Com5thFlt@COM5THFLT·6月14日もともと東京シューレは、東大紛争で「助手共闘」を結成した最首悟に近い反代々木系新左翼が後押ししていたイメージがあります。今は上野をはじめ、鈴木裕子とか、代々木色が強くなっていますね。 https://shureuniv.org/about#advisers https://bit.ly/3iMScS6 https://jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-01-16/2010011615_02_1.html…最首悟 - Wikipediaja.wikipedia.org134
ぽん教授(半非実在系)@ponatky·6月14日https://tdu.academy/2021/05/07/1336/… 一応今でもご活躍なさってるようですから、絶賛権力闘争中(?)講座紹介:生命論 | TDU-雫穿大学こんにちは!てきせん大学学生広報チームです。 てきせん大学には、いろんな講座がありますが、実は昨年から続くコロナウイルス感染症への対策で、ほとんど開けていない講座もあります。 思想家でありTDU・てきせん大学のアドバイザーでもある最首悟さんの「生命論(いのちろん)」講座もその一つです。 最首悟さんは、長年「生命(いのち)」とは何なのか、いのちにかかわることを考え続けていらっしゃいます。 「生...tdu.academy135
Com5thFlt@COM5THFLT·6月14日最首悟は駿台講師をしているのを朝日新聞に表沙汰にされて、兼業規定違反で東大助手をクビになった記憶があります。 「助手の薄給では子ども4人を養えない。表向きは禁止の『兼業』は、27年間勤めた東大助手を辞める1994年まで続いた」。「人あっての社会」障害の娘から学んだ 元全共闘の教授:朝日新聞デジタル 元東大全共闘活動家で、和光大名誉教授。そんな肩書で紹介されることが多い最首悟さん(83)だが、本人は自分を「星子(せいこ)の父親をさせてもらってる人」と笑う。横浜市旭区の自宅で共に暮らす娘の星子さん…asahi.com146
狸穴猫/松村りか@mamiananeko·6月14日奥地圭子氏は元々教員であり、数教協 遠山啓氏創刊の雑誌「ひと」(太郎次郎社)に多数寄稿されている立ち位置からの転換であったため、全共闘方面との親和性が高いかったのかも知れませんね。 https://core.ac.uk/download/pdf/233611338.pdf…145
ぽん教授(半非実在系)@ponatky·6月14日遠山啓と日教組の関係を考えると、アドバイザーに大田堯(3Mの後継者)が年長格でいたのも納得しやすいところです。割と日共と新左翼が慣れ合いやすい空間がなくはないのでしょうから。136
ぽん教授(半非実在系)@ponatky·6月14日すると、東京シューレ内の内部変動も結構あったということですかね。まあ、上野千鶴子が権力を握る過程が、そのまま日共に対する許容度の高い分子が一定数いることで起こってくるのでしょうけども。133
Com5thFlt@COM5THFLT·6月14日まだ貴戸理恵による東京シューレ批判が起きる前のことですから、貴戸の東京シューレ攻撃に党派的なものがあったのかもしれませんね。上野派の貴戸が関西学院大学に就職したのは、東京シューレ攻撃の論功行賞とか。134
狸穴猫/松村りか@mamiananeko·6月14日そういえば、晩年の竹内常一が「ケアとしての教育」を言い出してましたっけ。 どうやら「討議づくり」を「対話と応答」を軸にした「当事者主権」獲得までの教育的営為と定義しなおした形跡があります。 https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=12284&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1…145
Com5thFlt@COM5THFLT·6月14日この人と福祉を語ろう 社会を変える“当事者”たち ~社会学者・上野千鶴子さん~ 「最近、当事者研究というのが盛んになってきましたが、それは私たちが20年前からやってきたことです。『女であるということは、女である私が決める』とやったのが女性学ですから」。 https://web.archive.org/web/20050212182248/http://www.nhk.or.jp/fnet/arch/tue/41221.html…145
上山和樹@ueyamakzk·6月14日皆さんのやりとりが興味深く、冒頭から精読させていただきました。 貴戸理恵氏とシューレの件は、共産党云々の頭ごなしの党派性というより、 「貴戸が運動体のイデオロギーの手前にある《当事者の声》にこだわろうとしたことで、運動体の言説と齟齬が生じてしまった」くらいが妥当だと思います。165
上山和樹@ueyamakzk·6月14日2005年当時、双方に連絡をとって書いたブログ記事です→ https://technique.hateblo.jp/entry/2021/05/19/000000… 貴戸氏には直接お話を伺いましたが、彼女自身には「シューレにあからさまに敵対している」というつもりは(少なくとも論文を出した当初は)なかったんじゃないかと感じています。あるいは、論文を出版したあとにも。センシティブな内容が含まれている可能性のあるメディアです。設定を変更表示168
上山和樹@ueyamakzk·6月14日シューレ側に在籍していた「貴戸のインタビュー対象者」は、貴戸には出版許可を出していたのに、奥地圭子が怒っていると気づいたせいか、その許可をあとで翻しています。アカデミズムと運動体のあいだで板挟みになって、しかし所属団体は裏切れないのでそうするしかなかった、というように見えました。167
