

皆さんは三国志の登場人物の中で「献帝」と言われるとどんな人物像が思い浮かぶでしょうか。幼少期に聡い兆しを見せた人物。董卓

漢王室の最後の帝なのにほとんど出てこない……色々なイメージがありますよね。今回はそんな献帝の生涯を、見ていきたいと思います。

かの人がどんな人生を生きてきたのか、ゆっくりと、ですがしっかりと見てきましょうね。
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献帝という人物

献帝の父親は霊帝

が、189年に何進が宦官

この際に上手く話せなかった劉弁と状況をしっかりと説明できた献帝、彼らを比べて董卓は献帝を後継ぎにする決意をして、劉弁と何皇后

ただしこの即位は、献帝にとって傀儡
董卓に見出された後

異母兄と母親の政敵だったとはいえ皇后を殺害、洛陽

その後も董卓は献帝の名を利用してやりたい放題、しかしその董卓は呂布

その後は李傕

董卓にその才能を見出された献帝ではありますが、乱世においてその才が振るわれることはほぼなく、自由のない生活を強いられて来たのです。皮肉にも彼の血筋が献帝を苦しめ、そして命だけは奪われることがなかったと考えると……何だか込み上げるものがありますね。
二つの国から諡を贈られる

そして献帝は234年に没しました。234年と言えば諸葛亮

この諡
魏
蜀

文字を見ると分かりますが、魏によって贈られた諡である孝献皇帝から、彼が献帝と呼ばれるのが分かりますね。つまり多くの場合では、彼は魏によって贈られた諡を使用して呼ばれているのです。そしてこの諡には、彼の生涯が詰められていることも分かります。そこでこの諡の意味を見てみましょう。
諡を見るとその生涯が少しでも読み取れるか

魏によって贈られた諡「孝献皇帝」
蜀によって贈られた諡「孝愍皇帝」
まず皇帝という文字はそのままですから除外しましょう。そして二つの諡の最初に付けられた「孝」という文字ですが、これは最後、や末っ子という意味です。
つまり漢王朝の最後の子、という意味でしょう。当時、字

例として出すと、孫策
さて話がそれましたがそれぞれの諡の文字の意味を見てみましょう。
「献
「愍

という意味になります。これは短いながら献帝という人物の評価、そしてその人物が生きた時代を表されたものだと思います。最期に二つの国から贈られた諡、そこに彼の人生が詰まっていると考えると、諡もやはり考えて贈られているのだな……としんみりしてしまいました。何にせよこの諡から、献帝という人物の生涯が少し伝わってはこないでしょうか。
三国志ライター センのひとりごと

本来ならば最も貴い身分でありながら、幼少期から苦労と傀儡
幼少期こそ優秀と詠われた献帝、彼が実際に漢王朝を運営していたらどうなったのか、ふとそんなことを考えてしまいますね。
参考文献:後漢書献帝記

















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