもしれません。
まとめ
まとめますが今回の記事では大体以下の事を主張しました。
・アマチュアの掲げる著作権は立場の強さを利用して定めた個人的な感情論
・創作者は権利とか経済とか道徳とかそういった専門家でも長年議論するような事を定められる身だと思うな
・アマチュアの身でプロ意識を持つな、アマチュアらしく振舞う方が得
・アマチュア創作者は趣味で創作しているのだから、いかに好きな事に向けて楽しむかを意識しよう
・匿名だろうがスレやツイッターで書き込んでいる人も創作者
まとめきれず長々と記述する形になってしまいましたが、大体言いたいことは記述したのでとりあえず一旦ここで切ります。
次回はこの記事のおまけになりますが、先述したように私の著作権に対する認識を紹介する予定です。
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次の記事これより新しい記事はありません。
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ただうまく行くと自分の創作内容がそのキャラクターのバックグラウンドに多少フィードバックされてミーム化するという報酬を得れる。しかしこれはセンスと敬意が必要で、センスは言わずもがな敬意を欠いた描写は複数の視聴者というフィルターを通す以上ミーム化されえないからおもちゃ扱いも一線を越えてはならないギリギリの自浄作用が働いている
もう超えてるって?おう、それがどうしたよ(人間の屑)