上山和樹@ueyamakzk·6月14日シューレ側は、その問題の「当事者」がシューレ側についたような手記を、貴戸への抗議文に掲載した。 つまり貴戸側もシューレ側も、《当事者の声》を倫理的な根拠とし、そこに忠誠を誓うことを体裁上の至上命題にしていた。155
上山和樹@ueyamakzk·6月14日つまり、マルクス主義にとっての「プロレタリアート」の地位に「不登校当事者」が置かれており、 アカデミズム側の貴戸も、運動体のシューレも、それをアリバイにする語りです。266
上山和樹@ueyamakzk·6月14日《貴戸vs.シューレ》が露見した2005年当時、ネット上の掲示板やblogでは、「貴戸は子供のころは不登校児童だったのに、今は東大の権威から私たち不登校経験者を見下すようになった、裏切り者だ」というような趣旨の声がたくさんありました。156
上山和樹@ueyamakzk·6月14日貴戸側は「不登校を経験した当事者が自分の問題について研究した」つもりでも、言説の枠組みは学術であり、それが「学校制度による不登校児童への抑圧」に重ねて見られたところがあった。 そして当事者たちは、いつの間にか「学校≒アカデミズムに抵抗する運動体」の言語で語るようになってしまう。257
上山和樹@ueyamakzk·6月14日そうかと思うと、不登校当事者が自説を補強しようとして学者の権威を持ち出したり… 皆さんのやりとりで熊谷晋一郎と綾屋紗月の論文の話が出ていましたが、 この界隈では《当事者/アカデミズム/運動体》の解釈権が拮抗しており、しかも同一人物のなかで都合よくクルクル入れ替わるのです。155
上山和樹@ueyamakzk·6月14日場面に応じて、3つのうちの強くなれそうなポジションで語ろうとする。 さっきまでは学者として権威的に語っていたのに、今は「女性として」マイノリティ・ポジションから語る、というような。 そして、3つの解釈ポジションを独り占めしようとする。155
上山和樹@ueyamakzk·6月14日たとえば貴戸理恵の論述で問題なのは、 学術論文に登場させた調査対象者のひとり「Nさん」が実は彼女自身であり、しかもそのことを本文や注で明示しなかったことです。156
矢次一夫@フェミニストは労働者の敵であると@JaHi8SXKvGxebKx·6月14日当たり前の法律とか、ルールとか絶対あると思うんですが、朝田理論的なもので全部ひっくり返されると 社会学だけでなくて政治集団がいろんな形でこれから見られそうですね176
Com5thFlt@COM5THFLT·6月14日単純素朴に、「当事者研究」なるものが、日本以外のアカデミズムの世界で「学問」として認知されているか、怪しいものがあります。 Wikipedia日本語版「当事者研究」の項目には、他言語へのリンクがありません。輸入学問が多い日本の文系学問の項目で、これは珍しいことです。当事者研究 - Wikipediaja.wikipedia.org278
池野賢士@ikenokenji·6月14日研究者と研究対象(この場合は当事者)との距離感について慎重を要するというのは人類学辺りでは基本の「き」だと考えられますが、「当事者研究」はその辺り迂闊な印象ありますね。256
上山和樹@ueyamakzk·6月15日「ブルジョア経済学に対するマルクス経済学」のようなもので、《当事者/学術/運動体》のショートを起こしていない言説は「抑圧である」という解釈になり、無敵の万能感を手に入れてるのでは。 左翼が自らの党派性を「科学」と呼んだ短絡をそのままあらゆる論題でやってるというか。168
上山和樹@ueyamakzk·6月15日斎藤環はアール・ブリュットについて、「批評の禁止」を言ってます→ https://technique.hateblo.jp/entry/20131115 勿論その「批評の禁止」という主張それ自体が一つの批評なわけで、 つまりここで斎藤環は、朝田理論的に語ることで「俺以外は批評してはいけない」と恫喝してる。センシティブな内容が含まれている可能性のあるメディアです。設定を変更表示1712
上山和樹@ueyamakzk·6月15日当事者擁護のポーズをとることで「私以外は批評してはいけない」の恫喝をかける。その恫喝を共有するところに左派の全体主義がある…。 当事者側が主張するときには、学術論文までがアール・ブリュット的に「批評してはいけない」の対象になる。センシティブな内容が含まれている可能性のあるメディアです。設定を変更表示197
上山和樹@ueyamakzk·6月15日最近だと例えばグレタ・トゥンベリが《学術/当事者/運動体》のショートを起こしており、批判的論評は禁じられています。 彼女はアスペルガー症候群だと自分で名乗っていますが、「未成年」「女性」であることも合わせ、主張がアール・ブリュット的な擁護を受けている。批判は朝田理論的に禁じられる。11010
上山和樹@ueyamakzk返信先: @ueyamakzkさん、@ikenokenjiさん、他4人たしかに気になりますが、アメリカの Antifa/BLM まわりの言説の異様さは、日本の当事者研究と同じ構造に見えます。「黒人が当事者ポジションから言うことは誰も批判できない」というような。日本の「当事者研究」というタイトルを欧米が導入する展開もあり得るのでは。センシティブな内容が含まれている可能性のあるメディアです。設定を変更表示午前2:51 · 2021年6月15日·Twitter Web App8 件のリツイート1 件の引用ツイート6 件のいいね