結果がどうとか周りの意見がどうとかにメンタルを揺さぶられないための俺的心得です。

さきほど友人との会話の中で言語化できたので、本日の投稿でお伝えします。

各自、
・コレは熟考しないと着手できない
・コレは思索を後回しにして、様子見しながら着手する
・コレは直感でビビっときたのでやってしまう
・コレは成り行き(他人の意思表示)に任せる
・コレは本能に従う(眠い、お腹空いた、しんどい、など)

こんな感じで、個々のテーマによって、行動や考えの判断基準が変わります。

同じ人が行う判断でもテーマが異なれば基準は変わりますし、
特定のテーマでも人が変わればその判断基準は異なります。

あるテーマにおいて、同じ判断基準(あるいは組み合わせとして相性のいい判断基準)が互いに存在するなら
そのお互いは「気が合う」ということになります。

あるテーマにおいて、相性の良くない判断基準の組み合わせを互いに持っているなら
そのお互いは「気が合わない」ということになります。

例えば俺の場合ですと
俺が「要・熟考」と判断したテーマにおいては
「熟考」「様子見」「成行」の判断を持つ人を相性良しとします。
また、俺が「要・熟考」と判断したテーマに対して
「直感」「本能」で対応する人には苦手意識を感じます。

で、今日の話はここまでです。

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ここからは、この「自分と他人との間での、判断基準の相違の存在」を
・自分は正しいか、それとも間違っているのか?
・相手は正しいか、それとも間違っているのか?
という思考、つまり自他への攻撃に転用してしまうミスについて述べます。

わかりやすさのためAさんBさん表記で述べます。

Aさんは、あるテーマにおいて「熟考」の基準を持ちます。
Bさんは、その同じテーマにおいて「直感」の基準を持ちます。

AさんとBさんで、このテーマを軸にした会話などコミュニケーションを行うと
①AさんはBさんに対し「考えの浅い人だ」と感じます。
②AさんはAさん自身に対し「自分は単に立ち止まっているだけなのかもしれない」と疑問を抱きます。
③BさんはAさんに対し「行動の遅い人だ」と考えます。
④BさんはBさん自身に対し「自分には配慮が足りないのかもしれない」と疑問を抱きます。

上記は①~④とも誤りです。
他人と基準が異なるという要素のみで
自分や他人に上記①~④の感想を持つのははすべて内省のミスです。

この話は、自分と相手で判断基準が違う、単にこれだけです。
それで自他の正しさを測ることはどれだけ考えても適いませんし
その答えはどれだけの偉人であっても導き出すことは不可能です。

自分や他人の正しさ(あるいは誤り)を仮定するなら
もうちょっとマシな観点、観察点があるはずです。

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この思考の罠にハマる人は一定数います。
俺も例外に漏れず、この思考の罠にハマって自分や他人を責めてしまいます。

「熟考・直感・成行」(CRL:check,run,letcourse)
この判断基準の違いは個性を彩るものでこそあれ、個々の優劣を決めるものでありません。
他人を攻撃するのにはあまりに材料不足、自分を攻撃するのにもあまりに材料不足。
この材料不足で戦うと結局堂々巡りの思考に陥り、近いうちにメンタルがジリ貧になります。
同じ戦うのなら他の情報収集に努めましょう。という提案でした。

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